2023年11月11日
間違った理論と業界の陰謀。その3:エゾ鹿猟は高難度、成功には基礎10回失敗経験。
11.エゾ鹿猟ブームは、銃販売業界により作られ、本当は高難度でした。
WW2の銃大量生産が終戦と共に終り、銃メーカーは失業状態、そこで起こされたのが狩猟ブーム、その中にはアフリカ猟やアラスカ猟もありました。
国内狩猟ブームは1955年頃から始まり1960年代は水平2連銃がバカ売れ、この10年間にハンターは3倍の50万人となりました。更に1970年になりますと自動銃がバカ売れ、全てのハンターが銃をオートに換えました。
しかし1980年頃になると、色々な銃犯罪が重なり、新規銃取得者は激減、国内の銃生産業者はすでに90%以上を海外輸出に依存しておりましたが、やがて輸出環境も厳しくなり、1980年頃多くが倒産してしまい、現在も残っているのはミロクだけとなりました。
1990年には国内ハンターはまだ30万人がいましたが、新規銃取得者も買替え需要も僅かでした。そこで国内銃販売業者によって起こされたのが「エゾ鹿猟ブーム」でした。

狩猟雑誌「狩猟界」に多数掲載されたエゾ鹿猟成功記が、フィクションだったのかは不明ですが、そんなに簡単に獲れる筈がありませんから、どうも多数がフィクションだった様な気がします。
当時は駆除もなく、解禁日前はずっと猟をしていないので、休猟区明けの解禁直後の僅かな時間だけは本当に道端にウヨウヨいました。
しかし1度撃たれれば即座に行動パターンを変え、バカ獲れは最初の10分だけ、拡大解釈でも30分で終わり、2日目以降は捕獲は絶望的困難となりました。
そんな事から解禁初日は10分間も銃声が続き、膨大な数の鹿が捕獲されましたが、ハンター数はそれを遥かに上廻り、1台(ハンター2~3人)に1頭が遥かに遠い成果でした。
ケンさんが狩猟を始めた1993年度のエゾ鹿捕獲数は、シーズン2か月で2万頭、北海道ハンター 7000人、本州からの遠征ハンター3000人、合計1万人で2万頭、平均1人2頭ですが、不慣れな本州初心者の短期遠征に、平均成果が分配される筈がなく、成功者は甚だ僅かでした。
狩猟雑誌「狩猟界」にはライフル銃関係の宣伝も多数が掲載され、Stdライフル銃は威力不足が懸念されるとし、マグナムライフル銃が絶対的に有利と誘導していました。
時代はエゾ鹿が増え過ぎ、駆除が部分的に始まった時期でした。
当時はまだ休猟区があり、1992年白糠、1996年根室の休猟区明けには空前の狩猟者が殺到しました。しかし、休猟区の制度はこの時を以って終わりました。
当時はライフル銃も10年以上の経験があれば、北海道に行きたいで簡単に許可が出ました。
銃砲年鑑には1千万円超のジェームスパーディー超高級散弾銃や、アフリカンホットライフル銃のH&Hや象撃ち用ニトロエクスプレス弾の掲載もあり、国内制限超えのアフリカンでもアフリカに行きたいで許可が降りました。
勿論エゾ鹿猟用はマグナムライフルのオンパレード、300ウインチェスターマグ、300ウェザビーマグ、7㎜レミントンマグがメイン3種、更に338ウインチェスターマグがあり、更に非マグナムの270ウィンや30-06も結構売れてました。

ニッコー ゴールデンイーグル7000
時代から言ってまだ308がメインではなく、まだサコー75もデビュー前、サワー・マンリカ・ウェザビー等が人気、マイナー銃のニッコーゴールデンイーグル7000もありました。
Std口径も30-06か308かはよく話題に上りましたが、薬莢が短い308は誰が見ても威力不足に見え、結局何時も却下されました。
スコープ専用銃はすでにデビューしていましたが、多くはスコープ後付型を選択し、スコープ着脱式が多く、業界の常識に踊らされたモア精度やモアパワーを求めたハンドロード全盛時代で射撃場は良く繁盛していました。全てが間違っていたと言える時代でした。
更に今では射撃場で見る事もありませんが、軍用銃愛好会や火縄銃愛好会が毎月定例会を開催しておりました。当時は射撃実績だけで軍用ライフル銃の所持が継続出来、M16をセミオート6㎜ 口径としたAR15、5発マガジンとしたFALやG3、5発クリップとしたガーランド等々がありました。
