2023年07月25日

ケンさんの悪性リンパ種の近況。

発症は2019年3月でした。当時使っていた日産キャラバンの運転席に上がる事が難しくなりました。病院嫌いのケンさんですが、これは尋常ではないと、病院に行きました。そして色々なたくさんの検査を経て、悪性リンパ腫と診断され、2019.年4月に入院しました。

遡れば倒したエゾ鹿の所まで行くのに、どうしてこんなに大変なのか、これも高齢の為なのかと思っていましたが、そうでは無く、その頃から病気の影響は出ていました。

  CHOP療法で入院
当初の入院はCHOP療法と言う化学寮法でした。1週間入院、2週間自宅と言うサイクルが6回の予定でした。ムカムカが強く、頭髪を含む体毛がどんどん抜けて行きました。

しかし自宅2週間の後半1週間はムカムカもかなり収まり、その間はまだバレーボールが出来ました。2019年6月には医者には内緒で、マレーシアの芭蕉カジキ釣りに出掛けました。

悪性リンパ腫は治らないのですが、治療が終わったら秋にはスクールを続行するつもりでおり、それを希望に治療に耐えておりました。ところが治療中にも関わらず、2019年7月、悪性リンパ腫が再発、 治療は翌月から第1シリーズより遥かに厳しい、第2シリーズに移りました。

  造血幹細胞移植で再入院
今度は体の血液を全て強い薬品で殺し、新しい造血幹細胞を移植する治療であり、30%が歩けなくなると言う、本当に半殺しの治療です。後刻知ったのは水泳の池江璃花子選手も、同時期リンパ性白血病を発症で入院、化学療法で効果が無く、半殺しの造血幹細胞移植の治療を受けたそうです。

第1シリーズとは比較にならない程の苦しい治療でした。今度は3週入院で1週自宅と言う治療で、6回が予定されていました。3回目からもう食事が喉を全く通らなく、水も飲めなくなりました。

栄養も水分も全て血管の中に直接注入されます。流石にもう何も出来ず、只々時間が過ぎるのを待つだけとなりました。

4回目から体中の皮膚が剥けました。同様の事は体の内側でも起こっているらしく、何も食べていないのですが、激しい下痢が1時間毎に起きました。やがて大の方も小の方も局部はズル剥け、排泄には地獄の苦しみを伴いました。また当初はトイレも1人で行けましたが、やがて介護付きでなければ行けなくなりました。

  夢を見ました
1980年頃、A型肝炎が劇症化し、意識不明となり特別室に移されました。そこは過半が裏口から退院すると言われている部屋でした。そして数日後に夢を見ました。それは遠くの一角がやけに賑やかで明るく輝いている夢でした。明日行ってみようと思いました。

そして翌日なのかどうかは分かりませんが、目を覚ましました。明るく見えた所がこちら側の世界なのか、あちら側の世界なのかは分かりませんが、こちら側の世界だった様な気がします。

結果的に目を覚ましたのはこちら側の世界でした。そしてその日を境に症状はぐんぐん良くなり、一般病棟に戻る事が出来、1ヶ月後に退院出来ました。

今回もこの半殺し治療の時、また夢を見ました。それは巨大なダイコンの親分が祭られている神社でした。ケンさんが近くまで行くと、その祭られている巨大なダイコンが突然歩き出しました。こっちに来いと言っているので後を付いて行くと、ブルーの光線を浴びせられました。

その光線が偶然近くにいた中年の女性にも当たりました。するとは女性はみるみる若返って行き、ケンさんをバレーボールに誘ってくれました。夢はそこで終わりました。それで行くとケンさんも若返り、また若者に戻れる事になる、そんな明るい未来を感じさせる夢でした。しかし現実は違いました。

そんな半殺しの地獄の治療が永遠に続くかと思われましたが、物事には全て始まりがあり、そして終わりがありました。2019年12月退院となりました。幸い辛うじて自力で歩けました。2F資料室まで何回も休みながらやっと行く事が出来ました。

これで社会に復帰出来れば、やがてはそんな大変な時期もあったと言う「思い出話」になるのですが、そうは行きませんでした。概ね同時期に池江璃花子選手は急性リンパ性白血病と診断され入院し、そして概ね同じ治療を受け、これまた同時期に退院されました。

璃花子選手も抗がん剤投与等を続ける化学療法を始めましたが、合併症による体調悪化で断念し、19年夏、「造血幹細胞移植」を行った処、これで劇的に回復し、翌年3月にプールに入れるまでになり、更に半年後には競技に復活しました。 

璃花子選手の言葉は忘れません。「努力は何時か報われると信じて頑張って来ましたが、こんなに早く報われるとは思っていませんでした。」
そしてその後は言葉になりませんでした。

造血幹細胞移植は、血液細胞の元となる造血幹細胞を健康なドナーから採取し、点滴で投与します。合併症の恐れもあり、一般的に移植後も検査や治療を長く続ける必要があり、国立癌研究センター中央病院の福田隆浩・造血幹細胞移植科長(56)は「退院後、1年余でトップアスリート域まで回復するのは極めて異例」と驚いたそうです。

しかし彼女もまだ再発の可能性が無くなった訳ではなく、多分3カ月毎にケンさんと同様の検査を受けていると思われます。

  .余命1年通告と撤回。
ケンさんの場合は璃花子選手とは真逆でした。
彼女がプールに入れる直前まで回復した2020年2月末、ケンさんは三度目の再発、医者からはもう治療方法は無く、最後の時を覚悟して下さいと言われました。あの苦しかった治療は何だったのか、今までの医療費2000万円(払ったのは200万円弱)は溝に金を捨てた様な物と言えました。

半年後の2020年9月、コラが最後のチャンスかも知れないが、新しい治療を受けてみないかと誘われました。苦しいのも痛いのももうゴメンだと断りましたが、これは痛くも苦しくもない様ですよと言われ、ダメ元で受けてみる事にしました。月に1回の半日通院6回コースとの事です。

このポテリジオと言う 治療で初めて効果があり、最後通告は撤回されました。現在は最後通告からで言えば、3.5年が過ぎました。今も3カ月に1回の検査がありますが、今の所は再発無しが続いています。

  悪性リンパ腫の生存確率
悪性リンパ腫は80種以上の種類があり、癌全体の中では3%程度、発病すれば12%が1年以内に死を 迎えます。恐らく治療方法は全ての患者にあると思うのですが、1回の治療が半年間、合う治療法が見付かるまでに死んでしまうのです。ケンさんもヤバイ所でした。

