2022年10月11日

テレビ取材-2.

  NHK特集「僕は猟師になった。」2008年。
エゾ鹿猟の密着取材申し込みがありましたが、例によって条件を付けましたので流れまして、結局は千松信也氏と言う罠猟師の「僕は猟師になった」と言う番組になりました。銃による狩猟ではありませんので、評価は避けたいと思います。

一般的に言えば罠より銃による捕獲の方が、圧倒的に効率が良いのですが、罠猟師も当然上手い人と下手糞な人がおり、銃の猟師にも同じ事が言えます。本州巻狩り平均値は0.05頭/日人、上手い罠師ならこれを超えます。

因みに巻狩り開眼後のケンさんですと、捕獲率は10倍の0.5頭/日まで向上します。
これを超える罠師もいるだろうと思いますが、非常に僅かだと思われます。


  クレージージャーニー、2009年。
国内猟や海外猟の話を写真等を中心に、座談会形式で紹介して行く番組内容と聞きました。
手持ちの写真や資料と話だけなら、こちら主導ですから問題はありません。

しかし、やはり取材があると言う事で、例によって条件を付けた所、流れました。
結局番組は「服部文祥」氏の「狩猟サバイバル」になっておりました。服部氏は「狩猟大全集」の頃は山岳雑誌の出版社に勤めていましたが、その後はフリーになっていました。

彼の道具はミロクのMSS-20、ボルト式のノーライフルのスラグ専用ショットガン、散弾で鳥の捕獲も可能ですが、番組では容易な鳥猟は行われず、岩魚を釣り、本州鹿を獲っていました。

本州鹿とは言え1頭を1人で食べるには余りにも多過ぎ、有効活用や残滓処理はどうしていたのでしょう? 埋設は合法ですが、少なくともスコップは持っておらずでした。

また登山の専門家だそうですが、シールスキーを知らない様でした。シールとはアザラシの事で、その毛皮を張った(或いは後付け)スキーはかなりの登坂も、アザラシの毛皮が逆目となって真直ぐ登る事が出来ます。近年はアザラシ毛皮が入手困難となり、ナイロン製又はエゾ鹿の脛の毛皮が使われています。

登山家なら知っていて当然と思うのですが、彼はこれを知らず、雪上で毛皮の目に逆らって顔を真っ赤にして、鹿を引っ張っていました。登山家の経歴も怪しく感じてしまいます。

最近は空き家をタダ同然で購入したと本人は言ってますが、狩猟サバイバルの書では空き家を 無断借用しており、これは法的に良いのでしょうか? 

最近は銃をミロクMLRと言う、西部劇時代の様な、レバーアクションライフル銃にし、猟犬を連れハンティングをしている様ですが、猟犬に頼ったハンターに名人は1人もおりません。

それは猟犬の能力のみに頼り、自らが狩猟能力を向上させる努力を一切しなくなってしまうのが普通であり、彼も例に漏れずと思われます。


  JKツアーのロシア猟。2014年。
当時狩猟雑誌「けもの道」を書いていましたが、これを見た大阪のマイナーツアー専門の旅行業者が、ロシア猟の宣伝になる記事を書いてくれと言う、依頼をして来ました。

しかし見た事もないロシア猟の記事を書く事は出来ず、また捕獲率すらが分からないハンティングツアーを紹介或いは賞賛する記事も書けません。

写真の銃も、大物猟には全く不適なブローニングオート、ムースと書いてある写真は赤鹿、信頼の置けないと言うか、狩猟を全く知らないと言うか、疑問だらけの怪しげなツアーでした。
ムースの写真は無いのかと言う質問に対し、提供されたのはWikiの写真その物でした。増々怪しげです。

他の銃はあるのかと言う質問に、5種のライフル名の回答がありましたが、どれもWW1の博物館級の古い軍用銃ばかりでした。狩猟形態はどうも捕獲率が最低の巻狩りらしいのですが、JKの担当者は絶対に獲れると言います。これは実際に行って体験しなければ、とても書けないと伝えました。

しかしJKツアーも全額負担は厳しいと言い、それならケンさんはまだムースを捕獲していませんので、片側12ポイント以上の良型ムースに本人が撃てるなら、50万円を出しても良いと答えました。