12.エゾ鹿猟は出会う為、獲る為にはそれなりの技術が必要でした。
肝心のエゾ鹿猟ですが、「狩猟界」の成功記を見て、ケンさんの地元からもその気になった有志3組がガイドレス流し猟で、1993年頃出撃しましたが全滅しました。
他にもクレー射撃佐波協会長が屈斜路湖畔に大型ログハウスを建て、ガイド付の流し猟メンバーを集めて猟をしておりました。他にも東三河地区の某病院長もその近くで同様な猟をしており、どちらも希望者殺到で溢れていました。
それ以外にもエゾ鹿猟経験者に同行をお願いしたり、色々な伝手利用でエゾ鹿猟に多数参加しました。狩猟自体はまだ駆除が殆ど始まっておらず、昨今より遥かに好条件でしたが、どの方法も成功者は非常に僅か、その不猟原因は狩猟経験不足、射撃技術不足、イカサマ詐欺ガイド等でした。
狩猟界の成功記事の様に行けるのは、休猟区明け解禁10分間の僅かな運の良い場所だけでした。
同じ頃、ケンさんは1995年から白糠の単独流し猟に切替え、概ね連日1頭の捕獲がありました。
流し猟なら獲れるのか? 狩猟は甘い物では無く、同宿6組で他に獲れた組はおらずでした。
2002年、ケンさんは紋別にスクールを開講、スクールは16年間に71組100人が参加、351頭を捕獲、最高捕獲は5日猟で19頭でした。
平均4日の実戦で5頭(1人平均3.5頭)のお持ち帰り、全期間を通し捕獲ゼロが皆無はケンさんのスクールだけ、巷では90%以上が、手ブラ帰還で当たり前、下写真を担ぎ空港に行けば、垂涎の眼差しを受ける事になりました。
ケンさんのスクールが優れていたのは、講師のガイド能力の高さに加え、射撃や心構えの事前教育にありました。必要であれば射撃場に同行し実技指導もしました。3名の的紙に当たらない生徒が この対象となり、1名は射撃教習の翌日に50mサボットで1ホール崩れを達成しました。
2人目も2か月後の実戦では、生徒で初めてサボットスラグ銃で、150mの鹿にヒットさせました。
最初の1名はその後も精進し、先頃単独猟で超大物81㎝を捕獲出来るまでになり、2人目も岐阜県に移住し、罠猟を併用したプロハンターになりました。
3人目は残念ですが実習効果が無く、50mでも20mでもヒットせずでしたが、幸い10mでデメキン鹿に出会え、捕獲ゼロだけは免れました。
13.一般的なエゾ鹿猟は、なぜ獲れないのか?
エゾ鹿を捕獲する為にはまず出会いが必要ですが、駆除時代以前でもエゾ鹿との出会いは高難度でした。野性鳥獣の五感は人間とは3桁違い、しかも相手側は命が掛かっており、そう簡単には出会えません。
昨今は1年中駆除が行われていますから、それ以前より一段と難しくなり、ベテランガイドでも、結果的に「80%が出会いゼロの詐欺ガイド」となります。
実はこの説明を追加しなければ正しい報告にはなりません。
エゾ鹿はハンターを避けた行動をし、出会いは非常に難しくなった。これは事実です。
しかし6日に1回、鹿が一斉に移動する「フィーバー日」と言うのがあり、地元ベテランガイドもフィーバー日なら鹿に出会え、結果的に80%が出会いゼロ詐欺ガイドになりました。
更にエゾ鹿猟を高難度とする項目が幾つかあります。
その1:「射撃距離が100m」、しかも急所ヒットの即倒を要します。
その2:鹿は撃たれるまで待ってくれず、「スナップショットの技術」が必要となります。
1&2項は事前教育を要します。
その3:エゾ鹿は射手よりかなり体格に勝り、「迫力負け」が起こり、対策には5回失敗を
要し、他の慣れを含め、10回程の基礎失敗経験積上が不可欠でした。
14.ケンさんのスクールが必ず獲れた理由は次の通りです。
その1:100m能力とスナップ射撃能力を事前教育で付けさせています。
その2:講師のガイド能力が高く、「1日5回」の出会い(勝負)が可能です。
その3:狩猟に不慣れや迫力負けや、発砲に至らを含め、不可欠な
約10回失敗経験積上が、2日までに済みました。
その4:北海道遠征は通常4日日程が限界となり、巷では2日猟しか出来ませんが、スクール
