2020年10月29日
ハンターのバイブル、そのゼロ: ケンさんの バイブル。
以前にも類似のテーマで書いた記憶があります。
それによれば出来もしない事を本人がした様に書いてある書であり、未熟な頃にはバイブルであったのですが、ケンさんの実力が付いてから読み直すとボロだらけであったと言う様な内容です。
今回改めて読み直しますと更に多くの問題点が出ました。
本項では概略のみを述べていますが、次項以降では更に詳しく説明して行きます。
長くなりますが、お付き合い下さい。尚、最後には摂書「狩猟大全集」も入れました。
結局は狩猟のバイブルと言う物は無く、自分でそれを作り上げたと言う感じが狩猟大全集です。
本書は他のノンフィクション風の小説ではなく、如何にして捕獲するかの指南書です。
釣れない釣りと共に獲れない狩猟も面白くありません。捕獲に拘らない狩猟を謳う人もいますが、ケンさんに言わせますと、獲る為の努力不足を正当化しようとする偽善的な言い訳だと思います。
本書がお役に立てれば幸いです。狩猟大全集は下記に入手方法を紹介しています。
https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
時代背景は1960年頃から、日本には狩猟ブームが起こり、水平2連銃がバカ売れし、ハンターは10年で3倍の50万人となりました。ジビエ(当時はゲテモノ料理と呼ばれた)人気も狩猟ブームを押し上げ、更に1970年頃からは自動銃がバカ売れし、狩猟熱は更に一段と向上、北海道のエゾ鹿猟ブームも同じ頃に起こり、毎年3000人以上が北海道に遠征しました。
ケンさんの狩猟始めは20歳を待って1970年から、カモ撃ちバイト1975~1980年、エゾ鹿猟は1993年から、スクールは2002~2017年でしたが、エゾ鹿猟の人気はその頃から徐々に低下して行きました。
多くの遠征ハンターはガイド料の必要のない民宿巻狩りを選択したので、獲れなかったのが主原因です。実戦3日で1頭獲れる確率は50%程度、過半はゼロでした。ケンさんの友人達や生徒達もかなり多数がこの手で失敗しています。
一方、ガイド猟も獲れる腕を持った地元ハンターは2005年頃以降は駆除で生計を立てる様になり、ガイドは自力で獲れない3流ハンターが多くなった事も原因の1つです。ある生徒は釧路ガイド猟で実戦3日を3回やってもゼロの連続でした。
一方でアフリカ猟も1970年の少し前頃から雑誌社やマスコミ各社は競ってプロハンターを雇い、世界の大物ハンティングを紹介しました。同じ頃、日曜日の18時から毎週海外猟を紹介するテレビ番組がありました。それが何時かは海外猟と言う気持ちをケンさんに植え付けたと思います。
ケンさんの若い頃のハンティングバイブルは下写真の「ザ‐ビッグゲーム」であり、「ライフル-ハンター」でした。更にその後、「羆撃ち」が加わりました。何時かは両氏の足元位まで辿り着きたい、久保氏の様に単独追跡猟で猛獣ヒグマと勝負出来る様になりたいと強く憧れていました。


大藪晴彦「ビッグゲーム」1979、柳田佳久「ライフルハンター」1992、久保俊治「 ヒグマ撃ち」2009。
その後30年程が過ぎました。おかげ様でケンさんも大幅に進化しました。憧れだったアフリカ猟も2009、2013、2016の3回実施出来ました。永遠のテーマに見えた各種の射撃技術も、独学で2006年頃から急速に開花し、エゾ鹿捕獲量も累計で1000頭を超えました。
ケンさんの狩猟技術は2006~2012年にピークを迎え、2016年のアフリカ猟のレコード級クドゥの380m遠射で大物猟をやり切ったと思い、2018年にライフル銃を卒業しました。捕獲累計はエゾ鹿1051、ヒグマ6、本州鹿26、海外大物64、その他81と最終的に1228頭となりました。
不可能だった事がかなり可能になった今、そして極める狩猟を卒業した今、改めてかつてのバイブルを読み直しますと、ボロやアラが多数見受けられ、久保氏を除き、狩猟現場に取材に出掛けただけに過ぎず、色々聞いた事項を自らが名人ハンターを演じて実行した様に書いています。
ケンさんが未熟な内の彼らはハンターの神様の様に見えたのですが、何時の間にか極く普通の3流ハンターに成り下がっていました。本物かと思われた久保氏も猟犬に頼り切った愛犬ロリコンハンターでした。
只、拙書狩猟大全集は多量に売れておらず、ライターとしては今もケンさんは彼等には足元にも及びませんが、何時の間にか狩猟技術や射撃技術はかなり高い所まで上がっていた事が改めて分かった次第です。