今は73才、3.5年が過ぎました。もうこれで大丈夫なのか? それはまだの様で、5年以内に半分弱の40%が死ぬ、その範疇にいます。5年を過ぎると再発の可能性は低くなり、最終的に全体の40%が生残れる様です。逆算すれば、悪性リンパ腫に掛かれば10年以内に60%が死ぬ事になります。

ケンさんも更に1.5年を無事に過ごせれば、多少安全率が高くなる様です。
取り敢えずは5年以上の組に入れるとイイなと思っています。

悪性リンパ腫で死んだ有名人は下記の通りです。
 1.高倉健 2014 84才 
 2.時天空 モンゴル関取 2015 37才  
 3.松方弘樹 2017 74才

  バレーボール再開
余命宣告も解除され、コロナも落ち着き、マスクも不要となった2023年4月よりバレーボールを再開 しました。まだ走る事は出来ず、勿論ジャンプする事も出来ませんが、周りは40~50歳の叔母様やその息子さんや娘さんが多いのですが、何時の日にか再び走ってジャンプするプレーが出来る日を夢見ています。

心配された高齢による反応遅れは左程ではなく、スロー再生能力は失われましたが、先読みカードのプレーは有効であり、予想よりは善戦出来ています。
「不可能に挑戦こそ我が人生」、もう1度チャレンジしてみようと思っています。
  


Posted by little-ken  at 13:48闘病

2021年04月02日

ランクル300を予約して来ました。

ケンさんです。
悪性リンパ腫の低空飛行はまだしばらく続けられそうなので、ランクル300のディーゼル車の先行注文をして来ました。最も上手く行けば納車が8月頃との事です。

生きる楽しみが増えました。どれだけの期間を運用出来るのかは分かりませんが、ずっと長生きしてランクルライフを楽しみたいと思います。
しかし700万円オーバーは痛いですね。

ケンさんの予測では2030~2040年頃、ディーゼルの新車の製造は終わりますが、価値が無くなるのではなく、その逆でもう生産されないのでディーゼル車には非常に大きなプレミアムが付くと思っています。

仮に石油系の軽油の流通はなくなっても、燃料の適用範囲の広いディーゼル車はバイオディーゼル燃料で生き続け、電気もロクにない世界の僻地でランクルディーゼルの価値が無くなる事は永遠にないと思います。キューバの1950年代のアメ車の様に、ランクルは永遠にネバーダイなのです。

ランクル200も10年ほど前からのパリダカはずっとバイオディーゼルで参戦し、市販車ディーゼル部門で勝ち続けました。

  


Posted by little-ken  at 16:13闘病

2020年07月07日

北海道キャンプ2020

久米島マグロ釣りと同様に多分行けないだろうと思っていた北海道キャンプでしたが、ガン治療の新薬と我が奥様の絶大な協力のお陰で何とか北海道キャンプも行って来れました。
前半は曇りと雨の連続でしたが、後半になってやっと晴れてくれ、10度以上訪れた納沙布岬からは初めての事ですが、珍しく樺太(サハリン)の山並が見え、真っ赤な夕焼けをバックにした利尻富士が良く見えました。



渓流釣りも2WDキャンパーの林道走行は不向きな為、ニッサンXトレールのレンタカーで行って来ました。先回4月に行った時は完敗でしたが、今度は例年のペースで釣れました。
そのXトレールの出来の悪さにびっくり、乗り心地の悪さ、路面ノイズの大きさ、ブレーキの喰付音が大きい事、この「瞬間が日産」を強く思わされました。

トヨタと日産はハイエースとキャラバン、ランドクルーザーとサファリの比較に代表されますが、似た様な車に見えても日産は20年分の技術が遅れております。ハイエースもランクルも10年10万kmはノーメンテナンス、20年20万kmは微少修理の程度で乗り越えられました。しかしキャラバンは10年10万km未満であっても毎年数回はデーラーにクレームを付けに言っておりました。

中古20歳のハイエースやランクルは海外市場でも高額ですが、キャラバンはかなり低額です。
かなり低額が故にケンさんはキャラバンやエルグランドを使っておりますが、これらの20年遅れを抜本的に対策しなければ日産の再生はあり得ない様に思います。

渓流釣りは幾つかある秘密のポイントの中の1ヶ所目は大雨で地形が変わっていて使えない状態でしたが、他の2カ所は予定通りの釣りが出来ました。

2カ所目はドリーバーデンのポイント、22cmを筆頭に5匹、内3匹は成魚、腹がオレンジ色になっています。 3カ所目はレインボウのポイント、30cm級大物が2度ヒットしましたが、残念ながら水面下で外れてしまいました。結果は20cmを筆頭に8匹が釣れました。

大きいのは塩焼き、中位はムニエル、小さ目の物は熊笹の姿寿司にしました。
久しぶりに食べるドリーバーデンの塩焼き、また熊笹の押寿司は非常に美味しかったです。

食べ物の話ですが、稚内市場で大きなタラバガニ1匹が3500円でした。脱皮後の実入りが良くない状態でしたが、味は非常に良く十分な合格点、庶民の煮魚の王者である「柳の舞」3匹が250円、これも抜群に美味しかった。

また大好物である北海道ならではの魚の入った漬物も久しぶりに稚内で出会えました。
それは基本的には大根やキャベツの米麹漬けですが、これにサケやニシンの魚が漬込んであります。20年前には北海道中の空港の売店や町のスーパーでも極く普通に売っていたのですが、途絶えて久しくなりました。今回のキャンプで稚内が改めて好きになりました。

また帯広まで足を延ばし、2019朝の連続ドラマ「なつぞら」の資料館等を見て来ました。
「しばた牧場」の撮影現場にも行く事も出来ました。
展示内容はお粗末でちょっとガッカリでした。







  


Posted by little-ken  at 21:49闘病

2020年05月13日

リトルケンのチャレンジも終りが近付きました。

   旭川空港の家を売却、北海道コレクションで自宅玄関周辺を手直し。

玄関に向かって進みますと右側壁面にはナミビアのクドウのトロフィーとLittle Kenの文字、そして先込フリントロックの短筒、プロペラが目に入ります。
浮き輪や船の舵は新婚旅行時に沖縄で購入した物であり、93は年代ではなく、308と共に我が家のラッキーナンバーです。

