2023年09月10日
鹿猟の思い出、根室ベースと紋別ベース。
8.ガイド猟の出会いの多さに驚きました。1997年。
そして約束通り、H師匠にガイドをして貰いましたが、出会い数はケンさん単独時の5~10倍、本当は誰にも教わらず単独猟を極めるのがケンさんの目標でしたが、余りの出会いの多さから、予定変更を決意し、3シーズンをHプロに弟子入りしてエゾ鹿猟を教えて貰う事にしました。
結果的に多くの出会いから多くの失敗を経験し、今があるのは彼のお陰と言えました。
Hプロはガイドの腕上ですが、彼の搾取やネコババ、借りた金を返さない、約束を守らないやり方には共感出来ず、と言うより強い怒りを感ずる、余りに酷いやり方でした。
その頃の根室ベースは白崎1号邸と言う小さな小屋でした。白崎牧場は戦前国後島にあったのですが、戦後引揚げ、最初はもう少し離れた所のホッタテ小屋から始まりました。


次が1号邸、その次が左写真の長らくベースとなった隣の2号邸、そして今は1号邸跡地に右写真の3号邸が建っています。1号邸の頃のHプロは、主に旭川のアマハンターを引き連れ巻狩りの勢子をしていました。
白崎牧場にはその奥にモンゴル丘があり、ここで数々のモンゴル丘のミラクル伝説が生まれました。後から聞いた話では、ケンさんがHプロの最初の客であり、2番目の弟子だったそうです。
その1番弟子だったSMとは、その後長らくの縁があり、彼のお陰で紋別ベースや、紋別スクールが 出来、また5発5中も試す事が出来ました。
9.自動銃でランニングショットを極める?2000年。
1998~2006

H&K SL7、口径308、着脱5発マガジン、セミオート銃。
ボルト銃並に当たり、150mで5発のテーブル撃ちが12mm、究極の銃の様に思えました。
実戦90日と3000発を要し、走る鹿用のスイング射法を確立、実用射程50m、命中率は
5発強で1頭、本銃により約350頭を捕獲、内100頭以上が走る鹿、しかし300mは
決まらず、究極の銃は本銃ではなかったのです。
1998年、走るエゾ鹿を本格的に撃ち獲ろうとH&Kオートを購入し、3年を掛け3000発をエゾ鹿に向けて撃ち続けた結果、スイング射撃の初歩が完成しました。
それは射程50m、1頭捕獲に5発強と言う成果、当時はこれでスイング射撃を極めたつもりでいましたが、まだ急所が狙えず、結果から言えば捕獲は、3発被弾のショットガン効果で捕獲していました。
10.阿寒でガイドデビュー。2000年。
調度その2000年頃「狩猟界」が作ったエゾ鹿猟ブームから、東京の銃販売組合の音頭で、ハンター50名が阿寒に集合しました。
銃業界は1980年以降低迷が続いており、起爆材が欲しかったのです。
それで作られたのが、「エゾ鹿ブーム」でした。
当時銃所持10年を超えており、北海道に行きたいと言えば、ライフル銃が簡単に取得出来ました。「狩猟界」も積極的にライフル銃やエゾ鹿の特集を組み、ライフル銃の宣伝も多数載せました。
そんな背景の中、ハンター50人が阿寒に集まり、Hプロもこのガイドとして召集され、ケンさんもその助手で参加(見学)するつもりでした。
所が地元ベテランガイド15名中の1名が急病で欠員、ケンさんが急遽代替えガイドデビューする事になりました。ケンさんはまだ修行中の身、ダントツビリを覚悟しましたが、結果は驚きの内容でした。
2日間の実戦後、蓋を開けてみれば、Hプロチーム6頭で全15チーム中のダントツ、2位は何と3頭のケンさんチーム、1頭だけが3チーム、出会いゼロの現地チームが10チームもあった事には本当に驚きました。
地元13チームの詐欺率は77%でした。この頃はまだ駆除も、余り行われておらず、昨今より遥かに好条件でしたが、阿寒の鹿の低密度と地元ベテランの低能力、これらには甚だ驚きました。
80%が獲れなかった阿寒猟は翌年中止、しかし阿寒猟でHプロの名は一気に高まり、ガイド業は急に多忙となり、新たに空いた2号邸は1時期、Hプロの客で埋まり、ケンさんもガイドにしばしば駆出されました。
Hプロには4万円/日のガイド料が入るのに、阿寒も含め燃料代等自前+リスクこちら持ちなのですが、ケンさんの手当は全くのゼロ、手数料を引くのは当然ですが、酷いガイド料の搾取でした。
その後Hプロはやはりと言うか、各方面のやり過ぎから当然と言えますが、間もなく失脚しました。しかし根室猟は客だった人や、その友人達の口コミで、白崎2号邸には解禁時10チーム20人以上が集中し、押し入れまで使って宿泊する、異常混雑状態となりました。
その為にケンさんは1番弟子SMの紹介で、後述の様にヒグマ捕獲も視野に入れた紋別ベースを開講し、紋別で解禁猟を迎える様になりました。
根室は鹿が多い所ですが、解禁の頃は対象が地付きの鹿だけとなり、地元ホテルや旅館に泊まるハンターと2号邸のハンターを含め計50組以上が、狩猟をするので獲れない狩猟になりました。
そんな時に鹿がいるのは、幹線道路沿いの当局が待ち受けるヤバい所だけとなります。
当局待ち受け確率は10~20%ですが、獲れないハンターはそれを撃つので、繰り返せばパクられるのは時間の問題となります。
かなりの人数がパクられ、白崎会員からも週1で誰かがパクられました。
根室の取締まり体制は半端ではなく、警察2台、更に覆面と林務課の計4台がパクるつもりで、常時 狩猟地域を廻っているのです。
11.紋別ハンティングベース と ハンティングスクール。2002年。
根室異常ラッシュの中、Hプロの1番弟子SMに会いました。
彼の出身地の滝上はヒグマが多く、エゾ鹿もソコソコいて、良い猟場の条件が揃っておりました。

