2023年09月06日
鹿猟の思い出。
1.ボルネオ島の狩猟。1973年。
1970年、20才を待って散弾銃の狩猟を始めました。最初の年はキジバト1羽の捕獲に留まり落ちこぼれ寸前でしたが、夢は大物単独猟でした。、
1973年トヨタからヤマハに転職、ボルネオ島ジャングル駐在を拝命、木材を伐採し搬出する為のベースキャンプを作る仕事でした。ボルネオはマレーシア呼び、インドネシア呼びはカリマンタンです。
共にイスラム教でマレー語ですが、インドネシアの方がルーズで、アルコールもビールまではOKです。カリマンタンには野性動物がたくさんおり、狩猟を行わない手はありませんが、銃がありません。
マメジカやオオトカゲやヤマネコと現地ポリスから銃を借り、公認の夜撃ちをしていました。銃はナチスマークのモーゼル98K、7.9㎜モーゼルは強力過ぎ小物はバラバラになってしまいました。
22LRが欲しかったのですが入手不可でした。購入したのは非力なBSAのスプリング中折式4.5㎜空気銃でした。

キャンプで獲れた1.6m大トカゲと4.5㎜空気銃。 ボルネオ島現地助手とヤマネコと孔雀。
主な獲物はウサギの2倍程度のマメジカ、毎週末夜間狩猟に行きましたが、数回に1回しか獲れずでした。マメジカはウサギに近い味でした。
残念だったのはキャンプ近くに居付いた「サンバー鹿」の夜撃ちに行った時です。サンバーはエルク並300kg前後の超大型鹿ですが、2段角が特徴です。
距離10mで5秒以上の時間があったのですが、オープンサイトに慣れていなかった事もありますが、「迫力負け」で撃てずに終りました。今なら絶対に捕獲ですが、当時はまだまだ未熟でした。
2.本州鹿の巻狩り。1982年。
本州鹿巻狩りを始めました。野性鳥獣の「桁外れの5感」は理解していたつもりですが、結論から言えばまだ不十分で「殺気」を振り撒いており、ケンさんの射程内に現れた鹿は皆無でした。9年間も獲れず、方向音痴もあり「お前はハンターの資格がない」「諦めたら」と言われ続けました。
本州鹿巻狩りを始めて7年出撃50余日の時、20m先を走る小物鹿にスラグ弾射撃をする機会がありました。結果は全弾失中、古老リーダーの言っていた通り、肝が据わっていない虚しい連射でした。
鹿も猪も大物は「腕ではなく」引き寄せて「肝で撃つ」と言うのが古老リーダーの毎度の教えでした。1発だけ鳴った時、これは捕獲成功した時です。古老の銃は何時も鳴るのは1発だけでした。
そして1発鳴ってしばらくの後にもう1発鳴った時、これは止め矢に成功した時、3発が均等間隔で鳴った時、これは典型的なダメ元連射の失中と教わりました。取り敢えずは返す言葉がありません。
失中対策を色々考え、1つはオープンサイトの指向性がゼロである欠陥に気が付きましたが、更にもう1つはスラグ弾に依る移動標的の練習をしていなかった欠陥にも気が付きました。
その後は暇さえあれば動的のイメージトレーニングと素振りを繰り返し、もう一つはオープンサイトの欠陥対策として、スラグ弾からバックショット運用に切り替えました。
1984~1997

