2024年05月20日
50年間で分かった事、その9:ドッグレス猟こそ究極の猟でした。
35.本州鹿巻狩りは射撃勝負ではなく、気配先取り勝負だった。
36.丸見えの場所で見張りを辞め、微動もしないで待つ「禅の心作戦」は有効だった。
37.本州鹿は季節的な移動をしないが、流し猟が可能だった。
連続敗戦70余日:ケンさんは出会いの多かったカモ猟では順調に腕を上げる事が出来ました。本州鹿巻狩りで9シーズン70余日の連続敗戦、出会いゼロでした。
カモ猟の経験から、野性鳥獣の五感は桁外れである事は知っているつもりでしたが、認識はそれでも甘く、ケンさんは「気配や殺気」を撒き散らしており、ケンさんの視界内に現れる鹿は9シーズン皆無でした。勿論その間に何もしなかった訳ではなく、試行錯誤を繰り返していました。
初捕獲当日は「改善案」がネタ切れ、「絶対に獲れる筈がない」と日当たりの良い場所で「フテ寝」をしておりました。その結果、「気配や殺気」が低下し、鹿はケンさんの存在に気が付かず、射程内までやって来ました。
そして今まで自分の気配の陰で、気が付かなかった鹿の気配にフト気が付き、目を開ければ鹿は間もなくケンさんの射程内でした。こうして初捕獲成功となりました。
禅の心作戦:後刻これを分析し「禅の心作戦」が出来上がり、本州鹿の巻狩りに開眼しました。
その結果、あれ程獲れなかった本州鹿ですが、3週連続で3段角の捕獲に成功、作戦は正しかった事が立証出来ました。
従来は「気配や殺気」を撒き散らしていました。
それは来たら「ブッ殺してくれましょう」としていましたし、速やかに撃てる様に「物陰から見張り」をしていました。考えた結果、「物陰からの見張りを辞めました。」
鹿の目は左右に付いており、両目で見ていませんから、動かなければ発見される事は絶対にありません。これは後刻2度試してみましたが、2mと5mまで引き寄せる事が出来ました。
1度逃げた本州鹿は勝手の分かった元の山に戻って来る習性があります。
そして獲物が1度遠ざかり1時間後位でこちらに向かい始めたと思われる頃から、正味30~60分だけ微動もせず、眼を閉じ丸見えの所で見張りをせずに待つと言う作戦でした。
鹿が近付けば、自分の気配が低下しており、鹿接近は自動的に分かりました。
今までは見張りをするから鹿に感付かれていたのでした。
本州鹿の流し猟:本州鹿も昨今の繁殖は著しく、流し猟も可能だろうと思っていましたが、山口のU生徒がこれを立証してくれました。
彼に依れば、出掛ければ出会いの無い日は殆ど無く、概ね1日当たり1~2頭の捕獲が可能と言う物でした。場所は山裾の耕作放棄地周辺、時間は朝夕と言う事でした。
距離は50m前後が多いそうですから、捕獲効率を上げるなら4号バックショット27粒弾の連射です。エゾ鹿猟の練習であればスコープ付ボルト銃です。
エゾ鹿猟の前半を予め「本州鹿の流し用」で体験しておけば、現地10回の基礎失敗の前半部を本州で体験出来、初回遠征猟の成功率を大幅に上げる事が可能となります。
38.エゾ鹿猟は世界的に桁違いの良環境だった。
39.ドッグレスは最高の猟であった。
エゾ鹿は本州鹿の2倍以上の最大150㎏を超える体重があり、最大90㎝に迫る大きな角があり、しかも肉が美味しいと言う3拍子が揃っています。
ケンさん86㎝。
U生徒88㎝
写真は角長86㎝、体重150㎏、2002年の紋別で捕獲しました。比較的新しい所ではU生徒が紋別スクールで2016年に85㎝、2017年に88㎝を捕獲しています。


ケンさんスクールでは1日5日の出会いと2頭の捕獲があり、0.5頭の大物が含まれていました。
狩猟先進国アメリカでは写真の「ホワイトテール鹿」と「ミュール鹿」がいますが、サイズはエゾ鹿クラスです。

ケンさんスクールでは2週間も猟をすれば、写真の様になりますが、アメリカでは狩猟期間は1ケ月・定数はシーズンで1頭・メスは禁猟です。
これを捕獲するガイド猟は1日1000㌦、1000ドル払っても捕獲の保証はありません。
