2021年02月19日

少年の夢

  少年の夢
ケンさんが少年の頃に思っていた夢が4件ありました。
 1.車の運転免許を取得し、ジープを入手し、世界1周アドベンチャードライブをする
少年の頃にはまだマイカー所有は高根の花でしたが、意外に早く手が届く日が来ました。

我家初のマイカーのダイハツのハイゼットバンが来たのが1967年、17歳の時でした。早速軽自動車運転免許を取得しましたが、殆んど頭の中のシミュレーションだけで取得しました。当時軽自動車は360㏄、今の軽の650㏄よりも排気量比例の小さい車で、運転席に乗り込むと身長180㎝のケンさんはハンドルが足に当たって困りました。

当時にATはなく、半クラに成功して発進出来る確率は60%前後の時に受験、幸い平地発進は成功しましたが、坂路発進は3度連続で失敗、4度目にやっと動き出しました。しかし結果はギリチョン1発合格でした。

18歳の普通免許も同様に受験しましたが、S字カーブで脱輪、しかしこちらもギリチョン1発合格出来ました。早々に有り金を叩いて17万円の中古ジープを購入、月給2万円、新車のパブリカ700が40万円の頃でした。ジープの燃費が6㎞/リットルと余りに悪く、ツーリング用にはベレット1800ディーゼルを25万円で購入しました。
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 写真はマツダR360クーペ、これでも4人乗りです。しかしセスナ150同じ位窮屈でした。
 ジープも当時は大きく見えましたが、今のジムニーより小さくなかったですが、軽かったです。


20歳の時、手始めにオーストラリア大陸砂漠コースの横断を計画しましたが、検討しますと全費用は当時の収入では手がまるで届かない事が分かり保留としました。
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しかし、35年後4WDのレンタルキャンピングカーで実行されました。秘境旅行は世界1周には程遠い物の50年後に海外レンタカー累計距離は10万㎞となり一段落しています。

 2.飛行機の操縦免許を取得し、戦闘機のアクロ飛行をする
これもお金と暇が掛かり、永らくの保留でしたが、2002年に行動再開、特別に戦闘機型の練習機でライセンスを取得、複葉機、WW2のプロペラ戦闘機、ジェット戦闘機、無動力のグライダー等々のアクロ操縦が出来ました。

思い出に残っているのは、第1次大戦直後のクラシック機タイガーモスの完成度の高さ、翼端が地面スレスレの垂直旋回も良い操縦特性で安心だった事、テキサンはプロペラ斜め後流の為にクセが強いのですが、思っていたよりも良好なバランスだった事でした。
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またジェットのアルバトロスは与圧キャビンの為に垂直降下も快適だった事、上昇気流を捉まえた時のグライダーの上昇力が素晴らしかった事も思い出です。アクロ飛行には最大6Gが掛かり、圧迫骨折でもしたら笑われますので、2012年62歳時のグライダーアクロを以って卒業しました。

 3.自作ヨットで世界1周をする
1962年、堀江健一氏は自作ヨットで太平洋横断をやり遂げました。彼に出来たのであればケンさんにも出来ない事はない筈だと思い、まずはカヌーを自作し、海に漕ぎ出しました。

しかし船酔いにめっぽう弱い事が判明、慣れで克服出来ると信じ3年間暇さえあれば海に出ましたが、改善が全く見られずケンさんの計画としましては珍しく中断としました。自作カヌーのその後は狩猟道具になり、最後はアウトドアショップの看板になりました。

換わって少し遅れて登場したのがビッグフィッシングでした。こちらも船酔いとの戦いでしたが、酔止めを前夜からの服用と食事&睡眠時間を調整して、当日朝の快眠快便に心掛けた所、半日強なら耐えられる事を発見しました。
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お陰様で2.5mカジキや1.5mのヒラマサ、1.3mのイシナギやマグロ等、遠くはアマゾン川やナミビアまで遠征、21種類のビッグフィッシングを達成、チャレンジは低空飛行ながら現在も継続中です。

 4.銃の所持免許を取得し、世界中の大物と勝負をする
年齢が18歳に達するのを待って空気銃を取得、20歳を待って散弾銃を取得、夢はライフル銃を使う世界の大物勝負ですが、今回はこの周辺を少し詳しく紹介したいと思います。