レミントン1100ディア―ガン 22インチ無チョーク20番スラグ専用銃。
スラグは動的に命中させ難い事が分かり、無チョーク銃身からバックショットをバラ撒きました。
よく当たりましたが被弾粒数不足でMax.数km走られ、実質5年間に本州鹿6頭と野ウサギ
10羽余を捕獲しました。
そして更に2年後の1990年、9年目70余日目の時、再び射撃の機会を得ました。走る3頭の小物鹿の群れが接近。20mで3連速射、次いですぐに2発込めて追加2連速射、合計5連速射でした。
自動銃の2発再装填はマスターすれば圧倒的短時間が可能でした。結果は即倒1頭、被弾2頭でした。被弾した1頭は隣の待ち場の射手が、もう1頭は勢子が猟犬と共に追掛けて決めました。
3連速射はカモ撃ちのケンさんには常用射撃でしたが、古老は初めて聞く速射、初めて3頭捕獲を見ました。古老には真似の出来ない射撃でした。肝も重要ですが、射撃技術も重要な事が分かり、古老は以来2度と「肝で撃つ」話をしなくなり、「資格がない」の言葉も消えました。
流れが大きく変わったのは1993年、12年目の出撃90余日目、最初の捕獲を分析し「禅の心」作戦を立案、次の4点全てを、鹿が来そうな1時間守れば、実戦5日以内に鹿は射程内まで必ず来ます。
鹿は桁違いの超能力であり、考えや行動が少しでも甘ければ、射程内まで来てくれる鹿は皆無です。巻狩りは射撃勝負ではなく、気配勝負なのです。射程内まで肝で寄せれば、スナップショットでイージー捕獲出来ます。
1.けもの道が多数ある視界の良い場所で、大きな木等を背に座ってじっと待機します。
更に肝心の1時間だけは呼吸も半分に控え、眼球を除き、仏像の様に微動もしない様にします。
2.撃ち獲ってやろうと言う殺気を持たない様に、何も考えず目を閉じ、禅の心の様に瞑想する。
3.見張りは全くする必要はありません。鹿が来れば目を瞑っていても自然に分かります。
4.鹿が来ても銃を引寄せず、銃は膝の上等に置き、肝で寄せ、射撃はスナップショットです。
禅の心で完璧に動かなければ、鹿の眼は横に付いており、彼らの超能力でも絶対に待ち場の射手を判別出来ません。その為には鹿が来そうな肝腎の1時間だけは、GPSや無線の運用中止し僅かな微動も控えます。
GPS上ではまだ遠くても、鹿と猟犬はしばしば数㎞も離れており、気配漏れは近くにいる超能力の鹿には立ち所にバレます。彼らはそれで生き延びているのです。
一方で自らの気配が低下していれば、見張りはしなくても、隠密接近中の鹿の行動は、手に取る様に自然に分かります。そして充分に引付け、スナップショットで撃ち獲ります。
鹿が気配を少し感じていればその瞬間に猛烈ダッシュしますが、気配を完全に制しておれば、鹿はその瞬間にフリーズ、ダブルも楽勝可能です。
射撃すると、発射音に続きボルト等の複数のメカ音が「ドガシャッ」としながら空薬莢がゆっくり飛んで行き、その頃「ボコボコッ」とバックショット複数弾着音がします。
各射入口周辺の毛が立ち、それが波の伝搬状に広がって行き、それらが重なり合いながら直径30㎝程でゆっくり消えて行きます。そしてその頃、鹿が超スローモーションで倒れて行きます。
心が平静で頭が冴えている時、想定通りの動きで、且つタイミングが合えば、事象は超スローで良く見えます。想定通りでない時は早送りになります。
その想定は仮説で作ります。単弾用ディアーガンはこうしてショットガンとして成果を上げる事が出来、その後も毎回ヒットし、成果は増えましたが、気に 入らないのは無チョーク故に被弾粒数不足で即倒率が低い事でした。
「禅の心」作戦は12年目のトロフィー級初捕獲に続き、これを含めて3週連続で3段角を捕獲しました。後刻何処まで引き寄せられるか試した所、鹿は僅か2mまで寄せられ、「禅の心」作戦は完璧でした。そしてこの3週連続を以って、鹿猟の主体を本州鹿の巻狩りからエゾ鹿猟に切り替えました。



1週目 2週目 3週目
3.バックショット専用銃。1997年。
エゾ鹿猟メインとしましたが、まだ本州鹿巻狩りを完全に卒業したのではなく、即倒率100%を目指し、12番リブバレルのバックショット専用銃を作る事にしました。
以前のスラグ専用銃のバックショット運用結果は、半矢製造銃であり、ヒットは成果と認められましたが、即倒させなければ面白くありません。
1997~2008

レミントン11-87 21インチのターキーチョーク。
12番バックショット専用で出来るだけ短くと素速くを追求、グリップとチークピースは調整しました。
素速い照準にはリブ銃身、前作無チョークの反省からフルチョーク6粒弾とし、本銃では実質4年
運用で本州鹿20頭を捕獲の成果をあげました。特筆は20戦全勝であり失中&半矢未回収が
ゼロだった事です。
ベースはレミントン11-87、21㌅リブバレル交換式インナーチョーク、グリップとチークピースに少し手を加えました。使用弾は今なら4号バックショット27粒粒弾とチョークはスキート用となりますが、当時は27粒弾が入手出来ず、それで6粒弾とフルよりもう少し絞ったターキーチョークを使いました。
目的はショットガン効果の3粒被弾撃墜ではなく、単弾急所狙いの、照準ブレを6粒パターンでカバーすると言う作戦で、6粒中の1粒を急所ヒットさせ様としました。
結果は予想通りとなり、1997年から実質4年間に18チャンス、ダブル2回があり、捕獲は20頭でした。特筆は失中又は未回収がゼロでした。
これで「本州鹿巻狩りを極めた」とし、2000年に卒業しました。
1970年、20才を待って散弾銃の狩猟を始めました。最初の年はキジバト1羽の捕獲に留まり落ちこぼれ寸前でしたが、夢は大物単独猟でした。、
1973年トヨタからヤマハに転職、ボルネオ島ジャングル駐在を拝命、木材を伐採し搬出する為のベースキャンプを作る仕事でした。ボルネオはマレーシア呼び、インドネシア呼びはカリマンタンです。
共にイスラム教でマレー語ですが、インドネシアの方がルーズで、アルコールもビールまではOKです。カリマンタンには野性動物がたくさんおり、狩猟を行わない手はありませんが、銃がありません。
マメジカやオオトカゲやヤマネコと現地ポリスから銃を借り、公認の夜撃ちをしていました。銃はナチスマークのモーゼル98K、7.9㎜モーゼルは強力過ぎ小物はバラバラになってしまいました。
22LRが欲しかったのですが入手不可でした。購入したのは非力なBSAのスプリング中折式4.5㎜空気銃でした。