それで飛行機代を払って物価の安いNZまで満州産の「シカディア」を捕獲する1式5000㌦のツアーがある程です。こちらは概ね100%の捕獲率です。
シカディアは日本鹿の事を言い、NZの鹿は概ね「満州産のエゾ鹿」です。
1000㌦は15万円ですが、日本のエゾ鹿はその半分以下の金額で狩猟が出来ます。
ケンさんスクールでは1日6万円でした。シーズンは3ケ月以上、定数は無く獲り放題、最高記録は5日猟で19頭、15頭越の記録はたくさんありました。同じ地球上で何と言う大きな差なのでしょう。
本州鹿巻狩りではそれに比べますと0.05頭/日人、比較になりませんが、アメリカの狩猟とは良い勝負と言えました。
その本州鹿も近年は流し猟が可能になって来ました。
ケンさんスクールでは16年間のエゾ鹿猟で捕獲ゼロはありませんが、捕獲までには10回の基礎失敗が必要でした。スクールでは4日日程で3日猟が可能、1日5回の出会いから2日で失敗10回を終了、3日目には例外は無く、初捕獲が達成されました。
この様な体制が出来る所は他にありません。
巷では通常4日日程で2日猟、出会いはケンさんスクールの半分前後しかなく、基礎10回を達成しない内に日程終了、捕獲は未達成で2年目以降に持ち越されます。
基礎失敗10回の内、前半は 本州鹿の流し猟でも体験出来ますから、違いの獲物の大きさと射程距離100mの2項目です。
週末に通える本州鹿の流し猟4日程度の経験と並行して100m5㎝の射撃技術取得の後に、北海道有料猟区に向かえば、恐らく全員が初遠征でエゾ鹿捕獲に成功すると思われます。
そんな風に本州猟 流し猟からエゾ鹿流し猟へのシステムを作る事が出来ればイイなと、ケンさんは思っております。
実戦では「5秒で鹿が逃げ出し」ますから、「スナップショット」の技術が不可欠となります。
また100mで5㎝の射撃技術も、単に射撃場通いをして射撃に慣れれば、得られる物ではありません。「銃だけに撃たせるトレーニング」が必要なのです。
更に銃の照準ブレを押さえる為には半委託射撃や全依託射撃が必要になります。
実戦射撃とは瞬時に周りの物を利用して射撃を安定させるテクニックが必要です。


左は主に150m射撃用の半委託射撃です。ケンさんはこれで最大380mのナミビアのクドゥを捕獲しました。右は主に300m遠射やワンホール射撃を狙う時に使う全依託射撃です。
300mは外れる気が起こらず、540mのエゾ鹿を2頭連続で即倒させた時もこの射撃を使いました。
ドッグレスは最高の猟だった:ケンさんが狩猟を始めたのは1970年。国内狩猟ブームの終わりが近くなった頃でした。
当時は洋犬の猟犬を連れて自動銃を持ち、頭にはハンチング帽、赤いウールのチェックのシャツを着て、革製 チョッキを着て、足には軽量地下足袋でキジ猟或いはヤマドリ猟を行う、そんな猟が主体でした。
当時は肩付けから始まるスナップショットの時代、銃はスキート射撃の様に下から肩に滑り込ませました。肩付けが安定して出来る様に厚着はダメ、皮のチョッキが不可欠でした。
狩猟が上手くなる為には「1に犬」、猟果は猟犬の能力次第でした。「2に足」、これは猟場を歩き廻り、獲物のいる所を知っていなければと言う意味でした。「3番目にやっと銃」が出て来ました。
村田銃
SKBローヤル水平2連銃
銃は1960年頃まではボルト単発の村田銃、1970年頃までは水平2連銃、1970年を過ぎると自動銃が主流となりました。村田銃時代には装弾の販売は無く、全員が黒色火薬で手詰めの時代でした。
村田銃は1980年の村田13年式軍用銃が基本となりますが、民間製も同時に出廻り、町の銃砲店製も多数が出廻りました。
オリジナルは30番村田口径、76番(7.6㎜)・410~8番まで各種の新銃が製造されました。
明治後半には旧式となった村田軍用銃も猟銃に改造され払い下げ販売されました。
真鍮薬莢手詰め、火薬消費の少ない30番前後が好まれ、雷管も紙火薬で再生されていました。