まずは日本の大物猟と言えば北海道のエゾ鹿猟ですが、当時は航空機代が余りに高額で出遅れ、40才時にライフル銃を取得し、1993年の43才からエゾ鹿猟が始まりました。2009年59才時にやっと念願だったアフリカ猟に行けました。

少年の頃に憧れたのは西部劇でお馴染みのウィンチェスター1873、14連発は魅力ですが、黒色火薬の44-40の拳銃弾は688ft-lbfと低威力でした。無煙火薬ライフルモデルの1894ですと30-30弾は1907ft-lbfの7連発でした。これに憧れる人は多かったらしく、1時期は日本にも多数が輸入されました。
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戦争映画で見たM1カービン、30カービン弾の15又は30連発は大きな魅力でしたが、967ft-lbfと低威力、これにも憧れていたのですが、1980年頃ハワイで実射した処、命中率が余りに低くガッカリ、見送りました。

30カービン弾はフルチョークから撃つ1号バックショットのパターンテストの様に50mで50cm角の的紙全体に散らばっていました。また国産のホーワカービン300も同様でした。
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これに対し、圧倒的に高命中率だったのはSKSカービン、30-39弾の1607ft-lbfでしたが、カッコ良くないのでパス、同じ30-39弾のルガーミニ14は当時販売されていなく、30-39弾は見送りました。

ここまでは憧れでしたが、実際に50年間の狩猟を卒業した後の銃評価は大幅に変わり、後述に出て来ます。

  実戦狩猟の真実
 1.散弾銃の連射:散弾銃は反動を上手く受け流しながら、銃の跳ね上がりを抑え込む様に工夫しますと、自動銃は秒速3発の高速連射が可能になり、ケンさんも実用化し、カモ猟では大活躍しました。
少年の夢写真はSKB1900
射撃の反動と銃の跳ね上がりをコントロールすれば、目標を見失う事はなく、予め立てたストーリーの高速連射は別個の目標でも的確に捉えられました。
またショットガンは3粒以上の被弾があれば1粒のエネルギーに余り関係なく撃墜出来ると言う物で、低反動の低速小粒散弾の大きくリードを取った高速連射が非常に効果的でした。
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おかげ様でカモ類5000羽以上、ハト類も5000羽以上、海外では日本で不可能な大型鳥類や大量捕獲が堪能出来ました。

 2.ライフル銃の連射:連射を掛けると言う事は、走っている獲物を狙う事と殆んど同意語ですが、リードが不可欠になり、308で射程100mなら1.0~1.7mほど前を狙う必要があります。

しかし急所の大きさは直径15㎝程度、100m以遠の射撃は銃だけに撃たせる様にしなければ、射撃精度が出ません。また自動銃の連射は発射の反動で目標がスコープから消え去り、再捜索を要し、その所要時間は予想外に長く、散弾銃のイメージとは大違い、オートのライフルは動的連射に向いていなかったのです。
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 究極の銃かと思ったH&K SL7オート  思った以上に使える銃だったサコー75バーミンター改

 3.思ったよリも優秀だったボルトアクション:ケンさんは少年の頃からオート派で、H&Kオートでは300頭を捕獲、更にランニング射撃にも開眼し、一丁前にオートを使い熟したつもりでいましたが、実はまだまだ未熟の限りであり、オート自体の使えない銃でした。それは後述のサコーを使ってよく分かりました。

オートではライフル銃の華である遠射が未達成でした。その目的達成の為にケンさんは再度ボルト銃に挑戦 しました。精度やマガジンの構造、安全装置の構造等から選んだのはサコー75のバーミンターでした。
  
300m遠射は実にあっけなく、当然の様に初回から決まってしまいました。
スナップショットもランニング射撃初弾もオート以上に好調でした。ランニングの連射に付きましては成果半減を覚悟していましたが、実際は信じられない事に予想と違ってオート時よりボルトの方が好調且つ快調でした。

旧式と思われたボルトアクション銃は、スコープ専用銃となる事でスナップショットや連射が可能になりましたが、これに対し、後付けスコープは目とスコープの位置が合わず、それらが出来ません。非常に大きな違いでした。

つまりオートは再度肩付けをしなくても良いのがメリットですが、1度見失った目標の再捜索には予想外の時間を消費し、それを早く行おうとする処に焦りの心が発生し、それが命中率を大幅に下げていたのです。

