2022年10月07日
テレビ取材-3.
6.フジTV,海外猟の取材、2018年頃。
海外狩猟の同行取材させて欲しいと言って来ました。聞けば取材費は出せないから、ケンさんが自分の費用で行く時に同行させて欲しいと言う、虫の良い依頼内容でした。
ケンさんは2016年のナミビア猟を最後にするつもりでしたから、もう海外出撃の予定はありません。そんな事から話は流れましたが、昨今の海外猟を紹介しましょう。
アフリカ猟は自然の猟場ではなく、大規模ランチ猟が主流です。
それは何かと言えば、ハンターを多数受け入れ狩猟をさせるのですが、野性動物がそんなには いる筈もなく、養殖専門業者から動物を買い入れ、それを私有地猟場に放牧して撃たせます。
動物は撃たれた経験がないので、シロートでも100m以内から、超じっくり狙いで撃てます。
ランチ猟はエゾ鹿猟より遥かにイージーな、本物とは言い難い狩猟ですが、これが現在の主流です。
ランチ猟は従前からありました。2009年、我々をガイドしてくれたアレックス氏は数年後、ランチ猟が圧倒的に増えつつある事を感じ、ハンティングガイドを辞めて、野性動物商に転職、自家用ヘリを所有するまでになりました。
もう一つはファーム猟です。これは私有地に住む本物の野性動物と勝負しますので、エゾ鹿猟より遥かに高難度、完璧に本物の狩猟と言えます。動物はある程度撃たれ慣れしているので、通常
ハンターが余り撃たない距離にいます。高人気のクドウは300m以遠で、しかも早撃ちを要します。
ケンさんの捕獲したクドウ2頭は300mと380mでした。かなり遠距離ですが、それでもブッシュからブッシュに駆け込み照準時間をもらえません。
ケンさんの選んだ手法は、エゾ鹿猟でも時々使う「待ってたホイ猟」でした。次に止まる場所を予測して、そこに銃を照準し、スコープに捉えるや否やで発砲します。ファーム猟は大物捕獲が可能ですが、非常に高難度な射撃技術を要します。
もし本物の狩猟である、ファーム猟を取材するとしたら、その瞬間を撮影する事は自室不可能と なり、至難の業となる事でしょう。
しかし本物狩猟とは言えないランチ猟であれば、時間的余裕がありますから、映画撮影の様に カメラがポジション取りをしてから、発砲する事も可能となります。
巷のマスコミには本物の狩猟を撮る事は出来ず、ヤラセ撮影の能力しかありません。
7.映画サファリの配布用資料。2017年。
2018年新春に国内放映される、映画サファリの配布資料作成の依頼が来ました。
そしてケンさんが書いたのが、アフリカ猟の歴史、そして終わりなき情熱でした。
アフリカ猟の歴史のあらすじ。
15世紀から17世に掛けた大航海時代、アフリカの中南部には奇跡の大型動物が多数生息して いる事が紹介されました。そこから貴族や金持ちハンターのアフリカ猟が始まりました。
この頃の銃身は日本の火縄銃と同じ巻針式、弾は先込め式、火薬は黒色火薬、しかし発火方式は燧石式に発展していました。日本では初期の火縄銃が300年間も発展する事なく使われました。
やがて時代は変わり、18世紀になりますと、ヨーロッパの鉄は鉄鉱石とコークスから大量に生産 される様になり、1864年には薬莢式の弾が開発され、超大口径の8番(21㎜)の特製水平2連銃が作られ、これがアフリカ猟に使われました。貴族は競って大物を求め、アフリカに出猟しました。
1884年、無煙火薬が発明されると、一気に弾速は2倍、エネルギーは4倍となり、20番(15㎜)口径でも威力を持て余す様な弾が製造可能となり、こうした弾をニトロエクスプレスと言います。
直訳すれば無煙火薬の高速弾になりますが、今で言えば重量低速弾となります。現在の主流の弾は300mの遠射が可能な、軽量高速弾になっています。昨今は遠射も可能な338ウインチェスターマグナム等が良く使われています。
アフリカ猟で高名な弾は、象撃ちの600ニトロエクスプレス(20番口径)、現在は使う人はいません。この時代にはアフリカを訪れるハンターは急増し、間もなく撃たれ慣れした獲物との距離は遠くなり、重量低速弾は適さなくなり、ニトロエクスプレス時代は短期に終わりました。
ハンターは年を追う毎に急速に増えましたが、激変はWW2前後でした。アフリカは大規模開拓 され牧場となり、そこにいた数え切れない程の大量の動物は、駆除されWW2の兵士の食糧となりました。90%の動物がいなくなりましたが、それでもまだ動物は多数残っていたと言えました。
更に大きく変わったのはアフリカ猟のブームが起こり、マグナム銃が大量に作られた、第2次大戦後でした。日本でも1960年前後にはアフリカ猟ブームが起こり、当時の銃砲年鑑の銃リストには
アフリカ猟用の大口径銃や、弾のリストには象撃ち用の600ニトロエクスプレス等が載っていました。
日本のマスコミはプロハンターを雇い、競ってアフリカ猟を紹介し、狩猟熱を煽りました。
大藪晴彦氏の「ビッグゲーム」や柳田佳久氏の「ライフルハンター」もこの時期に作られました。
毎週日曜日にはアフリカ猟特集の定期テレビ番組があり、ケンさんもこのウイルスに感染し、大人になったら狩猟をやろうと決め、何時かはアフリカ猟を目指す様になりました。
しかしこのアフリカ猟ブームは銃業界がWW2の特需が終わった為に起こした、業界主導ブームであり、そのトップにアフリカンがあり、2番目にはアラスカンがありました。
マグナムブームは世界中に及び、日本でもエゾ鹿猟にはマグナムが必要と言う時代でした。未熟な射撃技術を補い即倒率を上げると言うのが謳い文句でしたが、その様な効果は皆無、今では誰もマグナムを使わなくなりました。
