2020年10月11日
ハンターのバイブル、その4: 狩猟大全集。
7.狩猟大全集。
リトルケンこと立石憲司郎(1950年生れ)1975年~カモ猟プロ、2002~2017年ハンティングスクール開講&ハンティングガイド、狩猟ライター、狩猟大全集初版2006年、以後続編追加。大全集はHPからDVDの購入可能です。
https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
内容は1970~2017の47年間の狩猟ドギュメントを始め、如何にして大物鹿と出会うか、如何にして素速く撃つか、如何にして確実に倒すのか、如何にしてまとめ捕獲するのか、これらの具体的な手法が書かれています。本書は実戦指南書であり、ノンフィクション風の小説であった他の書と違う点です。

8.ケンさんの狩猟歴と狩猟観。
1970年の20歳を待って散弾銃を取得、翌年に近くの猟犬持ちの先輩からキジ撃ちに誘われました。そしてキジ2回、コジュケイ2回のフラッシュがありましたが、射撃はケンさんの1人舞台でした。早撃ちは圧倒的にケンさんの方が速く、先輩はコジュケイに対応出来ませんでしたが、ケンさんはシングルとダブルを得ました。
8-1.カモ猟時代:47年間も続いたカモ猟。
このキジ猟時に猟犬頼みのハンターの限界を感じ、ドッグレスハンターで行こうと決意しました。
その後はカモ猟がメインとなりましたが、海辺の工場勤務時代には毎朝カモ猟で定数10羽を捕獲後出社、1975~1980年 にはカモ猟が本業以上の副収入になりました。
カモのポイント猟、隠密接近術、スナップショット、高速3連射による遠射と複数捕獲、希望の方向に飛ばせ、希望の場所に墜とす射撃術等の各種新技術が出来がりました。
やがて下記の鹿猟に重点が移り、カモ猟はメインではなくなりましたが、散弾銃は害鳥のドバトやカルガモ駆除や後述のNZのツクシガモ類のパラダイスダック猟で活躍しました。
2017年最後の猟はNZのパラダスダック猟(左写真)となり、50羽目標の47羽の捕獲で概ね記録達成と過去最高命中率(1.8発/羽)となり、これを持ち散弾銃猟も卒業と決意、更新期限の2000年には散弾銃を返納しました。
8-2.本州鹿巻狩り時代:1982年から本州鹿の巻狩り猟に参加しました。長い間ずっと獲れず、1頭目の捕獲までに70日余(9年間)を要しました。強度の方向音痴もあって複数の先輩から「お前は狩猟をする資格が無い」と言われました。本州鹿巻狩りの勝ち方は後刻に獲れる様になって分かりましたが、「殺気」と「気配」を振り撒いていた為に、鹿に出会えなかったのが主原因でした。
最初の10年(1982~1992)では捕獲はこの1頭だけでした。しかしこれで終わらないのがケンさんでした。
12年目の1993年に本州鹿の巻狩りに「開眼」、「禅の心作戦」が完成しました。
それは「殺気」を抑える為、撃ち獲ろうとせず心を穏やかにする、「気配」を無くす為に物陰に隠れず見張りもしない、また仏像の様に微動もしない、これが「禅の心作戦」の主な内容です。
通常の巻狩りは物陰に隠れるので、周りを伺う必要があり、その為に「気配」をバラ撒いてしまいます。鹿の目は両側に付いており、立体的に見えない性質です。従って大きな物に背中を付けて仏像の様に微動もしなければ、絶対に鹿に発見される事はありません。
ケンさんはこれを2度試し、2mと5mまで引き寄せる事に成功しました。鹿がド近くまで来れば見張りをしなくても自然に分かり、スナップショットで撃ち獲れます。
その結果、捕獲率は平均の5倍までがありましたが、この辺が本州鹿の巻狩りの限界でした。
8-3.エゾ鹿猟時代:1993年からエゾ鹿猟メインに変更しました。当初は白糠民宿巻狩りをしましたが、これは本州鹿の巻狩りより厳しい結果に終わりました。本州鹿は30分だけ「禅の心」に徹すれば勝負に勝てましたが、エゾ鹿の場合は1日中「禅の心」が必要でした。それで狩猟方法を変更し、林道流し猟を選びました。鹿は牧草地にも出現しますが、それは朝夕だけ、1日中狩猟が可能な林道の方が良いと思われたからです。