彼の紹介で廃屋の旧商店を10年間20万円で借りる事が出来ました。2001年、根室の解禁ラッシュを避ける為に紋別滝上ハンティングベースが開講されました。
そこはすでに1990年頃から周り数十㎞に渡り、誰も住んでいない超僻地であり、ヒグマとエゾ鹿の 生徒でした。SMが子供の頃には周辺に農家が100軒以上あり、学校も駅も診療所もありました。
狩猟をしてみるとエゾ鹿は思ったよりも多く、ハンターが少ない事が分かりました。
2002年、ケンさんはハンティングスクールを開講、スクールの合間にエゾ鹿猟を堪能し、やがてエゾ鹿の習性が分かる様になり、スクールはエゾ鹿が山から降り始める時期と繁殖時期が重なる10月25日頃~11月15日頃までの20日前後の開講でした。

平均実績が1日5回以上の出会いがあり、1日2頭以上の捕獲があり、その中に大物0.5頭が含まれ、出会い中の70%が3段角、20%が大物エゾ鹿、全体の80%が詐欺ガイドと言われる中で、抜群に好評、成果は北海道ダントツでした。また4日日程で3日の猟が出来る事も好評でした。
結果的にスクールは16年間行われ、71組調度100人の生徒達が351頭を捕獲しました。
角長80㎝以上の超大物捕獲成功生徒は5名、捕獲までに要した日数は22日でした。
怪物級を撃ち損じた人は多いのですが、捕獲成功した生徒は1人だけでした。
知らない内にケンさんのスクールは、北海道でダントツの成績を上げる事が出来る様になっていました。しかし全体としてのエゾ鹿猟は、かなり厳しい状況と言えました。
アマチュアガイドレスグループは概ね撃沈、ガイド付流し猟以外は全て撃沈、また民宿巻狩りも獲れた試しはなく、こんな所が平均値でした。
民宿巻狩りは、ガイドが捕獲した角や肉を分けて貰うだけ、或いはガイドの獲った鹿で記念撮影するだけでした。愛用のライフル銃は「写真撮影の小道具に過ぎない」状態でした。

写真のトロフィー級は全てガイドの捕獲、ケンさんの銃は写真用小道具ではなく、手前のバラ角数頭を捕獲しました。何時の日にか本当にトロフィー級を並べた写真を撮れる様になりたいと思っていました。