続いて左側壁面にはアラスカのムースとマレーシアのセイルフィッシュ(芭蕉カジキ)です。写真にはありませんが、大きなシャコ貝が下に置かれています。
セイルフィッシュの木彫モニュメントは50cm強ですが、実物は2~2.5mです。
最もカジキらしいカジキはブルーマーリンでこちらは2~5m、餌で釣る時は50cm前後のカツオや小さいマグロを1匹ごと丸掛けにし、与那国で2.6mのSサイズを釣りました。

  悪性リンパ所のその後。
さて今回の「悪性リンパ腫」騒動は2019年3月中旬からの病院通いに始まりました。
病名が決定し、入院が始まったのが2019年5月1日、当初の第1シリーズは1週間の入院と2週間の自宅療養の3週間サイクルを6回繰り返す治療でした。 強烈なムカムカが続き、食事は喉を通らず、髪の毛は殆ど抜け、大変な治療ですが、これに耐えれば数年間の限定かも知れませんが、ある程度の健康を取り戻せると思っておりました。

自宅2週間療養後半の1週間はムカムカも多少治まり、まだバレーボールが出来ました。
またその間は旅行も出来、マレーシアのセイルフィッシュ(芭蕉カジキ)釣りにも北海道にも行く事が出来、第1シリーズの6回コースは十分耐えられる見通しが付きました。
所が現実はそれより遥かに厳しく、4回目の投薬治療に入る直前、治療中にも拘わらず再発、治療は更に大幅に厳しい物に代わりました。

第2シリーズの治療は3週間の入院と自宅療養1週間の1ヶ月サイクルの6回コースです。
今度の治療では30%が自力で立てなくなると聞いていました。
実際にムカムカは第1シリーズとは比較にならず、バレーボールも完全に休み状態となりました。更に3ヶ月目からはとうとう食べ物が喉を通らなくなり、4ヶ月目以降は飲み水も喉を通らなくなり、殆ど寝たきりとなりました。

そんな状況下の5ヶ月目に「造血幹細胞移植」と言う治療を受けました。
これは悪性リンパ所の含まれた自分自身の造血幹細胞を全て薬品で殺してしまい、新たな細胞を移植すると言う物です。この時、体毛はまだ数%が生き残っておりましたが、投薬により爪を含む全ての皮膚も死に、新しくなりました。
完全に寝たきりであり全く飲食していないのですが、体内でも古い細胞が死にそれによる激しい下痢が続き、1時間に1回の排せつの際は地獄の苦しみでした。

水泳の池江璃花子は「急性白血病」で病名は全く違いますが、発病も退院の時期も概ね同じでした。そして受けた治療内容も同じ造血幹細胞移植でした。彼女の闘病生活もきっと同様に苦しい物だったと思います。 尚、この治療を受けた1年後の生存率は88%だそうです。

地獄の5ヶ月目にもやがて12月4日に終りの日を迎えました。
幸いケンさんは自力で立てそして歩けました。自宅資料室は2Fにあり、途中で休憩を何度も入れながら、辛うじてですが自力で上がれました。
しかしまだリハビリを頑張ればある程度の日常は取り戻せると思っておりました。
1ヶ月コース6回の予定は5回目を以って終りであると言う嬉しいお知らせも届きました。

  病気のその後。
88%の一般的解釈ですが10中8~9は大丈夫、従って心配する程ではないと言う物です。
ケンさんもそう思っており、まだ頑張れば今は中断していますがバレーボールや秘境旅行にも復帰出来ると思っていました。ただ移植後0.2~2年間は血液の外敵に対する抵抗力が低く、それを補う投薬を受けるのですが、この薬は健康な細胞の発達も阻害する弊害があり、その間はトレーニングも余り有効でない事が分かり、これには非常にガッカリでした。

投与後、2カ月が過ぎ、この辺まではリハビリも有効に機能し、食事は美味しく頂ける様になり、2Fまでスムーズの上る事も出来る様になり、復帰は可能の様な気がしました。
しかし一方でケンさんの回復は遅い方である事が分かり、抵抗力を補う薬の投与も2年コースが避けられなくなり、ここに来て如何に鈍いケンさんでも最早バレーボール再開は完全に諦めなければならない事を悟りました。
しかしそれでも短期限定かも知れませんが、まだ生き残る側に居られると思っておりました。

  最後通告を戴きました。
年度が変わり2020年早々、またもや再々発が見付かりました。あの苦しい治療は何だったのか、治療とは言え患者をあそこまで苦しめて良いのかと思う治療内容でした。
また今更治ったとしても、社会に取って役に立たない70過ぎの患者に1千万円超えの高額治療費を掛ける行為はメリットがあるのか、考えさせられる内容が多くありました。

そして2020年2月13日には担当医師から衝撃的な話を聞く事になりました。
それは、もう有効な治療方法が無くなり、薬で1時的に病状を抑えておく事は可能ですが、長くは使えませんから、「自分の最後を何処でどうしたいのか」を考えておく様にと言う、内容でした。良くない側の12%入りが決定してしまった様です。

つまり何とか健康でいられる期間は数カ月、半年後は分からないと言うレベルです。
そして5月中旬、その宣告から3ヶ月が過ぎました。
この3ヶ月間の経過を見ますと、日々の食事は順調に食べており、毎日多少の散歩もしているのですが、まるで手足の筋肉に穴が空いてしまい、そこから常時エネルギーが大量に漏れて行く様な感じがします。今の状況はWHOのコマーシャルに手足の関節だけが異様に目立ち、今にも倒れそうな栄養失調の少年少女が出て来ますが、あんな感じの老人です。

3か月目の後半、2020年5月中旬からはもう足の力だけではたった1段の階段も上がれなくなってしまいました。階段は手摺りと取手だらけになり、両手を併用して何とか2Fに辿り着いているのが現状です。これも更に1~2カ月先には限界を迎えると思われます。
取り敢えず6月中旬には久米島のマグロ釣り、6月下旬には北海道キャンプを予定しており手配しましたが、行けたらイイなのレベルです。

仮にこれらは何とか行けたにしても、その辺が限界であり、その次は無理ではないかと思います。もし行けたとしたら東北1周をしたいと思ってますが、希望だけに終りそうです。
現在コロナウイルスの暴走的感染は一応抑える目途が付いた様ですが、感染防止の対策が出来た訳ではなく不要不急の外出は避けるべきであり、ケンさんもその通りだと思いますが、ケンさんにはもう時間が無くなりました。
5月下旬には沖縄または奄美に行きたいと思っています。