やがて水平2連銃になりますと殆どが12番紙薬莢となり、装弾は1965年前後にはメーカー製装弾が製造される様になりましたが、紙薬莢や黒色火薬で手詰め愛好者もまだ残っておりました。
紙薬莢も最大10回ほど使えたと言う事で、すぐに張り付いて抜けなくなり真鍮薬莢より好評だったと聞きますが、20番紙薬莢はありましたが、他の口径は真鍮薬莢だけでした。
当時は洋猟犬を使ったキジ猟や山鳥猟が狩猟の主体でした。
猟犬を使う理由は野性鳥獣の圧倒的な五感と体力の差にありました。
猟犬は野性鳥獣に準じた能力を持っており、これを味方にすれば有能な部下になる事は十分に考えられます。それは良いのですが、全て猟犬頼みの狩猟をする様になり、本人が努力しなくなってしまうのが欠点と言えました。
ケンさんは不利を承知でドッグレスコースのカモ猟とエゾ鹿猟を選びました。その結果、野性鳥獣の習性をしっかり勉強すれば、猟犬を使った狩猟よりも遥かに桁違いの出会いが可能となりました。
今日の天気で今の時間なら何処に行けば獲物に会えるかが分かって来まして「ポイント猟」言う手法が可能となりました。
また出会いを有効に行かそうと、新しい各種射撃方法を開拓した結果、従来法に比べ、圧倒的に優れ且つ安全な手法を開拓出来、勿論それなりの猟果を上げる事が出来ました。
水面に落としたカモはどうするのか? カモを希望の方向に飛ばせ、回収が楽なエリアに撃墜、長靴不要でした。半矢追跡はどうするのか? 半矢にならない様に撃ちましたので追跡は殆どありません。
猟犬ハンターからすればその様な事が出来るのか? 彼らの「常識」からは「嘘もイイ加減にしなさい」となりますが、全て出来る様になった後には簡単な事でした。
散弾銃もライフル銃もフリンチングを克服して「究め」ますと非常に良く当たり、散弾銃は「3粒被弾撃墜のショットガン効果」を使うと従来のベテランより1桁撃墜率が向上しました。
害鳥駆除では多くの猟友会員が見ています。
エゾ鹿は群れでおり、1頭を即倒させれば残りは走って逃げます。
ライフルのランニング射撃は通常不可能とされています。ライフル銃で150mを撃つ時には止まっている鹿でも高難度と言えます。
それからすれば走っている鹿にマグレ以外当たる筈がないと言う事になりますが、スイング中のライフル銃はジャイロ効果で安定し想像以上によく当たりました。
5発5中
初弾で70%が即倒、5発で3頭以上が獲れました。
ケンさん自身まさかこれ程までとは思いませんでしたが、鹿肉大量注文とビッグフィーバーが重なり、1日に10頭捕獲が5日連続となり、5発5中もその間に3度達成し、もはや絶対にマグレで無い事の立証となりました。
結論的に言えば、ドッグレス猟だからこれ程の高い所まで上がれたのです。
ケンさん自身最初の10年は9年目の1頭だけでした。
それが末期には1日で10頭、しかもマグレではありません。ドッグ猟を続けている自称ベテランハンターからすれば2桁違いは絶対に信じられず、「嘘もイイ加減にしなさい」と言える程の大差が付いてしまったのです。
勿論言うまでも無く、本当の実績値です。
ケンさんの人生も仕事も不可能への挑戦でした。
ドッグレス猟も不可能への挑戦でした。
そう言う運命だったのか、偶然だったのかどうかは分かりませんが、相性は良く「ドッグレス猟こそ、最高の狩猟だった」と言えました。
ケンさんの不可能に挑戦する合理化努力は、当初自衛の為でありましたが、やがてそれが仕事にも使える事に気が付きました。ケンさんが担当すると特に悪戦苦闘する事も無く、全戦全勝で「不可能が可能」になりました。何時しか不可能を可能に変える「伝説の男」と言う事になってしまいました。
自前会社設立時も当初はどの様にして利益を得るのかと言う著しく不利な環境でした。
下請け的な仕事も大変だなと思いました。
しかし合理化を進めますと僅か半年で能率10倍が達成され、当初不利に思えた契約内容でもかなり大きな利益が上がる様になりました。
