2024年05月18日
50年間で分かった事、その8:世界的狩猟ブームもエゾ鹿猟ブームも業界に依って作られた物でした。
32.「狩猟ブーム」は銃業界がWW2後の不況対策で興し1955年頃日本に伝わった。
33.「マグナム銃」と「カスタム銃」も同様目的であったが、「銃業界の陰謀」だった。
34.1990年頃日本の銃販売業界が「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームを起こした。
起こされた狩猟ブーム:WW2終了で世界中の銃器業界は一気に暇(不景気)になりました。
そこで興されたのが、「アフリカ猟」を頂点とする世界的な「狩猟ブーム」でした。
そして同時に「アフリカンホットマグナム」を頂点に「マグナム銃」の普及が図られ、その後1964年には「カスタム銃」の神話的モデルにウインチェスター70が選ばれました。

アフリカンホットマグナム:アフリカ猟は主に貴族に依り1750年頃から行われていました。
当初は黒色火薬に依る先込め銃で火薬は先込め時代でした。
弾速が低かった事から象の正面から脳を破壊出来ず、即倒が難しい時代であり、1回撃つと馬で走り、安全距離を保って再装填、最大30回射撃した記録があったそうです。
1864年にボクサーカートリッジが発明されると元込めのブラックエクスプレス時代となりました。
口径は黒色火薬の8番水平2連銃と4番単発銃が使われ、ライフル付銃身から細長い弾丸型の弾を発射し、従来より即倒の可能性がかなり増えました。
1884年に無煙火薬が発明され弾速が2倍、黒色8番銃よりハイパワーな20番銃が1890年頃デビュー、600ニトロエクスプレスでした。
12番ベースは700ニトロエクスプレスでした。ニトロは無煙火薬を示します。
ライフル銃身から真鍮ソリッド弾を発射し、象や犀を正面から即倒させる事が可能となりました。
やがて無煙火薬弾も次の世代が誕生、古いながら今も生き残っている1912年の375H&Hです。1時期アフリカ猟ではミニマムカーリッジと言われていましたが、今ではStd308もかなり善戦出来る事が立証されています。
ケンさんはエゾ鹿用ロシア激安弾に売残りのバーンズ140grを挿げ替えた弾をアフリカに持参して試して来ました。
その結果少なくとも500㎏の獲物には絶対に大丈夫と言える事を確認しました。
北海道でも実際「推定体重450㎏の猛獣ヒグマも308の1発で御臨終でした。」
比較的新しいアフリカンでは1956年デビューの458ウインマグ(5400ft-lbf)があります。
7㎜レミントンマグや338ウインマグの兄弟です。
NZで700㎏の野牛撃ちの時、458ウインマグをガイドが用意して来ましたが、試射3発で頭痛、愛銃サコー75の308を使う事にしました。
結果は308で綺麗に即倒でした。「アフリカカンホットマグナムも多分業界の陰謀」であり、気休め程度だったと思われます。30-06を愛用する象駆除のプロハンターが且つていたそうです。
ウインチェスター70プレ64:銃の性能はライフル銃のバイブルでは、モアパワーやモア精度は捕獲成功に続ながるとされていました。しかしそれらは無意味であった事が立証されて来ました。
そんな作られたバイブルの伝説にもう1つ「ウインチェスター70のプレ64伝説」と言うのがあります。

ウインチェスターM70が名銃?:1964年以前、ウインチェスーM70は1936年にデビュー、その時代としては良く出来た銃と言えました。
ベトナム戦争1961~では海兵隊の狙撃銃となり、大きな成果を上げました。その結果、世界中のハンターの評判を呼び、ウィンチェスター社には膨大な数の注文が舞い込みました。アメリカの多くの銃メーカーがM70を下請け生産し、レミントンもその1社でした。
そこでウインチェスターはM70の製法を1964年に大幅リファイン、複雑な削りだし工程を簡素化する等、各部コストダウンを図りました。
その結果、実質的には製品の粗悪化を招いてしまい、軍隊にも民間市場にも、憤慨と共に拒絶される事になってしまいました。
入替わりに脚光を浴びたのが1962年発売のレミントン700でした。海兵隊狙撃銃にバーミンターモデルが採用されるや、世界中の公的スナイパーが本銃を採用し、ベストセラーになりました。