2006年には待望のヒグマも捕獲され、ケンさんもエゾ鹿猟を堪能出来、当初ベース開講の目的も達成され、翌2007年には更にヒグマ2頭の追加、以後は罠の駆除が始まり激減しました。
再び増加して来たのは2014年、この年2頭を捕獲、翌2015年にも1頭を追加しました。
ヒグマ猟はマグレとは言わせない合計6頭を達成出来ました。
ヒグマ猟には「迫力負け」&「恐怖負け」対策を要し、射撃技術では立ち止まらないヒグマはスナップショットやランニングショットが必要でした。
写真左下ヒグマは出会い頭の15m、愛銃は安全装置ONの未装填、空かさず装填と安全装置解除、スナップショット1発、ヒグマは1発でヨレヨレとなり、5mと行かない内に倒れ絶命しました。
この1連の動作を「怯まず遅滞なく出来た事」、及びそう言う事が出来る銃の取り扱い方法を、開拓出来た事を誇りに思います。
元々スクールの収支は、狩猟にガイド料を支払う習慣のない日本ではかなり苦しく、ケンさんの各種原稿料とエゾ鹿肉販売を併せて何とかでした。
2013年には最大の協力者であり、鹿肉買取り業者であったSMを癌で失い、2015年頃には雑誌社が全滅となり、スクールは存続のピンチとなりました。
更にハンティングベースの劣化が進み、居住に適さなくなり、2014年から民宿を使いましたが、2年で閉鎖され、更に高額な渓谷ホテルのロッジを使う様になり超大赤字となりました。
続けていて良かったと思える事もありました。怪物級大物2頭の捕獲があった事です。
2016年U生徒は怪物級85㎝を捕獲しました。


100mからの1発目は角ヒット、2発目は頭蓋骨ヒットでした。2発ともヘッドショットを狙ったのではなく、完全に連続マグレと言えましたが、85㎝怪物捕獲成功です。写真中の数字は全捕獲数1402頭中のNo.2或いは、No.10を言います。
翌2017年、今度のU生徒は射撃対策済、更に巨大な怪物88㎝に80mで出会え、見事スナップショットを決めました。
着弾は僅かにズレ即倒せず、森に走られ未回収かと思われましたが、翌日暇な時間に改めて捜索した所、森から50m奥に倒れており、回収に成功しました。
ケンさんは25年735日出猟して、1051頭の捕獲で最大が88㎝ですが、U生徒は4年11日目の19頭目で同じ快挙でした。
実はこの怪物、1週間前にK生徒の時も80mで出会いました。しかしK生徒は狙い込んでしまった為、動かれて発砲出来ず、次は120mで同様のチャンスでしたが、同様に発砲出来ずでした。
更に森に少し入った150mもチャンスと言えましたが、K生徒の体力では回収困難、発砲を中止させました。最初のチャンスで速やかに撃てば成功したのに、K生徒は誠に残念なチャンスを逃しました。
後刻この解析結果を説明した処、K生徒は憤慨、捨てゼリフで去って行きました。
プロハンター希望ながら、物事が分からない気の毒な生徒でした。
残念だった事は他の生徒にもあります。D生徒は2回も85~90㎝級怪物に射撃する機会がありましたが、泊力負けでナミビアポイントを撃つのを忘れ、心臓を撃った為2頭とも未回収となりました。
他の数名の生徒も貴重な怪物チャンスが得られましたが、迫力負けで撃てなかったり、撃っても失中でした。
U生徒は「何時の日にかリトルケンを超えたい」を目標としており、ケンさんの教えを忠実に実行しようとしており、88㎝の快挙となりました。「怪物との出会いを2度も作れた事」をガイドとして誇りに思います。
翌2018年、結果としてスクール最後の年になりました。流石に3年連続で怪物に出会う事は無かったのですが、U生徒の300m遠射と200mスイング射撃が共にヒット、即倒せずでしたが、両者とも捕獲成功しました。
ケンさんの教えが正しかった事の証明となり、こんなに嬉しい事はありません。
更に数年間のスクールがあれば、ヒグマの捕獲も成功させられたと思われますが、スクールは2019年、ケンさんの悪性リンパ腫発病で中止され、2018年が最後となりました。
2019年には警官2名を射殺した長野の青木が回収補助員として申し込んで来ましたが、関わらずに済んで良かったです。
そして約束通り、H師匠にガイドをして貰いましたが、出会い数はケンさん単独時の5~10倍、本当は誰にも教わらず単独猟を極めるのがケンさんの目標でしたが、余りの出会いの多さから、予定変更を決意し、3シーズンをHプロに弟子入りしてエゾ鹿猟を教えて貰う事にしました。
結果的に多くの出会いから多くの失敗を経験し、今があるのは彼のお陰と言えました。
Hプロはガイドの腕上ですが、彼の搾取やネコババ、借りた金を返さない、約束を守らないやり方には共感出来ず、と言うより強い怒りを感ずる、余りに酷いやり方でした。
その頃の根室ベースは白崎1号邸と言う小さな小屋でした。白崎牧場は戦前国後島にあったのですが、戦後引揚げ、最初はもう少し離れた所のホッタテ小屋から始まりました。

