2023年09月27日

イカサマ会社、その2:日産。

  日産
国産自動車は技術レベルが低い為、殆どが初期には海外自動車メーカーと技術提携しましたが、トヨタは海外製品を参考にしながら自社開発しました。

トヨタの第1号車は1935年のG1型トラック、故障の連続と言える程ではなく、僅か20数㎞先の名古屋のお披露目展示場まで3日掛けても到着出来ず、最後の数百mは人力で押し、壊れたままの展示となったのは有名な話です。

1966年は本格的マイカー時代の幕開け、初代カローラ1100とサニ―1000が揃ってデビューしました。「技術の日産」に対し「販売のトヨタ」と言われていました。

その少し前の1964年に名神高速道路が開通し、その頃トヨタと日産は共にシェア35%でしたが、高速道路の故障車の60%がトヨタでした。

技術内容的には、サニーの圧勝でしたが、結果は販売のトヨタのカローラが圧勝、我が家もこのカローラを購入しましたが、すぐに壊れ運用を中止しました。

1970年、カローラもサニーも共に2代目がデビュー、2回目の販売台数もトヨタの圧勝でした。この時からトヨタ車の壊れる度合いは、平均値以下となりました。

そんな時代が続き、トヨタの品質はドンドン向上、シェアを大幅に伸ばし、反面「技術の日産」は相対的に「技術の無い日産」になり下がり、シェアは低下の一途となりました。

かつては№.1を張り合っていた日産ですが、何時しかホンダにも負け、№.3になってしまい、1999年には経営の抜本的テコ入れが行われました。しかし効果は懐疑的でした。

2004年、ケニアに行きました。ハイエースの乗合タクシーが多数走っていました。
キャラバンは極めて少数しか走っていません。その原因をドライバーに聞いてみました。
するとキャラバンは極めて耐久性が低く、ハイエースの1/10程度しかないと言う答えでした。

その為に距離をたくさん走るタクシーにはキャラバンは1台もなく、キャラバンは国立公園周辺だけを走る、走行距離が1桁少ないサファリツアー専用車になっていました。

2012年、キャラバンの耐久性不足は知っていましたが、テコ入れから10年が過ぎ、モデルチェンジ、多少はマシな車になったと思われ、キャラバンとて日本的要求の10万~15万㎞は真面に十分走るだろうと思い、ハイエース比100万円安かった2009年型キャラバン中古車3歳を購入しました。

所が信じられない事に5年5万㎞を過ぎた頃から、毎年耐久性不足により、何かトラブルを起こしました。いずれもトヨタ車であれば20年以上20万㎞以上の耐久性を持っている項目ばかりでした。
「技術の無い日産」である事は十分知っていたのですが、流石にこれ程までとは驚きました。

所が嬉しい事に営業所はこれをクレームとして認め、10年10万㎞まで修理費や部品代はゼロで済み、10年10万㎞を過ぎてからは半分支払いました。

日産もこれを数十年積み重ねれば、まともな車になる筈でした。所が間もなく日産は態度を改め、これらをクレームとして認めなくなりました。また「ダメ日産」に戻ってしまったのです。

トヨタは初期の1935年のG1型トラックは壊れなかった所が無い程よく壊れ、その汚名を晴らそうと努力を重ねましたが、1960年代まではまだ良く壊れる車側の代表でした。

ケンさんがトヨタフォークリフトに入社したのが1968年、トヨタのフォークリフトも良く壊れ、ケンさんを含め、若いエンジニア達はこれに真剣に取組み、5年もすると明らかに大きな効果が出始めました。

車に遅れる事数年、1975年頃までにはトヨタフォークリフトも余り壊れない側に入る事が出来、且つ壊れても修理がし易い構造とした為、かなり好評を得て、シェアも拡大されました。

やがてそうした努力が実り、車では1970年頃を境に壊れない側に入り、1980年には壊れない事を誇れる車となり、1990年に世界トップ品質となり、2000年以降は世界のダントツ品質となりました。