では到着日の夕方猟から始まり、3日分の狩猟が可能、これが大きな差となりました。
その5:従って多くの場合、3日目の前半に捕獲第1号が記録され、後半に2頭目が記録される、
これが初心者生徒の平均値でした。
その6:大物の行動に精通、3段角70%、大物20%でした。
その7:最大捕獲は角長88㎝、次が85㎝でした。
他のガイドでは獲れない理由は次の通りです。
その1:事前教育が殆ど皆無。
その2:捕獲数が公表されている、西興部猟区に於いても、出会い能力がかなり低く、
ケンさんスクールの半分以下の出会い数でした。
その3:遠征4日では、実戦は2日猟しか行えなかった。
その4:その結果、基礎失敗10回を「初回遠征日程内」で熟す事が絶望的となり、初年度は
捕獲ゼロ、2年目も捕獲成功は僅か、捕獲成功までは平均で3年通いを要しました。
初回遠征を成功させるには、類似猟法で複数捕獲経験と100m能力を要しました。
15:エゾ鹿猟の捕獲成功は、3年目。
実はフィーバー日であれば誰でも鹿に会えるとまでは申しませんが、ガイドレスでも鹿に出会う事はそれ程難しくはありません。これは本当です。
従って対策は北海道遠征を、6日以上の実戦日程にすればイイのです。
フィーバー日以外は何処に行っても出会い叶わずですから、地形調査等に徹すればイイのです。
待ちに待ったフィーバー日だけが、本当の実戦日となるのです。
他には射撃場で100m5㎝の能力を付けて、捕獲率が公表されている所だけに行く様にすればイイのです。100m能力が付かないのは、フリンチングのせいですから、実射を控えドライファイアに努めます。実射は成果確認だけに留めます。
西興部猟区なら2日猟でも、2年目には基礎10回失敗達成間近となり、3年目は殆どが捕獲出来ます。そこまでの覚悟や予算が無いのであれば、エゾ鹿猟は諦めた方が無難です。
かつてのケンさんのスクールに、勝る或いは並べる様な所は、世界中の何処にもありません。
また銃砲店は不勉強過ぎました。狩猟やライフル射撃の、プロ技術を持たなければなりません。
この様に従来からの常識的な知識(教え)は殆ど全てが間違っている事がケンさんに依って実証されました。銃と弾は当たる能力があるのに、当たらなくしているのは未熟な射手が介入するからです。
銃もスコープも安価な市販普及品で十分、弾は安売り市販弾、フリンチングこそが全ての射撃の成績が出せない原因の全てです。
フリンチング対策は実射からでは克服出来ず、実射を絶ちドライファイアやイメージトレーニングで長期練習します。
フリンチングさえ克服出来、銃だけに撃たせる様にすれば、1ホール射撃はそれ程難しい物ではなく、市販銃と市販弾薬でも、銃と弾側は条件が揃っており、自動的に転がって来ます。
1ホール射撃が全てのライフル射撃の基本、これが出来れば、ライフル射撃の全てのテーマは数年の内に自動的に達成出来ます。
同様にスナップショットは全ての射撃の基本、銃が速く正確に構えられる事は、全ての射撃に大きなプラスとなります。
現実的にはこれらの新しい知識を持った銃砲店は皆無です。銃砲店は貴方の銃の面倒を見てくれるのではなく、単にトラブった銃を輸入総元に送るだけ、従って狩猟やライフル銃やサボットスラグ銃の射撃技術やノウハウを実際に持った、店から通販で直接購入すべきと言えます。
射撃も狩猟も良いコーチが必要で、正しい射撃センスを身に付ければ、ライフル銃も散弾銃も命中率は巷の1桁アップが可能です。良い銃砲店と付き合いましょう。
普通の銃砲店や巷の先輩に教われば、99%フリンチング射撃であり、ライフル銃やサボットスラグ銃の夢は永久に達成出来ません。
また狩猟の獲物との出会いは、それが出来る人(有料ガイド)に教わる以外に方法は無いと言えます。具体的には西興部猟区に行きましょう。
結局、ケンさんは十分な成果を上げられた数少ない1人ですが、銃砲販売店も売るだけで射撃も狩猟も何も面倒を見なかった事は遺憾に思います。
銃砲店は積極的に技術を磨き、ワンホール射撃教習会や、狩猟体験会を積極的に設けるべきです。また昨今は本州鹿の流し猟が可能となり、カモ猟と共に銃砲店は、これらの捕獲や調理の体験講習会を制度化するべきだと思います。