しかしケンさんも1年間運用しましたが、レミントン700はジャムが酷く使えない欠陥銃でした。
一方世界の銃販売店はこれ幸いとして、「ウインチェスター1964年以前の銃」を名銃とする「伝説」を作り上げ、プレ64と呼ばれる1964年以前製造のウインチェエスターの中古銃を集め、プレミアム価格で販売しました。
当時にカスタムメーカーもこの伝説に乗り、プレ64をベースにした、カスタムライフルを高額で販売すると共に、プレ64のクローンモデルを新作し、更なる高額で販売しました。

日本にもカスタム銃メーカー「キングクラフト」があり、勿論「プレ64名銃伝説」の上に成り立つクローンカスタム銃で、Stdライフルが20~40万円で購入出来た時代に、ゼロが1つ多い桁違いがスタート価格と言うとんでもない高額銃でした。
そしてWW2後、作られた狩猟ブームで、1964年以降に評価を受けたのがレミントン700です。
さて冷静に見ればウインチェスターM70に勝ったのが、使えない欠陥銃レミントン700だったのですから、その延長上で行けば、ウインチェスターM70プレ64の高性能ぶりも押して知るべしと言えます。
使えない欠陥銃レミントン700バーミンターは射撃精度面は優秀であり、市販銃で100mワンホールが出せる銃で一応当たる銃と言えましたが、これを名銃としたのはケンさんが立証したカスタム銃不要論等と同様、業界の陰謀と言えました。
勿論その銃の精度が仮に申し分ない物であっても、その運用者の技術レベルや心のレベルが低ければ、何の役にも立たないのですでにお話しした通りです。
「プレ64名銃伝説もレミントン700名銃説もカスタム業界によって作られた伝説」だったのです。
マグナム銃も「急所ヒットならパワー不問」であり、すでに無意味である事を説明しました。
しかし、今一つ急所その物をヒット出来ないハンターも非常に多く、マグナムなら捕獲率が大幅に広がると言うのが業界の「売り文句」でした。
しかしその様な効果は皆無、アフリカンホットマグナムを含め、それらは少しでも「高額銃を売付け様とした業界の陰謀」でした。命中させる為の最大障害は反動によるフリンチングと心の不安であり、反動の強いマグナムは究極を求める側から言えば、反対側の方向と言えました。
「エゾ鹿猟ブームとライフル銃ブーム」は1890年頃、日本の銃販売業界が興したブームでした。
第2次大戦後に銃販売業界が興した狩猟ブームは、日本にも1955年頃に伝わり、水平2連銃がバカ売れ、ハンターは10年で3倍に増え50万人に迫りました。
続く1965年頃から10年間ではハンター数は安定状態、今度は自動5連銃がバカ売れしました。ケンさんが自動銃を購入したのは1975年、当初数年は5連発でしたが、4連発数年を経由して3連発になり現在に至ります。
1985年頃になりますとすでに自動銃も行き渡り、期待の「クレー射撃ブーム」もそれ程は普及せず、一方で銃犯罪が増え、銃の新規取得者には茨の道となり、新規銃取得者は激減しました。
そこで新たに起こされたのが「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームでした。
ライフル銃は勿論業界に取って「利益が大きいマグナム銃ブーム」を同時に起こしました。
ライフル銃取得にはすでに経験10年が必要な時代になっていましたが、経験10年以上のハンターは多く、その点は余り心配無要でした。
エゾ鹿はかなり増殖し、捕獲対象はオスのみ、定数は1日1頭、猟期は12月1日~1月31日の2ケ月でした。
駆除もまだ殆ど行われず、少なくとも休猟区明けの解禁時の10分間だけはかなり豊猟が期待出来ました。と言ってもハンターはそれ以上に多く、成功率は幸運な20%程度でした。
メスは撃たれないので道端に多数おり、メスを求めて若オスも多数がウロ付いていました。大物は期待出来ず、狩猟雑誌「狩猟界」の成功レポートの様には行きませんが、多くの我と思わんハンターが北海道を目指し、その遠征者数は3000人に及びました。
