2022年02月20日

エゾ鹿猟成功までの道程。

  本州猟。
ケンさんは生まれも育ちも愛知県です。家の周辺にも狩猟対象がたくさんいました。
開拓農家の末裔で、20歳頃までは家の周りから360度散弾銃が撃てました。中でもカモ類は多く、家から20分も行けば猟場、毎朝出勤前に定数を捕獲、夕方売りに出掛け、副収入としていました。

鳥類は豊富で、キジバトもたくさんおり、神奈川の友人はシーズンに2~3回、カモとハトを撃ちに遠征して来ました。カモはマガモが少ないとは言え、狩猟読本に載っている全てのカモが生息し、その他、 キジ、タシギ、バン、ゴイサギ、等々がおり、マガモとキジが特別枠でした。カモ猟は解禁の数日間 だけと思われていますが、カモの渡りは狩猟シーズン中ずっと続き、新しいカモが到着します。

当時は狩猟と言えば、キジ猟を指し、コジュケイとヤマドリも類似の方法で狩猟可能でした。
カモ猟は解禁の数日だけ、他の鳥類もは居れば撃つ程度でした。1970年頃のコジュケイはキジよりも遥かに多かったのですが、1980年頃になりますと少なくなり、やがて殆ど見掛ける事は無くなりました。

獣類と言えば、もっぱらイノシシであり、こちらは殆ど参加した事は無く、捕獲もありません。愛知の本州鹿猟は1990年以降なってから、1983年から7年間は三重県まで遠征、毎週土日25日民宿泊でフル出撃しても、1頭獲れるかどうかと言う捕獲率であり、高速代や宿泊代でコストも大変でした。

銃猟を始めたのは1970年から、当初から大物獣猟をやりたかったのですが、当時のイノシシは月給2万円少々の時に1頭が約10万円、「お前は自便のミスでこれを取り逃がした時に責任が取れるのか」と脅されて断念し、実際に始めたのは12年後の1982年から三重県で本州鹿の巻き狩りを行い、最初の目捕獲までに9年、方向音痴も含め「お前は猟をする資格が無い」とまで言われていました。

  エゾ鹿猟。
1980年になりますと、国内の飛行機路線が増え、北海道のエゾ鹿猟の第1次ブームが始まりました。ケンさんも行きたかったのですが、当時はまだエゾ鹿も少なく、月給10万円未満の時代にガイドの 日当の2万円/日も高額ですが、3段角の成獣を仕留めた場合、ボーナスが10万円と言われ、高額な飛行機代と共にこれにビビッて見送る事になりました。

1990年になり、北海道行のフェリーが充実し、自前マイカーでガイドレスの流し猟が流行り、エゾ鹿猟は第2次のブームとなりました。ケンさんがエゾ鹿猟を始めたのもこの頃の1993年からでした。
飛行機代は多少安くなりましたが、月給20万円時代に往復で8万円でした。
ガイド代不要な釧路近くの白糠民宿巻狩りから始めましたが、遠廻りでした。

3シーズンで合計21日の実戦を行い、エゾ鹿猟巻狩り本番の捕獲はゼロに終わりましたが、踏み出し等では後述の岩手五葉山と違い、多少の捕獲があり、3シーズンで3頭の捕獲でした。

その頃には愛知の本州鹿巻狩りで「禅の心作戦」が完成していた頃にも拘わらず、猟犬を使わない巻き狩りは、岩手五葉山63日と北海道白糠21日の計84日で捕獲ゼロ、それはケンさんだけのゼロ ではなく、10数名の参加者全員が捕獲ゼロ、それで巻き狩りは獲れないと判断しました。

そして同じ白糠ですが、どうせ捕獲ゼロに近いなら、当初から希望だった単独流し猟を始めました。
巷の流し猟は後述の様に決して甘い物ではなかったのです、ケンさんの場合は良く獲れ、捕獲は毎日1頭強でした。

しかし白糠民宿同泊の流し猟3組は全滅、翌年もケンさんは毎日1頭でしたが、同泊の昨年とは別の流し猟3組は全滅でした。同じ頃、ケンさんの地元からも数台が、7日前後の日程で3シーズン遠征しましたが全滅。流し猟は巻き狩りと同様に予想外の高難度でした。

今は牧草地を流しますが、当時の流し猟はもっぱら林道、エゾ鹿は道端に出没する事もありますが、殆どは森の中の木の陰に隠れていました。木の陰の鹿はケンさんにもまだかなり難しく、朝1番はまだ誰も踏み込んでいない短い行止り林道をもっぱら狙い、道端に居るのを捕獲していました。