リトルケンのチャンレンジもどうやらこの辺で終りを迎えそうです。
資料館見学はお急ぎ下さい。

  狩猟大全集の販売。
狩猟大全集シリーズは下記の様な手法の販売が可能であり、これはケンさんがいなくなりましても代理者のケイジが担当しますが、 ブックの在庫はかなり前に無くなりまして、現在はDVDによるPDF版の販売のみになっております。
   1.ライフル編220Pとショットガン偏180Pを1つにしたPDF・・・3500円。
   2.応用猟編375PのPDF ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3500円
   3.チャレンジ編 → エゾ鹿猟の魅力編に改修した為になくなりました。   
   4.エゾ鹿の魅力編330P のPDF ・・・・・・・・・・・・・・・・5000円
   5.魅惑の海外猟編250PのPDF ・・・・・・・・・・・・・・・4とセット。
   6.狩猟人生を振り返って500PのPDF ・・・・・・・・・・・・・10000円
        全部まとめて22000円 → 20000円(税込み)


どれも税込み価格です。必要な物を指定して下さい。
最近の傾向ですと、新しい資料館見物がてら取りに来る人が多いです。
勿論ついでに半日程度でしたら、何でも聞いて下さい。古式銃の事、ライフルの精密射撃の事、ライフルの実戦射撃の事、ライフルに依るランニングショットの事、ショットガンの実戦射撃の事、知っている事は何でもお話しします。


但し、歩けなくなってケンさんが施設に入ってしまえばそれも出来なくなります。
5月末までは大丈夫ですが、6月末付近が境目になる様な気がしています。
宜しければお急ぎ下さい。

                                  リトルケンこと立石憲司郎
  


Posted by little-ken  at 16:27狩猟大全集闘病

2020年02月20日

良くない12%側に属する事が決定となりました。

悪性リンパ腫の転移が見付かり、良くないコースが待っていそうだと言う話は先回致しました。
国立ガンセンターのデータでは私の場合の平均延命率は1年後88%、5年後62%だそうですが、この初期の12%側になる事が決定となりました。

1昨日の担当医の話は更に具体化し、もう有効な手段は無くなったので、もう人生の最後を何処でどの様に迎えるのか、心の準備をしましょうと言うお知らせがありました。
そう言うお話をするから都合に良い時に家族を集める様にと言う話もありました。

延命処置はしない方針ですから、何とか現状に近い元気でいられるのは、ケンさんの推定では短くて1カ月、長くて3カ月程度、半年持つ可能性はないと思われます。
実際に死ぬのはもう少し先だと思いますが、予定していた計画は全て遂行不可能と言う事になりました。これもまた運命ですから受け入れる以外に方法はありません。

従いまして2019年度に続き、2020年度のスクールも開講する事が不可能になりました。
関係者各位には約束を果たす事が十分に出来ず、誠に申し訳なく思っております。


ハンティングカーと旭川空港の家は4月初旬に行って変更登録等を済ませたいと思っており、引き渡しの時期も4月に早めたいと思います。
読者&生徒諸君の狩猟人生にケンさんの教えが、ごく僅かでも有効に生きればこんなに嬉しい事はありません。
なお資料館見学を希望される人はお急ぎ下さい。  


Posted by little-ken  at 09:39闘病

2020年01月23日

転移らしきが見付かりました。

1月21日:精密検査の結果が分かる運命の日が来ました。それによりますと右足付根のリンパ節に転移している可能性があると言うのです。これと言った自覚症状は無いのですが、確かにコリコリした何かがあり、左足にはありません。
それでこれを採取して検査に廻す事になりました。その結果リンパ腫による物でなければ そのまま放置、そうであれば放射線治療を行うと言う話でした。

詳しい日程や内容は1月24日になりますともう少し分かると思います。
正直言ってかなりガッカリです。まだ病院から離れる事は出来ませんでした。
国立ガンセンターのデータによりますと、ケンさんのこの病気で造血幹細胞自己移植後の生存率は
1年:88%、05年:62%、10年:52% だそうです。
運命ですから動かし難いのですが、ケンさんはどうも良くない側に入りそうな気がします。

尚、現在も服用している免疫抑制剤の服用機関は0.5~2年間に及ぶとの事。この薬剤は筋肉や骨の発達を阻害する副作用があり、この間は余り体力の回復が見込めないとの事で、これにもガッカリしています。


キャンピングカー到着。
良い方のニュースです。エルグランドのキャンピングカーが到着しました。
この車はエルグランドとキャラバンのニコイチの様な車で、16年前のE50型エルグランドディーゼルの頭に2代前のE24型キャラバンのボデーをワイド化して合体させ、片側に10cmずつ段差があり、それに新しい屋根と段差処理を付けた物です。
主な用途は救急車とジャンボタクシーでキャンピングカーにも多数が使われました。

2002年デビュー当時の車両本体価格はDTで400万円強、当時から欲しかった車でしたが、架装後の価格は530~580万円と高額過ぎて手が出ませんでした。
2004年型、14万km、修理歴無しで、現在の相場は150~200万円ですが、今回入手した金額は車両本体が半額の78万円、諸経費登録費輸送費を含めて108万円でした。

ではボロボロの酷い車かと言えばそう言う事もなく、仕入れた車に手を入れずに安く売ると言う会社から購入、サービスの良さは期待出来ませんが、殆ど無整備でも車検に合格したのですから多分大丈夫でしょう。エンジンはZD30T、今まで乗っていたキャラバンと同一ですが、キャラバンは130hpでしたが、数年古く排気ガスレベルと負荷率の違いでこちらは170hpと多少パワフルです。

ZD30Tは日産にしては比較的良い出来のエンジンで、1時期は遥かに大きなマイクルバスのシビリアンのエンジンにもなっていました。シビリアンには元々サファリのダメエンジンTD42Tが使われていましたが、技術の無い日産の代表格で低性能(ランクル100に比べて70%の性能が出せない)に加え、排ガスが合格出来ずに消え去りました。

キャンピング部分の取説もなく、目下運用方法を研究中、タイヤを新しくし、網戸も購入し、オートクルーズを付け、サブバッテリーも新しくし、何かとお金が必要です。
そして任意保険に加入し、春からの実戦キャンプに備えて練習に入りたいと思っています。
  