その後まもなく世界がそれを認め、トヨタ車はフォークリフトを含め、世界で1番売れる車になりました。数十年の努力の結果と言えます。

それに対し、日産は技術が無いのに「技術の日産」と客を騙し続け、まともな車造りを放棄してしまいました。「日産」の再生は難しそうです。

1970年代の町のタクシーはトヨタですが、山間部のタクシーは日産でした。
理由は車両の耐久性でした。ケンさんもこの頃はトヨタに努めておりましたが、日産の信者であり、これを信じていました。

しかし当初優位だったブルーバードもやがてコロナに大敗、セドリックもクラウンに大敗、その他色々な車を出しましたが、全てパットせず、何とか売れていたのは、スカイラインGTのみとなりました。

1980年頃、車好きはこぞって日産ファンでした。魅力的な新車を多くデビューし、トヨタと日産の戦いの将来の覇者は日産だと思う人が多くいました。

ケンさんは下記のパブリカの出来事があり、トヨタフォークリフトを良くしようとして働いた事と、その成果等々からそうは思いませんでした。

1975年、我が家の奥方が運転免許を取得、愛車を購入しました。1970年型トヨタパブリカ1000の5歳5万㎞3万円の車でした。

耐久性のないトヨタ車のつもりですから、数年使えれば良いつもりでした。所がパブリカはその後5年間5万㎞を、消耗品であるタイヤやバッテリーを除く、無交換ノントラブルで走り切り、まだまだ使える感触でした。トヨタ車に対するケンさんのイメージが変わった瞬間でした。

数年後、山間部のタクシーもトヨタ車が多くなりました。ケンさんはそんな状況を知っていましたが、1975年当時はディーゼルセダンが日産にしかなかった為、セドリックディーゼルを愛用していました。

自動車学校10万㎞の払下げ車を部品取車を含め2台購入していました。そして4年間で20万㎞を走った頃、部品取りの車は取れる部品が無くなりました。日産セドリックの耐久性は10万㎞程度、自動車学校が10万㎞で払い下げるのも妥当と言えました。

その頃のセドリックディーゼルは冬場に始動困難でした。個人的に配線容量に問題ありと見て、配線をやり直し、また登坂速度や最高速度の不満は、ギヤ比のミスマッチと読み、ギヤ比を変更し、共に抜群の効果を得ました。

ケンさん個人にこれが出来たと言う事は、トヨタは末端エンジニアでも車を 良くしようと真剣に考えていた証であり、日産には真面目に考えたエンジニアがいなかった証でした。

1998年型のランクル100型は、そうしたトヨタエンジニアの努力の積み重ねが実り、22年間20万㎞を、故障修理は燃料ポンプ漏れだけ、消耗品のドライブシャフトのブーツ交換と、フロントサスのボールジョイント破損以外は無交換無故障でした。

1990年以降トヨタ車が世界ダントツの耐久性は知っていましたが、まさかこれ程のレベルとは思いもよりませんでした。これなら売れて当然と強く思いました。

これに比べますと、それより10年も新しい2009年型キャラバンが、5才5万㎞で部品の耐久性不足で毎年何かが壊れました。

これは日産の車は1970年頃から進化が止まっていた証となり、更に言えばキャラバンの耐久性は40年前のトヨタパブリカよりハッキリ劣りました。

ランクル100の22年間無故障に比べ、10年新しいキャラバンは僅か5年から故障続出、これが「技術のない日産」の真実でした。

そうそう現行ダメキャラバン26型のエンジンはYD25-Tの129馬力でした。同年代ハイエース100型は1KD-Tの3㍑130馬力、実際はカタログ数値以上の差がありました。

日産は最近エンジン変更、これが何とダメ三菱パジェロの4N16エンジン2.4㍑132馬力、ハイエースはこの頃から1GD-Tの2.8㍑150馬力、エンジンパワーだけ見てもハイエース大幅優位は明らか、更にハイエース耐久性は10倍以上です。

もはやキャラバン如きがハイエースに、サファリ如きがランクルに勝てる筈がありません。
これも「技術の無い日産」の現状と言えました。





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Posted by little-ken  at 18:27 │ハンティングカー