一方ボルトの再肩付け射撃では銃を肩から降ろし、再装填しながら再肩付けを行いますが、銃が肩から降りている間も体は目標の追尾を続けており、肩付けと同時と言うよりその直前から直接追尾射撃に入れ、予想より遥かに短時間で完了、結果は逆転であり、見失っていないので焦りの心は発生せず、高命中率だったのです。-

そして目標をスイングで追い越す時に、引き金を引きますと、弾が実際に出るまでの時間遅れ分がリードとなり、射程距離や走る速度に関係なく、同じ感覚で撃てば何時も適切なリードで撃てると言うのが、ケンさんの考案した最も高効率なランニングスイング射撃でした。秘訣はスイングを止めない事と、リードを見直さない事です。

銃を変えた直後からその成果に大差が出たのですから、スコープ専用銃となったボルトアクション銃とスナップスイングショットの組み合わせの抜群の優秀度は明らかです。
サコーはド至近距離から300m以遠まで、静止標的であっても動標的であっても見事に答えてくれました。

「サコー75バーミンター改」はケンさんの狩猟人生そのモノとなり、殆どの成果を上げてくれました。出会い頭の猛獣ヒグマ対決も、5発5中の連射の夢も、300m遠射の夢も、全てサコーが叶えてくれました。

尚、エゾ鹿にマグナムは不要であるばかりか、アフリカンマグナムも不要で308は予想より遥かにパワフルでした。

結果的には世界中の大物ては遥かに届きませんでしたが、15mの出会い頭のヒグマに対して怯まず速やかに 1発で対処出来た事を誇りに思います。

エゾ鹿1051頭、ヒグマ6頭、その他海外大物19種等で合計1228頭となり、2016年には庶民レベルの「不可能に挑戦」はやり切ったと思い、2018年にライフル銃を卒業しました。
2019年には「悪性リンパ腫」で残半年と言われましたが、ライフル銃を達成出来た後で良かったと思います。

           ケンさんの主な記録。
         最高精度 :150mテーブル撃ち5発12mm。  
         最大角長 :138cmトロフィー級クドウ、108cmエルク、
         最長射程 :半委託380mクドウ、全依託540mエゾ鹿。 
         最短射程 :15mヒグマ280kg、50mエルク320kg。   

         最大獲物 :エランド940kg、ヒグマ450kg。 
         最高捕獲数:エゾ鹿50頭/5日。
         エゾ鹿のポイント猟:平均で5回/日を達成。
         驚異の出会い:70%成獣オス、30%大物、5%超大物。


少年の夢

  ライフル銃の夢
オートの夢はこうして間違いである事が分かり、ケンさんは夢から覚めました。
ではサコーボルトアクションさえあればそれで良いのか? もちろんそうではありませんが、このサコーに辿り着くまでにケンさんは22年間も遠廻り、エゾ鹿ガイド猟に辿り着くまでにも21年間も遠廻りをしてしまいました。

間違ったオートの夢や、猟の手法に拘る事なく、最初からサコーとエゾ鹿ガイド猟で正しいトレーニングを積み 上げれば、この22年間をかなり短縮出来そうな事は、火を見るよりも明らかです。

早い時点からサコーでエゾ鹿ガイド猟は、少なくとも絶対に損のない話であり、試す価値はありそうです。エゾ鹿ガイド猟はガイドの技量次第の部分がありますが、取り敢えずは手ブラが低率20%の西興部の有料猟区に行かれ、エゾ鹿猟を多少学び、その後に良いガイド探しが良いと思います。

尚、本州猟でライフル銃の夢を満たす事は不可能です。国内猟の夢は超ド迫力のヒグマと超大物エゾ鹿であり、出会い頭のスナップショット、そして絶対にライフル銃でしか出来ない遠射、そしてランニング5発5中です。

これらは生息地域的にも生息量的にも、そして地形的にも北海道しか可能性がありません。
本州猟は殆んどが森林中の極短射程です。これにはショットガンとバックショットの連射が圧倒的に有利です。 スコープ専用ライフル銃であればスナップショットは対応出来ますが、連射はショットガンの敵ではありません。

かつてライフル銃に拘っていた本州ライフルマンは旧技能講習で、ライフル射撃関係者とエゾ鹿猟関係者を除く概ね全員が不合格となってしまいました。

同じ試験が北海道では95%合格率でしたから、本州にはライフル銃を正しく使う機会が無かった事の証明になります。
ライフル銃には北海道のエゾ鹿猟しかない、これは99%正解です。

