2024年08月30日
アフリカ猟で学んだ事。
14.アフリカのガイド猟で学んだ事。
アフリカ猟はハンターの多くがそうである様にケンさんに取っても憧れの頂点でした。アフリカに限らず海外は法的に全てガイド猟です。
アフリカ猟は150~200m、クドウに至っては300m以遠です。
結構な高難度であり、未回収には高額ペナルティーがあります。これにはケンさんもビビリました。
車で走って獲物を見付けると、徒歩で射撃ポイントまで最大数㎞を歩くのですが、獲物が逃げない 内に射撃ポイントに着きたいので、ガイドは非常に速く歩き、付いて行くのがやっとでした。
いざ射撃ポイントに着く頃には呼吸が荒くなっており、早く撃たなければと言う焦りもあって失中が続きました。そこでケンさんは作戦を変えました。
出会い回数が増えても失中では意味が無く、未回収にはペナルティーが必要なのが海外猟です。
従ってアプローチは息が上がらない様にかなりゆっくり歩き、呼吸が整うまで待ち事にしました。
その結果アプローチ中に逃げられた確率も多少はあった筈ですが、それ程では無かった様でした。
また未回収時ペナルティーにビビっていましたが、心に不安事があると当たる射撃も命中しません。
さりとてビビッて撃たなければ、遥々地球の裏側まで行った意味が無くなってしまいます。
そこでイメージトレーニングを繰り返し、更に半分はペナルティーを払うつもりで撃ちました。
結果アフリカ猟はケンさんの心を強くし、上記呼吸調整法と併せ、90%強が命中となり、他の猟でも以後の失中が激減しました。
日本にもアフリカの負けない猛獣ヒグマ(最大で400㎏越)がいます。ケンさんもいつかは1頭と憧れていましたが、いつしかマグレとは言わせない「6頭捕獲」となりました。
ヒグマ戦には恐怖に動じない「鋼の心」が必要であり、未回収ヒグマが他人に害を与える事を避けなければなりません。つまりアフリカ猟よりもっと未回収が許されない状態にあります。
これもアフリカ猟のお陰がありました。全ては名門バレー部を逃げ出さなかった事から始まりました。
最初の1頭の鹿の捕獲には9年を要したケンさん、最初の10年の捕獲はこの1頭だけでした。
しかし、射撃技術側と出会い技術側の両方の大幅合理化から、2回目の10年では100頭を捕獲、3回目の10年では更に両方の技術が更に大幅進化し、何と1000頭の捕獲となりました。
短期記録では2009シーズン140頭、更に2007年5日間で50頭、更に3回達成のランニング射撃150m5発5中では、僅か8秒間で5頭捕獲となりました。
150m先を走る鹿を8秒で5頭。
こんな驚く程の大発展にもなるとは、ケンさんも驚きました。ケンさんも並の人間ですから落ちこぼれそうになった事もあり、先輩からも「ハンターとして資格が無い」そう言われ続けました。
結果的に言えば、獲れなかった長い時期があり、そして辞めなかったからこそ、30年を要しましたが、10年で1頭が、5日間で50頭、また8秒間で5頭の大発展に 続ながったと思います。
ボルネオ先輩からも「社員として資格がない」と言われ続けましたが、いつしか「不可能を可能にする伝説の男」と言われる様になり、会社の業績に大きな貢献が出来たと思います。
狩猟も含め、資格が無いと忠告してくれた先輩方々には「昔の至らなかった点のお詫びと共に、その後の報告」をしたかったのですが、残念ながらすでに他界しておられました。
アフリカ猟はハンターの多くがそうである様にケンさんに取っても憧れの頂点でした。アフリカに限らず海外は法的に全てガイド猟です。
アフリカ猟は150~200m、クドウに至っては300m以遠です。
結構な高難度であり、未回収には高額ペナルティーがあります。これにはケンさんもビビリました。
車で走って獲物を見付けると、徒歩で射撃ポイントまで最大数㎞を歩くのですが、獲物が逃げない 内に射撃ポイントに着きたいので、ガイドは非常に速く歩き、付いて行くのがやっとでした。
いざ射撃ポイントに着く頃には呼吸が荒くなっており、早く撃たなければと言う焦りもあって失中が続きました。そこでケンさんは作戦を変えました。
出会い回数が増えても失中では意味が無く、未回収にはペナルティーが必要なのが海外猟です。
従ってアプローチは息が上がらない様にかなりゆっくり歩き、呼吸が整うまで待ち事にしました。
その結果アプローチ中に逃げられた確率も多少はあった筈ですが、それ程では無かった様でした。
また未回収時ペナルティーにビビっていましたが、心に不安事があると当たる射撃も命中しません。
さりとてビビッて撃たなければ、遥々地球の裏側まで行った意味が無くなってしまいます。
そこでイメージトレーニングを繰り返し、更に半分はペナルティーを払うつもりで撃ちました。
結果アフリカ猟はケンさんの心を強くし、上記呼吸調整法と併せ、90%強が命中となり、他の猟でも以後の失中が激減しました。
日本にもアフリカの負けない猛獣ヒグマ(最大で400㎏越)がいます。ケンさんもいつかは1頭と憧れていましたが、いつしかマグレとは言わせない「6頭捕獲」となりました。
ヒグマ戦には恐怖に動じない「鋼の心」が必要であり、未回収ヒグマが他人に害を与える事を避けなければなりません。つまりアフリカ猟よりもっと未回収が許されない状態にあります。
これもアフリカ猟のお陰がありました。全ては名門バレー部を逃げ出さなかった事から始まりました。
最初の1頭の鹿の捕獲には9年を要したケンさん、最初の10年の捕獲はこの1頭だけでした。
しかし、射撃技術側と出会い技術側の両方の大幅合理化から、2回目の10年では100頭を捕獲、3回目の10年では更に両方の技術が更に大幅進化し、何と1000頭の捕獲となりました。
短期記録では2009シーズン140頭、更に2007年5日間で50頭、更に3回達成のランニング射撃150m5発5中では、僅か8秒間で5頭捕獲となりました。

こんな驚く程の大発展にもなるとは、ケンさんも驚きました。ケンさんも並の人間ですから落ちこぼれそうになった事もあり、先輩からも「ハンターとして資格が無い」そう言われ続けました。
結果的に言えば、獲れなかった長い時期があり、そして辞めなかったからこそ、30年を要しましたが、10年で1頭が、5日間で50頭、また8秒間で5頭の大発展に 続ながったと思います。
ボルネオ先輩からも「社員として資格がない」と言われ続けましたが、いつしか「不可能を可能にする伝説の男」と言われる様になり、会社の業績に大きな貢献が出来たと思います。
狩猟も含め、資格が無いと忠告してくれた先輩方々には「昔の至らなかった点のお詫びと共に、その後の報告」をしたかったのですが、残念ながらすでに他界しておられました。