Posted by little-ken  at 12:14闘病

2019年12月10日

ケンさんの現況

現在はアシスト付でやっと2F資料館まで辿り着く程度の体力です。
最後の射撃を11月初旬に行って大正解、今だったら銃を持ってとても射座には立てません。

さて今後の治療予定の概ねが分かりました。
概ねの治療はすでに終わり、今は先頃移植した自己細胞の繁殖を待っている状態です。
飲んでいる薬も以前の治療薬ではなく、感染予防の物ばかりとなりました。

当面再入院の予定は無く、しばらくは週1回の通院を続けて、1月中旬に最終検査、これで上手く行けばですが、以後は月に1回の通院のみになり自由度がグンと増えます。

多少希望が湧いて来ましたですね。
今の所は順調との事ですが、それが続けばと願っています。

それで上手く行けば半年ほど掛けて体力を多少付け、キャンピングカーを購入して、夏頃には北海道の旭川空港の家等を処分して来たいと考えております。更には最後の特別スクール開講の準備をしたいと思ております。
更に更には日本の4季を巡る旅と国内版のビッグフィッシングを再開したいと思っております。

まずは銃の返納手続きを完了させたいと思います。
次いで運転免許証の更新ですね。
  


Posted by little-ken  at 08:46闘病

2019年12月05日

高齢者の命の価値。

11月05日~12月04日:2回目シリーズの4回目の入院。
入院は11月5日から始まり、そして12月4日再び短期自宅療養となりました。
自力で立てなくはありませんが、その直前まで叩き伏せられました。
感想は医療行為とは言え、ここまで人間を痛め付ける事が許されるのかと言った感じです。

発病初期の吐き気が強かった、そして髪の毛が抜けてしまった事等、今その頃を振り返ればそれなりに苦しかったのですが、それは今と比べればまだ天国でした。
まだ好きなバレーボールも続けられており、頑張ってマレーシアのカジキ釣りに行けた位ですが、今は介護付きで無ければトイレにも行けない程になりました。

高齢者の命の価値。
先刻来、僅か数年~数カ月の高齢者を永らえさせる為に、月に300万円は無理があると申して来ました。今回はこれにも1つの視点を加えてみたいと思います。

元々悪性リンパ腫は通常のガンより悪性で治る事はありません。だから悪性なのです。
しかし大雑把に言って、近年の延命率は平均で10年を超えるとされています。
しかしその内訳は1~2割が1~2年間の闘病で概ね社会復帰出来、同数は残念ながら早期に天国、残りは悪戦苦闘の治療との戦いのまま、ジリ貧を5~10年間を続けていると思われます。この中でも良くない側の半分側に入ってしまえば、悲惨その物です。

つまり例え治療費は無視しても、延命の成功の喜びと闘病の苦しみが釣り合う物ではないと言う感じを強く受けています。
最悪の期間は超えたと医師は言いますが、数か月後の前言撤回が出来れば幸いに思います。


間違って入部した名門バレーボール部では、絶望的と言えない程の地獄の特訓(ウサギ飛び校庭1周800m等々)が連日待っており、これにも逃げ出さなかったケンさんであり、以後のどの様な過酷な勤務や業務内容であってもそれに比べれば対した事ではないと、逃げた事は無いケンさんですが、今は一刻も早くこの苦しみから逃げ出したい気分です。
  


Posted by little-ken  at 09:50闘病

2019年10月30日

過去最悪の2回目シリーズの3回目の入院。

10月08日~29日:2回目シリーズの3回目の入院。
今回は幹細胞移植かと覚悟をして行ったら、それは次回にしますとの事。
取り敢えずは類似の治療が始まりました。

先回と同様なら特に苦しさは増えないかと思ったのですが、その言葉は第1週しか適用されず、第2~第3週の実際は大違いでした。

体重はボトム時76㎏まで減少、気持ちの悪さ、食事の取れない程度、体重の低下、髪の毛等の喪失具合、第3週の初め頃がボトムでしたが、生きる屍になってしまいました。
これでもかと言う感じです。
髪の毛はこの半年以上補充は無く、徐々に失われ、とうとう1本も無くなってしまいました。

次回幹細胞移植の直前には悪玉細胞を殺す為、現細胞を殺す薬品を投与します。
そのままでは間違いなく、1~2週間で死にますが、幹細胞移植で自力再生させると言う事らしいです。

次回は更に最悪更新となりそうですが、11月5日から始まり、今度は1時的ですが、自力で立てなくなる程のダメージが予想されそうです。
  


Posted by little-ken  at 10:24闘病

2019年10月04日

医療費の赤字。

医療や福祉関係の行政は超赤字状態です。そして高齢者も福祉弱者も増える一方です。
新しい医療技術で従来より延命効果を上がる事自体は非常に好ましいと言えますが、従来より単価が高額となり、しかも医療を受ける人が多くなるのですから、赤字は更に際限なく膨らみそうです。
医療や福祉関係に付いてケンさんの思う所を少し書いてみました。

ケンさんの今回3週間の入院治療費は230万円、今回の悪性リンパ腫関係で今までの合計は約600万円、今後の入院費用等も入れますと軽く1000万円を超えそうです。
勿論本人負担はその30%、そして更に高額医療費補助の適用を受け、本当の支払いは更に半減弱になります。でも国が支払うのは1000万円、そしてこれは100%国民が支払っているお金です。

ケンさんの感想としまして、世の中に取って必要な人にはその必要度や年齢により、それなりの費用を掛けるべきだと思いますが、直感的に70歳以上のボケ老人の生存期間を数年延ばす為に高額費用を掛ける事は本当にもったいないと思います。
社会のお荷物になっている人に掛ける費用はその社会的ランキングにより、もっと低い有限にすべきだと思います。好きでそうなる人はいないと思いますが、資金等が有限であり、家族に取っても大きな負担となる期間がむやみに延長される様では、延命させる事は不幸を招くだけとなります。

役に立たない人とは継続的に大きな支援を受け続け、回復しても役に立つ側になれる可能性が非常に低い人を言います。具体的には後期高齢者、慢性犯罪者、税金等を支払っていない人、生活保護を受けている人、引きこもり、障害者、等々がそれになると思います。