我が地元猟友会からも数組が流し猟で遠征しましたが全滅でした。その原因は獲物に出会えない事が1番でした。メスは道端に立っている事も多数ありましたが、オスの出会いは余りにも稀と言えました。
ケンさんはもっぱら誰も走っていない林道を選びました。当時のエゾ鹿は道路を横断しようとする時、車が近付いてくると、それを見極め様としており、森の中50m位の木の陰でそれを見ていました。
それを発見するにはセンスが必要でしたが、非成功組はその狩猟センスが低かった事に尽きます。
全滅組の共通点は1度も真面な射撃チャンスが得られなかった事でした。若干見えた鹿は逃げる鹿だけでした。勿論それは特殊な射撃術を持っていない限り撃っても命中しません。
雑誌「狩猟界」の成功レポートは事実だと仮定しても 極稀に上手く行った事だけが書いてありました。1996年からケンさんは白糠で単独猟を行い、概ね1日1頭を捕獲していましたが、例外組でした。
同宿の他の6組は連日捕獲ゼロが続いていました。捕獲成功率は10%以下の様に見えました。
「狩猟界」は罪作りな記事を載せました。
せめて遠征失敗組にレポートも半数程度は載せるべきだったと言えました。
当時のエゾ鹿は右写真の様に見える事は甚だ稀、左写真の様に見えれば良い方なのですが、その半分程度しか見えていない鹿を探すのですからシロートには大変で、発見出来ない事が当然と言えました。発見すれば余り逃げず、且つ50mですから捕獲の可能性は十分ありました。

巻狩り組も捕獲に成功したと言う話は皆無でした。ケンさんも流し猟以前は白糠3シーズンで21日間の巻狩りを行いましたが、本命の巻狩りでは捕獲ゼロでした。
この頃は本州鹿巻狩りで「禅の心作戦」で「巻狩りに開眼」していたケンさんですが、それでも猟犬を使わないエゾ鹿の巻狩りでは「気配勝負に勝てず」獲れずにいました。



しかし車で猟場への往復途上や、また待ち場の配置に付く過程で鹿を踏み出し等で、毎シーズン1~2頭を捕獲していました。
踏み出しには当然スナップショットやランニングショット技術が必要でした。これら断片的なデータから流し猟の方が獲れそうだと考え、獲れない巻狩りを卒業した次第でした。結果は写真の様に概ね1日1頭を捕獲出来、数少ない生き残り側になれました。
マグナムライフル:「エゾ鹿猟とライフル銃」のブームは当然販売店側からすれば、高額マグナムライフルやカスタムライフルの売上げに結び付けたい陰謀がありました。
当時は「エゾ鹿猟に短薬莢の貧弱そうな308」を使う人は誰もおらず、Std口径も薬莢が12㎜長くパワーも5~10%強力な30-06が選ばれました。
本州鹿猟では急所を狙う習慣も無く、被弾しても未回収になる鹿は多く、Stdではややパワー不足とされ、当時に雑誌「狩猟界」の技術解説でもマグナムが奨励されていました。
当時はマグナムをモアパワーとモア精度でハンドロードする人が1番本格派に見えました。
マグナム弾は概ね1.4倍のパワーがあり、肉が血まみれになる範囲は2倍に及び、明らかな強力なパワーを感じました。
それに比例し即倒する確率や未回収減少等、少しでも効果があれば良かったのですが全く効果無し、つまり「マグナムは、銃も弾も高いだけで全くの無意味」でした。
ハンドロードに依るモアパワーは最大10~20%程度が可能でした。
モア精度の方は安売り市販弾程度であり、コスト的にも安売り弾よりやや安い程度で余り意味を成しませんが、ハンドローダーは本格的な感じがし、多くのライフルハンターはより本格派を目指し射撃場に通いました。
射撃精度の最大の敵は反動によるフリンチング、反動を伴う実射からの上達の可能性は極めて薄いのが本当でした。
エゾ鹿猟とマグナムライフルブームの企画は販売目的から言えば、一応成功と言えました。
3000人のハンターがライフル銃を手に北海道を訪れました。それ自体は大成功とは言えない程度 だったかも知れませんが、エゾ鹿猟とライフル銃ブームは北海道にも起こり、1万人以上がライフル銃を購入しました。
ブーム以前からエゾ鹿猟は北海道でも行われていましたが、普通の狩猟用散弾銃でスラグ弾を使用していました。
それがライフル銃ブームで北海道にもライフル銃が普及し、やがてエゾ鹿猟にはライフル銃が不可欠な時代に変わりました。