これも自らが作業するとなれば、たくさんの仕事をしても疲れない様にして、如何にして楽をするのが目的でしたが、パートのおばさんに教え込むとケンさんの能率の80%以上が再現出来ました。
やがて下請け的な仕事から手を引き、自前の仕事としました。
ランクルを改造申請する会社であり、小型トレーラーを製造販売する会社でした。こちらは支払いが非常に少ないのでもっと儲かりました。
それも従業員がやってくれる様になりまして、結局ケンさんは何もしないでも収入があると言う有難い環境となり、狩猟を堪能出来ました。
本州鹿猟では初めて本格的悪戦苦闘をしました。
9年目まで全く獲れず、「当初の10年間では9年目の1頭だけ」でした。
やがて「禅の心作戦」を考案、銃を向けるだけで命中する「新スナップショット」、 リード自動調整の「ショットガン版スイング射撃」を開拓、「バックショット専用銃」を考案しました。
捕獲率は10倍以上に向上、更にエゾ鹿猟メインに変更、天気や諸条件等を考えてそこに行けば鹿に出会える「ポイント猟」を開拓、「次の10年間には100頭」を捕獲出来ました。
更に2002年ワンホール射撃達成後間もなくの2006年、ライフル射撃に開眼、「ライフル版のスナップショット」「ライフル版のスイング射撃」によるランニング射撃にも開眼しました。
ベスト記録は「5日間に50頭」を捕獲、この中には「5発5中」が3度達成される等々、1度のチャンスから複数頭を捕獲出来る様になり、「3度目の10年間には海外猟を含め1000頭」を達成出来ました。
かなり苦労しましたが、狩猟に於いては「ポイント猟」の開拓で、獲物との出会いを圧倒的に多く出来、且つ超大物との出会率も圧倒的に高くなりました。
射撃に於きましては「スナップショット」で圧倒的に速く正確に構え発砲出来る様になり、「銃だけに撃たせる」事により、射撃精度も大幅に向上、150mワンホール射撃や300m以遠の遠射を可能とし、また「スイング射撃」により、従来は不可能とされていた走る鹿の連続ヒットも可能となりました。
結果的に「狩猟にも射撃にも大幅合理化は可能だった」と言えました。
36.丸見えの場所で見張りを辞め、微動もしないで待つ「禅の心作戦」は有効だった。
37.本州鹿は季節的な移動をしないが、流し猟が可能だった。
連続敗戦70余日:ケンさんは出会いの多かったカモ猟では順調に腕を上げる事が出来ました。本州鹿巻狩りで9シーズン70余日の連続敗戦、出会いゼロでした。
カモ猟の経験から、野性鳥獣の五感は桁外れである事は知っているつもりでしたが、認識はそれでも甘く、ケンさんは「気配や殺気」を撒き散らしており、ケンさんの視界内に現れる鹿は9シーズン皆無でした。勿論その間に何もしなかった訳ではなく、試行錯誤を繰り返していました。
初捕獲当日は「改善案」がネタ切れ、「絶対に獲れる筈がない」と日当たりの良い場所で「フテ寝」をしておりました。その結果、「気配や殺気」が低下し、鹿はケンさんの存在に気が付かず、射程内までやって来ました。
そして今まで自分の気配の陰で、気が付かなかった鹿の気配にフト気が付き、目を開ければ鹿は間もなくケンさんの射程内でした。こうして初捕獲成功となりました。
禅の心作戦:後刻これを分析し「禅の心作戦」が出来上がり、本州鹿の巻狩りに開眼しました。
その結果、あれ程獲れなかった本州鹿ですが、3週連続で3段角の捕獲に成功、作戦は正しかった事が立証出来ました。
従来は「気配や殺気」を撒き散らしていました。
それは来たら「ブッ殺してくれましょう」としていましたし、速やかに撃てる様に「物陰から見張り」をしていました。考えた結果、「物陰からの見張りを辞めました。」
鹿の目は左右に付いており、両目で見ていませんから、動かなければ発見される事は絶対にありません。これは後刻2度試してみましたが、2mと5mまで引き寄せる事が出来ました。
1度逃げた本州鹿は勝手の分かった元の山に戻って来る習性があります。
そして獲物が1度遠ざかり1時間後位でこちらに向かい始めたと思われる頃から、正味30~60分だけ微動もせず、眼を閉じ丸見えの所で見張りをせずに待つと言う作戦でした。