犯罪者に関しましては次の様に考えます。罪を償う為、見せしめの為、そして更生の為にそれなりの施設に強制収容され、教育を受け、強制労働等に従事してもらいます。
1回目は更生の比率を高めに設定すべきだと思いますが、2度目は大幅に厳罰とし、2度とあそこへは行きたくないと思う様にし、なるべく更生側に引き寄せます。本人が希望されれば刑期の後半はこちらのコースに代わる事も出来る様にします。

3回目で特別な事が無い限り抹消処分される事で、それ以上の社会負担増を終わらせます。
当然犯罪歴2回目以降の人には掛けられる医療費等には年齢に関わらずそれなりの制限を設けるべきだと思います。

税金等を支払っていない(事情によって支払えない)人達にも医療や福祉を受ける権利はあって当然ですが、並に払っている人、たくさん払っている人、ベラボーに払っている人が同じ扱いと言うのは余りにもおかしいと思います。たくさん儲けている人が多くを支払う、この制度は良いと思いますが、飛行機でもエコノミーの数倍を払っているビジネスクラスの人が特別扱いの様に、扱いに差があって当然だと思います。具体的には駐車場を近くにし待たせない様にして頂く事になります。

色々な経緯により生活に困窮する人達には国が助けるべきだと思いますが、生活保護で現金を支給し従来通りの生活を続けてもらうのではなく、事前申請不要の出入り自由な国の施設で、無料の食事や多段ベッド程度の無料宿の提供が受けられる様にすべきだと思います。
ここでは廃棄寸前の食料等を上手く仕入れ、建物等は使わなくなった過疎地の小学校等の公共建物を利用すれば、風呂場の新設費用程度で運営が賄え、過疎地の仕事も増やす事が出来ます。
行える範囲で適度な労働に付いて結果を残した人にはそれなりの良い待遇が与えられる様にします。

障碍者の人達にも生きる権利は当然ありますが、現実には親の超献身的な保護の元にかろうじて生活が成り立っている事が多く、親の高齢から将来を悲観して無理心中等の悲劇も数多く起こっています。従ってそれら関係者の負担を少なくする制度も当然ですが、一方では余りに高額な援助を続ける事、高額医療を受けさせる事には大きな抵抗があります。1次的なトラブルで働けない状態にある場合と、将来も継続して働ける可能性が無い場合の、考え方を根本的に変えなければならないと思います。

人道支援も危機にある人達には過渡的には手を貸すべきだと思いますが、助けるとどうなるかを考えられた事がありますでしょうか?
難民の原点は殆どが人口過密にあります。彼らは産児制限をしませんから助ければまた新たな難民大発生の原因になります。1時的に助けても解決しない所か、更なる悲劇が起こるのです。
だからこの場合は断腸の思いですが、助けてはならないと思います。

但し、先進国側の考えに同調するならば、話は別で助けてあげるべきです。
具体的には自分達の宗教観を変え、先進国の考え方に理解を示し、下級労働者かも知れませんが、その国に取って必要とされ、役に立つ市民になる事になります。

健康に恵まれている人が他人事の様にこう言うエゲツない過激な事を言う資格はないと思いますが、 高齢且つリンパ腫で間もなく死んで行くケンサンにはそれを言える資格があると思います。
ケンさんはかつて合理化で数百人以上の効果を出し、日本の経済に微力ながら貢献出来、そして平均値の10倍程の諸税や厚生費を支払って来ましたから、多少の特別扱いを受ける資格があると思っておりますが、それでも家族や国民の皆さんに負担を掛けるのはなるべく避けるべきだと思っています。

スイスとオランダには自分の最後を自分で選択し、医療機関がその希望を叶えてくれる制度がある様ですが、日本も早くそう言う制度を確立すべきだと思います。勿論ケンさんはそう言う制度が決まれば使わさせて戴きます。そう言う制度が間に合わなくても自らの考えで、あるレベルを超えた時には以後の治療を拒否し、スイス等に行って早く卒業を迎えられる様にしたいと思っております。

そのあるレベルとは自力で食事が出来、自力でトイレに行ける事が最低条件です。
過渡的にはそれ以下に陥って支援を受ける事はあっても、短期に回復の見通しがあれば社会的ランキングに見合った治療を行い、長期的に見てもう回復しないと思われる時が、ターニングポイントになると思います。それでも延命させたい時は自己負担額の割合を30%から50%に変更し、更に高額医療補助の制度を受けられない様にすれば良いと思います。

ケンさんはまた間もなく入院します。今度の治療は血液中の悪い細胞を抑えるのではなく殺す治療です。良い細胞も同時に殺されてしまいますから、そのままでは2週間と持たず死亡に至りますが、その手前で新しい血液を作る幹細胞を移植します。今度は過渡的には自力で立てなくなるかも知れません。これが上手く行かなかった場合には骨髄移植等の手もある様ですが、これ以後の治療は拒否したいと思っています。役に立たない老人の延命にもうこれ以上お金を掛けてはなりません。

そうしますと最後のスクールの約束を果たせない事になりますが、これが心残りです。
現在はショットガン1丁がまだ手元にあります。5月&6月は駆除にも微力ながら貢献出来ましたが、それが最後の実戦になりました。300発が手元に残っておりましたが、250発を合法的な個人譲渡で処理し、最後の射撃用に50発だけを残しました。

2020.1.19が失効日ですから、年内に椅子に座ったまま最後の射撃をし、返納の手続きに入りたいと思います。勿論以前からの計画であるディスプレー用の銃には、なるべく多くの合法部品を移植したいと思っております。
  


Posted by little-ken  at 11:23闘病

2019年08月17日

60~70日後に死ぬ?