1995年以前のエゾ鹿猟のエゾ鹿は50~100mにいました。
これは50m超えを撃たなかったスラグ弾時代の影響がまだ残っていたからと言えました。
やがて年を重ねる毎にエゾ鹿はライフル銃の普及や2000年以降はサボットスラグ銃の普及に依り射程距離が長くなりまして、昨今では100~150mにいます。
これは普通の射撃場で練習した射手の精度が100m程度を限界としていた為であり、100mを超えると撃たれる可能性がかなり低下した からと言えました。
更にライフル銃ブームは本州にも及びました。従来からの散弾銃とノーマルスラグ弾は射程距離50mでしたが、それは射撃練習をかなり熟した後の成果でした。
それをしなければ射程距離は僅か20m未満、これに不満を持つ本州ハンターはたくさんいました。高精度な長射程のライフル銃ブームは 必ずしもライフル銃は必要としない本州猟ハンターにもかなり及んだのです。
更に当初はアフリカに行きたいからと国内制限の10㎜を超える超高額な大口径マグナムもOKになり、海外以外であってもヒグマ用マグナム、エゾ鹿用Stdライフル、本州用カービン銃とライフル銃3丁を所持する、自称本格派もチラホラいました。
これに比べればクレー射撃でトラップ用とスキート用の2丁と 言うのはありましたが、両射撃の愛好家は少なかった様です。
クレー射撃銃では技能講習実技で不合格になる人も実績不足を問われる人も甚だ僅かでした。
しかしライフル銃は魔法の銃ではなく、彼らは射撃練習を全くしなかったので、射程は20m不変のままでした。すでに説明しました様に、体が銃の反動を上手く受け様として硬くなる「フリンチング」と言う現象に依り、照準がズレてしまう事に問題がありました。
ライフル銃自体には200~300mの能力はあるのですが、練習を全くしなければ、どの銃を撃っても結果は大同小異の20m未満でした。
そして2012~2015の旧技能講習の実施以前は、銃の更新に実技試験は無く、平穏無事にライフル銃の所持許可の更新が続けられました。
旧技能講習はすでに説明しました様に、射撃練習をしていない本州のライフルハンターには絶望的な実技試験となりました。静止的とは言え、50mで14㎝命中がその合格条件でした。
正確には1点圏は16㎝、20発撃って40点以上が合格ですから、14㎝2点命中を平均的に繰り返せば、40点以上になり、合格出来る物でした。
結果は完全に2つのグループに分かれました。
ライフル射撃を趣味としていた人及びエゾ鹿猟複数捕獲実績組には7点以上に着弾、10発でも楽勝の40点ですが、そうでない人達はこの16㎝の的紙からハミ出してしまい、合格は絶望的でした。
半分位が合格すると良かったのですが、現実は受検 した70%以上が不合格、余りの難度に受検しなかった人も多く、結局本州ライフルの90%以上が所持許可の更新を出来ず、本州のライフルブームはこの時を以って終りました。
エゾ鹿猟ブームは「狩猟界」の成功レポートの様に上手く行った人は殆どおらず概ね全滅、最も成功率が高いと言われるガイド猟でも、肝心のガイドの90%が詐欺ガイドであり成功組は僅か、エゾ鹿猟ブームは10年程で消滅しました。
決してライフル銃やエゾ鹿猟自体に魅力が無くなったのではなく、今も愛好者はいますが、本州から北海道の狩猟登録する人は1000人程度になり、しかも多くが狩猟実績を作る為だけの出猟であり、実際のエゾ鹿猟は余り行なわれていない(獲れていない)様です。
散弾パターンでカバー出来るショットガンの射撃はクレーが放出機が15台、その設定表が9種類ですから飛行コースは135種で、毎回同じ様に飛ぶ事から、膨大な射撃場通いで上達する可能性があり、当時国体に出場なら年間3万発以上と言われていました。
クレー射撃は余りブームにならなかったと書きましたが、それは愛好者が10%を超えない程度だったからでした。
ケンさんの自宅から1時間尾範囲にクレー射撃場が4つあり、64発連続ヒットを出した時も田舎親善射撃大会では2位でしたから、そこそこの熱いブームはありました。
ケンさんはクレー射撃ブームには乗らず、年に数回の猟友会お付合い射撃に留めました。
クレー射撃から実戦が上手くなる事は無いと感じたからでした。