木の陰に隠れる鹿を視力3.0にモノを言わせ勝負する手法で、捕獲量は立ち所に3倍となり、連日1頭の捕獲が可能になりました。更に出会い量こそが勉強の決め手と思い、1997~1999年の3シーズンは根室で約90日をプロガイドに弟子入りしました。これでエゾ鹿の事が多少分かった気がしました。この頃が本州からのエゾ鹿猟人気のピーク、根室には鹿はたくさんいましたが、それ以上にハンターが多過ぎました。
この10年間(1993~2003)では何と100頭を捕獲しました。しかしこれは3シーズン90日間のエゾ鹿ガイド猟で獲らせて頂いた鹿が多く、偉そうな事は言えませんが、獲れる手法の可能性を見出しました。また鹿の多さよりもハンターの少なさが豊猟に直結する事が分かりました。
8-4.エゾ鹿単独猟時代の解禁猟:そこで解禁猟を紋別郡山中に移しました。ハンターが少なくヒグマが 多いと聞いてやる気が起こりましたが、ヒグマはそう簡単な物ではありません。しかし鹿は予想外に多く、繁殖期の鹿の行動がよく観察出来ました。
2002~2017年まではエゾ鹿ハンティングスクールを開講、紋別解禁猟で生徒のいない2週間、根室のクリスマス頃と正月明けの各2週間の計6週間、これがケンさんの単独猟でした。 結果から申しますと、この10年間では(2004~2014)何と1000頭の捕獲がありました。
方向音痴の克服にも成功しますと、鹿の動きの予想が組み立てられる様になりました。スクール初期の出会いは3回/日でしたが、やがて5回/日に向上、生徒の捕獲量は2頭/日、その中の0.5頭は大物クラスでした。
また大物エゾ鹿に特化したデータ収集に心掛けましたので、別の数値で言えば出会い数の70%が3段角の成獣オス、20%が角長70cmクラスの大物エゾ鹿、5%は角長80cmオーバーの超大物でした。
エゾ鹿の生態で、繁殖期のオスはその順位に従い、特定の時間と場所で「我ここにあり」をアピールします。群れはメスが5~10匹程度とそれを取り仕切るボスがメインとなりますが、周囲には若オスが多数控えています。
№.2を初めとし多数の若オスは日の出前にボスとメスの群れが引き上げると、№.2が近くで自己アピールを行ない、これが合法時間の境目、それが引き上げると№.3、更には№.4・・・・以下順番に自己のアピールが行われ、これらは合法時間内で整然と行われます。これが出会いの70%が成獣オスの理由です。
夕方はこの反対の順序で行われます。合法時間との関係は同様の感触であり、№.2より上は難しくなります。
更に悪天候明けには山から大物鹿がまとめて降りて来ますが。その事をフィーバーと呼んでいます。4~5日のサイクルで起こり、最初に山から降りる場所は概ね決まっています。
翌日は多少離れた場所になり、更に翌日にはまた違う場所になりますが、それには規則性があります。それを追い掛けて行く内に出会い率は多少低下しますが、その頃にはまた次のフィーバーが始まります。
フィーバー3~4回に1回はビッグフィーバーとなり、超大物や大物がズラズラ出ます。初冠雪後にはヒグマにもよく会え、ヒグマチャンスはこの2週間がメインです。今まで多くの生徒がビッグフィーバーに出会えていますが、残念ながら超大物に対し「迫力負け」に陥り、足が地に着いた射撃が出来ません。もし並以上の射撃が出来れば超大物を束にして帰還出来ます。
最大捕獲数は5日猟で19頭ですが、これに準ずる記録も目白押し、そんな日は朝から夕方まで、ずっと獲物の回収と解体の重労働になります。捕獲量限界は体力と根性次第と言えました。
8-5.クリスマス猟と正月明け猟:これは交通の便が悪い根室で行います。

この頃はオスの順列は消え、オスとメスがそれぞれの群れを作ります。群れは10頭前後です。
150m前後の距離を走りますからランニング射撃が出来れば本当にバッタバッタと捕獲出来ます。
最高記録は5日で50頭、この間に5発5中を3度記録しました。この時期は鹿との出会いには不自由せず、回収と解体の根性があればメスなら獲り放題と言えます。(オスは1頭/日)
こうして捕獲されたエゾ鹿の総計は1051頭、念願だった1000頭を超えました。