もちろんアフリカ猟には超強力な銃が必要、と言う事も銃業界の陰謀でした。しかしアフリカ猟は人気が集中し、ゲーム価格は毎年大幅に上がりました。そして庶民に取って手が届く限界が2004年でした。
それはケンさんがアフリカ猟に向け、具体的に行動を開始した年でした。2004年価格では象が5900ドル、犀が8500ドル、豹もライオンも僅か3000ドル、ケープバッファローに至っては、僅か1000ドルでした。
ケンさんは2016年のナミビア猟を最後としましたが、この頃にはエランドもクドウも2000ドル、他は高額過ぎて手が出せませんでした。
また2015年がその次のターニングポイントになりました。その10年ほど前から中国成金が大挙 してアフリカを訪れる様になったからです。
ケンさんが初めてナミビアを訪れたのは2009年、この時は飛行機に乗り合わせたハンターはゼロでしたが、2012年は他に3組、2016年には何と12組でした。更に以前は1日1便しかなかった飛行便は、2015年から1日3便になりました。
ナミビアに人気が集中した理由は、今まで主力の南アフリカの動物を獲り尽くしたからでした。ナミビアもこのペースで行けば、10年で獲り尽くされますが、幸いコロナで3年ほど永らえています。
もちろん現在の主流は大規模狩猟場に、養殖動物を放牧して狩猟するランチ猟です。ハンターの数が多過ぎ、養殖動物(本来5年)が間に合わず、繰り上げ卒業させる様になり、ますます大物捕獲が困難となった、それがアフリカ猟の現状です。 終わりなき情熱の紹介は頁の関係で省きます。
今後のアフリカ猟は、比較的繁殖の良い、ゲムズボックと呼ばれるオリックスや、ワイルドビーストと呼ばれるヌーや、レッドハートビーストや、スプリングボック&ブレスボック(少し大きい)や、イボイノシシに限られて来ると思われます。
遠からずアフリカがダメになると、エゾ鹿猟の価値が一段と上がって来ます。
法律的な問題を対策すれば、エゾ鹿は完全なワールドサイズ、世界断トツの生息密度ですから、世界のハンターが注目すると思います。
海外狩猟の同行取材させて欲しいと言って来ました。聞けば取材費は出せないから、ケンさんが自分の費用で行く時に同行させて欲しいと言う、虫の良い依頼内容でした。
ケンさんは2016年のナミビア猟を最後にするつもりでしたから、もう海外出撃の予定はありません。そんな事から話は流れましたが、昨今の海外猟を紹介しましょう。
アフリカ猟は自然の猟場ではなく、大規模ランチ猟が主流です。
それは何かと言えば、ハンターを多数受け入れ狩猟をさせるのですが、野性動物がそんなには いる筈もなく、養殖専門業者から動物を買い入れ、それを私有地猟場に放牧して撃たせます。
動物は撃たれた経験がないので、シロートでも100m以内から、超じっくり狙いで撃てます。
ランチ猟はエゾ鹿猟より遥かにイージーな、本物とは言い難い狩猟ですが、これが現在の主流です。
ランチ猟は従前からありました。2009年、我々をガイドしてくれたアレックス氏は数年後、ランチ猟が圧倒的に増えつつある事を感じ、ハンティングガイドを辞めて、野性動物商に転職、自家用ヘリを所有するまでになりました。
もう一つはファーム猟です。これは私有地に住む本物の野性動物と勝負しますので、エゾ鹿猟より遥かに高難度、完璧に本物の狩猟と言えます。動物はある程度撃たれ慣れしているので、通常
ハンターが余り撃たない距離にいます。高人気のクドウは300m以遠で、しかも早撃ちを要します。
ケンさんの捕獲したクドウ2頭は300mと380mでした。かなり遠距離ですが、それでもブッシュからブッシュに駆け込み照準時間をもらえません。
ケンさんの選んだ手法は、エゾ鹿猟でも時々使う「待ってたホイ猟」でした。次に止まる場所を予測して、そこに銃を照準し、スコープに捉えるや否やで発砲します。ファーム猟は大物捕獲が可能ですが、非常に高難度な射撃技術を要します。
もし本物の狩猟である、ファーム猟を取材するとしたら、その瞬間を撮影する事は自室不可能と なり、至難の業となる事でしょう。
しかし本物狩猟とは言えないランチ猟であれば、時間的余裕がありますから、映画撮影の様に カメラがポジション取りをしてから、発砲する事も可能となります。
巷のマスコミには本物の狩猟を撮る事は出来ず、ヤラセ撮影の能力しかありません。
7.映画サファリの配布用資料。2017年。
2018年新春に国内放映される、映画サファリの配布資料作成の依頼が来ました。
そしてケンさんが書いたのが、アフリカ猟の歴史、そして終わりなき情熱でした。
アフリカ猟の歴史のあらすじ。
15世紀から17世に掛けた大航海時代、アフリカの中南部には奇跡の大型動物が多数生息して いる事が紹介されました。そこから貴族や金持ちハンターのアフリカ猟が始まりました。
この頃の銃身は日本の火縄銃と同じ巻針式、弾は先込め式、火薬は黒色火薬、しかし発火方式は燧石式に発展していました。日本では初期の火縄銃が300年間も発展する事なく使われました。
やがて時代は変わり、18世紀になりますと、ヨーロッパの鉄は鉄鉱石とコークスから大量に生産 される様になり、1864年には薬莢式の弾が開発され、超大口径の8番(21㎜)の特製水平2連銃が作られ、これがアフリカ猟に使われました。貴族は競って大物を求め、アフリカに出猟しました。