33.「マグナム銃」と「カスタム銃」も同様目的であったが、「銃業界の陰謀」だった。
34.1990年頃日本の銃販売業界が「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームを起こした。
起こされた狩猟ブーム:WW2終了で世界中の銃器業界は一気に暇(不景気)になりました。
そこで興されたのが、「アフリカ猟」を頂点とする世界的な「狩猟ブーム」でした。
そして同時に「アフリカンホットマグナム」を頂点に「マグナム銃」の普及が図られ、その後1964年には「カスタム銃」の神話的モデルにウインチェスター70が選ばれました。

アフリカンホットマグナム:アフリカ猟は主に貴族に依り1750年頃から行われていました。
当初は黒色火薬に依る先込め銃で火薬は先込め時代でした。
弾速が低かった事から象の正面から脳を破壊出来ず、即倒が難しい時代であり、1回撃つと馬で走り、安全距離を保って再装填、最大30回射撃した記録があったそうです。
1864年にボクサーカートリッジが発明されると元込めのブラックエクスプレス時代となりました。
口径は黒色火薬の8番水平2連銃と4番単発銃が使われ、ライフル付銃身から細長い弾丸型の弾を発射し、従来より即倒の可能性がかなり増えました。
1884年に無煙火薬が発明され弾速が2倍、黒色8番銃よりハイパワーな20番銃が1890年頃デビュー、600ニトロエクスプレスでした。
12番ベースは700ニトロエクスプレスでした。ニトロは無煙火薬を示します。
ライフル銃身から真鍮ソリッド弾を発射し、象や犀を正面から即倒させる事が可能となりました。
やがて無煙火薬弾も次の世代が誕生、古いながら今も生き残っている1912年の375H&Hです。1時期アフリカ猟ではミニマムカーリッジと言われていましたが、今ではStd308もかなり善戦出来る事が立証されています。
ケンさんはエゾ鹿用ロシア激安弾に売残りのバーンズ140grを挿げ替えた弾をアフリカに持参して試して来ました。
その結果少なくとも500㎏の獲物には絶対に大丈夫と言える事を確認しました。
北海道でも実際「推定体重450㎏の猛獣ヒグマも308の1発で御臨終でした。」
比較的新しいアフリカンでは1956年デビューの458ウインマグ(5400ft-lbf)があります。
7㎜レミントンマグや338ウインマグの兄弟です。
NZで700㎏の野牛撃ちの時、458ウインマグをガイドが用意して来ましたが、試射3発で頭痛、愛銃サコー75の308を使う事にしました。
結果は308で綺麗に即倒でした。「アフリカカンホットマグナムも多分業界の陰謀」であり、気休め程度だったと思われます。30-06を愛用する象駆除のプロハンターが且つていたそうです。
ウインチェスター70プレ64:銃の性能はライフル銃のバイブルでは、モアパワーやモア精度は捕獲成功に続ながるとされていました。しかしそれらは無意味であった事が立証されて来ました。
そんな作られたバイブルの伝説にもう1つ「ウインチェスター70のプレ64伝説」と言うのがあります。

ウインチェスターM70が名銃?:1964年以前、ウインチェスーM70は1936年にデビュー、その時代としては良く出来た銃と言えました。
ベトナム戦争1961~では海兵隊の狙撃銃となり、大きな成果を上げました。その結果、世界中のハンターの評判を呼び、ウィンチェスター社には膨大な数の注文が舞い込みました。アメリカの多くの銃メーカーがM70を下請け生産し、レミントンもその1社でした。
そこでウインチェスターはM70の製法を1964年に大幅リファイン、複雑な削りだし工程を簡素化する等、各部コストダウンを図りました。
その結果、実質的には製品の粗悪化を招いてしまい、軍隊にも民間市場にも、憤慨と共に拒絶される事になってしまいました。
入替わりに脚光を浴びたのが1962年発売のレミントン700でした。海兵隊狙撃銃にバーミンターモデルが採用されるや、世界中の公的スナイパーが本銃を採用し、ベストセラーになりました。
しかしケンさんも1年間運用しましたが、レミントン700はジャムが酷く使えない欠陥銃でした。