次が1号邸、その次が左写真の長らくベースとなった隣の2号邸、そして今は1号邸跡地に右写真の3号邸が建っています。1号邸の頃のHプロは、主に旭川のアマハンターを引き連れ巻狩りの勢子をしていました。
白崎牧場にはその奥にモンゴル丘があり、ここで数々のモンゴル丘のミラクル伝説が生まれました。後から聞いた話では、ケンさんがHプロの最初の客であり、2番目の弟子だったそうです。
その1番弟子だったSMとは、その後長らくの縁があり、彼のお陰で紋別ベースや、紋別スクールが 出来、また5発5中も試す事が出来ました。
9.自動銃でランニングショットを極める?2000年。
1998~2006

H&K SL7、口径308、着脱5発マガジン、セミオート銃。
ボルト銃並に当たり、150mで5発のテーブル撃ちが12mm、究極の銃の様に思えました。
実戦90日と3000発を要し、走る鹿用のスイング射法を確立、実用射程50m、命中率は
5発強で1頭、本銃により約350頭を捕獲、内100頭以上が走る鹿、しかし300mは
決まらず、究極の銃は本銃ではなかったのです。
1998年、走るエゾ鹿を本格的に撃ち獲ろうとH&Kオートを購入し、3年を掛け3000発をエゾ鹿に向けて撃ち続けた結果、スイング射撃の初歩が完成しました。
それは射程50m、1頭捕獲に5発強と言う成果、当時はこれでスイング射撃を極めたつもりでいましたが、まだ急所が狙えず、結果から言えば捕獲は、3発被弾のショットガン効果で捕獲していました。
10.阿寒でガイドデビュー。2000年。
調度その2000年頃「狩猟界」が作ったエゾ鹿猟ブームから、東京の銃販売組合の音頭で、ハンター50名が阿寒に集合しました。
銃業界は1980年以降低迷が続いており、起爆材が欲しかったのです。
それで作られたのが、「エゾ鹿ブーム」でした。
当時銃所持10年を超えており、北海道に行きたいと言えば、ライフル銃が簡単に取得出来ました。「狩猟界」も積極的にライフル銃やエゾ鹿の特集を組み、ライフル銃の宣伝も多数載せました。
そんな背景の中、ハンター50人が阿寒に集まり、Hプロもこのガイドとして召集され、ケンさんもその助手で参加(見学)するつもりでした。
所が地元ベテランガイド15名中の1名が急病で欠員、ケンさんが急遽代替えガイドデビューする事になりました。ケンさんはまだ修行中の身、ダントツビリを覚悟しましたが、結果は驚きの内容でした。
2日間の実戦後、蓋を開けてみれば、Hプロチーム6頭で全15チーム中のダントツ、2位は何と3頭のケンさんチーム、1頭だけが3チーム、出会いゼロの現地チームが10チームもあった事には本当に驚きました。
地元13チームの詐欺率は77%でした。この頃はまだ駆除も、余り行われておらず、昨今より遥かに好条件でしたが、阿寒の鹿の低密度と地元ベテランの低能力、これらには甚だ驚きました。
80%が獲れなかった阿寒猟は翌年中止、しかし阿寒猟でHプロの名は一気に高まり、ガイド業は急に多忙となり、新たに空いた2号邸は1時期、Hプロの客で埋まり、ケンさんもガイドにしばしば駆出されました。
Hプロには4万円/日のガイド料が入るのに、阿寒も含め燃料代等自前+リスクこちら持ちなのですが、ケンさんの手当は全くのゼロ、手数料を引くのは当然ですが、酷いガイド料の搾取でした。
その後Hプロはやはりと言うか、各方面のやり過ぎから当然と言えますが、間もなく失脚しました。しかし根室猟は客だった人や、その友人達の口コミで、白崎2号邸には解禁時10チーム20人以上が集中し、押し入れまで使って宿泊する、異常混雑状態となりました。
その為にケンさんは1番弟子SMの紹介で、後述の様にヒグマ捕獲も視野に入れた紋別ベースを開講し、紋別で解禁猟を迎える様になりました。
根室は鹿が多い所ですが、解禁の頃は対象が地付きの鹿だけとなり、地元ホテルや旅館に泊まるハンターと2号邸のハンターを含め計50組以上が、狩猟をするので獲れない狩猟になりました。
そんな時に鹿がいるのは、幹線道路沿いの当局が待ち受けるヤバい所だけとなります。
当局待ち受け確率は10~20%ですが、獲れないハンターはそれを撃つので、繰り返せばパクられるのは時間の問題となります。
かなりの人数がパクられ、白崎会員からも週1で誰かがパクられました。
根室の取締まり体制は半端ではなく、警察2台、更に覆面と林務課の計4台がパクるつもりで、常時 狩猟地域を廻っているのです。
11.紋別ハンティングベース と ハンティングスクール。2002年。
根室異常ラッシュの中、Hプロの1番弟子SMに会いました。
彼の出身地の滝上はヒグマが多く、エゾ鹿もソコソコいて、良い猟場の条件が揃っておりました。