1.ザ-ビッグゲーム。
大藪晴彦氏(1935年生れ)が1972(当時37歳)~1977に掛けて行った海外猟をまとめたノンフィクション?作品であり、1979年に集英社から出版されました。
掲載された猟と実施年度は次の通りです。アラスカ1972 (ムース、ブラックベア)、AU1973 (猪、水牛)、NZ1975 (赤鹿、シャモア、ヒマラヤンター)、アフリカ1975 (ケープバッファロー、象、ライオン)、モンゴル1977 (アルガリ、アイベックス)、ロッキー1977 (ムース、エルク、プロングホーン)でした。
ファーイーストの築地氏は大藪氏の事を、彼の各作品に出てくるハードボイルドの主人公の真反対の性格の人であると表現しています。ケンサンは400~500mの遠射を30-06オートで決めた等々、随所のあり得ない記載から、氏はハンターとしてアフリカへ狩猟に行ったのではなく、ライターとして取材に行き、本書を書きましたが、他の大藪作品と同様のアクション小説であり、ノンフィクションではないと思っています。
北海道にはアフリカの様な超ヘビー級の野性動物こそいませんが、エゾ鹿は世界に誇れるStdサイズです。アメリカ人はNZのファームまで養殖エゾ鹿を撃ちに出掛けている程です。またヒグマも知床の生息密度は世界1、大きな物は400kg以上、文句なしのワールドサイズです。ハンターとしてのケンさんに言わせますと、これらとの勝負を全くしない大藪氏はハードボイルドの主人公とは反対の性格である事に納得です。
2.ライフル-ハンター。
柳田佳久氏(1932年生れ)の1952~1991年までの39年間の氏の狩猟ドギュメント?です。
1992年に第三書館から出版されました。本書は共猟の勉強時代、エゾ鹿&ヒグマの単独猟時代、アフリカのライオンや象、アメリカのピューマ、カナダ北部のポーラーベア等々の勝負が描かれています。
後書きによれば、ガイド付のアフリカ猟は金と暇さえあれば誰にでも出来、単独猟こそが真の狩猟であり、憧れだった様です。捕獲総量は熊類62頭、エゾ鹿92頭、その他本州鹿や猪やその他で69頭となっています。未熟なケンさんはこの数字を見て凄いと思いましたが、何時の間にか彼の10倍を捕獲してしまいました。
同じ写真を200kgと300kgと2重使用している事、アメリカクロクマの生態写真をヒグマと称している事、道東白糠のハンティングガイドの話によれば自力で獲れないハンターとの事、憧れだった単独猟はどうも道東白糠のハンティング小屋から始まった様ですが、獲れなくて早期に撤退した模様です。単独猟で多数を捕獲? 信じるにはかなり無理のある記述ばかりでした。
3.ヒグマ撃ち。
久保俊治氏(1947年生れ)の1967~1978年、氏の狩猟人生の初期25%のドギュメントが掛かれています。2009年に小学館から出版されました。1968年21歳でプロハンターになる事を決意、山中ベースキャンプから数日間の現地ビバーグをしながら追跡猟、エゾ鹿猟とヒグマ猟の技量を磨いて行きました。
1975年にアメリカのアウトフィッタースクール5週間コースを受講、終了後しばらくは同スクールのコーチを務め、更にプロガイドとして現地で働き始めましたが、ビザの延長が出来なくて1976年に帰国、9カ月間に及ぶ武者修行でした。
山籠もり追跡猟で本物ハンターを追求する姿と共に、未知に挑戦する姿は尊敬に値します。
しかし氏は1時期とは言え、完全に猟犬に頼る狩猟に陥り、これだけ見れば3流ハンターです。それだけではなく、複数猟犬のパックでヒグマ猟の猟果を上げ様としています。
愛犬の死後は単独追跡猟を再開、従来より成果が大幅向上しました。ドッグレス猟こそが本物のハンターだと言う考えに至ったとしたら、ケンさんも同じ思い、後半の75%を解説した続編を期待したい所です。その内容によっては真のハンターに格上げとなり、そうあって欲しい人だと思っています。
しかしNHKテレビのプロフェッショナル 仕事の流儀 第15期 「猟師 久保俊治の仕事」等を見ますと、ちょっと期待し過ぎだったかなとも思います。老いたりとは言え、恐らく2週間程度の取材だったと思いますが、ヒグマの姿さえ発見出来ず、明らかに100m以内と思われるエゾ鹿もクリーンキル出来ませんでした。
4.狩猟大全集。

ケンさんの狩猟大全集は小説ではなく、「如何にして」捕獲するかを達成する為の指南書です。
どうぞ末永くご利用下さい。狩猟大全集に付きましては下記を参照ください。