これは林道の構成が解っていなければ出来ない猟法であり、出会える技量を持った人が不在では連日ゼロが当たり前でした。エゾ鹿はこの様に道端にたくさん居ると言うのは嘘ではないのですが、何時でも何処でもゴロゴロ居ると言う事は無く、かなり高度な出会い技術が必要でした。ケンさんにはカモ猟のポイント猟から、何時の間にかその技術が芽生えていたのでした。

地元愛知からの遠征組全滅は、やがて誰もが知る処となり、エゾ鹿猟に行きたい人はまだたくさんいたのですが、以後は新米有志だけのグループ出撃は見送られ、捕獲した経験のある人に連れて 行ってもらう依頼が集中しました。

所が日頃何頭獲ったと大きく吹いている、捕獲経験?豊富な先輩達の本当の実力は、そのグループの末端に入れて貰えた程度で、そんな技量も余裕も権限も、全く持ち合わせていない人ばかりでした。中には単独流し猟で成功している人もおり、ケンさんもその1人だったのですが、遠征費用が半減するなら乗せてやっても良いと思う人も多く、友人を連れて行きました。

所が費用の半分を払ったのだから、総捕獲数の半分を要求、本当は未熟が故に獲れなかったのですが、チャンスの60~70%まで拡大して譲っても捕獲ゼロ、プンプンで帰りました。
そんなぺアが翌年も続く筈がなく、本当に捕獲成功した人は僅かなのですが、そんな獲れなかった人達も地元に帰れば、自らが多数捕獲?した様なホラを吹きまくりました。

これが巷のエゾ鹿猟の正体でした。本当の所は誰もが薄々気が付いているのですが、並の腕では行っても恥を搔くだけと言う事もあって、新たな同行以来の名乗りを上げる人達も無くなりました。
こうしてエゾ鹿猟のブームは去りましたが、捕獲成功した人は甚だ僅かでした。

  ケンさんのスクール。
ケンさんのスクールはその頃始まり、2002年から以後16年間に愛知周辺からは9名、合計63日を出猟、合計56頭を捕獲、1日平均0.9頭の捕獲でした。
エゾ鹿猟成功までの道程。
スクール中場の頃、5年間の平均を算出、実績をスクールの名称の5205にしました。1日5.3回の出会いがあり、2.1頭の捕獲があり、出会いの無い日は無く、出撃不能の日もなく、捕獲の中には大物0.5頭が含まれると言う、今まからすれば夢の様な数値が平均内容でした。

別の数値では出会いの70%が3段角の成獣オス、20%が大物、5%がビッグトロフィー級です。
大物とは角長70㎝オーバー、ビッグトロフィーとは角長80㎝オーバーの超大物です。
捕獲ゼロは16年間を通して1人もありません。

エゾ鹿猟はハンターの憧れの象徴である、大きな角を持った鹿が、上手くやれば本州鹿の比ではない程たくさん獲れますから、憧れの狩猟その物と言えます。
しかしそれに真面に応じられたのは、ケンさんのスクールを始めとする僅かなガイドのみでした。

多くはその憧れに付け込んだ、悪徳詐欺ビジネスだったのも事実です。巷のガイドは捕獲状況を発表 しておりませんが、可能性は過半以上が捕獲ゼロです。ガイド猟で古くは阿寒で15組中11組が捕獲ゼロ、三重県W生徒は釧路3日ガイド猟で3年連続捕獲ゼロ、これらも決して稀な事ではありません。

一方ケンさんのスクールでは平均2.3頭/日を獲らせ、その中に0.5頭の大物が含まれました。
最高捕獲は5日猟で19頭、類似記録もメジロ押し、捕獲ゼロはスクール16年間を通してゼロでした。

しかし民宿巻狩りでは、ケンさんの知る実戦84日間中で参加メンバー10数名中、誰1人捕獲出来ませんでした。しかし勢子は毎日2~3頭を捕獲し客に分配、捕獲した角は販売、これが民宿巻狩りの現状でした。これらは実際の出猟記録の集計ですから、どちらも事実でした。

ガイド猟で唯一捕獲データ公表していたのは西興部猟区、それによれば大物の期待は薄く、獲れるのは小物又はメスに限られ、そして20%が手ブラでした。
初心者の場合のデータはありませんが、推定では過半が手ブラになると思われます。