1884年、無煙火薬が発明されると、一気に弾速は2倍、エネルギーは4倍となり、20番(15㎜)口径でも威力を持て余す様な弾が製造可能となり、こうした弾をニトロエクスプレスと言います。
直訳すれば無煙火薬の高速弾になりますが、今で言えば重量低速弾となります。現在の主流の弾は300mの遠射が可能な、軽量高速弾になっています。昨今は遠射も可能な338ウインチェスターマグナム等が良く使われています。
アフリカ猟で高名な弾は、象撃ちの600ニトロエクスプレス(20番口径)、現在は使う人はいません。この時代にはアフリカを訪れるハンターは急増し、間もなく撃たれ慣れした獲物との距離は遠くなり、重量低速弾は適さなくなり、ニトロエクスプレス時代は短期に終わりました。
ハンターは年を追う毎に急速に増えましたが、激変はWW2前後でした。アフリカは大規模開拓 され牧場となり、そこにいた数え切れない程の大量の動物は、駆除されWW2の兵士の食糧となりました。90%の動物がいなくなりましたが、それでもまだ動物は多数残っていたと言えました。
更に大きく変わったのはアフリカ猟のブームが起こり、マグナム銃が大量に作られた、第2次大戦後でした。日本でも1960年前後にはアフリカ猟ブームが起こり、当時の銃砲年鑑の銃リストには
アフリカ猟用の大口径銃や、弾のリストには象撃ち用の600ニトロエクスプレス等が載っていました。
日本のマスコミはプロハンターを雇い、競ってアフリカ猟を紹介し、狩猟熱を煽りました。
大藪晴彦氏の「ビッグゲーム」や柳田佳久氏の「ライフルハンター」もこの時期に作られました。
毎週日曜日にはアフリカ猟特集の定期テレビ番組があり、ケンさんもこのウイルスに感染し、大人になったら狩猟をやろうと決め、何時かはアフリカ猟を目指す様になりました。
しかしこのアフリカ猟ブームは銃業界がWW2の特需が終わった為に起こした、業界主導ブームであり、そのトップにアフリカンがあり、2番目にはアラスカンがありました。
マグナムブームは世界中に及び、日本でもエゾ鹿猟にはマグナムが必要と言う時代でした。未熟な射撃技術を補い即倒率を上げると言うのが謳い文句でしたが、その様な効果は皆無、今では誰もマグナムを使わなくなりました。
もちろんアフリカ猟には超強力な銃が必要、と言う事も銃業界の陰謀でした。しかしアフリカ猟は人気が集中し、ゲーム価格は毎年大幅に上がりました。そして庶民に取って手が届く限界が2004年でした。
それはケンさんがアフリカ猟に向け、具体的に行動を開始した年でした。2004年価格では象が5900ドル、犀が8500ドル、豹もライオンも僅か3000ドル、ケープバッファローに至っては、僅か1000ドルでした。
ケンさんは2016年のナミビア猟を最後としましたが、この頃にはエランドもクドウも2000ドル、他は高額過ぎて手が出せませんでした。
また2015年がその次のターニングポイントになりました。その10年ほど前から中国成金が大挙 してアフリカを訪れる様になったからです。
ケンさんが初めてナミビアを訪れたのは2009年、この時は飛行機に乗り合わせたハンターはゼロでしたが、2012年は他に3組、2016年には何と12組でした。更に以前は1日1便しかなかった飛行便は、2015年から1日3便になりました。
ナミビアに人気が集中した理由は、今まで主力の南アフリカの動物を獲り尽くしたからでした。ナミビアもこのペースで行けば、10年で獲り尽くされますが、幸いコロナで3年ほど永らえています。
もちろん現在の主流は大規模狩猟場に、養殖動物を放牧して狩猟するランチ猟です。ハンターの数が多過ぎ、養殖動物(本来5年)が間に合わず、繰り上げ卒業させる様になり、ますます大物捕獲が困難となった、それがアフリカ猟の現状です。 終わりなき情熱の紹介は頁の関係で省きます。
今後のアフリカ猟は、比較的繁殖の良い、ゲムズボックと呼ばれるオリックスや、ワイルドビーストと呼ばれるヌーや、レッドハートビーストや、スプリングボック&ブレスボック(少し大きい)や、イボイノシシに限られて来ると思われます。
遠からずアフリカがダメになると、エゾ鹿猟の価値が一段と上がって来ます。
法律的な問題を対策すれば、エゾ鹿は完全なワールドサイズ、世界断トツの生息密度ですから、世界のハンターが注目すると思います。
2021年02月06日
狩猟大全集「Fainal編」新発売。
表表紙説明:紋別郡滝上町ヒグマ250㎏、2007
EHG5205商標
裏表紙説明:NZ孔雀2011、与那国カジキ2012、NZキジ2012、NZ七面鳥2012、
NZイシナギ2017、NZカナダガン2014、NZテキサン練習機2011.
A4約500頁,PDF化されたDVDが1万円。(〒&Tax込み)
「狩猟人生を振り返って」編をお持ちの方は、お越し下されば無料で差し上げます。
資料館にお越し下さる時は事前にご一報下されば幸いです。
お問い合わせ:http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage
狩猟大全集「Fainal編」もくじ。
1.モンゴル丘の13伝説 : 根室の一角にあるエゾ鹿の猟場です。
2.S師とお魚フィーバー。
3.ムース級のエゾ鹿。
4.エゾ鹿の種類 :エゾ鹿とエゾ鹿猟の種類、必要な道具、初参加者の希望。
5.これから狩猟を始める人に対するアドバイス:何の猟がしたい? 獲物に出会う事は難しい。
6.新人ハンターの銃選び、3年間を如何に生き残るか?
