2024年05月18日

50年間で分かった事、その8:世界的狩猟ブームもエゾ鹿猟ブームも業界に依って作られた物でした。

  32「狩猟ブーム」は銃業界がWW2後の不況対策で興し1955年頃日本に伝わった。
  33「マグナム銃」と「カスタム銃」も同様目的であったが、「銃業界の陰謀」だった。
  341990年頃日本の銃販売業界が「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームを起こした。

起こされた狩猟ブーム:WW2終了で世界中の銃器業界は一気に暇(不景気)になりました。
そこで興されたのが、「アフリカ猟」を頂点とする世界的な「狩猟ブーム」でした。
そして同時に「アフリカンホットマグナム」を頂点に「マグナム銃」の普及が図られ、その後1964年には「カスタム銃」の神話的モデルにウインチェスター70が選ばれました。

アフリカンホットマグナム:アフリカ猟は主に貴族に依り1750年頃から行われていました。
当初は黒色火薬に依る先込め銃で火薬は先込め時代でした。

弾速が低かった事から象の正面から脳を破壊出来ず、即倒が難しい時代であり、1回撃つと馬で走り、安全距離を保って再装填、最大30回射撃した記録があったそうです。

1864年にボクサーカートリッジが発明されると元込めのブラックエクスプレス時代となりました。
口径は黒色火薬の8番水平2連銃と4番単発銃が使われ、ライフル付銃身から細長い弾丸型の弾を発射し、従来より即倒の可能性がかなり増えました。

1884年に無煙火薬が発明され弾速が2倍、黒色8番銃よりハイパワーな20番銃が1890年頃デビュー、600ニトロエクスプレスでした。

12番ベースは700ニトロエクスプレスでした。ニトロは無煙火薬を示します。
ライフル銃身から真鍮ソリッド弾を発射し、象や犀を正面から即倒させる事が可能となりました。

やがて無煙火薬弾も次の世代が誕生、古いながら今も生き残っている1912年の375H&Hです。1時期アフリカ猟ではミニマムカーリッジと言われていましたが、今ではStd308もかなり善戦出来る事が立証されています。

ケンさんはエゾ鹿用ロシア激安弾に売残りのバーンズ140grを挿げ替えた弾をアフリカに持参して試して来ました。

その結果少なくとも500㎏の獲物には絶対に大丈夫と言える事を確認しました。
北海道でも実際「推定体重450㎏の猛獣ヒグマも308の1発で御臨終でした。」

比較的新しいアフリカンでは1956年デビューの458ウインマグ(5400ft-lbf)があります。
7㎜レミントンマグや338ウインマグの兄弟です。

NZで700㎏の野牛撃ちの時、458ウインマグをガイドが用意して来ましたが、試射3発で頭痛、愛銃サコー75の308を使う事にしました。

結果は308で綺麗に即倒でした。「アフリカカンホットマグナムも多分業界の陰謀」であり、気休め程度だったと思われます。30-06を愛用する象駆除のプロハンターが且つていたそうです。

 ウインチェスター70プレ64:銃の性能はライフル銃のバイブルでは、モアパワーやモア精度は捕獲成功に続ながるとされていました。しかしそれらは無意味であった事が立証されて来ました。

そんな作られたバイブルの伝説にもう1つ「ウインチェスター70のプレ64伝説」と言うのがあります。

 ウインチェスターM70が名銃?:1964年以前、ウインチェスーM70は1936年にデビュー、その時代としては良く出来た銃と言えました。

ベトナム戦争1961~では海兵隊の狙撃銃となり、大きな成果を上げました。その結果、世界中のハンターの評判を呼び、ウィンチェスター社には膨大な数の注文が舞い込みました。アメリカの多くの銃メーカーがM70を下請け生産し、レミントンもその1社でした。

そこでウインチェスターはM70の製法を1964年に大幅リファイン、複雑な削りだし工程を簡素化する等、各部コストダウンを図りました。

その結果、実質的には製品の粗悪化を招いてしまい、軍隊にも民間市場にも、憤慨と共に拒絶される事になってしまいました。

入替わりに脚光を浴びたのが1962年発売のレミントン700でした。海兵隊狙撃銃にバーミンターモデルが採用されるや、世界中の公的スナイパーが本銃を採用し、ベストセラーになりました。
しかしケンさんも1年間運用しましたが、レミントン700はジャムが酷く使えない欠陥銃でした。

一方世界の銃販売店はこれ幸いとして、「ウインチェスター1964年以前の銃」を名銃とする「伝説」を作り上げ、プレ64と呼ばれる1964年以前製造のウインチェエスターの中古銃を集め、プレミアム価格で販売しました。

当時にカスタムメーカーもこの伝説に乗り、プレ64をベースにした、カスタムライフルを高額で販売すると共に、プレ64のクローンモデルを新作し、更なる高額で販売しました。

日本にもカスタム銃メーカー「キングクラフト」があり、勿論「プレ64名銃伝説」の上に成り立つクローンカスタム銃で、Stdライフルが20~40万円で購入出来た時代に、ゼロが1つ多い桁違いがスタート価格と言うとんでもない高額銃でした。
そしてWW2後、作られた狩猟ブームで、1964年以降に評価を受けたのがレミントン700です。

さて冷静に見ればウインチェスターM70に勝ったのが、使えない欠陥銃レミントン700だったのですから、その延長上で行けば、ウインチェスターM70プレ64の高性能ぶりも押して知るべしと言えます。

使えない欠陥銃レミントン700バーミンターは射撃精度面は優秀であり、市販銃で100mワンホールが出せる銃で一応当たる銃と言えましたが、これを名銃としたのはケンさんが立証したカスタム銃不要論等と同様、業界の陰謀と言えました。

勿論その銃の精度が仮に申し分ない物であっても、その運用者の技術レベルや心のレベルが低ければ、何の役にも立たないのですでにお話しした通りです。

プレ64名銃伝説もレミントン700名銃説もカスタム業界によって作られた伝説」だったのです。

マグナム銃も「急所ヒットならパワー不問」であり、すでに無意味である事を説明しました。

しかし、今一つ急所その物をヒット出来ないハンターも非常に多く、マグナムなら捕獲率が大幅に広がると言うのが業界の「売り文句」でした。

しかしその様な効果は皆無、アフリカンホットマグナムを含め、それらは少しでも「高額銃を売付け様とした業界の陰謀」でした。命中させる為の最大障害は反動によるフリンチングと心の不安であり、反動の強いマグナムは究極を求める側から言えば、反対側の方向と言えました。

エゾ鹿猟ブームとライフル銃ブーム」は1890年頃、日本の銃販売業界が興したブームでした。
第2次大戦後に銃販売業界が興した狩猟ブームは、日本にも1955年頃に伝わり、水平2連銃がバカ売れ、ハンターは10年で3倍に増え50万人に迫りました。

続く1965年頃から10年間ではハンター数は安定状態、今度は自動5連銃がバカ売れしました。ケンさんが自動銃を購入したのは1975年、当初数年は5連発でしたが、4連発数年を経由して3連発になり現在に至ります。

1985年頃になりますとすでに自動銃も行き渡り、期待の「クレー射撃ブーム」もそれ程は普及せず、一方で銃犯罪が増え、銃の新規取得者には茨の道となり、新規銃取得者は激減しました。

そこで新たに起こされたのが「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームでした。
ライフル銃は勿論業界に取って「利益が大きいマグナム銃ブーム」を同時に起こしました。

ライフル銃取得にはすでに経験10年が必要な時代になっていましたが、経験10年以上のハンターは多く、その点は余り心配無要でした。

エゾ鹿はかなり増殖し、捕獲対象はオスのみ、定数は1日1頭、猟期は12月1日~1月31日の2ケ月でした。

駆除もまだ殆ど行われず、少なくとも休猟区明けの解禁時の10分間だけはかなり豊猟が期待出来ました。と言ってもハンターはそれ以上に多く、成功率は幸運な20%程度でした。

メスは撃たれないので道端に多数おり、メスを求めて若オスも多数がウロ付いていました。大物は期待出来ず、狩猟雑誌「狩猟界」の成功レポートの様には行きませんが、多くの我と思わんハンターが北海道を目指し、その遠征者数は3000人に及びました。

我が地元猟友会からも数組が流し猟で遠征しましたが全滅でした。その原因は獲物に出会えない事が1番でした。メスは道端に立っている事も多数ありましたが、オスの出会いは余りにも稀と言えました。

ケンさんはもっぱら誰も走っていない林道を選びました。当時のエゾ鹿は道路を横断しようとする時、車が近付いてくると、それを見極め様としており、森の中50m位の木の陰でそれを見ていました。

それを発見するにはセンスが必要でしたが、非成功組はその狩猟センスが低かった事に尽きます。
全滅組の共通点は1度も真面な射撃チャンスが得られなかった事でした。若干見えた鹿は逃げる鹿だけでした。勿論それは特殊な射撃術を持っていない限り撃っても命中しません。

雑誌「狩猟界」の成功レポートは事実だと仮定しても 極稀に上手く行った事だけが書いてありました。1996年からケンさんは白糠で単独猟を行い、概ね1日1頭を捕獲していましたが、例外組でした。

同宿の他の6組は連日捕獲ゼロが続いていました。捕獲成功率は10%以下の様に見えました。
「狩猟界」は罪作りな記事を載せました。
せめて遠征失敗組にレポートも半数程度は載せるべきだったと言えました。

当時のエゾ鹿は右写真の様に見える事は甚だ稀、左写真の様に見えれば良い方なのですが、その半分程度しか見えていない鹿を探すのですからシロートには大変で、発見出来ない事が当然と言えました。発見すれば余り逃げず、且つ50mですから捕獲の可能性は十分ありました。