鹿が近付けば、自分の気配が低下しており、鹿接近は自動的に分かりました。
今までは見張りをするから鹿に感付かれていたのでした。
本州鹿の流し猟:本州鹿も昨今の繁殖は著しく、流し猟も可能だろうと思っていましたが、山口のU生徒がこれを立証してくれました。
彼に依れば、出掛ければ出会いの無い日は殆ど無く、概ね1日当たり1~2頭の捕獲が可能と言う物でした。場所は山裾の耕作放棄地周辺、時間は朝夕と言う事でした。
距離は50m前後が多いそうですから、捕獲効率を上げるなら4号バックショット27粒弾の連射です。エゾ鹿猟の練習であればスコープ付ボルト銃です。
エゾ鹿猟の前半を予め「本州鹿の流し用」で体験しておけば、現地10回の基礎失敗の前半部を本州で体験出来、初回遠征猟の成功率を大幅に上げる事が可能となります。
38.エゾ鹿猟は世界的に桁違いの良環境だった。
39.ドッグレスは最高の猟であった。
エゾ鹿は本州鹿の2倍以上の最大150㎏を超える体重があり、最大90㎝に迫る大きな角があり、しかも肉が美味しいと言う3拍子が揃っています。

写真は角長86㎝、体重150㎏、2002年の紋別で捕獲しました。比較的新しい所ではU生徒が紋別スクールで2016年に85㎝、2017年に88㎝を捕獲しています。


ケンさんスクールでは1日5日の出会いと2頭の捕獲があり、0.5頭の大物が含まれていました。
狩猟先進国アメリカでは写真の「ホワイトテール鹿」と「ミュール鹿」がいますが、サイズはエゾ鹿クラスです。

ケンさんスクールでは2週間も猟をすれば、写真の様になりますが、アメリカでは狩猟期間は1ケ月・定数はシーズンで1頭・メスは禁猟です。
これを捕獲するガイド猟は1日1000㌦、1000ドル払っても捕獲の保証はありません。
それで飛行機代を払って物価の安いNZまで満州産の「シカディア」を捕獲する1式5000㌦のツアーがある程です。こちらは概ね100%の捕獲率です。
シカディアは日本鹿の事を言い、NZの鹿は概ね「満州産のエゾ鹿」です。
1000㌦は15万円ですが、日本のエゾ鹿はその半分以下の金額で狩猟が出来ます。
ケンさんスクールでは1日6万円でした。シーズンは3ケ月以上、定数は無く獲り放題、最高記録は5日猟で19頭、15頭越の記録はたくさんありました。同じ地球上で何と言う大きな差なのでしょう。
本州鹿巻狩りではそれに比べますと0.05頭/日人、比較になりませんが、アメリカの狩猟とは良い勝負と言えました。
その本州鹿も近年は流し猟が可能になって来ました。
ケンさんスクールでは16年間のエゾ鹿猟で捕獲ゼロはありませんが、捕獲までには10回の基礎失敗が必要でした。スクールでは4日日程で3日猟が可能、1日5回の出会いから2日で失敗10回を終了、3日目には例外は無く、初捕獲が達成されました。
この様な体制が出来る所は他にありません。
巷では通常4日日程で2日猟、出会いはケンさんスクールの半分前後しかなく、基礎10回を達成しない内に日程終了、捕獲は未達成で2年目以降に持ち越されます。
基礎失敗10回の内、前半は 本州鹿の流し猟でも体験出来ますから、違いの獲物の大きさと射程距離100mの2項目です。
週末に通える本州鹿の流し猟4日程度の経験と並行して100m5㎝の射撃技術取得の後に、北海道有料猟区に向かえば、恐らく全員が初遠征でエゾ鹿捕獲に成功すると思われます。
そんな風に本州猟 流し猟からエゾ鹿流し猟へのシステムを作る事が出来ればイイなと、ケンさんは思っております。
実戦では「5秒で鹿が逃げ出し」ますから、「スナップショット」の技術が不可欠となります。
また100mで5㎝の射撃技術も、単に射撃場通いをして射撃に慣れれば、得られる物ではありません。「銃だけに撃たせるトレーニング」が必要なのです。
更に銃の照準ブレを押さえる為には半委託射撃や全依託射撃が必要になります。
実戦射撃とは瞬時に周りの物を利用して射撃を安定させるテクニックが必要です。