超大物80cmオーバーは33頭に及び、次頁写真の資料館のゲートになりました。そしてヒグマも2006年に初捕獲、最終的にはマグレとは言わせない6頭を捕獲出来ました。最大は450kg、最短は15mのド至近距離、共に「迫力負け」や「恐怖負け」に陥る事無く、冷静に且つ速やかに対処出来た事を誇りに思います。
ならば次の10年間では1万頭か? 残念ながら年齢的限界から2016年の66歳時の1228頭で終わりました。何時の日にか拙書「狩猟大全集」の未熟さを指摘してくれるハンターの出現を望みます。
8-6.不可能への挑戦こそ、我が人生:
ケンさんの人生は狩猟を含め全て「不可能への挑戦」でした。野性鳥獣の五感能力は人間と3桁以上の差があります。これだけの差がありますと人間側は隠れている獲物を発見する事も、追い出す事も、また物陰に隠れ射程内まで引き寄せる事も出来ません。
そこで猟犬に支援をお願いするのが通常の流れですが、問題は全て猟犬任せになり、本人が努力する事を辞めてしまう事です。猟犬に対し叱咤激励するのは 何処かの馬鹿社長と同じ、従業員は経営的センス、猟犬は人間的狩猟センスを持っていないのです。
ケンさんはドッグレス猟に徹する事で、不可能と思われた鹿との好出会いを得る事に成功、また逃げる前に撃てるスナップショットや150mアバウト早撃ち、更に走る鹿を撃つランニング射撃を開発し、高度な狩猟で大量捕獲を可能として来ました。
狩猟とは不可能への挑戦であり、ドッグレス猟こそ最高の狩猟です。2016年、450kgのヒグマ、遠射で380mのレコード級クドゥを捕獲、最早庶民の延長ではこれ以上の勝負は望めないと悟り、これを以ってライフル銃の卒業を決意し、更新期限の2018年に返納しました。内外合計の最終累計は1228頭でした。
リトルケンこと立石憲司郎(1950年生れ)1975年~カモ猟プロ、2002~2017年ハンティングスクール開講&ハンティングガイド、狩猟ライター、狩猟大全集初版2006年、以後続編追加。大全集はHPからDVDの購入可能です。
https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
内容は1970~2017の47年間の狩猟ドギュメントを始め、如何にして大物鹿と出会うか、如何にして素速く撃つか、如何にして確実に倒すのか、如何にしてまとめ捕獲するのか、これらの具体的な手法が書かれています。本書は実戦指南書であり、ノンフィクション風の小説であった他の書と違う点です。

8.ケンさんの狩猟歴と狩猟観。
1970年の20歳を待って散弾銃を取得、翌年に近くの猟犬持ちの先輩からキジ撃ちに誘われました。そしてキジ2回、コジュケイ2回のフラッシュがありましたが、射撃はケンさんの1人舞台でした。早撃ちは圧倒的にケンさんの方が速く、先輩はコジュケイに対応出来ませんでしたが、ケンさんはシングルとダブルを得ました。
8-1.カモ猟時代:47年間も続いたカモ猟。
このキジ猟時に猟犬頼みのハンターの限界を感じ、ドッグレスハンターで行こうと決意しました。
その後はカモ猟がメインとなりましたが、海辺の工場勤務時代には毎朝カモ猟で定数10羽を捕獲後出社、1975~1980年 にはカモ猟が本業以上の副収入になりました。
カモのポイント猟、隠密接近術、スナップショット、高速3連射による遠射と複数捕獲、希望の方向に飛ばせ、希望の場所に墜とす射撃術等の各種新技術が出来がりました。
やがて下記の鹿猟に重点が移り、カモ猟はメインではなくなりましたが、散弾銃は害鳥のドバトやカルガモ駆除や後述のNZのツクシガモ類のパラダイスダック猟で活躍しました。
2017年最後の猟はNZのパラダスダック猟(左写真)となり、50羽目標の47羽の捕獲で概ね記録達成と過去最高命中率(1.8発/羽)となり、これを持ち散弾銃猟も卒業と決意、更新期限の2000年には散弾銃を返納しました。
8-2.本州鹿巻狩り時代:1982年から本州鹿の巻狩り猟に参加しました。長い間ずっと獲れず、1頭目の捕獲までに70日余(9年間)を要しました。強度の方向音痴もあって複数の先輩から「お前は狩猟をする資格が無い」と言われました。本州鹿巻狩りの勝ち方は後刻に獲れる様になって分かりましたが、「殺気」と「気配」を振り撒いていた為に、鹿に出会えなかったのが主原因でした。