https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
それによれば出来もしない事を本人がした様に書いてある書であり、未熟な頃にはバイブルであったのですが、ケンさんの実力が付いてから読み直すとボロだらけであったと言う様な内容です。
今回改めて読み直しますと更に多くの問題点が出ました。
本項では概略のみを述べていますが、次項以降では更に詳しく説明して行きます。
長くなりますが、お付き合い下さい。尚、最後には摂書「狩猟大全集」も入れました。
結局は狩猟のバイブルと言う物は無く、自分でそれを作り上げたと言う感じが狩猟大全集です。
本書は他のノンフィクション風の小説ではなく、如何にして捕獲するかの指南書です。
釣れない釣りと共に獲れない狩猟も面白くありません。捕獲に拘らない狩猟を謳う人もいますが、ケンさんに言わせますと、獲る為の努力不足を正当化しようとする偽善的な言い訳だと思います。
本書がお役に立てれば幸いです。狩猟大全集は下記に入手方法を紹介しています。
https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
時代背景は1960年頃から、日本には狩猟ブームが起こり、水平2連銃がバカ売れし、ハンターは10年で3倍の50万人となりました。ジビエ(当時はゲテモノ料理と呼ばれた)人気も狩猟ブームを押し上げ、更に1970年頃からは自動銃がバカ売れし、狩猟熱は更に一段と向上、北海道のエゾ鹿猟ブームも同じ頃に起こり、毎年3000人以上が北海道に遠征しました。
ケンさんの狩猟始めは20歳を待って1970年から、カモ撃ちバイト1975~1980年、エゾ鹿猟は1993年から、スクールは2002~2017年でしたが、エゾ鹿猟の人気はその頃から徐々に低下して行きました。
多くの遠征ハンターはガイド料の必要のない民宿巻狩りを選択したので、獲れなかったのが主原因です。実戦3日で1頭獲れる確率は50%程度、過半はゼロでした。ケンさんの友人達や生徒達もかなり多数がこの手で失敗しています。
一方、ガイド猟も獲れる腕を持った地元ハンターは2005年頃以降は駆除で生計を立てる様になり、ガイドは自力で獲れない3流ハンターが多くなった事も原因の1つです。ある生徒は釧路ガイド猟で実戦3日を3回やってもゼロの連続でした。
一方でアフリカ猟も1970年の少し前頃から雑誌社やマスコミ各社は競ってプロハンターを雇い、世界の大物ハンティングを紹介しました。同じ頃、日曜日の18時から毎週海外猟を紹介するテレビ番組がありました。それが何時かは海外猟と言う気持ちをケンさんに植え付けたと思います。
ケンさんの若い頃のハンティングバイブルは下写真の「ザ‐ビッグゲーム」であり、「ライフル-ハンター」でした。更にその後、「羆撃ち」が加わりました。何時かは両氏の足元位まで辿り着きたい、久保氏の様に単独追跡猟で猛獣ヒグマと勝負出来る様になりたいと強く憧れていました。

大藪晴彦「ビッグゲーム」1979、柳田佳久「ライフルハンター」1992、久保俊治「 ヒグマ撃ち」2009。
その後30年程が過ぎました。おかげ様でケンさんも大幅に進化しました。憧れだったアフリカ猟も2009、2013、2016の3回実施出来ました。永遠のテーマに見えた各種の射撃技術も、独学で2006年頃から急速に開花し、エゾ鹿捕獲量も累計で1000頭を超えました。
ケンさんの狩猟技術は2006~2012年にピークを迎え、2016年のアフリカ猟のレコード級クドゥの380m遠射で大物猟をやり切ったと思い、2018年にライフル銃を卒業しました。捕獲累計はエゾ鹿1051、ヒグマ6、本州鹿26、海外大物64、その他81と最終的に1228頭となりました。
不可能だった事がかなり可能になった今、そして極める狩猟を卒業した今、改めてかつてのバイブルを読み直しますと、ボロやアラが多数見受けられ、久保氏を除き、狩猟現場に取材に出掛けただけに過ぎず、色々聞いた事項を自らが名人ハンターを演じて実行した様に書いています。
ケンさんが未熟な内の彼らはハンターの神様の様に見えたのですが、何時の間にか極く普通の3流ハンターに成り下がっていました。本物かと思われた久保氏も猟犬に頼り切った愛犬ロリコンハンターでした。
只、拙書狩猟大全集は多量に売れておらず、ライターとしては今もケンさんは彼等には足元にも及びませんが、何時の間にか狩猟技術や射撃技術はかなり高い所まで上がっていた事が改めて分かった次第です。
1.ザ-ビッグゲーム。