一方世界の銃販売店はこれ幸いとして、「ウインチェスター1964年以前の銃」を名銃とする「伝説」を作り上げ、プレ64と呼ばれる1964年以前製造のウインチェエスターの中古銃を集め、プレミアム価格で販売しました。
当時にカスタムメーカーもこの伝説に乗り、プレ64をベースにした、カスタムライフルを高額で販売すると共に、プレ64のクローンモデルを新作し、更なる高額で販売しました。

日本にもカスタム銃メーカー「キングクラフト」があり、勿論「プレ64名銃伝説」の上に成り立つクローンカスタム銃で、Stdライフルが20~40万円で購入出来た時代に、ゼロが1つ多い桁違いがスタート価格と言うとんでもない高額銃でした。
そしてWW2後、作られた狩猟ブームで、1964年以降に評価を受けたのがレミントン700です。
さて冷静に見ればウインチェスターM70に勝ったのが、使えない欠陥銃レミントン700だったのですから、その延長上で行けば、ウインチェスターM70プレ64の高性能ぶりも押して知るべしと言えます。
使えない欠陥銃レミントン700バーミンターは射撃精度面は優秀であり、市販銃で100mワンホールが出せる銃で一応当たる銃と言えましたが、これを名銃としたのはケンさんが立証したカスタム銃不要論等と同様、業界の陰謀と言えました。
勿論その銃の精度が仮に申し分ない物であっても、その運用者の技術レベルや心のレベルが低ければ、何の役にも立たないのですでにお話しした通りです。
「プレ64名銃伝説もレミントン700名銃説もカスタム業界によって作られた伝説」だったのです。
マグナム銃も「急所ヒットならパワー不問」であり、すでに無意味である事を説明しました。
しかし、今一つ急所その物をヒット出来ないハンターも非常に多く、マグナムなら捕獲率が大幅に広がると言うのが業界の「売り文句」でした。
しかしその様な効果は皆無、アフリカンホットマグナムを含め、それらは少しでも「高額銃を売付け様とした業界の陰謀」でした。命中させる為の最大障害は反動によるフリンチングと心の不安であり、反動の強いマグナムは究極を求める側から言えば、反対側の方向と言えました。
「エゾ鹿猟ブームとライフル銃ブーム」は1890年頃、日本の銃販売業界が興したブームでした。
第2次大戦後に銃販売業界が興した狩猟ブームは、日本にも1955年頃に伝わり、水平2連銃がバカ売れ、ハンターは10年で3倍に増え50万人に迫りました。
続く1965年頃から10年間ではハンター数は安定状態、今度は自動5連銃がバカ売れしました。ケンさんが自動銃を購入したのは1975年、当初数年は5連発でしたが、4連発数年を経由して3連発になり現在に至ります。
1985年頃になりますとすでに自動銃も行き渡り、期待の「クレー射撃ブーム」もそれ程は普及せず、一方で銃犯罪が増え、銃の新規取得者には茨の道となり、新規銃取得者は激減しました。
そこで新たに起こされたのが「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームでした。
ライフル銃は勿論業界に取って「利益が大きいマグナム銃ブーム」を同時に起こしました。
ライフル銃取得にはすでに経験10年が必要な時代になっていましたが、経験10年以上のハンターは多く、その点は余り心配無要でした。
エゾ鹿はかなり増殖し、捕獲対象はオスのみ、定数は1日1頭、猟期は12月1日~1月31日の2ケ月でした。
駆除もまだ殆ど行われず、少なくとも休猟区明けの解禁時の10分間だけはかなり豊猟が期待出来ました。と言ってもハンターはそれ以上に多く、成功率は幸運な20%程度でした。
メスは撃たれないので道端に多数おり、メスを求めて若オスも多数がウロ付いていました。大物は期待出来ず、狩猟雑誌「狩猟界」の成功レポートの様には行きませんが、多くの我と思わんハンターが北海道を目指し、その遠征者数は3000人に及びました。
我が地元猟友会からも数組が流し猟で遠征しましたが全滅でした。その原因は獲物に出会えない事が1番でした。メスは道端に立っている事も多数ありましたが、オスの出会いは余りにも稀と言えました。