彼の紹介で廃屋の旧商店を10年間20万円で借りる事が出来ました。2001年、根室の解禁ラッシュを避ける為に紋別滝上ハンティングベースが開講されました。
そこはすでに1990年頃から周り数十㎞に渡り、誰も住んでいない超僻地であり、ヒグマとエゾ鹿の 生徒でした。SMが子供の頃には周辺に農家が100軒以上あり、学校も駅も診療所もありました。
狩猟をしてみるとエゾ鹿は思ったよりも多く、ハンターが少ない事が分かりました。
2002年、ケンさんはハンティングスクールを開講、スクールの合間にエゾ鹿猟を堪能し、やがてエゾ鹿の習性が分かる様になり、スクールはエゾ鹿が山から降り始める時期と繁殖時期が重なる10月25日頃~11月15日頃までの20日前後の開講でした。

平均実績が1日5回以上の出会いがあり、1日2頭以上の捕獲があり、その中に大物0.5頭が含まれ、出会い中の70%が3段角、20%が大物エゾ鹿、全体の80%が詐欺ガイドと言われる中で、抜群に好評、成果は北海道ダントツでした。また4日日程で3日の猟が出来る事も好評でした。
結果的にスクールは16年間行われ、71組調度100人の生徒達が351頭を捕獲しました。
角長80㎝以上の超大物捕獲成功生徒は5名、捕獲までに要した日数は22日でした。
怪物級を撃ち損じた人は多いのですが、捕獲成功した生徒は1人だけでした。
知らない内にケンさんのスクールは、北海道でダントツの成績を上げる事が出来る様になっていました。しかし全体としてのエゾ鹿猟は、かなり厳しい状況と言えました。
アマチュアガイドレスグループは概ね撃沈、ガイド付流し猟以外は全て撃沈、また民宿巻狩りも獲れた試しはなく、こんな所が平均値でした。
民宿巻狩りは、ガイドが捕獲した角や肉を分けて貰うだけ、或いはガイドの獲った鹿で記念撮影するだけでした。愛用のライフル銃は「写真撮影の小道具に過ぎない」状態でした。

写真のトロフィー級は全てガイドの捕獲、ケンさんの銃は写真用小道具ではなく、手前のバラ角数頭を捕獲しました。何時の日にか本当にトロフィー級を並べた写真を撮れる様になりたいと思っていました。