  ちょっと面白い話
 5-1:岩手の五葉山猟区周辺からも多数のハンターがエゾ鹿猟に遠征しています。
関東人には人気の有料猟区ですが、猟区や保護区からハミ出した鹿で通常の乱場の数倍の捕獲が期待出来る所に住んでいながら、遠征費用を掛けてエゾ鹿遠征すると言う事はその価値が十分にあるからなのです。

 5-2:エゾ鹿猟も巻き狩りは低捕獲率。本州鹿の巻き狩りより多少低捕獲率になります。
エゾ鹿猟の巻き狩りは民宿が主催する場合や、射撃団体が主催する場合がありますが、共に待場の射手対エゾ鹿の純粋な気配先取り勝負となり、射撃に持ち込める確率は情けない程の低率になり、獲れても小物に限られます。ケンさんも3シーズン21日も経験しましたので言える事です。

射撃団体が主催する場合も巻き狩りで獲れないのですが、それでもピーク時は申込者多数で顔役の照会が無いと仲間に入れてもらえませんでした。屈斜路湖の近くにそう言う団体が運営する大きなログハウスがあり、数十人が集まっていましたが、数年後にログハウスをもう1棟増築する程でした。

ここに10年間も通った知人がいましたが、1頭も獲れませんでした。程なくその団体は解散し、ログハウスが2棟共売りに出ていました。エゾ鹿猟だけで飛び付かず、狩猟方法に注意して下さい。

 5-3:銃砲店主催のエゾ鹿猟がかつては随分ありました
2000年頃と思いますが、東京の銃砲店組合がエゾ鹿猟ガイド料参加者を大募集し、50名を阿寒に送り込みました。巻き狩りではなくガイド猟だから獲れると言うのが謳い文句でした。

ガイドは地元ハンターで年数だけベテランです。ケンさんの当時の師もガイドの1人でした。ケンさんは助手で付いて行きました。15チームに分かれて出撃の予定でしたが、当日朝にガイドの欠員が出て、ケンさんも急遽ガイドをする事になりました。

3日間の実猟を行い、ケンさんチームは客が3頭、ケンさんが1頭を捕獲、全チームの集計では驚いた事に2位でした。1位はケンさんの師の6頭でした。驚いた事に半分弱が1頭だけ、更に驚いたのは半分強はゼロ頭でした。

射撃ミスで獲れなかったチームもあった様ですが、多くは出会いが無かったと言っていました。
地元ベテランと言うハンターの技量が良く分かりました。
過半が獲れなかったので翌年は見送られましたが、ガイド猟だけで飛び付けばこの様に捕獲ゼロになります。

 5-4:日本大物クラブ。且つて会員数200名程の東京の大物団体に短期間所属した事がありますが、5頭捕獲するとエース金バッジが支給され1個持っています。

ケンさんも初期の頃は高額費用のエゾ鹿遠征猟をまともに検討せず避けていましたが、ここの会員も同様でした。エース達成には本州鹿でもエゾ鹿でも通常10年以上を要する様ですが、ケンさんもずっとそこに所属していたらエース金バッジが10個程度に留まっていた事でしょう。

本州鹿猟の費用もそれなりに必要であり、タダではありません。
この大物クラブの場合は都心のメンバーが多く、本州鹿猟とは言え、神奈川奥地の丹沢猟区とか、岩手の五葉山猟区等の遠方の猟区への遠征が多く、多額の交通費+前後泊を伴う4日コース、これではエゾ鹿遠征と変わりません。

交通費+宿代+入猟料+ガイド代の合計は決して安くない金額になりますが、成果は巻き狩りですから本人が撃てる確率は情けない程に低くなります。捕獲は小さな本州鹿が1~2頭(半分はガイドの捕獲)/10人2日となりました。 

エゾ鹿ガイド猟はガイド料だけで見ると数倍の出費で高額に思えますが、エゾ鹿猟なら成果はガイドの技量次第ですが、腕が良ければ1~2頭/人日であり、3段角大物率も高く、捕獲効率では20~40倍の大幅逆転、知らぬは盲目的本州鹿猟愛好者のみでした。ガイドを決める時は平均捕獲率の実績を良く確かめて下さい。






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Posted by little-ken  at 16:09 │ハンティング銃と弾海外旅行