巻狩り組も捕獲に成功したと言う話は皆無でした。ケンさんも流し猟以前は白糠3シーズンで21日間の巻狩りを行いましたが、本命の巻狩りでは捕獲ゼロでした。

この頃は本州鹿巻狩りで「禅の心作戦」で「巻狩りに開眼」していたケンさんですが、それでも猟犬を使わないエゾ鹿の巻狩りでは「気配勝負に勝てず」獲れずにいました。


しかし車で猟場への往復途上や、また待ち場の配置に付く過程で鹿を踏み出し等で、毎シーズン1~2頭を捕獲していました。
踏み出しには当然スナップショットやランニングショット技術が必要でした。これら断片的なデータから流し猟の方が獲れそうだと考え、獲れない巻狩りを卒業した次第でした。結果は写真の様に概ね1日1頭を捕獲出来、数少ない生き残り側になれました。

 マグナムライフル:「エゾ鹿猟とライフル銃」のブームは当然販売店側からすれば、高額マグナムライフルやカスタムライフルの売上げに結び付けたい陰謀がありました。

当時は「エゾ鹿猟に短薬莢の貧弱そうな308」を使う人は誰もおらず、Std口径も薬莢が12㎜長くパワーも5~10%強力な30-06が選ばれました。

本州鹿猟では急所を狙う習慣も無く、被弾しても未回収になる鹿は多く、Stdではややパワー不足とされ、当時に雑誌「狩猟界」の技術解説でもマグナムが奨励されていました。

当時はマグナムをモアパワーとモア精度でハンドロードする人が1番本格派に見えました。
マグナム弾は概ね1.4倍のパワーがあり、肉が血まみれになる範囲は2倍に及び、明らかな強力なパワーを感じました。

それに比例し即倒する確率や未回収減少等、少しでも効果があれば良かったのですが全く効果無し、つまり「マグナムは、銃も弾も高いだけで全くの無意味」でした。

ハンドロードに依るモアパワーは最大10~20%程度が可能でした。
モア精度の方は安売り市販弾程度であり、コスト的にも安売り弾よりやや安い程度で余り意味を成しませんが、ハンドローダーは本格的な感じがし、多くのライフルハンターはより本格派を目指し射撃場に通いました。

射撃精度の最大の敵は反動によるフリンチング、反動を伴う実射からの上達の可能性は極めて薄いのが本当でした。

エゾ鹿猟とマグナムライフルブームの企画は販売目的から言えば、一応成功と言えました。
3000人のハンターがライフル銃を手に北海道を訪れました。それ自体は大成功とは言えない程度 だったかも知れませんが、エゾ鹿猟とライフル銃ブームは北海道にも起こり、1万人以上がライフル銃を購入しました。

ブーム以前からエゾ鹿猟は北海道でも行われていましたが、普通の狩猟用散弾銃でスラグ弾を使用していました。

それがライフル銃ブームで北海道にもライフル銃が普及し、やがてエゾ鹿猟にはライフル銃が不可欠な時代に変わりました。

1995年以前のエゾ鹿猟のエゾ鹿は50~100mにいました。
これは50m超えを撃たなかったスラグ弾時代の影響がまだ残っていたからと言えました。

やがて年を重ねる毎にエゾ鹿はライフル銃の普及や2000年以降はサボットスラグ銃の普及に依り射程距離が長くなりまして、昨今では100~150mにいます。

これは普通の射撃場で練習した射手の精度が100m程度を限界としていた為であり、100mを超えると撃たれる可能性がかなり低下した からと言えました。

更にライフル銃ブームは本州にも及びました。従来からの散弾銃とノーマルスラグ弾は射程距離50mでしたが、それは射撃練習をかなり熟した後の成果でした。

それをしなければ射程距離は僅か20m未満、これに不満を持つ本州ハンターはたくさんいました。高精度な長射程のライフル銃ブームは 必ずしもライフル銃は必要としない本州猟ハンターにもかなり及んだのです。

更に当初はアフリカに行きたいからと国内制限の10㎜を超える超高額な大口径マグナムもOKになり、海外以外であってもヒグマ用マグナム、エゾ鹿用Stdライフル、本州用カービン銃とライフル銃3丁を所持する、自称本格派もチラホラいました。

これに比べればクレー射撃でトラップ用とスキート用の2丁と 言うのはありましたが、両射撃の愛好家は少なかった様です。
クレー射撃銃では技能講習実技で不合格になる人も実績不足を問われる人も甚だ僅かでした。

しかしライフル銃は魔法の銃ではなく、彼らは射撃練習を全くしなかったので、射程は20m不変のままでした。すでに説明しました様に、体が銃の反動を上手く受け様として硬くなる「フリンチング」と言う現象に依り、照準がズレてしまう事に問題がありました。

ライフル銃自体には200~300mの能力はあるのですが、練習を全くしなければ、どの銃を撃っても結果は大同小異の20m未満でした。

そして2012~2015の旧技能講習の実施以前は、銃の更新に実技試験は無く、平穏無事にライフル銃の所持許可の更新が続けられました。

旧技能講習はすでに説明しました様に、射撃練習をしていない本州のライフルハンターには絶望的な実技試験となりました。静止的とは言え、50mで14㎝命中がその合格条件でした。

正確には1点圏は16㎝、20発撃って40点以上が合格ですから、14㎝2点命中を平均的に繰り返せば、40点以上になり、合格出来る物でした。

結果は完全に2つのグループに分かれました。
ライフル射撃を趣味としていた人及びエゾ鹿猟複数捕獲実績組には7点以上に着弾、10発でも楽勝の40点ですが、そうでない人達はこの16㎝の的紙からハミ出してしまい、合格は絶望的でした。

半分位が合格すると良かったのですが、現実は受検 した70%以上が不合格、余りの難度に受検しなかった人も多く、結局本州ライフルの90%以上が所持許可の更新を出来ず、本州のライフルブームはこの時を以って終りました。

エゾ鹿猟ブームは「狩猟界」の成功レポートの様に上手く行った人は殆どおらず概ね全滅、最も成功率が高いと言われるガイド猟でも、肝心のガイドの90%が詐欺ガイドであり成功組は僅か、エゾ鹿猟ブームは10年程で消滅しました。

決してライフル銃やエゾ鹿猟自体に魅力が無くなったのではなく、今も愛好者はいますが、本州から北海道の狩猟登録する人は1000人程度になり、しかも多くが狩猟実績を作る為だけの出猟であり、実際のエゾ鹿猟は余り行なわれていない(獲れていない)様です。

散弾パターンでカバー出来るショットガンの射撃はクレーが放出機が15台、その設定表が9種類ですから飛行コースは135種で、毎回同じ様に飛ぶ事から、膨大な射撃場通いで上達する可能性があり、当時国体に出場なら年間3万発以上と言われていました。

クレー射撃は余りブームにならなかったと書きましたが、それは愛好者が10%を超えない程度だったからでした。

ケンさんの自宅から1時間尾範囲にクレー射撃場が4つあり、64発連続ヒットを出した時も田舎親善射撃大会では2位でしたから、そこそこの熱いブームはありました。

ケンさんはクレー射撃ブームには乗らず、年に数回の猟友会お付合い射撃に留めました。
クレー射撃から実戦が上手くなる事は無いと感じたからでした。

  


Posted by little-ken  at 09:22ハンティング銃と弾

2024年05月12日

50年間で分かった事、その7:全依託射撃で300mは外れない、肉眼で見えるのは0.4秒古い映像だった

  26全依託射撃が出来れば300mは外れない。
  27ワンホールが出来ると150mアバウト早撃ちが出来る。
  28肉眼で見える「映像」は0.4秒程古い「虚像」であり、「実体は別の所」にあった。
  30リード自動調整の「スイングショット」は、散弾銃もライフル銃にも共通だった。
  31散弾銃の引き止まり、ライフルの照準ブレ、原因は全て「フリンチング」だった。

 全依託射撃に依る300m遠射:紋別地区では殆ど無かった300mもここ根室では珍しくありません。全依託射撃をマスターしますと300mは外す気がしなくなります。

写真はベンチレスト射撃ですが考え方は同じです。先台は写真では照準アジャスト付のベンチレスト用ですが、実戦では単なる委託物の上に銃を載せます。

写真では体はテーブルで安定させ、パッドプレートもサンドバッグに載せていますが、実戦では下記の車のボンネット射撃が有効です。

体は車両サイドの寄り掛かって安定させ、パッドプレートは肩から少し浮かせた状態で、空いている左手の拳の上に載せます。そしてこの握り拳の握り具合や傾き具合で照準の微調整を行います。

これでブレは概ねゼロに納まりますから、銃が動かない様にガク引きに注意し、引き金をそっと引けば必ず命中します。

ケンさんは先台にハードスポンジを使っていました。
銃は150mゼロインのままですが、射撃時に銃が跳ね、着弾は上にズレますので、落差補正はチョイ上で済み、300mは概ね100%即倒でした。

射撃は不安要素があると命中率の低下ではなく、命中しなくなってしまいます。
遠射で最も不安なのは、落差補正です。自信が持てない場合は命中しません。
通常の半委託射撃ではブレのタイミング合わせも微妙絶妙で、これも自信が持てません。
だから命中する筈がありません。

100%即倒のナミビアポイントは前足軸線上の背骨との交点ですが、鹿は真横から撃つ場合が圧倒的に多く、前足軸線上の何処を撃っても前足が両方骨折して、その場に倒れ動けなくなります。

従って全依託射撃で照準ブレがゼロなら、300mから両前足を骨折させる事は難しくはありません。

左右ズレだけ注意して、発砲すれば落差補正不要、ケンさんは300m時の愛銃の落差を知りませんが、300m遠射には自信を持っています。

このボンネット射撃の安定性は凄まじく、初弾命中ではありませんが、540mのボス争いの鹿を2発連続で即倒即死させました。

308安売り弾は精度的に十分優秀です。
バーンズ150gr銅弾頭は超大物エゾ鹿を540mで即倒させるパワーを持っており、サコ―75バーミンターと共にこれらは十分信頼出来るアイテムです。

 ヨイ加減の150mアバウト早撃ち:近年の大物鹿は狩猟慣れして来た為、銃を向けると5秒前後で動く鹿が増えて来ました。

U生徒が2017年に怪物88㎝を捕獲成功しましたが、この鹿は1週間前のK生徒の前にも出ました。しかしK生徒は5秒で撃てなかったので走られ、一生に1度のチャンスを逃しましたが、U生徒は3秒で撃ちましたので捕獲出来ました。