  エゾ鹿猟は詐欺とホラの塊。
そう言う事実から、全てのエゾ鹿猟を通して、成功組は甚だ僅かなのですが、どの猟の失敗組も自分の分け前を自らが捕獲した様な善戦ぶりをホラ吹きます。

ガイド猟組や民宿巻狩り組や自前遠征組の各々が真実を知らないまま、取り繕い的な言い訳を吹き、エゾ鹿猟とは詐欺とホラの塊でした。しかし繰り返しますが、本当のエゾ鹿猟は、リトルケンを本気で熱くさせた本物の狩猟でした。

参加した人達は誰もがエゾ鹿猟を各々の立場から熱く語りますが、誰も本当のエゾ鹿猟を知らないと言えました。エゾ鹿は撃たれ強く、308等は弱過ぎ、マグナム口径が必要と言うのもそんな1つでした。

真実は初弾が地に足が着かない射撃で失中、その後に撃った追加ダメ元射撃数発だったのでしょう。或いは発砲準備にモタ付き動かれ、走るエゾ鹿にダメ元射撃を数発加えたに過ぎませんが、エゾ鹿は撃っても撃っても倒れ無かったと語ります。

誰もランニング射撃技術を持っていませんから、倒れないのは当然の結果と言えます。
エゾ鹿猟に於いて、出会えないのは出会いの為のノウハウ不足であり、発砲が間に合わないのは 発砲準備の練習不足であり、足が地に着かない射撃と言うのは、単に場数不足だけに過ぎません。

  本当のエゾ鹿猟。
全ては出会い数が多ければ自然に解決しました。スクールでも至らない射撃や見送りが10回程続くのは普通ですが、出会い数が平均5回強/日あり、それは概ね2日間で卒業出来るのが特徴です。
圧倒的な出会い数が短期習得を可能にしているのです。

その後に迫力負けしない程度の適当サイズのエゾ鹿に、近距離で出会える様に、なるべくそれを心掛けますが、その結果として捕獲第1号が記録される、これがエゾ鹿猟初参加者の平均値です。

多くが3日以上の参加ですから、その後には多少なら大きくても、また遠くても捕獲出来る様になり、以後その範囲は順調に伸び、通算5~6日目に大物と通算5頭目の捕獲に成功し、平均的な技量に達します。それは多くの場合、2シーズン目となりますが、6日猟を行えば1年目にそうなれます。

そんな平均値から、初回3日猟参加でも2頭を捕獲し、1頭は小物ですが、2頭目は3段角のオス成獣となるのが平均値です。初回から大成功はあり得ず、至らなさやブザマな体験も必要な経験となり、真のスタートラインに並ぶには、何だかんだの最低10回の失敗体験が必要なのです。

この至れなかった10回の経験をどの様にして積み上げるかが、成功への道程となります。
民宿巻き狩りでも自前ガイドレス流し猟でも、この10回があれば、どの猟でもかなりマシな結果になると思われ、この10回が無ければ、真面なスタートラインに付けないのが現状です。

そして更に経験を積み、スクールなら5~6日目、巷の猟ならその数倍、とにかく捕獲累計が5頭になった頃、出会い総数は20~30回になると思いますが、その頃には本当のエゾ鹿猟をやっと少し語れる様になります。

経験や技術が無ければ、獲れないのが当たり前、そんな未熟なハンターがシーズンに数日の出撃で、しかも出会い効率の悪い猟法なのですから、上手く行かないのが当たり前と言えます。
腕の良いガイド猟又はかつてのリトルケンのスクールで3日以上の実戦経験を積むか、西興部猟区で2日猟を3回以上通わなくては、その初期スタートラインに並べる条件を満たす事は出来ません。

捕獲成功にはもう1つの初期条件があります。
それはエゾ鹿が100m前後にいますから、射撃技術は100mで15㎝にヒットの技術が不可欠です。早い照準でこれを達成させるには、射撃場のベスト記録で言えば150mで5発が5㎝となります。

  現在の技術習得法。
射撃技術の習得も、その技術をすでに習得しているコーチに付かなければ難しいと言えます。
やみくもに射撃場通いを多くすれば身に付く物ではありません。
ただこれはスタートラインに付いた時の必要技術であり、至らなさやブザマな体験の積み重ねと並行して進めた方が良い効率だと思います。