WW2の銃大量生産が終戦と共に終り、銃メーカーは失業状態、そこで起こされたのが狩猟ブーム、その中にはアフリカ猟やアラスカ猟もありました。
国内狩猟ブームは1955年頃から始まり1960年代は水平2連銃がバカ売れ、この10年間にハンターは3倍の50万人となりました。更に1970年になりますと自動銃がバカ売れ、全てのハンターが銃をオートに換えました。
しかし1980年頃になると、色々な銃犯罪が重なり、新規銃取得者は激減、国内の銃生産業者はすでに90%以上を海外輸出に依存しておりましたが、やがて輸出環境も厳しくなり、1980年頃多くが倒産してしまい、現在も残っているのはミロクだけとなりました。
1990年には国内ハンターはまだ30万人がいましたが、新規銃取得者も買替え需要も僅かでした。そこで国内銃販売業者によって起こされたのが「エゾ鹿猟ブーム」でした。
狩猟雑誌「狩猟界」に多数掲載されたエゾ鹿猟成功記が、フィクションだったのかは不明ですが、そんなに簡単に獲れる筈がありませんから、どうも多数がフィクションだった様な気がします。
当時は駆除もなく、解禁日前はずっと猟をしていないので、休猟区明けの解禁直後の僅かな時間だけは本当に道端にウヨウヨいました。
しかし1度撃たれれば即座に行動パターンを変え、バカ獲れは最初の10分だけ、拡大解釈でも30分で終わり、2日目以降は捕獲は絶望的困難となりました。
そんな事から解禁初日は10分間も銃声が続き、膨大な数の鹿が捕獲されましたが、ハンター数はそれを遥かに上廻り、1台(ハンター2~3人)に1頭が遥かに遠い成果でした。
ケンさんが狩猟を始めた1993年度のエゾ鹿捕獲数は、シーズン2か月で2万頭、北海道ハンター 7000人、本州からの遠征ハンター3000人、合計1万人で2万頭、平均1人2頭ですが、不慣れな本州初心者の短期遠征に、平均成果が分配される筈がなく、成功者は甚だ僅かでした。
狩猟雑誌「狩猟界」にはライフル銃関係の宣伝も多数が掲載され、Stdライフル銃は威力不足が懸念されるとし、マグナムライフル銃が絶対的に有利と誘導していました。
時代はエゾ鹿が増え過ぎ、駆除が部分的に始まった時期でした。
当時はまだ休猟区があり、1992年白糠、1996年根室の休猟区明けには空前の狩猟者が殺到しました。しかし、休猟区の制度はこの時を以って終わりました。
当時はライフル銃も10年以上の経験があれば、北海道に行きたいで簡単に許可が出ました。
銃砲年鑑には1千万円超のジェームスパーディー超高級散弾銃や、アフリカンホットライフル銃のH&Hや象撃ち用ニトロエクスプレス弾の掲載もあり、国内制限超えのアフリカンでもアフリカに行きたいで許可が降りました。
勿論エゾ鹿猟用はマグナムライフルのオンパレード、300ウインチェスターマグ、300ウェザビーマグ、7㎜レミントンマグがメイン3種、更に338ウインチェスターマグがあり、更に非マグナムの270ウィンや30-06も結構売れてました。

ニッコー ゴールデンイーグル7000
時代から言ってまだ308がメインではなく、まだサコー75もデビュー前、サワー・マンリカ・ウェザビー等が人気、マイナー銃のニッコーゴールデンイーグル7000もありました。
Std口径も30-06か308かはよく話題に上りましたが、薬莢が短い308は誰が見ても威力不足に見え、結局何時も却下されました。
スコープ専用銃はすでにデビューしていましたが、多くはスコープ後付型を選択し、スコープ着脱式が多く、業界の常識に踊らされたモア精度やモアパワーを求めたハンドロード全盛時代で射撃場は良く繁盛していました。全てが間違っていたと言える時代でした。
更に今では射撃場で見る事もありませんが、軍用銃愛好会や火縄銃愛好会が毎月定例会を開催しておりました。当時は射撃実績だけで軍用ライフル銃の所持が継続出来、M16をセミオート6㎜ 口径としたAR15、5発マガジンとしたFALやG3、5発クリップとしたガーランド等々がありました。
12.エゾ鹿猟は出会う為、獲る為にはそれなりの技術が必要でした。