選ぶべき銃とダメな銃、クレー射撃上達法、実猟の種類、可能性を感じなければ生き残れない。
可能性があるのはエゾ鹿ガイド猟だけ、行くなら西興部の猟区、3年目までにまず獲れます。
7.銃の皮ケースが必要であった時代背景 : 銃はあっても足(車)が無かった。
8.大物単独猟。
迫力負けと150㎏を回収する体力、マグナムは不要、 狩猟行政、エゾ鹿の国際的な価値。
9.被弾の瞬間。
被弾部の毛が立ち、弾着音が聞こえ、ボルト銃はオートより速い、出来ない理由はやらないから。
10.スナップショット&スナップスイングショット の 決定版。
肩に着く前に撃つ、ストックの調整が決め手、見ている映像は古い虚像、動的は難しくない。
11.ライフル銃の夢、5発5中の達成。、
達成はオートではなくボルトだった、ドギュメント5発5中、平均150m先を走る鹿に1.4発/頭。
12.ライフル銃の夢、ワンホール達成。
フリンチングが原因、実射からは得られず、実射には反動を伴なわないと体を騙せば達成可能。
13.究極の散弾銃を求めて、愛銃の歴史。
リードを考えずに済むスイング射撃こそ理想の射撃、オープンサイトの銃は使えない。
14.散弾銃の適合装弾とショットガン効果。
最強の図式、鳥猟:7.5号装弾+フルチョーク、鹿猟:27粒弾+スキートチョーク。
15.究極のライフル銃を求めて、愛銃の歴史。
オープンサイトは使えない、究極のライフルはオートでは無かった、欠陥銃レミントン700。
16.ライフル銃の欠陥。
50m以内では向けて撃つだけのバックショットに絶対勝てない、鉛弾頭時は近距離では表面 爆発、また骨にヒットすれば威力を失う、ライフル銃は魔法の銃では無い。
17.使えないハイパワー弾と使えるローパワー弾。
ショットガン効果に1粒の威力は無関係だった様に、単弾もパワーには概ね無関係でした。
18.憧れの連射:散弾銃のオートは非常に優秀ですが、ライフル銃のオートは全くダメな銃でした。
19.狩猟とは不可能に対する挑戦。
カモの隠密接近術、鹿猟の「禅の心作戦」、発射には反動を伴なわないと体を騙す。
20.不可能を克服した39項目。
カモを希望の場所に墜とす、無敗連勝記録20勝、オートより速いボルト銃連射、5日間50頭。
21.エゾ鹿猟の射程距離の変化。
太古の昔から2005年まではずっと50m、現在は150m、射撃の成否は心次第。
22.エゾ鹿猟の90%は詐欺ビジネス?
巻き狩りは獲れない、ガイド猟は出会いを作れるガイドがいない、よって90%詐欺は正解。
23.鹿の圧勝構造の崩壊。
本州鹿猟は圧倒的五感の差で獲れないが、車を使うエゾ鹿ガイド猟にはこれが無く、勝負し易い。
24.実戦に必要だった事の要約。
浅はかな経験で自分流に分かろうとせず、分からないままフルコピーに努める、スナップショットは全ての射撃の基本、射撃は心が平静でなければ命中しない。
25.逃げる鹿。
スコープ専用銃はスナップショットやランニングショットが得意項目、ボルトアクション市販銃、安物スコープ、酷評の激安弾、クリーニングレス、大記録はここから生まれました。
26.普通の狩猟vs 魅力桁違いの本物の狩猟。
鴨ネギ猟やデメキン鹿猟、これが普通の狩猟です。それで満足ですか?
27.安全装置の歴史と未来銃。
安全思想が欠落している日本的な銃の運用、スコープ専用銃は獲物に出会ってから装填や 安全解除が出来る銃です。
28.ワィルドキャット(カスタムカートリッジ)
1960年製の酷評弾でも大記録が出せた事は、狩猟用に限れば、高精度銃も高精度を目指したハンドロードも、ワイルドキャットもそれら努力の全ても1960年に遡って無意味であった事になります。実戦に必要な精度は思ったほど高くなく、必要なのは射手の平静な心だけでした。
29.少年の夢。
ジープで世界1周アドベンチャードライブ、戦闘機のアクロ飛行、自作ヨットで世界1周、ライフル銃で世界の大物と勝負をする。
2000年の阿寒ガイド猟も15チーム中10チームが捕獲ゼロでした。
日本大物クラブ会員の夢は5頭捕獲のエース、ケンさんのスクールなら平均3日分の捕獲数。
30.サラリーマン卒業後。
1989年(有)サンシャ電装の設立。1991年~業務拡大、トレーラージャパン と エリア88。
花巻本州鹿巻き狩りを63日も行いゼロ頭、白糠民宿巻き狩り21日もゼロ頭、共に遠廻りでした。その後同じ白糠で単独猟をする様になり、即座に1日1頭を捕獲出来る様になりました。
31.仕事卒業後。
2000年末、交通事故で死に損ない、思い切って仕事を卒業、少年の頃からの夢の追及を再開。
飛行ライセンスへの挑戦、世界の秘境ドライブ、世界の大物との勝負、狩猟や銃のライターを 始め、「狩猟大全集」自前出版する事にしました。
32.円熟の時代。
世界秘境旅の走行累計は10万kmを達成、ジェット戦闘機6Gアクロ飛行最後とし、国内狩猟はヒグマ6頭、エゾ鹿1051頭、海外猟は大物64頭、最後の仕事として自宅資料館を作りました。