普通のハンターは照準に10秒を要し鹿はこれを学習、5秒で動く事によって生き永らえて来たのです。

振り返って見れば捕獲した超大物33頭の30%前後は「150mアバウト早撃ち」でも走りました。
これを「ランニング射撃」又は立ち止まって振り返る場所を予測した、「待ってたホイ射撃」で捕獲しました

鹿は直径15㎝のナミビアポイントを撃ち抜けば即倒します。
15㎝のど真ん中である必要は無く、急所にヒットすれば良いのです。

通常の150m能力を持たない人には5秒以内に150mの15㎝にヒットさせる事は絶望的であり、5秒を守ればそれはヨイ加減ではなく、イイ加減な射撃となります。

しかしワンホールが狙える人であれば、その射撃は「ヨイ加減の射撃となり、急所に命中します。」

 肉眼で見えるのは少し古い虚像であり、実体を伴わない:幼児にボールを投げると通過後に捕ろうとします。これが学習前の自然な姿です。

光の速さは時間を無視出来る程の速さなのですが、人間の網膜が反応し、脳がこれを理解するには少し時間が必要です。

脳が理解したのは0.4秒程 古い虚像であり、実体はもっと先にあり、これは眼で見る事は出来ません。同様に脳が補球せよと指令を出しても、手が動くにも少し時間が必要です。

人間には学習能力があり、捕球動作を実体のある、見えていない空間に向けて行わせます。
するとボールは調度その頃、手の中に飛び込んで来て捕球されるのです。

従って飛ぶ鳥を撃墜する事も、走る鹿を即倒させる事も同様に、人間の反応遅れ分に加え、弾の飛行時間中に目標が進む 距離の補正を加えた、未来位置に向け弾を発射、そこに鹿が飛び込んで来るのです。

これら全てを時間で表現しますと約1秒強と言う数字になります。
最も分かり易い事例で鹿がゆっくり歩いている場面を想定します。
鹿の速度を3.6㎞/hとすれば秒速で調度1mになります。
距離80mの弾の飛行時間は0.1秒、鹿はその間に10㎝進みます。

ならばリードを無視しても十分命中する筈ですが、弾着はケツの後方になります。全ての時間遅れが1秒強ですから、急所の後方1.1m前後に着弾するのです。
従って僅かでも標的が動いていたら、通常射撃では絶対に命中させられないのです。

ライフル銃の射撃は静止限定です。
静止時に限り、肉眼で見える「虚像」と見えていない「実体」は 偶然同じ位置となり、目視照準が可能となります。

ライフル銃は「欠陥射撃しか出来ない銃」なのです。この時に急所を狙ったまま銃のスイングを追尾継続させたまま発砲すれば、相対的遅れは無くなり、弾は急所の後方10㎝ずれで着弾します。

従って急所ヒットには10㎝前を狙ってスイングをキープしたまま撃てば急所に命中します。
これが「リード射撃」です。

見ながら撃てる事は大きなメリットなのですが、リードは毎回変わり、その調整幅も非常に広範囲となります。

また獲物を追尾していますと、周りの景色は理解されず、何時しか危険領域に入った事を認識出来ず重大な事故を起こし、実戦には使えません。

散弾銃もライフル銃も共通で、上手く使える方法があります。
一定リズムで虚像を追い掛け、それを追越す時に引き金を引く、「スイング射法」です。
勿論スイングを止めないまま撃つのが絶対条件です。

追い越す時に引き金を引いても実際に弾が出るのはもう少し後になり、この時のオーバースイング分がリードになります。

オーバースイングは上手い事に目標の速度に比例し距離にも比例しますので、リードは自動設定になります。

元々はショットガン射撃の考え方でしたが、やって見ますとライフル銃でもバッチリ使えました。
ショットガンでは反動を押さえ込んだ自動銃の連射に「スイング射撃」を組込めましたが、ライフル銃では銃だけに撃たせる必要があり、ライフルの自動銃には甚だ不向きな組合せとなりました。

換わって非常に上手く撃てたのはボルトアクション銃の「再肩付けスナップスイング射撃」でした。

自動銃は反動で「1度消えた目標の再補足には予想外に長い時間を要し」、この間に「焦りの心」が発生し、連射は遅く且つ低命中率でした。

一方再肩付け射撃は予想外に短時間で完了、目標を見失っておらず高命中率となりました。150m静止射撃よりも150mランニング射撃の方がスイング中の銃は安定しイージーと言えました。
5発5中も時々達成、70%が急所直撃でしたから、よく当たる「得意項目」と言えました。

 空中空き缶撃ちは静止標的だった:自称飛び道具研究家のケンさんは実技を重要視しました。
スリングショット(パチンコ)もアーチェリーも30m先の空き缶を外さず、ピストルでも同様でした。
拳銃型(ベレッタ93R)エアーソフトガンでも20mの上に投げた空き缶を外しませんでした。

その空き缶ですが、空中に投げた空き缶は動的の様に見えますが、実は空中の静止標的でした。
投げた空き缶はボールの遠投の様に遠くに投げるのではなく、概ね真上に放り投げた場合に限定されます。

こうなりますと上死点を予測し、そこにタイミングを合わせたスナップショットに依る静止射撃に換わります。

アーチェリーは矢が高額なのでやった事はありませんが、パチンコと拳銃型エアーソフトガンは楽勝でした。ハワイに行った時、同型の実銃ベレッタ92型では空中空き缶撃ちに成功しました。
5年越し50mで9.5㎝
実銃の空気銃(兵林館)では30m先の2㎝のスズメの頭を外しませんが、20番スラグでは当初50mで30㎝の的紙から外れました。
5年が過ぎ黒点110㎜の的で95㎜が出せました。

当初はライフリングが無い為と思っていましたが、初ライフルも精度は変わらず、ライフリングの有無が原因でない事が判明しました。結局は次項のフリンチングが原因でした。

 反動によるフリンチング:ワンホ―ルも遠射も市販銃にはその性能があるのですが、射手がそれを阻害していました。

同様に散弾銃も銃にはその性能がありますが、銃には反動があり、射手はこの反動を上手く受け様と、発砲直前の体にチカラが入り、その結果ライフル銃では照準がズレ、散弾銃では動的射撃に非常に重要なスイングが止まってしまいました。

実射からフリンチングは乗り越えられなかった:フリンチングは銃の反動を上手く受け様とする生体反応ですから、反動を伴う実射からは乗り越えられません。

反動が非常に少ない空気銃や22LRと反動の大きな12番や308では大きな違いがありました。

引止まり射撃を実感したのはキジバトの遠射をした時でした。
その頃のケンさんのショットガンは一般的な「近距離&低速」限定でした。

遠射と高速にはカスリもしなかったのですが、思い切ってリードを4倍以上取った所、当たりました。「あれ程までに」前だったとは驚きました。
以来引止まりを無くす或いは少なくなる様に心掛け、素振りの練習もたくさん行いました。

やがてそれ程ベラボーなリードを取らなくても撃墜出来る様になった所を見ると、引止まりはかなり 軽減したと思われました。

その頃から高速時の遠射には散弾の弾幕にカモが飛び込む高速3連射を使う様になりました。これで概ね引き止まり射撃は卒業出来た様に思いました。

練習は速いスイングをしながら引き金を3度出来るだけ早く引きました。
反動に依る銃の跳ね上りは抑え込む様にしながら、且つ上半身の力を抜き、しなやかに受け流す様にします。

引き止まりが無くなると「スイング射法」が可能となり、リードは考える必要が無くなりました。
目標を追い越す時に引き金を引く、ただそれだけでヒットしました。

この頃から7.5号クレー射撃装弾を使った「ショットガン効果」の「3粒被弾撃墜」を運用しましたので、撃墜率は超飛躍的に向上しました。

総合的には通常のベテランハンターに比べ1桁撃墜率が上がり、10数人で行う害鳥駆除もケンさん個人スコアが全体の過半を超える日も少なくない程でした。

 ライフル銃も同じだった:驚いた事にライフル銃でもスイング射撃によるリード自動調整は甚だ有効でした。

約70%が急所直撃の即倒、150mランニングで5発5中も時々出ました。想像より遥かに簡単でよく当たりました。
理論や手法は使える筈だとは思いましたが、これ程とは我ながら驚きました。

  


Posted by little-ken  at 15:23

2024年05月10日

50年間で分かった事、その6:実射練習からは100mが限界。

  17実射練習からフリンチング対策は進まず、射撃が上達する事は無かった。
  18フリンチング対策をしなければ射程20m、射撃場通いは100m弱が限界だった。
  19失中の原因「迫力負け」等の心側の不安にあった。

射撃上達を阻害する原因は銃の反動にあり、反動を上手く受け様とする発射直前の体にチカラが入る生体反応に原因がありました。

これにより主に移動標的の散弾銃射撃では追尾していたスイングが止まってしまう「引止まり射撃」に陥り、銃のスイングが止まっている間のリードを追加する必要があり、リードは約3倍の高難度な射撃となり、通常ショットガン射撃は「近距離&低速限定となりました。」

また静止精密射撃のライフル銃射撃では照準がズレてしまい、「100m未満の射撃に陥り」ました。フリンチング対策の練習を全くしなければ急所を狙える射程は20m、壁は50mと100mにあり、「射撃場通いでは100mを超える事は不可能」と言えました。

2012~2015に設定された旧技能講習では受検した70%以上が50m先の15㎝の的に命中させられず不合格、高難度故に受験しないハンターも多く、全体の本州ライフルハンターの90%以上が所持許可を更新出来ずに終りました。

同じ試験を北海道ハンターは90%以上が合格した事から、射撃場通いすれば概ね全員が超えられる試験内容でしたが、射撃場通いをしない本州ライフルマンには絶望的高難度でした。