肝心のエゾ鹿猟ですが、「狩猟界」の成功記を見て、ケンさんの地元からもその気になった有志3組がガイドレス流し猟で、1993年頃出撃しましたが全滅しました。
他にもクレー射撃佐波協会長が屈斜路湖畔に大型ログハウスを建て、ガイド付の流し猟メンバーを集めて猟をしておりました。他にも東三河地区の某病院長もその近くで同様な猟をしており、どちらも希望者殺到で溢れていました。
それ以外にもエゾ鹿猟経験者に同行をお願いしたり、色々な伝手利用でエゾ鹿猟に多数参加しました。狩猟自体はまだ駆除が殆ど始まっておらず、昨今より遥かに好条件でしたが、どの方法も成功者は非常に僅か、その不猟原因は狩猟経験不足、射撃技術不足、イカサマ詐欺ガイド等でした。
狩猟界の成功記事の様に行けるのは、休猟区明け解禁10分間の僅かな運の良い場所だけでした。
同じ頃、ケンさんは1995年から白糠の単独流し猟に切替え、概ね連日1頭の捕獲がありました。
流し猟なら獲れるのか? 狩猟は甘い物では無く、同宿6組で他に獲れた組はおらずでした。
2002年、ケンさんは紋別にスクールを開講、スクールは16年間に71組100人が参加、351頭を捕獲、最高捕獲は5日猟で19頭でした。
平均4日の実戦で5頭(1人平均3.5頭)のお持ち帰り、全期間を通し捕獲ゼロが皆無はケンさんのスクールだけ、巷では90%以上が、手ブラ帰還で当たり前、下写真を担ぎ空港に行けば、垂涎の眼差しを受ける事になりました。
ケンさんのスクールが優れていたのは、講師のガイド能力の高さに加え、射撃や心構えの事前教育にありました。必要であれば射撃場に同行し実技指導もしました。3名の的紙に当たらない生徒が この対象となり、1名は射撃教習の翌日に50mサボットで1ホール崩れを達成しました。
2人目も2か月後の実戦では、生徒で初めてサボットスラグ銃で、150mの鹿にヒットさせました。
最初の1名はその後も精進し、先頃単独猟で超大物81㎝を捕獲出来るまでになり、2人目も岐阜県に移住し、罠猟を併用したプロハンターになりました。
3人目は残念ですが実習効果が無く、50mでも20mでもヒットせずでしたが、幸い10mでデメキン鹿に出会え、捕獲ゼロだけは免れました。
13.一般的なエゾ鹿猟は、なぜ獲れないのか?
エゾ鹿を捕獲する為にはまず出会いが必要ですが、駆除時代以前でもエゾ鹿との出会いは高難度でした。野性鳥獣の五感は人間とは3桁違い、しかも相手側は命が掛かっており、そう簡単には出会えません。
昨今は1年中駆除が行われていますから、それ以前より一段と難しくなり、ベテランガイドでも、結果的に「80%が出会いゼロの詐欺ガイド」となります。
実はこの説明を追加しなければ正しい報告にはなりません。
エゾ鹿はハンターを避けた行動をし、出会いは非常に難しくなった。これは事実です。
しかし6日に1回、鹿が一斉に移動する「フィーバー日」と言うのがあり、地元ベテランガイドもフィーバー日なら鹿に出会え、結果的に80%が出会いゼロ詐欺ガイドになりました。
更にエゾ鹿猟を高難度とする項目が幾つかあります。
その1:「射撃距離が100m」、しかも急所ヒットの即倒を要します。
その2:鹿は撃たれるまで待ってくれず、「スナップショットの技術」が必要となります。
1&2項は事前教育を要します。
その3:エゾ鹿は射手よりかなり体格に勝り、「迫力負け」が起こり、対策には5回失敗を
要し、他の慣れを含め、10回程の基礎失敗経験積上が不可欠でした。
14.ケンさんのスクールが必ず獲れた理由は次の通りです。
その1:100m能力とスナップ射撃能力を事前教育で付けさせています。
その2:講師のガイド能力が高く、「1日5回」の出会い(勝負)が可能です。
その3:狩猟に不慣れや迫力負けや、発砲に至らを含め、不可欠な
約10回失敗経験積上が、2日までに済みました。
その4:北海道遠征は通常4日日程が限界となり、巷では2日猟しか出来ませんが、スクール
では到着日の夕方猟から始まり、3日分の狩猟が可能、これが大きな差となりました。
その5:従って多くの場合、3日目の前半に捕獲第1号が記録され、後半に2頭目が記録される、