33.銃砲業界の悪行。
スチールの最強装弾は5~6号クラス、スチール専用銃は不要でした、ホロ―サイト&ドットサイトは使い物になりません。ライフル新規イカサマ審査で誕生したイカサマライフルマン多数は旧技能講習で全滅し、マグナムもアフリカンホットライフルも未熟なハンターを騙す業界の陰謀でした。プリチャージ式空気銃は業界の陰謀が最も臭う銃です。
34.ある友人のホラ。
ケンさんは間違って入部したとは言え名門クラブから逃げませんでした。
本州鹿巻き狩りでは石の上に想定外の9年、おかげ様で高いレベルの狩猟が可能になりました。
35.空中空き缶撃ちは可能か。
空中で失速する位置を予測し、スナップショットを行ないます。
銃だけに撃たせれば300m遠射は難しくなく、スイングを止めないで追い越す時に引き金を引けば、ランニング射撃も簡単です。
36.ボウハンティング。
射程50m、無音のボウは出会い率&捕獲率とも高く、アメリカでは最も普及しています。
37.種子島銃 と 連発銃。
パーカッション、ライフリング、リムファイアー、センターファイアー、無煙火薬、これら全てが僅か35年の間に集中、やがて待望の連射銃や自動銃となりましたが、連射は単なる夢物語でした。
38.村田銃とフロロフカ。
村田猟銃は国産軍用銃の13年式及び18年式11㎜ライフル銃を30番前後の散弾銃に改造払い下げた銃をモデルに明治10年(1877)頃から新造され、1965年頃まで使われました。
ロシアでも同様の改造払い下げが超大量に行われ、それが「フロロフカ」です。
1995年頃、当局の無知を付け込んで、マーリン444ライフルをそのままハーフライフル化した イカサマ410番ハーフライフル銃が販売された時期がありました。
39.ホーワカービンとM1カービン。
M1カービンは自衛隊も運用、ホーワがその補充部品を組立てホーワカービンを売り出しました。15連&30連マガジンも使え、更にはフルオートシアも組み込めてしまう、問題の銃でした。
クランクトリガーは引き金にセットしたクランクハンドルを廻すとフルオートの様に撃てる装置です。バンプストックは2重ストックの中で銃が前後してフルオートで撃てるアイデアでした。
40.弾頭の飛行中の温度。
銃口から出た直後は320℃、弾頭は12㎜の鉄板を撃ち抜きます。
41.ハンターのバイブル、そのゼロ: ケンさんのバイブル。
ケンさんは1983年から鹿猟を始め、若い頃のハンティングバイブルは「ザ‐ビッグゲーム」であり、「ライフル-ハンター」でした。更にその後、「羆撃ち」が加わりました。その後30年が過ぎ、当時 の不可能がかなり可能になった今、そして極める狩猟を卒業した今、かつてのバイブルは著者が色々聞いた名人芸を、自らが名ハンターを演じて実行した様に書いている小説でした。
42.ハンターのバイブル、その1:ザ・ビッグゲーム。
大藪氏は銃を語るライターとして失格レベル、猟の記載もあり得ない事だらけ、ザ・ビッグゲームは単なる小説でした。また北海道のエゾ鹿やヒグマと勝負しないのはハンターではありません。
43.ハンターのバイブル、その2 : ライフル・ハンター。
柳田氏は著書によれば単独猟で多数の戦果を出したとの事ですが、本当は1990年頃の白糠の1週間が憧れの初単独猟、しかし1週間で鹿を1度も見る事も出来ない状態、ガイド猟で数頭捕獲したそうです。(湯井ガイド談)
その数年後、著しく未熟だったケンさんですが、同じ白糠の単独流し猟で毎日1頭前後を捕獲 していました。神様の様に思っていたハンターは、実はあり得ない程の超ダメハンターでした。
44.ハンターのバイブル、その3 : 羆撃ち。
スコープ専用銃の意味も、サボットスラグ銃の性能も、新しい合金ナイフも知らない、狩猟教書は1970年の古い知識の押し売りの書、羆撃ちは愛犬に溺れたロリコンハンター物語でした。
45.ハンターのバイブル、その4: 狩猟大全集。
ショットガンの鳥猟、本州鹿巻き狩り、ライフル銃のエゾ鹿猟とヒグマ猟、これらの最高のバイブルとなれる様にまとめたつもりです。拙書には且つてはバイブルとして崇めた「ザ・ビッグゲーム」 「ライフル・ハンター」「羆撃ち」を酷評していますが、何時の日か誰かがケンさんの「大全集」酷評してくれる日が来る事を望んでいます。
46.狩猟大全集の誕生の経緯。
スポーツガンはケンさんも編集に参加しておりましたが、狩猟を紹介するケンさんの記事が抹消され、その時にガイドブックから手を引く事にしました。結果、数年後に廃刊、「ザマーミロ」となりました。他の狩猟雑誌も捕獲に拘り過ぎるとして仕事から外され、その結果、どの雑誌も数年後に廃刊に追い込まれ、「ザマーミロ」となりました。そして「如何にして獲物に出会うのか」「如何にして獲るのか」 これが超拘りの「狩猟大全集」となり、自費出版しました。
47.ケンさんのハンティングカー歴。
FRデフロック付のランクル76が最高のハンティングカーでした。