それでも厳しいので、もう1人モニターはいないかとなり、100万円で300㎏以上のブラウンベアと12ポイント以上の赤鹿又はエルクが撃てるなら、行っても良いと言うモニターハンターを探し出しました。

それでは2名によるモニターツアーは行われたのか? 結局行われませんでした。ロシア側もJK側も西側のトロフィーハンティング制度を全く知らなかったのですから当然です。

トロフィーハンティングとは、巻狩りで誰かが捕獲するのではなく、本人が目標の動物と直接勝負 する事が前提条件であり、支払いは成功後となります。
捕獲出来ない場合、或いは勝負の機会が無ければ、動物代を支払う必要は無いのは当然です。

しかし、撃てば未回収でも動物を消費した事になり、料金的には成立するのが国際ルールです。失中は無料とする場合と、失中でも有料となる場合があり、この辺の契約内容によります。

JK側は獲れるか全く分からないのに全額前金を要求、入金がないので手配が行われなかったのですが、この場合に妥当なのは飛行機代等だけの先払いでしょう。何は共あれ、怪しげなツアーで、関わらなくて幸いでした。

  NHKプロフェッショナル、2017年。
NHKが本格的なエゾ鹿猟の密着取材を申し込んで来ましたが、例によってこちらの条件を付けましたので、流れました。番組にはヒグマ猟の久保俊治氏が出演していました。

久保氏の猟法はヒグマの単独追跡猟、日頃からヒグマの周りを歩き続けあの人間は無害だと思わせる作戦です。若くして猟犬ハンターとなった彼は、20代から狩猟内容的には余り進化していません。猟犬ハンターはどうしても猟犬に頼り過ぎる傾向があり、本人の努力が疎かになります。

彼の銃もその他の狩猟道具も、20代の頃から進化はなく、その頃マグナム銃が流行しましたので、彼も338ウインマグを使っています。しかしマグナム銃の流行は銃業界の陰謀であり、アグナム効かと言うのは皆無だったのですが、不勉強な彼は知識の更新が行われないままでした。

番組で見た食料用エゾ鹿を捕獲した時は、非常にガッカリする内容でした。自分の牧場、僅か50mノーマークのエゾ鹿、立ち木による半委託射撃、338ウインマグ、この好条件の塊でもクリーンキル出来なかったのですから、お粗末でした。

またこの番組ではヒグマを獲る事は出来ず、姿を見せる事も出来ず、これもお粗末でした。
彼は近くまで接近して1発で仕留める事を信条とし、それが続けられたから今でも生きていると、豪語していますが、それが甚だ白々しく聞こえて来ました。

ケンさんの拘りの狩猟:ケンさんはそうなりたくないので、ドッグレスハンターに拘り、そして後述の様な拘りの狩猟になりました。NHKはケンさんのエゾ鹿猟も、そんな単独忍び猟だと決め付けて いた様ですが、スクールの猟は、「ポイント猟」の「横着猟」(よこつけ猟と読みます)がメインです。

ポイント猟とはこの1週間の天候変化等を考え、鹿の行動を予測し、当日朝の状態なら、朝1番は○○牧場の奥とか、朝2番は△△池の隣とかを予想して、そのポイントに直行する、非常に高確率な猟の事です。長い経験から、確立した独自の猟法です。

鹿は常時その周辺にいるのではなく、悪天候明けの早朝に山からまとめて降りて来ます。その場所は概ね決まっています。その鹿が出ている猟場に直行するのですが、そこにいるのは僅か数分程度です。

先に行って待っているのではなく、数分しかないその時間に、偶然現場を通り掛かった様にする必要があり、車で向かう途中にも綿密に計算して、車の速度を調整しています。

ケンさんのエゾ鹿猟は、獲物を警戒させてしまう定時パトロール方式ではなく、捕獲する為の現場には敢えて1週間に1度位しか行きません。そこに出没した鹿は、ここはサンクチュアリかと勘違いしている所に、突然車を真横に乗り付け、鹿があっけに取られている、数秒間が勝負となります。

そもそもエゾ鹿は通過交通に関しては無関心です。アクセルを離すと、鹿はハンターの車では  ないかと気に掛ける様になり、ブレーキランプが点灯すると頭を上げ、止まると逃げ始めます。

従ってかなり手前からギヤをニュートラル、アクセルは走行回転数を保ち、直前まで通過交通を装います。ハンドブレーキでタイヤがロックしない様に注意しながら、出来るだけ短時間で止まり、通過交通からハンターの車に豹変します。