8月10日:体重は久方ぶりに80㎏代、88.3㎏、体重減は先頃までは喜ばしい感じがしましたが、今は命が削られて行く様な感じがします。0.5㎏/日で減少して行き、体重が50㎏になった時に死ぬと仮定しますと、残70日余しか生きられない事になります。
全身の毛が一段と少なくなり、また筋肉細胞も著しく減少し、もう走ったり飛んだりは出来なくなりました。これではバレーボール再開もアラスカも最早無いですよね。

8月17日:このペースで体重が減ると60~70日後に死ぬと言う話をドクターにしたら絶対にそうならないと笑い飛ばされました。
お手並み拝見で行きましょう。
  


Posted by little-ken  at 18:52闘病

2019年07月31日

悪性リンパ腫再発。

悪性リンパ腫の治療も6回コースの4回を終え、終わりが見えて来たと喜んでいましたが、
まさかまさかのどんでん返し、再発となってしまいました。

今度は末梢血幹細胞移植と言う治療になるとの事で、8月初旬から約1カ月の予定です。
入院5日目付近で自らの骨髄も全滅させる強力な薬品を使い、更に5日後付近で予め採取
しておいた、末梢血幹細胞移植を再投入するとの事です。
その後は2年程度の経過観察との事です。

8月末のアラスカ釣りは1年延期しましたが、11月上~中旬のスクールは何が何でも頑張りたい
と思います。退院は9月初旬として退院後2カ月で体力が如何程まで戻せるかに付きましては
ちょっと皆さんに負担を掛けるかも知れません。

よろしくお願い致します。
                                                 リトルケン。
  


Posted by little-ken  at 21:20闘病

2019年05月24日

リンパ腫の治療とビッグフィッシング計画。

5月22日、6回コースの2回目の投薬を受けました。
今度は2回目で慣れて来たから何も起こらないかに昨日までは見えましたが、やはりそうではなくムカムカが始まりました。先回通りなら3~4日続きます。

更に先回通りなら2週間後に脱毛が始まります。元々往年時に比べれば頭頂部はすでに80%以上が失われていたのですが、その残っていた頭髪も更に90%が第1回抗がん剤投与によって失われ、残りは甚だ僅かとなりました。その甚だ僅かな残毛も失われるかもです。
早く生えて欲しいですね。待ち遠しいですね。そしてたくさん生えるとイイですね。


ビッグフィッシング計画 のマレーシアのセールフィッシュ(芭蕉カジキ)の日程が決まりました。第3回目投薬の直前を狙って6月27日~7月2日までの6日間です。
釣れるとイイですね。2名分の全費用は約36万円、今回の助っ人の青年はおかげ様で決まりました。今期の助っ人青年は14%の費用でこのカジキ釣りに参加出来ます。

次回以降の助っ人はまだ決まっておりませんので、我と思う人はぜひ手を上げて下さい。
費用分担は東南アジアや国内の場合は15%程度の5万円前後、アメリカ等になりますと25%程度の25万円前後になります。
因みに同程度の国内業者の釣りツアーに参加しますと50~80万円と、定員を満足した場合でもその2倍以上の金額となります。

計画は https://littleken.militaryblog.jp/e977237.html  に出ています。
順序は話の進行度で変わり、6番のマレーシアの6月末からから始まる事になり、次は8月末頃のアラスカのハリバット、そして2020年明けのバリ島のGT、そして4月頃の与那国のクロカジキ、6月頃に何かを入れ、9月のプリンスエドワード島の400kgのクロマグロと続きます。
アシスタント参加、待ってます。

  


Posted by little-ken  at 16:27闘病

2019年05月18日

害鳥駆除と髪の毛。

本日は害鳥駆除の日でした。9人参加で捕獲は僅か15羽強、情けない限りです。
筆者の命中率自体は2発に1発程度でまずまずでしたが、モタ付いて余り冴えない射撃しか出来ず、14発しか撃てませんでした。

これで筆者のショットガン卒業までの実戦射撃は残3回を残すのみとなりました。
そしてクレー射撃も3~4回を残すのみとなりました。
射撃は未体験のトリプルトラップに挑戦してみたいと思います。

さてとうとう抜け始めた筆者の髪の毛ですが、今朝はまだ概ねが一応付いていたのですが、PMに崩壊が始まり90%が一気に抜け落ちました。頭は軽くなり且つ爽やかになって感触は悪くはありませんが、鏡を見るとそこにいるのは10歳以上年取った惨めな老人、非常にガッカリします。

頭髪は投薬治療が終われば6ケ月位するとまた生えて来るそうですが、今回の一連の投薬の最終は8月中旬、それから6ケ月すると生えて来ると言いますから、生え揃って伸びるのは来年の中~末頃かと思われます。待ち遠しいですね。
  


Posted by little-ken  at 21:33有害鳥獣駆除闘病

2019年05月10日

生理的にも経済的にも痛い注射でした。

本日は白血球を増やす注射を通いで受けました。
小さな注射でしたが、酷く痛い注射でした。
これにも驚きましたが、もっと驚いたのはその価格、何と約11万円
30%負担ですから3.3万円の支払い、治療を受けるのも経済的に大変です。

更に今後使用されるかも知れないオプジーボですと年間の治療費は1000万円以上、30%負担でも350万円以上が必要になるかも知れません。
この私の命を何年か伸ばす事にそれだけの価値があるのあろうかと思います。

そうそう昨日辺りから頭髪が抜け始めました。
すでに元々がかなり少なくなっているのですが、一段と寂しくなりそうです。  


Posted by little-ken  at 21:28闘病

2019年05月09日

第1回目の治療が終わりました。

体重が10Kg軽くなり、身長が2cm小さくなりました。後者は単に高齢による物かも知れません。
1週間御入院、初日に投薬が行われ、その後は様子見です。退院は5月8日でした。
覚悟はしていたのですが、予想外に2日目は何もありませんでしたが、3日目からムカムカ且つ便秘。6日目にはやっと食事も喉を通る様になり、また便も出て体重ががっくり下がりました。
体重減は歓迎ですが、足に力が入らず他人の足を借りているみたいです。

3週間サイクルでこれが6回(残5回)が予定されているとかです。
本年度を最後とするスクールは治療6回以後になります。
万難を排して予定通りの開催を目指しています。
愛車ランクルも最後の遠征となり、その後は売却されます。
我と思わん方は是非どうぞ。

入院している周りを見ますと類似の病名の先輩達だらけ。
年上で人生の先輩且つ病気の先輩達でもあり、それを見ていると滅入ってしまいます。
それらを見ていますとかえってファイトが湧いて来ます。
元気な内に頑張ってやれるだけやろうと言うファイトです。
今後は上手く行けば入院しなくても済ませられそうですが、あのムカムカ状態では流石の筆者もやる気が起こりません。

その調子が良さそうなインターバル時を狙って、取り敢えず6月末頃にはマレーシアでバショーカジキ(セールフィッシュ)に勝負を挑みたいと思っています。そして8月末にはアラスカでハリバットと言うヒラメの親分やサーモン各種や岩魚各種と勝負して来たいと思います。
また久しぶりにツンドラ平原が真っ赤になる紅葉とオーロラを見て来たいと思っています。
毎週のバレーボールも再開です。
言えば許可は出ないに決まっていますから、これらは全てドクターにはナイショです。