48.北海道移住とエゾ鹿猟のトラブル。
トップは雪道や林道の運転であり、2番目は単独猟が出来ない事、3番目は地元ハンターからのあからさまな妨害でした。
49.ランドクルーザー。
1951年にトヨタジープBJ-10型を自衛隊向けに試作、これがランドクルーザーの原型となりました。1954年、軍用イメージをなくしたFJ20型となり、ランドクルーザーと名乗る事になりました。
1973年、ディーゼルエンジンモデルが追加、このディーゼルエンジンの粘りの高燃費と高耐久性が世界のランドクルーザー飛躍の原因となりました。現在のディーゼル車は実用領域に於いて全てガソリン車を圧倒し、更に実用燃費2倍となりました。
50.三菱嫌いになった理由。
パジェロ詐欺、欠陥車隠し、そして73式改の疑惑、ケンさんは一気に三菱が嫌いになりました。
51.セドリック ディーゼル。
1976年、冬期始動困難:動力配線の見直しで改善、巡航速度と登坂速度の不足問題:ギヤ比を変更、共に満足の行く改造でした。このお粗末な車が当時の技術の日産の姿でした。
1935年、トヨタ第1号G1トラックは名古屋まで20㎞に3日を要しましたが、愚妻の1970年型パブリカ中古車7歳は、5年間5万㎞を無整備、無故障、オイル無交換で走り切りました。
リーフは深夜電力充電なら2円/㎞、ガソリンは20㎞/㍑走っても7.5円/㎞、比較になりません。
52.スズキ ジムニー。
東京のホープ産業のON型、これが原型です。三菱系構成だったホープON型をスズキ部品で再設計したのが初代ジムニー1970年、初期のトヨタ車並の酷い欠陥車でした。
クレームとは「設計不良」「材質不良」「組立不良」が重なって起こり、期間に無関係に成立、トヨタにはこの権利を主張する機会が殆ど無くなり、ニッサンは対応可、三菱は修理代金割引、スズキは非対応です。
53.ゼロ戦。
ゼロ戦の最大の欠点は消耗品の翼が交換出来ない事でした。
それに対し米軍の合理性は素晴らしく、初期にはゼロ戦にカモられ続けたF4Fワイルドキャットを軽量化再設計、そのFM2戦闘機は末期のゼロ戦をカモに出来る程に生まれ変わりました。
54.究極の銃を求めて。愛銃の歴史。
55.リトルケンの達成記録と出猟日数。
56.リトルケン出猟日数。
57.高齢化とバレーボールの話。
高校の部活も中学と同じく名前だけ所属作戦を選択しました。ところが県内無敵のバレーボールの名門校でした。スポーツの超最低辺から上級の入り口までを強制的に体験する事になりました。おかげ様でスーパー体力とド根性が付き、やれば出来るを体験しました。バレーボールを通して人生が始まり、人並みの考え方が出来る様になり、「不可能を可能にする男」となれました。
58.医療費の赤字。
ケンさんの様なボケ老人の生存期間を数年延ばす為に高額費用はもったいないと思います。
59.憧れの海外猟に行くには。
日本の撃ち放題とは全く違う狩猟制度、発砲にはガイドの許可が必要、未回収は要料金です。
天然物と高難度の勝負をするファーム猟と、養殖動物と勝負する低難度のランチ猟があり、後者が90%です。
60.魅惑の海外猟。(何時かはクドウ猟)
1式100万円がMin価格(2016)、未回収を出すまで撃ち、未回収が出た時点で諦め、記念は 捕獲写真だけに留め、剥製類も作らなければ、チップ以外の追加費用は発生しません。
アフリカ猟は南アフリカの動物が尽き、ナミビアを訪れるハンターが激増、コロナ終息後の5年間で手が届かなくなる価格になると思われます。それが最後にチャンスになると思われます。
61.魅惑のヒグマ猟。
捕獲情況、ヒグマは何時何処にいるのか、ヒグマ用装備。
2016年03月11日
月刊狩猟雑誌「けもの道」の休刊
日本で唯一の 月刊狩猟雑誌「けもの道」 が残念な事に 2016年3月号を以って休刊 する事になったそうです。
発行元のAEGによれば、「誌面は一旦終了致しますが、弊社は今後も狩猟の世界の発展のため尽力して参ります。」とあり、今後も非定期等の活動はある模様です。
拙書第1シリーズ「魅惑のダックハンティング」の14シリーズは終わり、ダックシリーズの半ばからは第2シリーズ「魅惑のエゾ鹿猟」の15シリーズの最終が今回です。
ダックシリーズの終了後は第3シリーズ「銃と弾」に引き継がれました。
銃と弾のシリーズにはまだまだ続編がたくさんあるのですが、ハンティングは永遠に不滅ですからその内にまた発表出来る機会が訪れる事でしょう。
月刊狩猟雑誌 けもの道 3月号。
今回のエゾ鹿シリーズ最終テーマは「エゾ鹿ガイド猟は最も安価に手軽に楽しめる猟です。」
主な内容は次の通りです。
1.ガイド猟は的撃ちに過ぎないのか?
そんな事は決してありません。本州猟より遥かに「本格的な100~150mの射撃技術」とそれでいながら「早撃ち」が必要であり、そして対大物には本州猟では起こり得ない「迫力負け」の克服が必要です。
2.巻狩りとは?