スラグ弾射撃の初期頃、ケンさんも50mで15㎝の的紙から時にはみ出し、50mで10㎝には概ね5年を要しました。

一方北海道では当時50~100mにいたエゾ鹿を捕獲する為のライフル銃でしたから、概ね全員が合格しました。

この事は射撃場通いをすれば概ね全員がこの程度にはなれますが、その後もエゾ鹿は100~150mにいた事を考えますと、100mを超えるエゾ鹿に射撃する人はおらず、150m射撃の能力を持った人は例外的な存在と言えました。

結論として「射撃場通いで50m能力は得られましたが、100m能力を持つ事は難しかった」事を意味しました。

またエゾ鹿猟では本州鹿にない新たなテーマもありました。本州鹿はハンターと同格で「迫力負け」は起こりませんが、エゾ鹿成獣オスは130㎏前後、日本人ハンターの2倍近い巨体でした。

巨大なエゾ鹿との対戦は対面した時、その大きさから来る「迫力に負け」で足が地に着かない射撃に なってしまいました。

身震いする様な大物エゾ鹿との勝負が最大の魅力なのですが、「迫力負け」が大きなテーマとなりました。「100mで5㎝の射撃精度が育ち、迫力負けに陥らなかった時、大物エゾ鹿の捕獲成功」に至りました。

  20休猟区明け解禁開けフィーバーは僅か10分間だった。
  21エゾ鹿はフィーバー日(概ね6日サイクルの悪天候明け)に一斉に行動する。
  22フィーバー日以外は鹿に出会えない3流ガイド。
  23繁殖期のエゾ鹿は広い場所で順番に自己の存在をアピールする。
  24紋別のエゾ鹿のベストシーズンは10月下旬からの4週間だった。
  25根室のエゾ鹿のベストシーズンは12月中旬からの4週間だった 。

エゾ鹿猟に限らず、狩猟で最も難しいのは獲物と射程距離内で出会う事です。1995年まで休猟区と言う制度があり、全体の10%で3年間狩猟を休ませるエリアがありました。

古くは1971年、ケンさんの家の近くが休猟区明けとなり、小雨の降る日にキジ猟に出撃しました。結果から申しますと、キジはウジャウジャいまして、25回のオスキジ射撃チャンスがあり、超未熟ながら2羽の捕獲となりました。

1992年まで白糠も休猟区でした。当時は駆除も無く、メス鹿も禁猟、道端には撃たれないメス鹿がウジャウジャ、そのメスとの出会いを狙った若いオス鹿もチラホラいて、これが狩猟のメインターゲットでした。

当初はガイド料不要の巻狩りを始めました。本州鹿巻狩りを極めていた事、巻狩りの方が鹿との出会いが多いと思っていた事等々がありましたが、これは大きな間違いでした。

白糠巻狩りは3シーズンで正味21日間行いましたが、本命の巻狩りではゼロ頭でした。
しかし猟場への往復の過程で数頭を捕獲しました。

それで4年目からは単独流し猟を行う様になり、概ね1日1頭の捕獲がありました。
ならば流し猟なら誰でも獲れるのか? 決してそうではなく、同宿の6組はどの組も捕獲はゼロ、ケンさん地元から出撃した流し猟数組も全滅、「狩猟界の記事はイカサマ」でした。

 メス捕獲は更に高難度だった。:そのメス鹿が1994年1月15日から2週間特別解禁されました。あの頃のオスは撃たれるので中々姿を出しませんでしたが、メス鹿は撃たれないので本当に道端に幾らでも居ました。朝7時頃林道を走りますとカーブを10~20回程曲がるとメス鹿の群がいました。

その群の中には稀にピン角オスも稀に混じっており、群れを見掛けるとオスがいないかチェックです。オスがいなければ次の群れを探しに続行です。

またカーブを10~20回ほど曲がりますと次の群れがいます。こんな光景が毎日約1時間続きます。 夕方でもその半分位を見る事が出来ました。当時メス鹿ならばこれ程いたのでした。

メスも撃てるとあれば幾らでも獲れそうに思うのは全員だったと思います。
メス実験的解禁の年に元GUN誌編集長はかなり無理して15日間も休みを取って来ました。

メス鹿を毎日1頭獲れる予定でシカ肉注文もたくさん受けて張り切って北海道に遠征しましたが、実際の発砲は後述の様に初日に失中した50mの1回だけ、捕獲はゼロ頭でした。

メス解禁以前も猟期は12月1日から1月31日までの2ケ月ですが、捕獲の75%は何時も前半でした。今考えるとやはり繁殖期の雄が雌を追掛ける時期との関係が大きかったと思います。

又その時捕獲出来たのは3段角になったばかりの中小型鹿(オスとしての順位で№.3~4)が多かった事からも、やはり繁殖期が大いに関係していたと思います。

初のメス解禁の日には記録破りの驚く程の人出となりました。
実際に林道のメインストリ-トは100mに1台の車がウジャウジャおりました。

どの車にも2~3人が乗っております。あれ程たくさん居た鹿はすでに1頭も見えません。余りの車の量に鹿の動きが全く止まってしまった様でした。
これでは鹿に出会う事が難しいと思い、ケンさんはマイナー林道に入りました。

やがて解禁の時間になりますと、約10秒間銃声が鳴り続けました。
その音からも如何にたくさんのハンターがいるかを推定出来ました。

間もなくメス2頭群に出会い、足が地に着いていない編集長は失中、ケンさんはダブル捕獲、取り敢えずメデタシメデタシとなりました。

その後もう1頭を追加、解禁から10分は散発的な銃声が聞こえましたが、午前中の以後の出会いはなく、それで終わりました。

その日の夕方は1頭も見ず、2日目の朝も夕方も、更にその翌日もあれ程居たメス鹿は1頭も見る事がなくなりました。

4日目の朝少し遅めに1度だけ鹿が急に少し動き出しまして、1頭追加出来ましたが、夕方の出会いはゼロでした。

ケンさんはその翌日に帰りましたが、編集長はその後更に1週間の猟をしましたが、あれ程道端にたくさん居たメス鹿を、遂にその後1頭も見る事が出来なかったそうです。

毎日1頭を捕獲するつもりで肉の注文を確保してきた編集長はがっかりでした。
メインの林道の道端にはシカ捕獲の痕跡が約1㎞毎にありましたが、あの膨大な車の量からすれば獲れた組は僅か10%程度で、大多数は獲れなかったガッカリ組ではなかったかと思われます。

 本州鹿メス全面解禁:2005年11月15日には我が愛知県もメス鹿が全面解禁になり、ケンさんが以前所属していた巻狩りグループもメス解禁に向け張り切っておりました。

メスなら幾らでも獲れる筈、誰もがそう思っていました。ケンさんは北海道白糠の経験があるので「最初の1~2頭は獲れると思うが、悪く見ればメス群れはオス以上に敏感、結局メスは殆ど獲れず、雄雌合計でもメス解禁以前と殆んど変わらないだろうと思いました。

結果はケンさんの予想よりも遥かに酷い物になりました。 

メスは最初の数頭だけ獲れました。メスは撃たれないから以前は姿を見せたのですが、1度撃たれれば命が掛かっており、そう簡単には姿を出さなくなりました。

その後のオス捕獲は従前比で半減以下に大幅ダウン、雄雌合計しても数値は余り変わらず、鹿猟は従前より遥かに高難度となりました。
これがメス解禁の事実でした。

オスも猟期前半は繁殖期故にメスに惹かれて動きますので従来は多少姿を見る事が出来たのですが、メスが動かなくなったので、オスも動かなくなりオスの出会いも激減したのでした。
結局メス解禁で総捕獲数は2倍になる所か、雄雌合わせて半分となりました。

北海道のメス鹿の全面解禁時は行かなかったので知りませんが、スクール開講は2002からですが、その頃の定数はオス1とメス2でした。メス解禁で出会いは高難度となった様でした。

しかし北海道ではその時期に山から降りたオス鹿の繁殖期の縄張り争いからチャンスが多数生まれ、ケンさんスクールでは1日5回の出会いがあり、出会いの70%がオスの3段角成獣、20%が角長70㎝を超える大物を誇りますが、実を言うと用心深いメスには殆ど出会えなかったのです。

2003年頃からこの傾向が強くなり、2004年以降解禁の1ヶ月の出会い数はオスが90%、群れの№.2クラス(70㎝級)との出会いが全体の20%もあり、全体の70%が3段角のオスでした。
メスが姿を出し撃てる様になるのは雪が降ってからとなります。

結局、簡単に鹿が捕獲出来る方法は、休猟区開けの解禁直後の10分間を除けば無いのです。
1990年頃、雑誌「狩猟界」に成功レポートがたくさん掲載されていましたが、あれは休猟区明けの解禁後の10分間の物語だけでした。

そしてその頃はメスが撃たれなかったので、それに連られてウロ付くオスが獲れたのですが、そう言う時代も過ぎました。近年は鹿の被害が増え、その増殖に結付く休猟区設定も無くなり鹿の駆除も1段と増え、雄雌含めエゾ鹿に出会う事自体が高難度となりました。

 エゾ鹿フィーバー:普段は出会う事自体が非常に高難度なエゾ鹿ですが、概ね6日サイクルの 悪天候明けの日には一斉に行動を起こします。

その日は大物ズラズラ、しかも何時もよりかなり距離も近く、鹿は周りのライバルオスに目を奪われ、照準時間も長らく貰えます。

超大物捕獲のチャンスはこの日を除けば非常に少なくなります。
地元3流ガイドでもこの日だけは鹿に出会える事でしょう。
その確率は1/6ですから17%、3流ガイドでは残る83%は出会いが得られません。

悪天候明けの鹿が一斉に動く日を「フィーバー日」と呼んでいます。
大物が多く、比較的距離も近く、照準時間も長目に貰え、ハンターに取っては1番良い日となります。毎シーズン1回、ビッグフィーバーになります。