2006年には待望のヒグマも捕獲され、ケンさんもエゾ鹿猟を堪能出来、当初ベース開講の目的も達成され、翌2007年には更にヒグマ2頭の追加、以後は罠の駆除が始まり激減しました。
再び増加して来たのは2014年、この年2頭を捕獲、翌2015年にも1頭を追加しました。
ヒグマ猟はマグレとは言わせない合計6頭を達成出来ました。
ヒグマ猟には「迫力負け」&「恐怖負け」対策を要し、射撃技術では立ち止まらないヒグマはスナップショットやランニングショットが必要でした。
写真左下ヒグマは出会い頭の15m、愛銃は安全装置ONの未装填、空かさず装填と安全装置解除、スナップショット1発、ヒグマは1発でヨレヨレとなり、5mと行かない内に倒れ絶命しました。
この1連の動作を「怯まず遅滞なく出来た事」、及びそう言う事が出来る銃の取り扱い方法を、開拓出来た事を誇りに思います。
元々スクールの収支は、狩猟にガイド料を支払う習慣のない日本ではかなり苦しく、ケンさんの各種原稿料とエゾ鹿肉販売を併せて何とかでした。
2013年には最大の協力者であり、鹿肉買取り業者であったSMを癌で失い、2015年頃には雑誌社が全滅となり、スクールは存続のピンチとなりました。
更にハンティングベースの劣化が進み、居住に適さなくなり、2014年から民宿を使いましたが、2年で閉鎖され、更に高額な渓谷ホテルのロッジを使う様になり超大赤字となりました。
続けていて良かったと思える事もありました。怪物級大物2頭の捕獲があった事です。
2016年U生徒は怪物級85㎝を捕獲しました。


100mからの1発目は角ヒット、2発目は頭蓋骨ヒットでした。2発ともヘッドショットを狙ったのではなく、完全に連続マグレと言えましたが、85㎝怪物捕獲成功です。写真中の数字は全捕獲数1402頭中のNo.2或いは、No.10を言います。
翌2017年、今度のU生徒は射撃対策済、更に巨大な怪物88㎝に80mで出会え、見事スナップショットを決めました。
着弾は僅かにズレ即倒せず、森に走られ未回収かと思われましたが、翌日暇な時間に改めて捜索した所、森から50m奥に倒れており、回収に成功しました。
ケンさんは25年735日出猟して、1051頭の捕獲で最大が88㎝ですが、U生徒は4年11日目の19頭目で同じ快挙でした。
実はこの怪物、1週間前にK生徒の時も80mで出会いました。しかしK生徒は狙い込んでしまった為、動かれて発砲出来ず、次は120mで同様のチャンスでしたが、同様に発砲出来ずでした。
更に森に少し入った150mもチャンスと言えましたが、K生徒の体力では回収困難、発砲を中止させました。最初のチャンスで速やかに撃てば成功したのに、K生徒は誠に残念なチャンスを逃しました。
後刻この解析結果を説明した処、K生徒は憤慨、捨てゼリフで去って行きました。
プロハンター希望ながら、物事が分からない気の毒な生徒でした。
残念だった事は他の生徒にもあります。D生徒は2回も85~90㎝級怪物に射撃する機会がありましたが、泊力負けでナミビアポイントを撃つのを忘れ、心臓を撃った為2頭とも未回収となりました。
他の数名の生徒も貴重な怪物チャンスが得られましたが、迫力負けで撃てなかったり、撃っても失中でした。
U生徒は「何時の日にかリトルケンを超えたい」を目標としており、ケンさんの教えを忠実に実行しようとしており、88㎝の快挙となりました。「怪物との出会いを2度も作れた事」をガイドとして誇りに思います。
翌2018年、結果としてスクール最後の年になりました。流石に3年連続で怪物に出会う事は無かったのですが、U生徒の300m遠射と200mスイング射撃が共にヒット、即倒せずでしたが、両者とも捕獲成功しました。
ケンさんの教えが正しかった事の証明となり、こんなに嬉しい事はありません。
更に数年間のスクールがあれば、ヒグマの捕獲も成功させられたと思われますが、スクールは2019年、ケンさんの悪性リンパ腫発病で中止され、2018年が最後となりました。
2019年には警官2名を射殺した長野の青木が回収補助員として申し込んで来ましたが、関わらずに済んで良かったです。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
Posted by little-ken
at 07:02
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