最初の10年(1982~1992)では捕獲はこの1頭だけでした。しかしこれで終わらないのがケンさんでした。
12年目の1993年に本州鹿の巻狩りに「開眼」、「禅の心作戦」が完成しました。
それは「殺気」を抑える為、撃ち獲ろうとせず心を穏やかにする、「気配」を無くす為に物陰に隠れず見張りもしない、また仏像の様に微動もしない、これが「禅の心作戦」の主な内容です。
通常の巻狩りは物陰に隠れるので、周りを伺う必要があり、その為に「気配」をバラ撒いてしまいます。鹿の目は両側に付いており、立体的に見えない性質です。従って大きな物に背中を付けて仏像の様に微動もしなければ、絶対に鹿に発見される事はありません。
ケンさんはこれを2度試し、2mと5mまで引き寄せる事に成功しました。鹿がド近くまで来れば見張りをしなくても自然に分かり、スナップショットで撃ち獲れます。
その結果、捕獲率は平均の5倍までがありましたが、この辺が本州鹿の巻狩りの限界でした。
8-3.エゾ鹿猟時代:1993年からエゾ鹿猟メインに変更しました。当初は白糠民宿巻狩りをしましたが、これは本州鹿の巻狩りより厳しい結果に終わりました。本州鹿は30分だけ「禅の心」に徹すれば勝負に勝てましたが、エゾ鹿の場合は1日中「禅の心」が必要でした。それで狩猟方法を変更し、林道流し猟を選びました。鹿は牧草地にも出現しますが、それは朝夕だけ、1日中狩猟が可能な林道の方が良いと思われたからです。
木の陰に隠れる鹿を視力3.0にモノを言わせ勝負する手法で、捕獲量は立ち所に3倍となり、連日1頭の捕獲が可能になりました。更に出会い量こそが勉強の決め手と思い、1997~1999年の3シーズンは根室で約90日をプロガイドに弟子入りしました。これでエゾ鹿の事が多少分かった気がしました。この頃が本州からのエゾ鹿猟人気のピーク、根室には鹿はたくさんいましたが、それ以上にハンターが多過ぎました。
この10年間(1993~2003)では何と100頭を捕獲しました。しかしこれは3シーズン90日間のエゾ鹿ガイド猟で獲らせて頂いた鹿が多く、偉そうな事は言えませんが、獲れる手法の可能性を見出しました。また鹿の多さよりもハンターの少なさが豊猟に直結する事が分かりました。
8-4.エゾ鹿単独猟時代の解禁猟:そこで解禁猟を紋別郡山中に移しました。ハンターが少なくヒグマが 多いと聞いてやる気が起こりましたが、ヒグマはそう簡単な物ではありません。しかし鹿は予想外に多く、繁殖期の鹿の行動がよく観察出来ました。
2002~2017年まではエゾ鹿ハンティングスクールを開講、紋別解禁猟で生徒のいない2週間、根室のクリスマス頃と正月明けの各2週間の計6週間、これがケンさんの単独猟でした。 結果から申しますと、この10年間では(2004~2014)何と1000頭の捕獲がありました。
方向音痴の克服にも成功しますと、鹿の動きの予想が組み立てられる様になりました。スクール初期の出会いは3回/日でしたが、やがて5回/日に向上、生徒の捕獲量は2頭/日、その中の0.5頭は大物クラスでした。
また大物エゾ鹿に特化したデータ収集に心掛けましたので、別の数値で言えば出会い数の70%が3段角の成獣オス、20%が角長70cmクラスの大物エゾ鹿、5%は角長80cmオーバーの超大物でした。
エゾ鹿の生態で、繁殖期のオスはその順位に従い、特定の時間と場所で「我ここにあり」をアピールします。群れはメスが5~10匹程度とそれを取り仕切るボスがメインとなりますが、周囲には若オスが多数控えています。
№.2を初めとし多数の若オスは日の出前にボスとメスの群れが引き上げると、№.2が近くで自己アピールを行ない、これが合法時間の境目、それが引き上げると№.3、更には№.4・・・・以下順番に自己のアピールが行われ、これらは合法時間内で整然と行われます。これが出会いの70%が成獣オスの理由です。