鹿との気配先取り合戦が本当の勝負です。これは非常に高度な技術でこれをマスターしない限り、高効率の豊猟は望めません。
また紙面にはありませんが、猟犬は大物鹿を追い出す勝負で「迫力負け」から追い出す事が出来ず、巻狩りでボス級或いはそれに次ぐNO.2捕獲は不可能となり、若い3段角程度に留まります。
3.エゾ鹿ガイド猟のメリットデメリット。
出会いが約40倍もあります。エゾ鹿は元々本州鹿に比べれば相当巨大なのですが、その群れのNO.2(それでも上手く行けば角長80cm超えの超大物)でも十分捕獲の可能性があります。
一方で撃たせて貰って自ら獲ったと言う感覚が薄くなると思われがちですが、これは巻狩りで言えばグループと猟犬に獲らせて貰っているに過ぎませんから同じです。
獲らせて貰っては同じであっても結果には大きな違いが出て来ます。
エゾ鹿ガイド猟の方が遥かに数多くを捕獲出来、且つ遥かに巨大なNO.2オスの捕獲が可能であり、更には憧れの単独猟に発展し易いメリットがあります。
4.巻狩りのメリット。
自宅から毎週通える事が最大のメリットと言えますが、それでも高速代等でそれなりのコストが掛かっています。捕獲率も低率で元々小柄な本州鹿なのですが、その上位オスの捕獲の可能性はほぼありません。
その点ではエゾ鹿猟では高額な飛行機代とガイド代が必要ですが、出会いや捕獲が一桁以上高く、1頭捕獲のコストや1回勝負当たりのコストではエゾ鹿猟の側の圧倒的な勝利になります。また群れのNO.2クラスの巨大なエゾ鹿オスの捕獲も可能です。
5.憧れの単独猟。
多くの人が目指すのは「大自然の中、誰の助けも借りず、狼の様に自らの気配を消し、鷹の様な眼で潜んでいる鹿を遠方から発見し、忍者の様に隠密アプローチし、そして立ち木の間を縫う様な困難な射撃を、ゴルゴ13の様に冷静にこなす」こう言った単独猟ではないのでしょうか。
現実は甘くありませんが、これに最も近いのは本州鹿の巻狩りではなく、エゾ鹿ガイド猟です。
「夢への最短距離はこのガイド猟を累計で50日こなす事」であり、そうすれば必ず道が開けます。
単独猟で精進すれば、何時か国内最大の猛獣である「ヒグマとの勝負」が出来る日も来る事でしょう。筆者の経験で行きますとエゾ鹿200頭を捕獲するとヒグマ1頭を神様が授けてくれました。
ぜひ最終号は購入してお読みください。
http://www.kemonomichi.com/index.html
2015年08月09日
狩猟雑誌「けもの道」発売
今月号からリトルケンの新しいシリーズ 「大物猟と銃と弾」 が登場します。
エゾ鹿猟シリーズではエゾ鹿上級猟に必要な スナップショット 等について詳しく述べています。
きっとお役にたてるかと思います。
また永塚氏のNZ鳥猟の話や、米山氏のレミントン1100のお話も参考になる部分があると思います。ぜひお求めください。
雑誌けもの道HP:http://www.kemonomichi.com/ 1645円
2015年04月16日
月刊狩猟雑誌「けもの道」4月号
4月号が発売されました。1645円です。
http://www.kemonomichi.com/cn30/pg198.html
今月号にはリトルケンの特集が2件載ってます。
その1:エゾ鹿大物ビッグフィーバーのドギュメント:
11月初旬、R生徒の時に実猟5.5日、30チャンス(内大物出会い20回)と言う大物出会い
の超新記録、捕獲は4頭とその割には奮いませんでしたが、結果的に超大物1頭&大物
2頭捕獲はスクールの新記録、これの紹介です。
その2:NZのカナダガン猟の紹介:9発の射撃から8羽撃墜、7羽回収のドギュメントです。
http://www.kemonomichi.com/cn30/pg198.html
今月号にはリトルケンの特集が2件載ってます。
その1:エゾ鹿大物ビッグフィーバーのドギュメント:
11月初旬、R生徒の時に実猟5.5日、30チャンス(内大物出会い20回)と言う大物出会い
の超新記録、捕獲は4頭とその割には奮いませんでしたが、結果的に超大物1頭&大物
2頭捕獲はスクールの新記録、これの紹介です。
その2:NZのカナダガン猟の紹介:9発の射撃から8羽撃墜、7羽回収のドギュメントです。
2015年03月17日
狩猟雑誌 けもの道 ヒグマ特集
3月号には筆者の400kgのヒグマ捕獲ドギュメントが乗っています。
またカモ猟の連載はNZの大型鳥猟の魅力を紹介しています。
1600円、好評販売中。
2月号には同じく20m弱で対決した超ド迫力のヒグマ捕獲ドギュメントです。
またカモ猟の連載は昔の銃と弾を紹介しています。
共々ぜひ取り寄せて読んで下さい。
来月号の特集は5日の実猟で大物&超大物に20回も出会えたと言う、エゾ鹿のビッグフィーバーの紹介です。
また2011年度は全てのフィーバーが講師に当ってしまい、結果的に31頭もの大物&超大物を一人占めしてしまいました。そんな記録も少し載っています。
「けもの道」のHP:http://www.kemonomichi.com/
2014年08月11日
けもの道「エゾ鹿猟」掲載号
けもの道8月号が発売されました。
今月号から筆者のエゾシカ猟の掲載が始まります。
他の静岡の名人の実戦記も載っています。
また筆者のカモ撃ち猟の掲載もあります。
今月号はお買い得です。 ぜひお手元に置いて下さい。
けもの道のHP:http://www.kemonomichi.com/
しかし表紙のエゾ鹿はスモールではありませんが、ミディアムですね。
言って下さればもう少し迫力のある写真が手元にあったのにと思います。
やたら真黒ですが、これは黒土のヌタ場で遊んで来た直後であるからです。
その証拠は白パンツまでが黒くなっている事から分かります。
また本文中で太田氏は鹿が減ったと書いておられますが、筆者は減ったとは思っていません。
確かに毎年射程距離が長くなって行く方向にある事、超大物の出会いがややですが減少した事は認めますが、それは駆除圧で人間の前に出て来る鹿が減少しただけであり、鹿の数は今も自然増殖分を獲り切っていないので増えていると思います。
ただ牛の様な超々巨大な鹿は今までに数頭見ましたが、この10年は1度も見ていません。
かつてNZで鹿を減らす為に獲られた措置の内でもっとも有効だったのがヘリコプターからの射撃です。もちろん空中からの射撃で、昼間のみならず夜間も行いました。その結果20年でほぼ適正値まで戻す事に成功しました。
左写真:最近はあまりこう言う写真を撮らなくなりましたが、一応あるにはあります。
写真は2012年度実猟2週間余で捕獲した70cm以上の大物約30頭です。
右写真:この10年ほどの成果の1部ですが、全て角長80cm以上の超大物です。
エゾ鹿猟はミスらなければ5~10日に1回はこのクラスのチャンスがあります。
その内にこんなのが出ます。御期待下さい。
2014年06月09日
けもの道6月号発売集。カナダガンのデコイ要りませんか?