大藪晴彦氏(1935年生れ)が1972(当時37歳)~1977に掛けて行った海外猟をまとめたノンフィクション?作品であり、1979年に集英社から出版されました。
掲載された猟と実施年度は次の通りです。アラスカ1972 (ムース、ブラックベア)、AU1973 (猪、水牛)、NZ1975 (赤鹿、シャモア、ヒマラヤンター)、アフリカ1975 (ケープバッファロー、象、ライオン)、モンゴル1977 (アルガリ、アイベックス)、ロッキー1977 (ムース、エルク、プロングホーン)でした。
ファーイーストの築地氏は大藪氏の事を、彼の各作品に出てくるハードボイルドの主人公の真反対の性格の人であると表現しています。ケンサンは400~500mの遠射を30-06オートで決めた等々、随所のあり得ない記載から、氏はハンターとしてアフリカへ狩猟に行ったのではなく、ライターとして取材に行き、本書を書きましたが、他の大藪作品と同様のアクション小説であり、ノンフィクションではないと思っています。
北海道にはアフリカの様な超ヘビー級の野性動物こそいませんが、エゾ鹿は世界に誇れるStdサイズです。アメリカ人はNZのファームまで養殖エゾ鹿を撃ちに出掛けている程です。またヒグマも知床の生息密度は世界1、大きな物は400kg以上、文句なしのワールドサイズです。ハンターとしてのケンさんに言わせますと、これらとの勝負を全くしない大藪氏はハードボイルドの主人公とは反対の性格である事に納得です。
2.ライフル-ハンター。
柳田佳久氏(1932年生れ)の1952~1991年までの39年間の氏の狩猟ドギュメント?です。
1992年に第三書館から出版されました。本書は共猟の勉強時代、エゾ鹿&ヒグマの単独猟時代、アフリカのライオンや象、アメリカのピューマ、カナダ北部のポーラーベア等々の勝負が描かれています。
後書きによれば、ガイド付のアフリカ猟は金と暇さえあれば誰にでも出来、単独猟こそが真の狩猟であり、憧れだった様です。捕獲総量は熊類62頭、エゾ鹿92頭、その他本州鹿や猪やその他で69頭となっています。未熟なケンさんはこの数字を見て凄いと思いましたが、何時の間にか彼の10倍を捕獲してしまいました。
同じ写真を200kgと300kgと2重使用している事、アメリカクロクマの生態写真をヒグマと称している事、道東白糠のハンティングガイドの話によれば自力で獲れないハンターとの事、憧れだった単独猟はどうも道東白糠のハンティング小屋から始まった様ですが、獲れなくて早期に撤退した模様です。単独猟で多数を捕獲? 信じるにはかなり無理のある記述ばかりでした。
3.ヒグマ撃ち。
久保俊治氏(1947年生れ)の1967~1978年、氏の狩猟人生の初期25%のドギュメントが掛かれています。2009年に小学館から出版されました。1968年21歳でプロハンターになる事を決意、山中ベースキャンプから数日間の現地ビバーグをしながら追跡猟、エゾ鹿猟とヒグマ猟の技量を磨いて行きました。
1975年にアメリカのアウトフィッタースクール5週間コースを受講、終了後しばらくは同スクールのコーチを務め、更にプロガイドとして現地で働き始めましたが、ビザの延長が出来なくて1976年に帰国、9カ月間に及ぶ武者修行でした。
山籠もり追跡猟で本物ハンターを追求する姿と共に、未知に挑戦する姿は尊敬に値します。
しかし氏は1時期とは言え、完全に猟犬に頼る狩猟に陥り、これだけ見れば3流ハンターです。それだけではなく、複数猟犬のパックでヒグマ猟の猟果を上げ様としています。
愛犬の死後は単独追跡猟を再開、従来より成果が大幅向上しました。ドッグレス猟こそが本物のハンターだと言う考えに至ったとしたら、ケンさんも同じ思い、後半の75%を解説した続編を期待したい所です。その内容によっては真のハンターに格上げとなり、そうあって欲しい人だと思っています。
しかしNHKテレビのプロフェッショナル 仕事の流儀 第15期 「猟師 久保俊治の仕事」等を見ますと、ちょっと期待し過ぎだったかなとも思います。老いたりとは言え、恐らく2週間程度の取材だったと思いますが、ヒグマの姿さえ発見出来ず、明らかに100m以内と思われるエゾ鹿もクリーンキル出来ませんでした。
4.狩猟大全集。

ケンさんの狩猟大全集は小説ではなく、「如何にして」捕獲するかを達成する為の指南書です。
どうぞ末永くご利用下さい。狩猟大全集に付きましては下記を参照ください。
https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。