超大物がズラズラです。ハンターであれば誰もがそんな日に出撃したいのですが、何時それが起こるのかは、その時にならないと分かりません。

 エゾ鹿猟ベストシーズンとその場所:エゾ鹿は季節的な移動をします。狩猟解禁は10月1日ですがその頃は余り向いておりません。

鹿が行動を起こすのは10月下旬の高い山に冠雪があった時からとなります。
群は5~10頭の同族メスが中心となり、それを取巻くオス達から成り立ちます。

その時から約1か月間に悪天候明け毎に山から降りて来ます。
この時がエゾ鹿の繁殖期と重なり、ケンさんの紋別スクールでは山から直接降りて来る鹿を山に接する農地で狙います。

群れの近くにはボスがそれ程離れない位置に隠れています。
メス群とボスが引上げると群の№.2が その近くで「我ここにあり」と数分間アピールし引き揚げます。すると№.3がまたその近くで同様にアピール、次が№.4になります。

ボスは時間外の可能性が高いのですが、NO.2は境目付近、NO.3は合法時間である率が高くなります。夕方にはその近くで15時前後からその逆の順序でアピールが行われ、翌日以降は何となく一定ルールの基に下流に移動をして行きます。

山から降りるポイントは幾つかあるので、これらを追い掛けている内に、また次の悪天候明けとなり、新しい群れが降りて来ます。
概ね6日サイクルです。従って7日猟をすればフィーバーに会えます。

 ケンさんのもう1つの猟場である根室の場合:鹿が山から降り始めるのは概ね同じ頃なのですが、山は阿寒摩周方面であり、山から降りたその1部が根室半島に向かいます。

根室の猟場は根室半島中場の別当賀周辺です。
鹿がそこに到着するのは12月中旬からの1か月間となります。

年末年始もその期間に含まれますが、ハンターが多くなり過ぎ、良い狩猟が出来ません。
良い猟場とは鹿が多い事と、ハンターが少ない事、どちらかと言えば後者の方が重要です。

根室半島は地図では小さな狭い半島ですが、全体が台地状になっており、モンゴルの大草原を思わせる地形です。

大型の鹿が多いのですが、射程距離が長いのと、照準時間をあまり長く貰えない事です。
すでにここに来るまでにあちこちですでに撃たれており、走っている鹿が多いのが特徴でした。



  


Posted by little-ken  at 11:57ハンティング銃と弾

2024年05月07日

50年間で分かった事、その5:スコープ専用銃のスナップショットは画期的だった。

  13銃で指向する「スナップショット」は超画期的技術だった。
  14スコープ専用銃は超画期的な発明だった。
  15ストックの調整はチークピースの調整だけで完璧だった。

ショットガンには照準器がなく、現在の物は銃身にリブが付いていますが、従前の物は何も付いておりません。ではどの様に狙うのか?

まず散弾をバラ撒きますから、ライフル銃の様な精密な照準は不要です。
しかし一方で鳥の飛行速度は毎秒10m(36㎞/h)以上、一方射程は40~50mが最大ですから、あっと言う間に射程外まで飛び去られてしまいます。従って素速い動作が必要になります。

銃には反動があり、これを受けられるのはちょうど肩の鎖骨の少し下、肩の関節の少し内側にパッドプレートよりも少し広い所があり、そこだけが大きな反動を受ける事が出来ます。

数㎝ズレれば場合によっては重大な怪我を発生してしまいます。そこで銃は古くから正しく構えなければいけないとされて来ました。一方で瞬時に構えて発砲しなければ射程外に飛び去られてしまいます。

 ペラッツィシステム:そこで考え出された手法が、銃を肩に正しく着けて構えると自動的に照準が出来る手法でした。

その為には体格が各自違うので、体格に合わせた銃床を作ると言う事になり、高級銃は全てそうなっていますが、その調整項目は10項目以上の多岐に渡ります。

ペラッツィはフルオーダーストックを昼食時間の内に作るシステムを考案しそれを「売り」にしています。現在は数年待ちの様ですが、順番が来ると本社に出向き、そこのフィッターがトライガンで体格に合わせた銃を設定してくれます。

ペラッツィのトライガンは実射出来るのが最大の特徴です。実射に依る修正も含め諸寸法が決まるとコンピューターが即座に自動で削り出し、オーナーが昼食中に、銃は半仕上がり状態ですが出来上がって来ます。付属のクレー射撃場で気の済むまで撃ちます。

その間も微調整には応じてくれ、納得が行ったら完全仕上げ工程に廻します。
その半仕上げ状態のまましばらく運用する為、持ち帰る事も出来ます。1か月後、完成した銃は自宅まで送られて来ます。

 ハイテクストック。


昨今では写真の様に射撃競技銃にフルアジャスト出来るタイプの物も現れました。
このタイプは反動を吸収するショックアブソーバも装着されています。
従来は既製品ストックを運用で慣れろと言う事でしたから著しい進歩と言えます。

 サベージシステムストック:狩猟用の普及銃であっても多少の部品交換でアジャスト出来るタイプも出て来ました。写真の物はチークピースが4種、パッドプレートが3種交換出来る様になっています。
こうしたシステムストックのお陰で、普及銃もかなり満足の行く物になって来ました。

そうした良く出来たストックに於いても、旧来の射撃方法では銃を実際に構えた時に目標を正しく補足していなければ命中しません。それには㎜単位の正確な肩付けが前提になります。

それにはかなりの長期間トレーニングが必要になりますが、それでも完璧は期し難く、照準微調整の後の発砲となります。ケンさんもこの手法でトレ―ニングを繰り返し一応実用化出来ました。

ある時、フト感じたのは命中への必要要件は正しい肩付けではなく、正しく指向する事であると気が付きました。そこでそうする為にはを色々考え、次の様な新手法が完成しました。

発砲の決断と共に、体は最終発砲直前状態に移行します。
同時に銃身を眼の高さで目標を指差す様に突き出し指向します。
この段階ですでに目標を正しく捉えていますから、引き金を引けば命中しますが、反動で右手中指にトリガーガードが強く当たります。

銃はホッペをかすめ肩に向けて真直ぐ強く引き寄せます。
銃が肩に着くのを待つ必要は無く、引き金を引きますと弾が出た後に、銃が肩に着きます。

最近気が付いたのですが、これにより旨い事に1発目の反動を体が受けずに済み、同時に「反動が無いので、引止まりも起こさずに済みます。」

ストックはホッペの当たり具合と銃身の延長に目が正しく来る様にチークピースを調整しておけば、パッドは必然的に肩の正しい位置に納まります。

新手法は銃身で指向するだけですから簡単な短期トレーニングで身に付けられ、尚且つ照準微調整が不要ですから速く撃て、よく当たります。

新スナップショットは西部劇並の早撃ちが可能」であり、それでいて確実に照準しておりますから「必ず命中」します。

「画期的な新射法」と言えます。銃を速やかに構える事でマイナスになる項目は1つも無く、「新スナップショットは全ての射撃の基本」と言えます。

動的への対応も極く自然です。まず最初に体を最終発砲状態に移行しますが、移動標的の場合は体のヘソで追尾を続けます。

銃を指向する時も当然目標を追尾しながらの指向になり、肩に引き寄せる時に体全体でスイングを加速し、追い越した時に引き金を引きます。

これが「スナップスイング射撃」です。追い越した時に 引き金を引く決断をしても発砲までは反応時間遅れにより時間を要します。

するとオーバースイングがリードとなり、これは非常に上手い事に、目標の速度と距離に自動比例してくれます。

リード自動調整」は狭散布チョーク運用を可能とし、これに7.5号装弾との組合せは50m弱までショットガン効果の「3粒被弾撃墜」を生み、撃墜率大幅増加となります。これに対し一般的ハンターは引止まり射撃、リードが合わず撃墜率大幅低下、対策として散弾広散布チョークを使い、その結果 ショットガン効果の散弾密度に至らず、更なる撃墜率大幅低下、これを散弾パワー不足とし大粒散弾を運用、更にヒット率は低下し、撃墜率は更に更に大幅低下、「近距離&低速限定射撃に陥ります。」

新スナップショットの前提条件はチークピースの調整だけ、他の項目はアバウト、つまり市販ストックで「チークピースの調整」だけで済む事になります。その考えの基、システムストックが生まれました。

この考え方はスコープ取付け時のライフル銃にも応用出来ました。
旧来からのライフル銃には照星&照門が付いており、それは欠点の多い照準器でした。

ライフルスコープの発明は偉大でした。まず遠方の目標にも正確に照準出来ますが、イラストの様に微少上向き発射のお陰で実用照準距離が2倍になりました。

しかし視野が極端に狭いのがスコープの欠点で、素速い照準や走る目標には不向きでした。
この時、従来のスコープ銃はオープンサイトを併用する事も望んだ為、左写真の様にホッペの位置が定まらず、スコープとの位置決めは不可能となり、素速く眼がスコープを捉える事自体が不可能でした。これに対して右はケンさんとサコー75改スコープ専用銃です。

ホッペの位置がストックにより決まりますので、素速い照準が可能でした。
そしてそれは更に発展し、「スコープ専用銃はスナップショットやスナップスイングショットに依るランニング射撃」が得意項目と言える様になりました。

狩猟銃では急所が速やかに狙える事が使える条件としています。ボルトアクション銃はWW1前の1800年代末期にデビューした古い銃でしたが、ボルト銃は「スコープ専用銃で生まれ変わり、あらゆる距離のあらゆる場面で最強の狩猟銃」となりました。

  1.落差無視で0~200mまで直撃が出来る。 
  2.遠射300mが可能である。          
  3.ワンホール射撃が150mで可能である。  
  4.アバウト早撃ち3秒が150mで可能である。

  5.西部劇並の早撃ちが50m以内なら可能である。
  6.未装填と安全解除を取入可能な最も安全な銃。
  7.ランニングショット150mの5発5中が可能である。

前提条件にストックの調整がありますが、チークピースの調整だけで残りの項目は極めてアバウトで OKでした。

ライフルのスコープ専用銃は50m以内のショットガン効果を利用した散弾銃の連射以外、最強の銃である事が立証されました。

  