左は主に150m射撃用の半委託射撃です。ケンさんはこれで最大380mのナミビアのクドゥを捕獲しました。右は主に300m遠射やワンホール射撃を狙う時に使う全依託射撃です。
300mは外れる気が起こらず、540mのエゾ鹿を2頭連続で即倒させた時もこの射撃を使いました。
ドッグレスは最高の猟だった:ケンさんが狩猟を始めたのは1970年。国内狩猟ブームの終わりが近くなった頃でした。
当時は洋犬の猟犬を連れて自動銃を持ち、頭にはハンチング帽、赤いウールのチェックのシャツを着て、革製 チョッキを着て、足には軽量地下足袋でキジ猟或いはヤマドリ猟を行う、そんな猟が主体でした。
当時は肩付けから始まるスナップショットの時代、銃はスキート射撃の様に下から肩に滑り込ませました。肩付けが安定して出来る様に厚着はダメ、皮のチョッキが不可欠でした。
狩猟が上手くなる為には「1に犬」、猟果は猟犬の能力次第でした。「2に足」、これは猟場を歩き廻り、獲物のいる所を知っていなければと言う意味でした。「3番目にやっと銃」が出て来ました。


銃は1960年頃まではボルト単発の村田銃、1970年頃までは水平2連銃、1970年を過ぎると自動銃が主流となりました。村田銃時代には装弾の販売は無く、全員が黒色火薬で手詰めの時代でした。
村田銃は1980年の村田13年式軍用銃が基本となりますが、民間製も同時に出廻り、町の銃砲店製も多数が出廻りました。
オリジナルは30番村田口径、76番(7.6㎜)・410~8番まで各種の新銃が製造されました。
明治後半には旧式となった村田軍用銃も猟銃に改造され払い下げ販売されました。
真鍮薬莢手詰め、火薬消費の少ない30番前後が好まれ、雷管も紙火薬で再生されていました。
やがて水平2連銃になりますと殆どが12番紙薬莢となり、装弾は1965年前後にはメーカー製装弾が製造される様になりましたが、紙薬莢や黒色火薬で手詰め愛好者もまだ残っておりました。
紙薬莢も最大10回ほど使えたと言う事で、すぐに張り付いて抜けなくなり真鍮薬莢より好評だったと聞きますが、20番紙薬莢はありましたが、他の口径は真鍮薬莢だけでした。
当時は洋猟犬を使ったキジ猟や山鳥猟が狩猟の主体でした。
猟犬を使う理由は野性鳥獣の圧倒的な五感と体力の差にありました。
猟犬は野性鳥獣に準じた能力を持っており、これを味方にすれば有能な部下になる事は十分に考えられます。それは良いのですが、全て猟犬頼みの狩猟をする様になり、本人が努力しなくなってしまうのが欠点と言えました。
ケンさんは不利を承知でドッグレスコースのカモ猟とエゾ鹿猟を選びました。その結果、野性鳥獣の習性をしっかり勉強すれば、猟犬を使った狩猟よりも遥かに桁違いの出会いが可能となりました。
今日の天気で今の時間なら何処に行けば獲物に会えるかが分かって来まして「ポイント猟」言う手法が可能となりました。
また出会いを有効に行かそうと、新しい各種射撃方法を開拓した結果、従来法に比べ、圧倒的に優れ且つ安全な手法を開拓出来、勿論それなりの猟果を上げる事が出来ました。
水面に落としたカモはどうするのか? カモを希望の方向に飛ばせ、回収が楽なエリアに撃墜、長靴不要でした。半矢追跡はどうするのか? 半矢にならない様に撃ちましたので追跡は殆どありません。
猟犬ハンターからすればその様な事が出来るのか? 彼らの「常識」からは「嘘もイイ加減にしなさい」となりますが、全て出来る様になった後には簡単な事でした。
散弾銃もライフル銃もフリンチングを克服して「究め」ますと非常に良く当たり、散弾銃は「3粒被弾撃墜のショットガン効果」を使うと従来のベテランより1桁撃墜率が向上しました。
害鳥駆除では多くの猟友会員が見ています。
エゾ鹿は群れでおり、1頭を即倒させれば残りは走って逃げます。
ライフルのランニング射撃は通常不可能とされています。ライフル銃で150mを撃つ時には止まっている鹿でも高難度と言えます。