ケンさんはもっぱら誰も走っていない林道を選びました。当時のエゾ鹿は道路を横断しようとする時、車が近付いてくると、それを見極め様としており、森の中50m位の木の陰でそれを見ていました。
それを発見するにはセンスが必要でしたが、非成功組はその狩猟センスが低かった事に尽きます。
全滅組の共通点は1度も真面な射撃チャンスが得られなかった事でした。若干見えた鹿は逃げる鹿だけでした。勿論それは特殊な射撃術を持っていない限り撃っても命中しません。
雑誌「狩猟界」の成功レポートは事実だと仮定しても 極稀に上手く行った事だけが書いてありました。1996年からケンさんは白糠で単独猟を行い、概ね1日1頭を捕獲していましたが、例外組でした。
同宿の他の6組は連日捕獲ゼロが続いていました。捕獲成功率は10%以下の様に見えました。
「狩猟界」は罪作りな記事を載せました。
せめて遠征失敗組にレポートも半数程度は載せるべきだったと言えました。
当時のエゾ鹿は右写真の様に見える事は甚だ稀、左写真の様に見えれば良い方なのですが、その半分程度しか見えていない鹿を探すのですからシロートには大変で、発見出来ない事が当然と言えました。発見すれば余り逃げず、且つ50mですから捕獲の可能性は十分ありました。


巻狩り組も捕獲に成功したと言う話は皆無でした。ケンさんも流し猟以前は白糠3シーズンで21日間の巻狩りを行いましたが、本命の巻狩りでは捕獲ゼロでした。
この頃は本州鹿巻狩りで「禅の心作戦」で「巻狩りに開眼」していたケンさんですが、それでも猟犬を使わないエゾ鹿の巻狩りでは「気配勝負に勝てず」獲れずにいました。


しかし車で猟場への往復途上や、また待ち場の配置に付く過程で鹿を踏み出し等で、毎シーズン1~2頭を捕獲していました。
踏み出しには当然スナップショットやランニングショット技術が必要でした。これら断片的なデータから流し猟の方が獲れそうだと考え、獲れない巻狩りを卒業した次第でした。結果は写真の様に概ね1日1頭を捕獲出来、数少ない生き残り側になれました。
マグナムライフル:「エゾ鹿猟とライフル銃」のブームは当然販売店側からすれば、高額マグナムライフルやカスタムライフルの売上げに結び付けたい陰謀がありました。
当時は「エゾ鹿猟に短薬莢の貧弱そうな308」を使う人は誰もおらず、Std口径も薬莢が12㎜長くパワーも5~10%強力な30-06が選ばれました。
本州鹿猟では急所を狙う習慣も無く、被弾しても未回収になる鹿は多く、Stdではややパワー不足とされ、当時に雑誌「狩猟界」の技術解説でもマグナムが奨励されていました。
当時はマグナムをモアパワーとモア精度でハンドロードする人が1番本格派に見えました。
マグナム弾は概ね1.4倍のパワーがあり、肉が血まみれになる範囲は2倍に及び、明らかな強力なパワーを感じました。
それに比例し即倒する確率や未回収減少等、少しでも効果があれば良かったのですが全く効果無し、つまり「マグナムは、銃も弾も高いだけで全くの無意味」でした。
ハンドロードに依るモアパワーは最大10~20%程度が可能でした。
モア精度の方は安売り市販弾程度であり、コスト的にも安売り弾よりやや安い程度で余り意味を成しませんが、ハンドローダーは本格的な感じがし、多くのライフルハンターはより本格派を目指し射撃場に通いました。
射撃精度の最大の敵は反動によるフリンチング、反動を伴う実射からの上達の可能性は極めて薄いのが本当でした。
エゾ鹿猟とマグナムライフルブームの企画は販売目的から言えば、一応成功と言えました。
3000人のハンターがライフル銃を手に北海道を訪れました。それ自体は大成功とは言えない程度 だったかも知れませんが、エゾ鹿猟とライフル銃ブームは北海道にも起こり、1万人以上がライフル銃を購入しました。
ブーム以前からエゾ鹿猟は北海道でも行われていましたが、普通の狩猟用散弾銃でスラグ弾を使用していました。
それがライフル銃ブームで北海道にもライフル銃が普及し、やがてエゾ鹿猟にはライフル銃が不可欠な時代に変わりました。
1995年以前のエゾ鹿猟のエゾ鹿は50~100mにいました。
これは50m超えを撃たなかったスラグ弾時代の影響がまだ残っていたからと言えました。
やがて年を重ねる毎にエゾ鹿はライフル銃の普及や2000年以降はサボットスラグ銃の普及に依り射程距離が長くなりまして、昨今では100~150mにいます。