Posted by little-ken  at 17:30ハンティング銃と弾

2024年05月05日

50年間で分かった事、その4:ショットガン効果。

  12ショットガン効果はパワー無関係の3粒被弾で撃墜。
散弾銃はバラ弾をバラ撒く銃ですが、これにも似た様な現象がありました。上半身に3粒被弾すると、1粒のパワーには概ね無関係に3粒被弾を満たすだけで、「ショットガン効果」で撃墜が可能な事を発見しました。

ショットガンは古く1850年頃からあった筈なのに、どうして1970年まで分からなかったのか? 
実は近距離で撃つバックショットでは分かっており、駅馬車の護衛や保安官はショットガンを多用したのも「ショットガン効果」があったからでした。

ライフル弾は1884年の無煙火薬の発明で直ちに弾速が2倍以上に向上出来ましたが、鳥猟では散弾の構造に原因がありました。

永らくボール紙のピストンで散弾を押し出し、高圧になった火薬ガスは吹抜け易かった。
また弾速が上がると散弾粒は銃身壁に擦られ、溶けてしまいました。その為、無煙火薬によって弾速が上げられない構造にあり、初速は300m/sを下廻っておりました。

鳥猟で50mでショットガン効果により3粒被弾撃墜を満足させるには当然フルチョークの運用が前提です。

しかし旧構造散弾では初速が遅く、30m程度で弾速低下に依り無効弾となってしまい、故にやむなくもう少し大粒散弾を運用しなくてはならず、そうなるとショットガン効果成立の「3粒被弾撃墜には粒数不足」となり、鳥猟でショットガン効果を得る事は不可能だったのです。

3粒撃墜は急所である必要は無く、パワーには概ね無関係と申しましたが、ある程度は皮下まで弾粒が入らなければなりません。

それが旧構造では弾速途中低下で不可能だったのですが、右側1970年以降の新構造になりますと、ピストンは樹脂製で高圧ガスが吹抜け無くなり、散弾も樹脂製カップで、銃身壁で溶けなくなり、初速は400m/sを超える様になりました。その為、2.4㎜粒を50m弱まで無効弾にならず、3粒キープ密度で送り出す事が可能になりました。

その結果、マガモやカルガモでも50m弱で7.5号の3粒被弾撃墜が可能となりました。
急所でなくても3粒被弾で撃墜出来るのがショットガン効果の特徴でした。
鳥猟では2.4㎜粒が400個入った「7.5号 クレー射撃装弾」とフルチョークがベストパフォーマンスとなりました。

獣猟の場合は6.1㎜が27粒入った「4号バックショット」が最強装弾となり、射程は20m前後が多く適正チョークはスキート又はインプシリンダーとなります。

              散弾新旧適合表
散弾重量    32 (g) 散弾サイズ㎜  主な新用途      主な旧用途   
 スラグ     1 粒     18.0      使わない       熊・猪・鹿 
  OOO     6粒      9.14        ↑            ↑      
  OO      9粒      8.38        ↑            ↑
  O       12粒     8.13        ↑            ↑

 NO.1     16粒     7.62        ↑          猪・鹿・中型獣  
 NO.3     20粒      6.35        ↑            ↑
 NO.4     27粒      6.10    猪・鹿(獣猟最大効率)  ↑    
 NO.5     38粒      5.50      中型獣           ↑

 BB(号)    55粒     4.57      中型獣      沖鴨・中小型獣  
 1(号)     80粒     4.06        ↑ (キヨン)    遠鴨・小型獣    
 2(号)     95粒     3.81      使わない         ↑      
 3(号)    123粒     3.56        ↑             ↑     
 4(号)    152粒     3.30   小型獣(キツネ等)       ↑
 
 5(号)     191粒     3.05      使わない        雉・山鳥       
 6(号)     253粒     2.79        ↑             ↑         
 7(号)     336粒     2.54        ↑             雉鳩        
 7.5(号)    400粒     2.41  雉・山鳥・マカモ(最大効率) ↑    
 8(号)     461粒     2.29        ↑              ↑
 9(号)     658粒     2.03     タシギ・小鳥類         ←     

現在の散弾粒の序列は大きい方から、(スラグ18㎜)(OOO・9.1㎜・6粒)(OO・8.4㎜・9粒)(O・8.1㎜・12粒)と並び、次が1~5号のバックショット(7.6㎜・16粒)(6.4㎜・20粒)(6.1㎜・27粒)(5.5㎜・38粒)と続きますが、2号バックはありません。

この後にバードショット1~9号が続きますが、古い系列のBB号4.6㎜55粒だけが残っており、トラップ射撃用の7.5号2.4㎜400粒だけが少し系列外になります。

昔は7号もあり、小粒は12号まで、更に1~12号までの上にBシリーズ(BBB・4.75㎜・50粒、BB・4.50㎜・59粒、B・4.25㎜・84粒)がありました。

その上にAシリーズが(AAA・5.50㎜・32粒、AA・5.25㎜・ 37粒、A・5.00㎜・43粒)ありました。

更にその上がOシリーズ(OOO・9.1㎜・6粒)(OO・8.4㎜・9粒)(O・8.1㎜・12粒)でした。1~5号バックショットに換わり多少寸法違いですが、F・T・SG・SSG・SSSG等があり、様々な名称でした。
ビロードキンクロとカナダガン
旧用途よりもう少し昔の黒色火薬時代ではBシリーズが主に鴨用、Aシリーズは主に雁用、Oシリーズは中型獣用でした。

ケンさんが狩猟を始めた直後は旧用途時代で、黒色火薬と無煙火薬が両方使用されていましたが、市販弾は紙薬莢の無煙火薬、多くのハンターは黒色火薬の手詰めの時代でした。
市販弾の多くは銃砲店組立製でした。無煙・黒色の性能は概ね同じと言えました。

それ以前の時代では村田銃や空気銃も、かなりの数が町の銃砲店製であり、未登録銃が大手を振って横行していました。

1955年に「狩猟ブーム」が始まり、水平2連銃の時代となり、町の銃砲店製の銃は衰退して行きました。

ケンさんの狩猟を始めは1970年、この時代もカモにはBB号が多かった様に思います。
その頃はビロードキンクロと言うカルガモよりかなり大きな大型カモが20羽程の群で波状的に大量にやって来ました。

待受ける側は2m毎に1人、鴨の群が来る毎にBB号100発 前後が鳴り1~2羽が被弾し、飛行継続困難となり遠方に不時着、回収出来るのは10%も無いと言う酷いカモ撃ちでした。

誰の弾が当たったかは厚顔で手を挙げた人の物となりましたが、配慮で新人にも1羽持たせてくれました。弾数100発に対し1羽程度にしかならない低効率でした。

給料3万円時代に1発50円が100発はキツイ時代でした。これはケンさんの求めている狩猟ではなく、2度行っただけで終わりました。

2014年にケンさんがNZでカナダガン猟をした時は4号装弾を使いショットガン効果で撃墜、9発9中でした。

昔の雁撃ちはAシリーズの30~40粒クラスで撃ち、Bシリーズのカモ撃ちより散弾の粒数の比例で撃墜効率が低下し、捕獲効率は桁違いに悪かったと思われます。

この様に「ショットガン効果」の「3粒被弾撃墜」に比べ、撃墜効率は1/10を大きく下廻ったと思われます。その特殊効果を使わない場合は余程当たり場所が良くない限り撃墜回収に結び付きません。

 鉛散弾の規制
:すでにエゾ鹿猟では2000年から、2004年からヒグマ猟も禁止となり、2014年 からは所持その物が禁止されました。

2025年からは一般の散弾含む全てが対象となりますが、取り敢えずはモデル地区のみの実施となり、2030年を目途に全面禁止となる様です。

そうなると現在の時点ではスチール装弾5号までしか販売されておらず、「ショットガン効果」を利用した、「7.5号射撃装弾」+「フルチョーク」の組合せにより、「3粒被弾撃墜」の特殊効果が使えなくなってしまいます。

鉛の比重は11.36(鉛基準100%)、銅は8.93(78.6%)、鉄は7.87(69.3%)、錫は7.30(64.3%)、亜鉛は7.14(62.9%)、比重とコストで行けば鉄か銅と言う事になります。

ライフル弾やサボットスラグ弾では銅が使われており、散弾では主に鉄が使われています。現在市販されているのは主にスチール装弾で、同じ粒径で合計重量が同じであれば、1.44倍の粒数となります。

鉛7.5号トラップ装弾は32g時に400粒が入っています。
これで50m弱まで3粒被弾撃墜が可能です。

これと概ね同じ条件と言う事になりますと、鉄6号装弾があれば、散弾は364粒となり、鉛7.5号に比べ91%が保たれ45m前後まで3粒被弾撃墜が可能となります。

スチール弾の方がややチョークが強く作用し、もう少し善戦出来るかも知れません。
鉄6号装弾に10%以上飛行体重量を多くした、マグナム装弾があれば概ね対等と言えます。

しかし、現在は鉄5号275粒装弾までしか販売されておらず、鉛7.5号に比べ69%しか粒数が入っておらず、3粒被弾撃墜を35m弱までしか満足出来ません。

ショットガン効果の3粒被弾撃墜を満足出来なくなりますと、35mを超える射撃の撃墜は当たり場所が良かった場合に限られ、推定1桁撃墜率が下がります。

35m以下の射撃では下がらない為、総合撃墜率は推定で約半分程度になると思われます。

  


Posted by little-ken  at 09:36ハンティング銃と弾

2024年05月02日

50年間で分かった事、その3、マグナム効果は皆無だった。

  捕獲技術はお金で買う事は出来なかった。
キングクラフトカスタム600万円~
昔から高額なカスタム銃と言う世界がありました。上写真は国産のキングクラフトカスタム、300mで数㎝の着弾性能を立会試射で確認後の引渡しをしていました。

それ程に命中するなら、どんな獲物もバッタバッタなのか? 2000年頃、キングクラフトを持った歯科医を案内する機会がありました。100mもダメ、50mの鹿も怪しげでした。捕獲は50m以下で撃てたデメキン小物数頭だけでした。

高精度な銃はお金で買えますが、命中させる為には射撃技術と獲物に圧倒されない心が必要です。最も重要な「命中させる為の腕」と「捕獲する為の心はお金では買えない」のです。