それからすれば走っている鹿にマグレ以外当たる筈がないと言う事になりますが、スイング中のライフル銃はジャイロ効果で安定し想像以上によく当たりました。

初弾で70%が即倒、5発で3頭以上が獲れました。
ケンさん自身まさかこれ程までとは思いませんでしたが、鹿肉大量注文とビッグフィーバーが重なり、1日に10頭捕獲が5日連続となり、5発5中もその間に3度達成し、もはや絶対にマグレで無い事の立証となりました。
結論的に言えば、ドッグレス猟だからこれ程の高い所まで上がれたのです。
ケンさん自身最初の10年は9年目の1頭だけでした。
それが末期には1日で10頭、しかもマグレではありません。ドッグ猟を続けている自称ベテランハンターからすれば2桁違いは絶対に信じられず、「嘘もイイ加減にしなさい」と言える程の大差が付いてしまったのです。
勿論言うまでも無く、本当の実績値です。
ケンさんの人生も仕事も不可能への挑戦でした。
ドッグレス猟も不可能への挑戦でした。
そう言う運命だったのか、偶然だったのかどうかは分かりませんが、相性は良く「ドッグレス猟こそ、最高の狩猟だった」と言えました。
ケンさんの不可能に挑戦する合理化努力は、当初自衛の為でありましたが、やがてそれが仕事にも使える事に気が付きました。ケンさんが担当すると特に悪戦苦闘する事も無く、全戦全勝で「不可能が可能」になりました。何時しか不可能を可能に変える「伝説の男」と言う事になってしまいました。
自前会社設立時も当初はどの様にして利益を得るのかと言う著しく不利な環境でした。
下請け的な仕事も大変だなと思いました。
しかし合理化を進めますと僅か半年で能率10倍が達成され、当初不利に思えた契約内容でもかなり大きな利益が上がる様になりました。
これも自らが作業するとなれば、たくさんの仕事をしても疲れない様にして、如何にして楽をするのが目的でしたが、パートのおばさんに教え込むとケンさんの能率の80%以上が再現出来ました。
やがて下請け的な仕事から手を引き、自前の仕事としました。
ランクルを改造申請する会社であり、小型トレーラーを製造販売する会社でした。こちらは支払いが非常に少ないのでもっと儲かりました。
それも従業員がやってくれる様になりまして、結局ケンさんは何もしないでも収入があると言う有難い環境となり、狩猟を堪能出来ました。
本州鹿猟では初めて本格的悪戦苦闘をしました。
9年目まで全く獲れず、「当初の10年間では9年目の1頭だけ」でした。
やがて「禅の心作戦」を考案、銃を向けるだけで命中する「新スナップショット」、 リード自動調整の「ショットガン版スイング射撃」を開拓、「バックショット専用銃」を考案しました。
捕獲率は10倍以上に向上、更にエゾ鹿猟メインに変更、天気や諸条件等を考えてそこに行けば鹿に出会える「ポイント猟」を開拓、「次の10年間には100頭」を捕獲出来ました。
更に2002年ワンホール射撃達成後間もなくの2006年、ライフル射撃に開眼、「ライフル版のスナップショット」「ライフル版のスイング射撃」によるランニング射撃にも開眼しました。
ベスト記録は「5日間に50頭」を捕獲、この中には「5発5中」が3度達成される等々、1度のチャンスから複数頭を捕獲出来る様になり、「3度目の10年間には海外猟を含め1000頭」を達成出来ました。
かなり苦労しましたが、狩猟に於いては「ポイント猟」の開拓で、獲物との出会いを圧倒的に多く出来、且つ超大物との出会率も圧倒的に高くなりました。
射撃に於きましては「スナップショット」で圧倒的に速く正確に構え発砲出来る様になり、「銃だけに撃たせる」事により、射撃精度も大幅に向上、150mワンホール射撃や300m以遠の遠射を可能とし、また「スイング射撃」により、従来は不可能とされていた走る鹿の連続ヒットも可能となりました。
結果的に「狩猟にも射撃にも大幅合理化は可能だった」と言えました。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。