夕方はこの反対の順序で行われます。合法時間との関係は同様の感触であり、№.2より上は難しくなります。
更に悪天候明けには山から大物鹿がまとめて降りて来ますが。その事をフィーバーと呼んでいます。4~5日のサイクルで起こり、最初に山から降りる場所は概ね決まっています。
翌日は多少離れた場所になり、更に翌日にはまた違う場所になりますが、それには規則性があります。それを追い掛けて行く内に出会い率は多少低下しますが、その頃にはまた次のフィーバーが始まります。
フィーバー3~4回に1回はビッグフィーバーとなり、超大物や大物がズラズラ出ます。初冠雪後にはヒグマにもよく会え、ヒグマチャンスはこの2週間がメインです。今まで多くの生徒がビッグフィーバーに出会えていますが、残念ながら超大物に対し「迫力負け」に陥り、足が地に着いた射撃が出来ません。もし並以上の射撃が出来れば超大物を束にして帰還出来ます。
最大捕獲数は5日猟で19頭ですが、これに準ずる記録も目白押し、そんな日は朝から夕方まで、ずっと獲物の回収と解体の重労働になります。捕獲量限界は体力と根性次第と言えました。
8-5.クリスマス猟と正月明け猟:これは交通の便が悪い根室で行います。
この頃はオスの順列は消え、オスとメスがそれぞれの群れを作ります。群れは10頭前後です。
150m前後の距離を走りますからランニング射撃が出来れば本当にバッタバッタと捕獲出来ます。
最高記録は5日で50頭、この間に5発5中を3度記録しました。この時期は鹿との出会いには不自由せず、回収と解体の根性があればメスなら獲り放題と言えます。(オスは1頭/日)
こうして捕獲されたエゾ鹿の総計は1051頭、念願だった1000頭を超えました。
超大物80cmオーバーは33頭に及び、次頁写真の資料館のゲートになりました。そしてヒグマも2006年に初捕獲、最終的にはマグレとは言わせない6頭を捕獲出来ました。最大は450kg、最短は15mのド至近距離、共に「迫力負け」や「恐怖負け」に陥る事無く、冷静に且つ速やかに対処出来た事を誇りに思います。
ならば次の10年間では1万頭か? 残念ながら年齢的限界から2016年の66歳時の1228頭で終わりました。何時の日にか拙書「狩猟大全集」の未熟さを指摘してくれるハンターの出現を望みます。
8-6.不可能への挑戦こそ、我が人生:
ケンさんの人生は狩猟を含め全て「不可能への挑戦」でした。野性鳥獣の五感能力は人間と3桁以上の差があります。これだけの差がありますと人間側は隠れている獲物を発見する事も、追い出す事も、また物陰に隠れ射程内まで引き寄せる事も出来ません。
そこで猟犬に支援をお願いするのが通常の流れですが、問題は全て猟犬任せになり、本人が努力する事を辞めてしまう事です。猟犬に対し叱咤激励するのは 何処かの馬鹿社長と同じ、従業員は経営的センス、猟犬は人間的狩猟センスを持っていないのです。
ケンさんはドッグレス猟に徹する事で、不可能と思われた鹿との好出会いを得る事に成功、また逃げる前に撃てるスナップショットや150mアバウト早撃ち、更に走る鹿を撃つランニング射撃を開発し、高度な狩猟で大量捕獲を可能として来ました。
狩猟とは不可能への挑戦であり、ドッグレス猟こそ最高の狩猟です。2016年、450kgのヒグマ、遠射で380mのレコード級クドゥを捕獲、最早庶民の延長ではこれ以上の勝負は望めないと悟り、これを以ってライフル銃の卒業を決意し、更新期限の2018年に返納しました。内外合計の最終累計は1228頭でした。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その3:ボウハンティングは高効率。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。
エゾ鹿のボウハンティング。その2:アメリカの現状と射程距離の変化。
エゾ鹿ボウハンティングの可能性。その1:ハーフライフル。
皆さんに伝えたい事。その14と15:ライフルと散弾の特殊効果。
皆さんに伝えたい事。その12と13:エゾ鹿の習性、ナンバーランキングのオス。
皆さんに伝えたい事。その11,難しいエゾ鹿猟。