つまり銃だけ抜群な物があっても全く役に立ちません。そして市販銃は全ての場面で捕獲に必用な精度とパワーを十分に持っています。「カスタム銃は業界の陰謀」だったのです。

  即倒面でマグナム効果は無かった。
  遠射面でもマグナム効果は無かった。

今や「全く無意味である事が証明されてしまったライフルのバイブル」ですが、それによれば、即倒する確率はパワーに比例すると言った感触が謳われていました。

スクール初期頃はそんな時代でしたからエゾ鹿用のライフル銃の過半は300ウインマグを筆頭としたマグナムライフルでした。

概ねStd308比で1.4倍のパワーでした。もし即倒率がパワー比例であれば、308で直径150㎜が即倒エリアであるとしたら、直径210㎜まで拡大しても即倒してくれる事になります。

これだけの差があれば目視で十分なパワー差による即倒率の違いを感じられる筈です。しかし実際のマグナムライフル射撃多数を見ましたが、「マグナムの即倒率効果は皆無」でした。

マグナムにはもう1つのメリットがあります。弾速が20%程速いのです。必ずしも20%弾速向上と40%のパワーアップは同時且つ完全には両立しませんが、弾速が速ければ落差が少なく、遠射にも有利な方向となります。一口に言えばStd308の300mと同じ落差で、350mまで行けます。

しかし実はライフル射撃の射程距離と言うのは次の様になります。
100m以遠の長距離射撃には特別な練習が必要でした。

殆ど練習しない場合は僅か20mに留まり、多少練習して50m、かなり練習しても100mを超えられず、地元猟友会がライフル銃で1年中行っている駆除でも150mは撃つ人は少なく、鹿は余り撃たれない150mにいます。

従って300mは夢のまた夢、銃と弾はすでに何度も申し上げている様にその性能を持っているのですが、それを発揮出来る射手は1%を大きく下廻る程度なのです。

つまり「300m遠射は概ね誰も出来ないのですから、弾速が速くても全く無意味」と言えました。そして射撃技術と落差補正さえ掴めば、「Std308でも300mの遠射は楽勝」でした。

エゾ鹿猟とライフル銃のブームは1990年頃、国内銃販売業者によって起こされました。

この時に国内銃販売業者は良く当たる筈のカスタムライフルと、良く倒れる筈のマグナムライフルが売り付け様としましたが、これらは全て「カスタムライフル&マグナムライフルは業界の陰謀その物でした。

市販銃は十分な精度を持ち、マグナム効果は皆無であるにも拘らず、それらに依り捕獲率が大幅に上げると信じ込ませる、業界の陰謀だったのです。

   銅弾は最高、良く命中し、良く倒れた。
  10即倒率100%の実用的な急所はあった。
  11急所ヒットすれば概ねパワーには無関係だった。

ライフル銃の弾頭は2000年頃から銅弾頭に変わり、初期の評判では「銅弾頭は従来鉛弾頭より命中精度が大幅に劣り」、「ヒットしても貫通するだけ倒れない」と言う風評でした。

ケンさんが実際に運用しても「なる程」と言う感触は多少ありましたが、やがてそれは従来鉛弾設定のまま銅弾頭にするから命中率が低下しますが、銅弾頭にも良い精度を出せる設定はあり、即倒も 急所に正しくヒットすれば普通に倒れ、正しく当てないので倒れなかったのです。

更に上写真の「ナミビアポイントを撃ちますと即倒率は100%」である事を発見しました。
この急所は鉛弾頭では使えなかった急所であり、「銅弾頭だから可能な急所」と言えました。

この「新開拓の急所は、即倒率100%」ですから、マグナム不要論にも完全に終止符を打つ事が出来ました。正しく急所ヒットすれば、308でも即倒即死となり、20番スラグ等の308比70%の弾頭でも、遜色なく即倒即死しました。

つまり正しく急所ヒットすれば、概ね「正しく急所ヒットすればパワーには無関係」だったのでした。

  


Posted by little-ken  at 09:58ハンティング銃と弾

2024年04月27日

50年で分かった事、その2:市販銃はワンホールの能力があった。4

  市販銃はワンホール射撃能力があった。
  安物スコープは十分な実用性があった。
  激安弾は十分な実用性能があった。

2~4に付きましても先回の説明ですでに十分カバーされていると思いますが、もう少し追加します。ケンさんの使用弾は1発80円のロシア製の「当たらない事」「銃が痛む事」で「酷評だった激安弾」であった事は素手に書きました。

実戦用の弾は、これまた「命中しない事」「命中しても貫通するだけで倒れない事」で「酷評」だった初期型のバーンズ銅弾頭に挿げ替えた「酷評コンビ弾」でした。

ケンさんはこの「酷評コンビ弾」で1051頭のエゾ鹿の70%以上、6頭のヒグマ、海外大物の60余頭の殆ど全てを倒しました。それで精度が落ちる事も含め、他のトラブルも一切皆無と言えました。

巷の常識と言われていた事は全て嘘だったと言えました。これらの「風評も酷評も全て嘘」でした。

銃だけではなく、スコープも安売り品で十分でした。ケンさんが使ったのは、H&Kオート時代は「タスコの固定4倍の2万円」、「サコー75になってからはリューポルドの3~9ズームの3万円」でした。

これでワンホールも遠射もOKなのですから、「高級銃や高級スコープと不要」と言い切れました。

市販銃と市販弾で十分な精度が出せるのですから、高額なカスタム銃等は一切不要であり、命中 精度を良くする事を謳ったアフターパーツ類も全て同様でした。

それらは「カスタム銃を代表にユーザーから金を巻き上げ様とする銃砲店の陰謀その物」でした。

  クリーニングは概ね不要だった。
更にそれだけではなく、実はケンさんの銃は概ねクリーニングレスでした。最初からそうだったのではありませんが、クリーニングしても命中精度が向上しないので、命中率が低下するまでクリーニング期間を伸ばして来ました。

その結果、狩猟の実戦レベルでは「クリーニング不要」でした。最終的にはシーズンが終わって愛銃が長期冬眠するその時まで、クリ―ニングを行わずでした。

サコ―75で手を入れたのは10年程運用で、雷管の固いロシア激安弾で稀に不発が起こる様になり、撃針バネだけを交換したかったのですが、バネだけの部品設定が無いと言う事で撃針も交換しました。

それ以外は全くノントラブルの銃でした。
  


Posted by little-ken  at 17:59

2024年04月22日

50年間で分かった事、その1。

ライフリングの発明は射程が数倍になりました。ライフルスコープも取付高を利用し微少上向き発射のお陰で、射程が2倍になり、2つの組合せはライフルの長射程の実用性を著しく向上させましたが、 スコープは「視野が狭くスナップショットは不得意」でした。所がスコープ専用銃のアイデアと銃を指向、肩に着く前に撃つと言う新射撃方法の組合せにより、「不得意項目は得意項目」に換わりました。

更にこの流れの延長は遠くを走る鹿さえもイージーターゲットとなり、これも「得意項目に換えました。」それらは過去の大発明に匹敵する素晴らしい発明と言えました。一方従来からその方面の常識と  されていたライフル銃のバイブルがありました。「パワーと精度は狩猟成果に正比例、高額で強力な銃程、よく当たり、良く倒れる」と言う物でした。実際は以降の説明の様に「真っ赤な嘘」でした。

  ライフル銃のバイブルは嘘だった
銃身は真直ぐですが、ストックは肩に着ける為に下方に曲がっています。銃には反動があり、過渡的には反動で銃身が下に曲がり、それを戻そうとする為に銃身が振動を起こします。

振動は基本的に正弦波ですから、上下には安定期があり、この安定時期に弾が出れば、安定飛行すると言うのがライフル銃のバイブル的な考えでした。これ自体は間違ってはいないだろうと思います。

その為には2つの方法がありました。1つ目は火薬の量を微調整して弾速を変え、銃身の振動安定期に弾を通過させると言う物であり、これが王道とされていました。

自分の銃に合う弾を作る為に、火薬量を微調整した弾を多数作り、試射を繰り返し、モアパワーとモア精度を兼ねたベストポイントを求めると言う物でした。

 ベンチレスト射撃大会と言う物もあり、ベスト記録は100mで5発が1.08㎜であり、300mで9.82㎜射撃結果は、当然ワンホールの素晴らしい射撃となりました。

またパワー面では最大Stdカートリッジの20%増しに迫り、こう言うベストな弾を持ってエゾ鹿猟に行き、エゾ鹿の超大物を倒す事が彼らの目標と言えました。  

2つ目は弾薬側の条件を固定しておき、銃身先端に反動軽減を兼ねたマズルブレーキを装着、その取付位置を微調整する事で、銃身振動定数を調整し、その安定期に弾を通過させると言う考え方でした。

ブローニング系とウインチェスター系の銃に1時期Bossシステムとして設定がありました。
理論は間違っていないとは言え、効果が無かった為か、比較的短期に立消えとなりました。

王道と言われた1つ目の火薬微調整手法も、同様に効果はかなり疑問でした。

ケンさんも試しにやって見ましたが、実験計測のプロであるケンさんがやっても安売り市販弾超えの精度の物が作れず、以後は市販弾をそのまま使いました。この時「ライフル銃のバイブル」に1回目の疑問を持ちました。

バイブルでは「市販銃と市販弾薬ではワンホール射撃は出せる可能性が無い」と言われておりました。確かのベンチレスト競技では凄いと言える結果が出ていますが、それはベンチレスト競技に特化した重装備の専用銃から出た結果でした。その特別な装備とは次の様な物でした。
ストールパンダ6㎜PPC

   1.ベンチレスト専用銃+超極太銃身。 
   2.特別製の軽いトリガー。
   3.高倍率50~80倍のスコープ。 
   4.銃の前後ともレストに載せた全依託射撃。

   等々の実戦狩猟には決して使えない装備の数々でした。

ケンさんは1997年から根室でエゾ鹿猟をする様になりましたが、走る鹿が多く、これに命中させてやろうと思いました。弾の飛行精度は静止目標に向け発射した時と変わりない筈です。