キャンプで獲れた1.6m大トカゲと4.5㎜空気銃。 ボルネオ島現地助手とヤマネコと孔雀。
主な獲物はウサギの2倍程度のマメジカ、毎週末夜間狩猟に行きましたが、数回に1回しか獲れずでした。マメジカはウサギに近い味でした。
残念だったのはキャンプ近くに居付いた「サンバー鹿」の夜撃ちに行った時です。サンバーはエルク並300kg前後の超大型鹿ですが、2段角が特徴です。
距離10mで5秒以上の時間があったのですが、オープンサイトに慣れていなかった事もありますが、「迫力負け」で撃てずに終りました。今なら絶対に捕獲ですが、当時はまだまだ未熟でした。
2.本州鹿の巻狩り。1982年。
本州鹿巻狩りを始めました。野性鳥獣の「桁外れの5感」は理解していたつもりですが、結論から言えばまだ不十分で「殺気」を振り撒いており、ケンさんの射程内に現れた鹿は皆無でした。9年間も獲れず、方向音痴もあり「お前はハンターの資格がない」「諦めたら」と言われ続けました。
本州鹿巻狩りを始めて7年出撃50余日の時、20m先を走る小物鹿にスラグ弾射撃をする機会がありました。結果は全弾失中、古老リーダーの言っていた通り、肝が据わっていない虚しい連射でした。
鹿も猪も大物は「腕ではなく」引き寄せて「肝で撃つ」と言うのが古老リーダーの毎度の教えでした。1発だけ鳴った時、これは捕獲成功した時です。古老の銃は何時も鳴るのは1発だけでした。
そして1発鳴ってしばらくの後にもう1発鳴った時、これは止め矢に成功した時、3発が均等間隔で鳴った時、これは典型的なダメ元連射の失中と教わりました。取り敢えずは返す言葉がありません。
失中対策を色々考え、1つはオープンサイトの指向性がゼロである欠陥に気が付きましたが、更にもう1つはスラグ弾に依る移動標的の練習をしていなかった欠陥にも気が付きました。
その後は暇さえあれば動的のイメージトレーニングと素振りを繰り返し、もう一つはオープンサイトの欠陥対策として、スラグ弾からバックショット運用に切り替えました。
1984~1997