これが初心者生徒の平均値でした。
その6:大物の行動に精通、3段角70%、大物20%でした。
その7:最大捕獲は角長88㎝、次が85㎝でした。
他のガイドでは獲れない理由は次の通りです。
その1:事前教育が殆ど皆無。
その2:捕獲数が公表されている、西興部猟区に於いても、出会い能力がかなり低く、
ケンさんスクールの半分以下の出会い数でした。
その3:遠征4日では、実戦は2日猟しか行えなかった。
その4:その結果、基礎失敗10回を「初回遠征日程内」で熟す事が絶望的となり、初年度は
捕獲ゼロ、2年目も捕獲成功は僅か、捕獲成功までは平均で3年通いを要しました。
初回遠征を成功させるには、類似猟法で複数捕獲経験と100m能力を要しました。
15:エゾ鹿猟の捕獲成功は、3年目。
実はフィーバー日であれば誰でも鹿に会えるとまでは申しませんが、ガイドレスでも鹿に出会う事はそれ程難しくはありません。これは本当です。
従って対策は北海道遠征を、6日以上の実戦日程にすればイイのです。
フィーバー日以外は何処に行っても出会い叶わずですから、地形調査等に徹すればイイのです。
待ちに待ったフィーバー日だけが、本当の実戦日となるのです。
他には射撃場で100m5㎝の能力を付けて、捕獲率が公表されている所だけに行く様にすればイイのです。100m能力が付かないのは、フリンチングのせいですから、実射を控えドライファイアに努めます。実射は成果確認だけに留めます。
西興部猟区なら2日猟でも、2年目には基礎10回失敗達成間近となり、3年目は殆どが捕獲出来ます。そこまでの覚悟や予算が無いのであれば、エゾ鹿猟は諦めた方が無難です。
かつてのケンさんのスクールに、勝る或いは並べる様な所は、世界中の何処にもありません。
また銃砲店は不勉強過ぎました。狩猟やライフル射撃の、プロ技術を持たなければなりません。
この様に従来からの常識的な知識(教え)は殆ど全てが間違っている事がケンさんに依って実証されました。銃と弾は当たる能力があるのに、当たらなくしているのは未熟な射手が介入するからです。
銃もスコープも安価な市販普及品で十分、弾は安売り市販弾、フリンチングこそが全ての射撃の成績が出せない原因の全てです。
フリンチング対策は実射からでは克服出来ず、実射を絶ちドライファイアやイメージトレーニングで長期練習します。
フリンチングさえ克服出来、銃だけに撃たせる様にすれば、1ホール射撃はそれ程難しい物ではなく、市販銃と市販弾薬でも、銃と弾側は条件が揃っており、自動的に転がって来ます。
1ホール射撃が全てのライフル射撃の基本、これが出来れば、ライフル射撃の全てのテーマは数年の内に自動的に達成出来ます。
同様にスナップショットは全ての射撃の基本、銃が速く正確に構えられる事は、全ての射撃に大きなプラスとなります。
現実的にはこれらの新しい知識を持った銃砲店は皆無です。銃砲店は貴方の銃の面倒を見てくれるのではなく、単にトラブった銃を輸入総元に送るだけ、従って狩猟やライフル銃やサボットスラグ銃の射撃技術やノウハウを実際に持った、店から通販で直接購入すべきと言えます。
射撃も狩猟も良いコーチが必要で、正しい射撃センスを身に付ければ、ライフル銃も散弾銃も命中率は巷の1桁アップが可能です。良い銃砲店と付き合いましょう。
普通の銃砲店や巷の先輩に教われば、99%フリンチング射撃であり、ライフル銃やサボットスラグ銃の夢は永久に達成出来ません。
また狩猟の獲物との出会いは、それが出来る人(有料ガイド)に教わる以外に方法は無いと言えます。具体的には西興部猟区に行きましょう。
結局、ケンさんは十分な成果を上げられた数少ない1人ですが、銃砲販売店も売るだけで射撃も狩猟も何も面倒を見なかった事は遺憾に思います。
銃砲店は積極的に技術を磨き、ワンホール射撃教習会や、狩猟体験会を積極的に設けるべきです。また昨今は本州鹿の流し猟が可能となり、カモ猟と共に銃砲店は、これらの捕獲や調理の体験講習会を制度化するべきだと思います。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。