照準合わせには至難が伴うであろうが、少なくとも比較的近くの50m、100m位までなら、何か手法があるだろうと思い、取り敢えず下記の手法に辿り着きました。

それでH&K SL7と言う高精度が謳い文句の自動銃を1998年に購入しました。そして3シーズンに 2000~3000発を走る鹿に向け発射、実用距離50mながら、5発強で1頭捕獲の「スイングショット」の入口に到達しました。当時はそれで「ランニングショット」を克服したつもりになっていました。

「高精度ワンホール射撃」も「ランニング射撃」も「遠射」も全て反動を恐れる「フリンチングが大きく絡んでいる」事にはすでに気が付いていました。

そんな時、交通事故に巻込れ、2年間弱実射が出来ませんでした。
そして1年強は弾を入れないドライファイアを繰り返しました。

その結果、射撃には反動を伴わないと体を騙す事が出来、2002年射撃再開したその日に、150mテーブル撃ち5発が精度だけで言えば5発で9㎜が出ました。
的の中心寄りでも12㎜と言うワンホール射撃が達成されてしまいました。

銃はH&Kオート、もちろん市販ドノーマル銃、スコープは最も安売りのタスコ固定4倍、弾薬は比較的高精度の安売り市販弾と言われたラプア狩猟弾、射法は普通のテーブル撃ちでした。市販銃と市販弾でワンホール射撃が達成されたのは事実でした。

上位ベンチレストには至りませんが、「ライフル銃のバイブル」に2回目の疑問を持ちました。

その後300m遠射を達成する為に銃をサコー75改に換えました。

150m射撃は弾を安売り弾にグレードを下げた為、5発1ホールは出せず、ベスト18㎜のワンホール崩れでしたが、この時も3発なら10.0㎜、以後も3発なら13㎜・11㎜ワンホール直前が出ました。

この時「ライフル銃のバイブル」に3回目の疑問を持ちました。3回続くと言う事は最早動かし難い新しい事実が立証されたと言えました。

ライフル銃のバイブルは全て嘘だった」だから「安売り弾の精度を超える弾を作れなかった」のであり、市販銃と市販弾で「ワンホール級射撃が可能」だったのです。

ランフル銃の最も中心的な考えが嘘だったのですから、以後も続々その立証が続きます。

  


Posted by little-ken  at 17:19射撃ハンティング銃と弾

2024年04月20日

50年間で分かった事。

1.ライフル銃のバイブルは嘘だった。
2.市販銃はワンホール射撃能力があった。
3.安物スコープは十分な実用性があった。
4.激安弾は十分な実用性能があった。
5.クリーニングは概ね不要だった。

6.捕獲技術はお金で買う事は出来なかった。
7.即倒面でマグナム効果は無かった。
8.遠射面でもマグナム効果は無かった。
9.銅弾は良く命中し、良く倒れた。
10.即倒率100%の実用的な急所はあった。

11.急所ヒットすれば概ねパワーには無関係で即倒した。
12.ショットガン効果はパワー無関係の3粒被弾で撃墜。
13.銃で指向する「スナップショット」は画期的技術だった。
14.スコープ専用銃は画期的な発明だった。
15.ストックの調整はチークピースの調整だけだった。

17.実射練習からフリンチング対策が出来、射撃が上達する事は無かった。
18.フリンチング対策をしなければ射程20m、射撃場通いで100m弱が限界だった。
19.失中の原因「迫力負け」等の心の不安にあった。

20.休猟区明け解禁開けフィーバーは僅か10分間だった。
21.エゾ鹿はフィーバー日(概ね6日サイクルの悪天候明け)に一斉に行動する。
22.フィーバー日以外は鹿に出会えない3流ガイド。
23.繁殖期のエゾ鹿は広い場所で順番に自己の存在をアピールする。
24.紋別のエゾ鹿のベストシーズンは10月下旬からの4週間だった。
25.根室のエゾ鹿のベストシーズンは12月中旬からの4週間だった

26.全依託射撃が出来れば300mは外れない。
27.ワンホールが出来ると150mアバウト早撃ちが出来る。
28.肉眼で見える「映像」は0.4秒程古い「虚像」であり、「実体は別の所」にあった。
30.リード自動調整の「スイングショット」は、散弾銃もライフル銃にも使えた。

31.散弾銃の引き止まり、ライフルの照準ブレ、原因は全て「フリンチング」だった。
32.「狩猟ブーム」は銃業界がWW2後不況対策で興し、日本に1955年頃伝わった。
33.「マグナム銃」と「カスタム銃」も同様目的であったが、「銃業界の陰謀」だった。
34.1990年頃日本の銃販売業界が「エゾ鹿猟」と「ライフル銃」のブームを起こした。
35.本州鹿巻狩りは射撃勝負ではなく、気配先取り勝負だった。

36.丸見えの場所で見張りを辞め、微動もしないで待つ「禅の心作戦」が有効だった。
37.本州鹿は季節的な移動をしないが、流し猟が可能だった。
38.エゾ鹿猟は桁違いの良い環境だった。                           
39.ドッグレスは最高の猟であった。

以下順番に次回から詳細説明に入ります。
  


Posted by little-ken  at 17:31ハンティング銃と弾

2024年04月14日

白糠のメス特別解禁。1994年。

  メス鹿が特別解禁1994年1月16日~31日、
永らく禁猟であったメス鹿が特別解禁されました。解禁の前日までのメスは本当に道端にゴロゴロおり、メスなら幾らでも獲れると思った人も多いと思います。

メス解禁前は朝7時頃林道を走りますと、カーブを10~20回程曲がれば、撃たれないメス鹿の群れがいました。またカーブを10~20回ほど曲がりますと次の群れがいます。

こんな光景が毎日約一時間続きます。夕方でもその半分位を見る事が出来ました。元GUN誌のW編集長の狩猟能力は驚く程に酷いのですが、それでもメス解禁に白糠のメスなら「オレでも獲り放題」と、鹿肉の注文をたくさん集めて来ました。

当時メス鹿はこれ程いたので、メスが撃てるとあらば、獲り放題誰もがそう思いました。

初のメス解禁の日には記録破りの驚く程の人出となりました。実際に林道のメインストリ-トは100mに1台程の車がウジャウジャおりました。どの車にも2~3人が乗っております。あれ程たくさん居た筈のメス鹿はすでに1頭も見えません。

余りの車の量に鹿の動きが全く止まってしまった様でした。
ケンさんはこれでは鹿に出会う事が難しいと感じ、すぐさまマイナー林道に入りました。

やがて解禁の時間と共に、銃声が連続十数秒続きました。如何にハンターが多かったのか想像が付きます。

間もなくケンさん達もメス3頭の群れに50m強で出会いましたが、編集長は心が定まっておらず失中、ケンさんはダブル捕獲でした。その後ケンさんは更にもう1頭を捕獲しました。

午前中の出会いはそれで終わりましたが、その日の夕方も、2日目も朝夕、更にその翌日も、あれ程居たメス鹿は1頭も見る事がなくなりました。

4日目の少し遅目の朝に1度だけ鹿が急に動き出しまし、またそこで1頭を頂く事が出来、ケンさんはその翌日帰りました。

しかし編集長はその後更に1週間猟をしましたが、あれ程たくさん道端に居たメス鹿は、その後遂に1頭も見る事がなかったそうです。全く見事なメス鹿群れの豹変でした。

メインの林道の道端には鹿捕獲の痕跡が約1㎞毎にありましたが、あの100mに1台の膨大な車の量からすれば、獲れたのは10台に1台程度、獲れなかったガッカリ組が殆どではなかったかと思います。

オスも猟期前半はメスに惹かれて動きますので、従来はオスも多少姿を見る事が出来たのですが、メスがハンターに追われた以降は、オスの出会いも激減しました。

その翌年、ケンさんは白糠山奥で脱輪させ、回収は来春を覚悟しましたが、Hプロに助けられました。休猟明けから数年、特にメス特別解禁の後の白糠は、出会いが極端に少なくなりました。

それ故にHプロも来年から休猟明けとなる根室に移ろうと思っており、ガイドも出来るので良かったら来ないかとの誘いを受けました。車を助けてもらったお礼を兼ね、ガイド猟を試す事にしました。

  白糠エゾ鹿の単独流し猟。1996年。
花巻合同の白糠民宿巻狩りは何年やっても獲れないので解散、ケンさんは単独流し猟を計画しました。そこで北大駐在のボロパジェロを白糠まで回送してくれるように依頼しました。

日頃諸経費全てをこちら持ちで何年も無料運行しているのですから、それに応じて当然と言えました。また状況が変わり、車を引き上げる事になっても、言うべき言葉は「永らく無料で使わさせて頂き、ありがとうございました」になる筈です。

しかしW編集長の長男はグズグズ言って逃れ様とし、車をゴネ得しようとしました。何時の間にか原則を忘れ、人の褌でイイカッコするのが、当たり前になってしまったのでした。

それで頭に来まして、北大の寮まで取りに行きました。
勿論日時は事前に連絡してありますが、予想通り居留守でした。

車を預けておく方法は上手く行かない事が判りました。

駐車場で車を探し出し、寮の管理人に車を引き上げる旨の連絡を残し、持参のスペアキーで持ち帰りました。1996年からケンさんは白糠の単独流し猟を行い、概ね1日1頭を捕獲が可能となりました。

さてケンさんは概ね1日1頭が獲れた流し猟ですが、誰でも獲れるのか? 

ケンさんの地元からも「狩猟界」流し猟成功記事に刺激された有志3組が、ガイドレス自前流し猟に挑戦しましたが、実戦1週間ずつ3年通っても、残念ながら全て撃沈でした。

また白糠同宿の流し猟6組も連日捕獲ゼロが続いていました。エゾ鹿猟は誰でも獲れる程甘くはないのです。多くのハンターは「銃業界」と「狩猟界」合同の陰謀により、無駄な出費と努力を強いられました。

  


Posted by little-ken  at 08:46ハンティング