至らなさやブザマの体験は本州猟では全く経験出来ず、エゾ鹿猟の実戦からし習得出来ません。
スタートラインに付く為には一般的な西興部の実戦2日コースを例に挙げれば、出会いは朝夕1回ずつしか得られませんから、実戦6日の下積みが必要になりますが、内2日は事前体験コースと言う勉強会があり、それでも代用可能です。

こうした3段角捕獲までの全ての内容を、初回初参加の3日猟で至れる様にするのが、「リトルケンのスクール」、参加料は6万円/日でした。もちろん事前教育が不可欠であり、多くはメールで行いますが、回数制限無しはなく、必要時愛知の総合射撃場で実技指導を行い、スクールの生徒は無料でした。

これらの事前講習努力と生徒本人の事前努力の複合結果から、スクールでは16年間奇跡的に捕獲ゼロを1人も出さずに済みました。少し高い様に思えますが、コスパは最高だったと思っております。
実際収支的にはスクールは当初から赤字覚悟でした。

  特別生徒
且つてハンティングスクールに全額前金で申し込んだ生徒には、指導回数制限はなく、射撃場の実射指導も無料でした。現在スクールは終了し、実射指導コースはなく、狩猟大全集読者には、事前講習をリトルケンの自宅にある、資料館にて無料で行っています。

リトルケンへの問合せ料金は狩猟大全集購入読者には3回まで無料、ブログ読者への対応は簡易版の2回まで、それ以降はA4の1枚が1万円の有料です。

参考までに通常のリトルケンへの原稿依頼料はA4の1枚が2万円、写真1枚が1万円となりますが、高齢ながら「不可能に挑戦しよう」としている、2名の大全集読者だけ、回数制限なしの指導をしています。1名はショットガン初所持者であり、もう1名は旧技能講習生き残りのライフルハンターですが、発砲時に目を瞑ってしまう、ヘビーフリンチングのライフルハンターです。

またかつてのスクールの生徒の中でも、3名だけは現在も特別指導を続けています。
1番目は沖縄のR生徒、我が愛車だったランクル76のオーナーです。
何時かはリトルケンの様になりたい、何時かはリトルケンを超えたいと、単独猟で頑張っています。
装備は全てリトルケン仕様に拘り、「不可能への挑戦」にチャレンジしており、ケンさんも応援しています。

2番目は熊本のH生徒、彼も我が愛車だったランクル100のオーナー、ランクル40のオーナーでも あります。現在は元R生徒の愛銃だったサベージ212を愛用しています。

スクール終了後は、占冠村猟区や、西興部猟区で武者修行中です。
恐らくエゾ鹿ガイドの日本1は誰なのかを、遠くない将来に証明してくれると思います。

3番目は僅か5シーズンの参加ながら、何と奇跡的にモンスター級の85㎝と88㎝を捕獲した山口のU生徒です。先頃まではレミントン870で参戦、今はレミントン700で苦戦中、単なる強運の持ち主と言うだけではなく、すでにビッグトロフィー級(超大物)との迫力負けを完全克服し、モンスター級との出会いはケンさんのノウハウのお陰ですが、これを2回共ミスらなかったのはU生徒の実力と言えます。
エゾ鹿猟成功までの道程。エゾ鹿猟成功までの道程。
リトルケンの射撃技術はスナップショット、150mアバウト早撃ち、300m遠射、150mランニングショット、超大物迫力負け、ヒグマ戦の恐怖負け等々ですが、U生徒はこれらが部分的には成功が見え始め、近未来にはリトルケンの技術を継承してくれそうな生徒です。

今までランニング射撃のスイングショットは、やり方を2006年以来公開しても、誰も出来ないと表現して来ましたが、2018年の最後のスクールのU生徒は150mランニング射撃と300m遠射の2項とも、即倒には至らずでしたが、捕獲には一応成功しており、近未来には全てのリトルケンの射撃技術の全てを継承してくれそうな、非常に頼もしい生徒です。

また将来は銃砲店を開業する野望を持っており、ライフルやショットガンのリトルケンスペシャル仕様を始めとする、各種用品を彼のプロショップから購入出来る様になるかも知れません。

彼はメカニックであり、名ハンターであり、ダメな銃の代表である「レミントン870」、スライド切替式 「ベネリM3」、スムースボアライフル「410番」、酷評「レミントン700の308」等々を経験しており、現在物色中はサコー75バーミンター、近未来日本で1番頼れる、銃の相談相手になってくれる事でしょう。






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Posted by little-ken  at 11:04 │ハンティング