                愛車ランクル売ります。


ランドクルーザーHDJ101K型、走行13.4万km、230万円。
寒冷地仕様、H10年式、検2020年4月19日、夏タイヤ9.5部山、スタッドレスタイヤ8部山、フロントガード&電動ウインチ12000lbs(写真の物がフロントガード内にマウントされています)、リヤキャリア及鹿吊上げ装置、その他狩猟用品等々、改造費及部品備品等々の約100万円相当が付いています。寒冷地仕様、LSD装備です。現金価格210万円、多機能引出しは非常に役に立ちます。

エゾ鹿ハンターに購入して頂ければ幸いに思います。
今となっては少数派となったバックタイヤ仕様です。荷物の出し入れ的にはやや面倒ですが、この頑丈なスペアタイヤフレームのおかげで鹿の釣り上げ装置を取り付ける事が出来ました。
引き渡しは2019年11月15日以降になります。引き渡し場所は愛知県安城市になります。


  


Posted by little-ken  at 17:02EHG5205近況闘病

2019年04月13日

永年の愛銃をマルゼン改レミントン1100で再生する。

サコー75改はディスプレーモデルになったのはすでに昨年ですが、今度はショットガン偏になります。
ショットガンはどの銃もそれなりの成果を上げる事が出来ました。
結果的にカモ類&ハト類とも5000羽以上のとんでもないスコアとなりました。
カモ類はバイト、ハト類は駆除で捕獲しました。その80%はSKB1900の30インチの4丁で上げ、5丁目となった最後の愛銃1900改の24インチではカルガモ駆除50発で32羽、1.6発/羽を捕獲、大きな成果を上げられました。

しかし私に取ってはレミントンにも辛かった事も含めてたくさんの思い出があります。
それは本州鹿猟では最初の10年間でたった1頭の本州鹿しか獲れませんでしたが、その本州鹿の為に入手したレミントン1100の22インチのディアーガンでした。10年間只々担ぎ続けた思い出深い銃です。しかしこの10年間のお蔭で筆者は大きく躍進する考えを確立し、世界が開けたと言っても過言ではありません。

その後に色々考えて作ったのが、レミントン11-87の21インチのバックショット専用銃でした。
本銃では20頭をミスショットなしの連続捕獲すると言う快挙を成し遂げ、考えが正しかった事を実証出来ました。更には2017年にはNZで11-87の28インチではパラダイスダックを85発から47羽と言う多大な成果を上げ、更にカナダガンに至っては9発で9羽を撃墜し、7羽を回収すると言う快挙を達成しました。レミントン700は使えないダメな銃でしたが、1100や11-87はイイ奴だったのです。

これらの思い出を永遠に残す為にレミントン風の玩具銃マルゼン1100を改造したいと思っています。改造点は下写真の下部にある4点の改造を行い、レミントン風のショットガンでありながら、最後の愛銃となったSKBショットガンのMix.仕様のディスプレーモデルを作り上げたいと思います。1番下がディスプレーモデルのベースとなる玩具銃のマルゼン1100です。


2019.4.11.末梢性T細胞リンパ腫(PTCL:Peripheral T-cell lymphoma)と診断されました。
悪性リンパ腫の種類の1つで、リンパ球の中のT細胞から発生する非ホジキンリンパ腫です。
月単位で病気が進行する「中悪性度」に分類されるらしいです。
4月20日頃から月末にかけて2回目の入院と決まりました。その後は又通院になる様です。

  


Posted by little-ken  at 14:15EHG5205近況闘病

2019年04月01日

近況です。

今はハレもすっかり引き、もう治ったと言える程ですが、ハレが完治した訳でもなく、多分間もなく本格的な治療が始まると思います。
ネットによりますと平均的には半年ほど掛るとかです。
その覚悟で行って来ます。
最後のスクールは何が何でも成功させたいと思っておりますので皆さんよろしくお願い致します。

資料館入口の鹿角ゲートにて、手にしているのはかつての元愛銃サコー75改です。  


Posted by little-ken  at 10:34闘病

2019年03月26日

何故か悪性リンパ腫を頂いてしまいました。

早い話が血液腫瘍です。きっと日頃の行いが悪かったのでしょう。
私のは白血病ではありませんが、何で俺がと言う感じです。
恐らく池江璃花子さんもそう思ったと思います。事の起りはこうでした。

2019年3月5日、
数日前から顔が腫れ、息苦しいので市民病院の耳鼻咽喉科に行きました。
翌日には内科に廻され、ひたすら採血、20本近く採りました。
3月15日、やっと結論が出ました。採血から10日後悪性リンパ腫との事、そして血液腫瘍内科のある専門病院に廻されました。

3月20日、専門病院の耳鼻咽喉科に入院しました。
目的はリンパ腺の腫れたサンプルを採取する事、そして呼吸困難の応急対策です。
ステロイド剤を投与して効果がなければ、喉を切開して外部呼吸バルブを取り付けると言う物でした。そんな事になったら喋る事も食べる事も出来なくなってしまいます。

3月26日,幸い腫れも順調に引き、喉に穴を開けられる事も無く、呼吸困難再発の恐れも無くなりましたのでに1度退院する事になりました。今はもう完全に治ったのではないかと思う位まで快調に戻りました。

しかしそう簡単に治る病気ではなく、採取したサンプルの分析に2週間程掛かり、4月10日前後には再び血液腫瘍内科に入院し、本格的な多分苦しい治療が始まると思います。
ザマーミロと思っておられる人も多数いるかと思いますが、自分自身のザマーぶりを見て来たいと思います。

もうハンティングと高Gが掛かるアクロ飛行はもう卒業しましたし、海外秘境旅行は20万kmに達しましたので一段落させて戴ていますが、納まったら、ビッグフィッシング再開と豪華(本当はボロ)キャンピングカーで国内キャンプ旅行をしたいと思っております。

そうそうビッグフィッシングの面では3月31日からバリ島のGT釣りに行く事になっておりましたが、体調が良くなるまで延期となりました。
最後に本年度の最後のスクールはぜひ無事に終えたいと強い決意で臨む次第ですが、まだどうなるか、もう時期が少し近くならないと分かりません。
  


Posted by little-ken  at 14:58闘病