「けもの道」6月号 が発売されました。
今月の筆者の読み物は先月号に続きカモ猟のドギュメントですが、先回よりやや珍しい内容をピックアップしてみました。新しい猟法のヒントになれば幸いです。
けもの道のHP:http://www.aeg1121.co.jp/kemonomichi/top.html
さて今月はもう1つお知らせがあります。カナダガンのデコイ 要りませんか?
カナダガンのデコイを室内装飾用に購入しましたが、6個セットしかなく、5個余っています。部屋の飾りにまたカモ猟のデコイとして使われたら如何ですか? 全長は約60cmです。
1個3000円、5個まとめて1万円、別途送料が必要、希望者は左蘭のプロフィール下から連絡を入れて下さい。
本体下は水面に浮かべる為の安定錘です。切り取る事も出来ます。
今月の筆者の読み物は先月号に続きカモ猟のドギュメントですが、先回よりやや珍しい内容をピックアップしてみました。新しい猟法のヒントになれば幸いです。
けもの道のHP:http://www.aeg1121.co.jp/kemonomichi/top.html
さて今月はもう1つお知らせがあります。カナダガンのデコイ 要りませんか?
カナダガンのデコイを室内装飾用に購入しましたが、6個セットしかなく、5個余っています。部屋の飾りにまたカモ猟のデコイとして使われたら如何ですか? 全長は約60cmです。
1個3000円、5個まとめて1万円、別途送料が必要、希望者は左蘭のプロフィール下から連絡を入れて下さい。
本体下は水面に浮かべる為の安定錘です。切り取る事も出来ます。
2014年05月13日
けもの道 5月号
けもの道 5月号が発売されました。
今月の筆者の記事はカモ猟のドギュメントです。
1.緊迫のカルガモデコイ猟。
2.餌場のオナガガモの大猟。
3.岩手のカモ猟の紹介。
また伊吾田先生(西興部猟区の事務局長)によるエゾ鹿の生活史も必見の価値ありです。
筆者のエゾ鹿猟の連載もその内に始まる予定ですから楽しみにしていて下さい。
今月の筆者の記事はカモ猟のドギュメントです。
1.緊迫のカルガモデコイ猟。
2.餌場のオナガガモの大猟。
3.岩手のカモ猟の紹介。
また伊吾田先生(西興部猟区の事務局長)によるエゾ鹿の生活史も必見の価値ありです。
筆者のエゾ鹿猟の連載もその内に始まる予定ですから楽しみにしていて下さい。
2014年03月09日
けもの道 3月号 発売中
狩猟雑誌 の「けもの道 3月号」が3月10日から発売になります。1600円です。
今月号から筆者のカモ撃ちの連載が約1年に渡って始まります。
カモ撃ちのプロの技が順次公開されて行きます。御期待下さい。
その後はエゾ鹿猟の連載の予定です。こちらも御期待下さい。
けもの道: http://www.kemonomichi.com/
今月号から筆者のカモ撃ちの連載が約1年に渡って始まります。
カモ撃ちのプロの技が順次公開されて行きます。御期待下さい。
その後はエゾ鹿猟の連載の予定です。こちらも御期待下さい。
けもの道: http://www.kemonomichi.com/
2014年01月12日
狩猟雑誌の「けもの道」
狩猟雑誌の狩猟界が無くなって何年も過ぎましたが、昨年末に新しく 「けもの道」 が 創刊 されました。現在は1月号が発売中です。
ここに筆者が連載を書く事になりました。
テーマはとりあえずカモ猟から始まります。筆者はエゾ鹿以前の約10年間、カモ猟のプロでした。
1974年、筆者はヤマハの沿岸部の工場を新設計する仕事に携わる事になりました。
この時、幸いな事に本社所属だった為に工場サイドでは遅刻と言う制度が適用されず、それを良い事に毎朝カモ猟を1~2時間してから出社しました。連日出勤前の猟は定数になるまで辞められず、定数になってから出社しましたが、それが結果的に1~2時間だったのです。この数年間に一気に各種のノウハウを確立し、新たな射撃法や回収法も考案出来ました。ここにプロの技を公開致します。
カモ猟の後はエゾ鹿猟、その後は海外大物猟、男のロマンと続く予定です。これらも御期待下さい。
1600円
掲載は3月10日発売予定の3月号からの予定かと思います。
「けもの道」のHP:http://www.kemonomichi.com/
ここに筆者が連載を書く事になりました。
テーマはとりあえずカモ猟から始まります。筆者はエゾ鹿以前の約10年間、カモ猟のプロでした。
1974年、筆者はヤマハの沿岸部の工場を新設計する仕事に携わる事になりました。
この時、幸いな事に本社所属だった為に工場サイドでは遅刻と言う制度が適用されず、それを良い事に毎朝カモ猟を1~2時間してから出社しました。連日出勤前の猟は定数になるまで辞められず、定数になってから出社しましたが、それが結果的に1~2時間だったのです。この数年間に一気に各種のノウハウを確立し、新たな射撃法や回収法も考案出来ました。ここにプロの技を公開致します。
カモ猟の後はエゾ鹿猟、その後は海外大物猟、男のロマンと続く予定です。これらも御期待下さい。
1600円
掲載は3月10日発売予定の3月号からの予定かと思います。
「けもの道」のHP:http://www.kemonomichi.com/