これは普通の射撃場で練習した射手の精度が100m程度を限界としていた為であり、100mを超えると撃たれる可能性がかなり低下した からと言えました。
更にライフル銃ブームは本州にも及びました。従来からの散弾銃とノーマルスラグ弾は射程距離50mでしたが、それは射撃練習をかなり熟した後の成果でした。
それをしなければ射程距離は僅か20m未満、これに不満を持つ本州ハンターはたくさんいました。高精度な長射程のライフル銃ブームは 必ずしもライフル銃は必要としない本州猟ハンターにもかなり及んだのです。
更に当初はアフリカに行きたいからと国内制限の10㎜を超える超高額な大口径マグナムもOKになり、海外以外であってもヒグマ用マグナム、エゾ鹿用Stdライフル、本州用カービン銃とライフル銃3丁を所持する、自称本格派もチラホラいました。
これに比べればクレー射撃でトラップ用とスキート用の2丁と 言うのはありましたが、両射撃の愛好家は少なかった様です。
クレー射撃銃では技能講習実技で不合格になる人も実績不足を問われる人も甚だ僅かでした。
しかしライフル銃は魔法の銃ではなく、彼らは射撃練習を全くしなかったので、射程は20m不変のままでした。すでに説明しました様に、体が銃の反動を上手く受け様として硬くなる「フリンチング」と言う現象に依り、照準がズレてしまう事に問題がありました。
ライフル銃自体には200~300mの能力はあるのですが、練習を全くしなければ、どの銃を撃っても結果は大同小異の20m未満でした。
そして2012~2015の旧技能講習の実施以前は、銃の更新に実技試験は無く、平穏無事にライフル銃の所持許可の更新が続けられました。
旧技能講習はすでに説明しました様に、射撃練習をしていない本州のライフルハンターには絶望的な実技試験となりました。静止的とは言え、50mで14㎝命中がその合格条件でした。
正確には1点圏は16㎝、20発撃って40点以上が合格ですから、14㎝2点命中を平均的に繰り返せば、40点以上になり、合格出来る物でした。
結果は完全に2つのグループに分かれました。
ライフル射撃を趣味としていた人及びエゾ鹿猟複数捕獲実績組には7点以上に着弾、10発でも楽勝の40点ですが、そうでない人達はこの16㎝の的紙からハミ出してしまい、合格は絶望的でした。
半分位が合格すると良かったのですが、現実は受検 した70%以上が不合格、余りの難度に受検しなかった人も多く、結局本州ライフルの90%以上が所持許可の更新を出来ず、本州のライフルブームはこの時を以って終りました。
エゾ鹿猟ブームは「狩猟界」の成功レポートの様に上手く行った人は殆どおらず概ね全滅、最も成功率が高いと言われるガイド猟でも、肝心のガイドの90%が詐欺ガイドであり成功組は僅か、エゾ鹿猟ブームは10年程で消滅しました。
決してライフル銃やエゾ鹿猟自体に魅力が無くなったのではなく、今も愛好者はいますが、本州から北海道の狩猟登録する人は1000人程度になり、しかも多くが狩猟実績を作る為だけの出猟であり、実際のエゾ鹿猟は余り行なわれていない(獲れていない)様です。
散弾パターンでカバー出来るショットガンの射撃はクレーが放出機が15台、その設定表が9種類ですから飛行コースは135種で、毎回同じ様に飛ぶ事から、膨大な射撃場通いで上達する可能性があり、当時国体に出場なら年間3万発以上と言われていました。
クレー射撃は余りブームにならなかったと書きましたが、それは愛好者が10%を超えない程度だったからでした。
ケンさんの自宅から1時間尾範囲にクレー射撃場が4つあり、64発連続ヒットを出した時も田舎親善射撃大会では2位でしたから、そこそこの熱いブームはありました。
ケンさんはクレー射撃ブームには乗らず、年に数回の猟友会お付合い射撃に留めました。
クレー射撃から実戦が上手くなる事は無いと感じたからでした。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
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