レミントン1100ディア―ガン 22インチ無チョーク20番スラグ専用銃。
スラグは動的に命中させ難い事が分かり、無チョーク銃身からバックショットをバラ撒きました。
よく当たりましたが被弾粒数不足でMax.数km走られ、実質5年間に本州鹿6頭と野ウサギ
10羽余を捕獲しました。
そして更に2年後の1990年、9年目70余日目の時、再び射撃の機会を得ました。走る3頭の小物鹿の群れが接近。20mで3連速射、次いですぐに2発込めて追加2連速射、合計5連速射でした。
自動銃の2発再装填はマスターすれば圧倒的短時間が可能でした。結果は即倒1頭、被弾2頭でした。被弾した1頭は隣の待ち場の射手が、もう1頭は勢子が猟犬と共に追掛けて決めました。
3連速射はカモ撃ちのケンさんには常用射撃でしたが、古老は初めて聞く速射、初めて3頭捕獲を見ました。古老には真似の出来ない射撃でした。肝も重要ですが、射撃技術も重要な事が分かり、古老は以来2度と「肝で撃つ」話をしなくなり、「資格がない」の言葉も消えました。
流れが大きく変わったのは1993年、12年目の出撃90余日目、最初の捕獲を分析し「禅の心」作戦を立案、次の4点全てを、鹿が来そうな1時間守れば、実戦5日以内に鹿は射程内まで必ず来ます。
鹿は桁違いの超能力であり、考えや行動が少しでも甘ければ、射程内まで来てくれる鹿は皆無です。巻狩りは射撃勝負ではなく、気配勝負なのです。射程内まで肝で寄せれば、スナップショットでイージー捕獲出来ます。
1.けもの道が多数ある視界の良い場所で、大きな木等を背に座ってじっと待機します。
更に肝心の1時間だけは呼吸も半分に控え、眼球を除き、仏像の様に微動もしない様にします。
2.撃ち獲ってやろうと言う殺気を持たない様に、何も考えず目を閉じ、禅の心の様に瞑想する。
3.見張りは全くする必要はありません。鹿が来れば目を瞑っていても自然に分かります。
4.鹿が来ても銃を引寄せず、銃は膝の上等に置き、肝で寄せ、射撃はスナップショットです。
禅の心で完璧に動かなければ、鹿の眼は横に付いており、彼らの超能力でも絶対に待ち場の射手を判別出来ません。その為には鹿が来そうな肝腎の1時間だけは、GPSや無線の運用中止し僅かな微動も控えます。
GPS上ではまだ遠くても、鹿と猟犬はしばしば数㎞も離れており、気配漏れは近くにいる超能力の鹿には立ち所にバレます。彼らはそれで生き延びているのです。
一方で自らの気配が低下していれば、見張りはしなくても、隠密接近中の鹿の行動は、手に取る様に自然に分かります。そして充分に引付け、スナップショットで撃ち獲ります。
鹿が気配を少し感じていればその瞬間に猛烈ダッシュしますが、気配を完全に制しておれば、鹿はその瞬間にフリーズ、ダブルも楽勝可能です。
射撃すると、発射音に続きボルト等の複数のメカ音が「ドガシャッ」としながら空薬莢がゆっくり飛んで行き、その頃「ボコボコッ」とバックショット複数弾着音がします。
各射入口周辺の毛が立ち、それが波の伝搬状に広がって行き、それらが重なり合いながら直径30㎝程でゆっくり消えて行きます。そしてその頃、鹿が超スローモーションで倒れて行きます。
心が平静で頭が冴えている時、想定通りの動きで、且つタイミングが合えば、事象は超スローで良く見えます。想定通りでない時は早送りになります。
その想定は仮説で作ります。単弾用ディアーガンはこうしてショットガンとして成果を上げる事が出来、その後も毎回ヒットし、成果は増えましたが、気に 入らないのは無チョーク故に被弾粒数不足で即倒率が低い事でした。
「禅の心」作戦は12年目のトロフィー級初捕獲に続き、これを含めて3週連続で3段角を捕獲しました。後刻何処まで引き寄せられるか試した所、鹿は僅か2mまで寄せられ、「禅の心」作戦は完璧でした。そしてこの3週連続を以って、鹿猟の主体を本州鹿の巻狩りからエゾ鹿猟に切り替えました。


1週目 2週目 3週目
3.バックショット専用銃。1997年。
エゾ鹿猟メインとしましたが、まだ本州鹿巻狩りを完全に卒業したのではなく、即倒率100%を目指し、12番リブバレルのバックショット専用銃を作る事にしました。
以前のスラグ専用銃のバックショット運用結果は、半矢製造銃であり、ヒットは成果と認められましたが、即倒させなければ面白くありません。
1997~2008

レミントン11-87 21インチのターキーチョーク。
12番バックショット専用で出来るだけ短くと素速くを追求、グリップとチークピースは調整しました。
素速い照準にはリブ銃身、前作無チョークの反省からフルチョーク6粒弾とし、本銃では実質4年
運用で本州鹿20頭を捕獲の成果をあげました。特筆は20戦全勝であり失中&半矢未回収が
ゼロだった事です。
ベースはレミントン11-87、21㌅リブバレル交換式インナーチョーク、グリップとチークピースに少し手を加えました。使用弾は今なら4号バックショット27粒粒弾とチョークはスキート用となりますが、当時は27粒弾が入手出来ず、それで6粒弾とフルよりもう少し絞ったターキーチョークを使いました。
目的はショットガン効果の3粒被弾撃墜ではなく、単弾急所狙いの、照準ブレを6粒パターンでカバーすると言う作戦で、6粒中の1粒を急所ヒットさせ様としました。
結果は予想通りとなり、1997年から実質4年間に18チャンス、ダブル2回があり、捕獲は20頭でした。特筆は失中又は未回収がゼロでした。
これで「本州鹿巻狩りを極めた」とし、2000年に卒業しました。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
Posted by little-ken
at 17:12
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