もう1つのやり方は速度を落とした車から、射手は滑り降り、車はそのまま進みます。
鹿は車を見ていますので、ハンターは数秒間ノーマークになり、この間に勝負します。

或いは通常のハンターは射撃に適した場所に車を止めますが、敢えて射撃不能に近い様な場所に車を止めます。鹿はハンターの車かどうか迷っていると、幅5㎝と上下10㎝の隙間があれば、 弾を通す事は可能であり、鹿は林の中から飛んで来た弾で、一巻の終わりとなります。

そして山から降りた鹿は、午後には少し離れた場所の出没し、翌日はある一定パターンに従い、数㎞下流に移動します。これを数日間繰り返し、徐々に確率低下しながら、鹿の動きを予想して追い掛けます。

悪天候の前日は多少出会いが増えます。5~6日目には悪天候明けとなり、新しい鹿が山から降りて来て、また新しいサイクルが始まります。

その出会い回数は平均実績で5回/日となり、16年間 捕獲ゼロは皆無、平均捕獲実績は2頭/日となり、その中に0.5頭の大物が含まれます。ここからスクールの名称を「5205」としました。

出会いの70%が「3段角の成獣」、20%が「ビッグゲーム級の大物」、5%が「ビッグトロフィークラスの超大物」となり、巷では大物捕獲が一生の憧れとなりますが、スクールなら3日で十分、これがケンさんの拘りのエゾ鹿猟の実績内容となります。
  


Posted by little-ken  at 16:29狩猟大全集

2022年10月04日

テレビ取材-4.

  ケンさんのライター歴。
 8-1.ハンティングスクール開講 & ライター開業。
1989年にケンさんはサラリーマンを首になり、首サラから自前会社設立、数年後には収入も増え  エゾ鹿猟を開始しました。自前会社はそれなりに順調と言えましたが、2000年、北海道で交通 事故に巻き込まれ、復帰に2年を要し、これを機に仕事を卒業する事にしました。

2002年、怪我から復帰したケンさんはエゾ鹿猟を思う存分堪能しようと、ハンティングスクールを開講、そしてシーズンオフには当時創刊したばかりの、4x4マガジン社のスポーツガンガイドブックのライターをする様になりました。

4x4マガジン社は業界の最も本格4輪駆動車の雑誌屋さんです。当初はガリ版擦りの手作り小雑誌でしたが、4WDブームに乗って大きな出版社になりました。

やがて4WDブームも終わり、出版社はやる事が無く、新しい分野の1つがスポーツガンガイドブックでしたが、編集長は陸上自衛隊施設部隊でM1カービンを撃った事がある程度の経験でした。

それ故に初年度のガイドブックは酷い出来栄え、4WD 関係の仕事を通し、面識はあったので至らなさを指摘した所、編集メンバーに入ってくれと言う事になりました。

ケンさんは読者の圧倒的多数は狩猟を目指すハンターであり、クレー射撃をするシューターは人口的に僅かであり、従ってもっと狩猟の記事を載せるべきだと意見しましたが、編集長も社長も、狩猟も射撃もしないので分かりません。

乗り掛かった舟ですから、狩猟記事は僅かで我慢、5年程は依頼に応えて各種原稿を書きました。もう少しで従来のバイブル役だった銃砲年鑑を廃盤に追い込む事が出来る所まで成長しました。

やがてケンさんが教えた編集長の銃の知識も、恥ずかしくない程度に成長し、スポーツガンガイド ブックのレベルも見違える様に上がり、国内の銃砲業界のバイブルになりつつありました。

編集長の業務も多忙となり、副編集長が参加する様になりました。彼は高額なペラッツィを愛銃とする自称銃の専門家クレーシューターですが、狩猟はせず、銃の知識もかなり低いレベルでした。

副編集長はケンさんの記事にイチャモンを付ける事が多くなり、狩猟を書きたいのであれば、自分で出版されたらとも言われ、それまで僅かにあった狩猟のページもなくされてしまいました。
ケンさんは良い機会と思い、スポーツガンガイドブックから手を引く事にしました。

 8-2.スポーツガンガイドブック(年鑑)の廃版。
その結果、スポーツガンは内容が著しく貧弱になり、翌々年に廃版、「ザマーミロ」と言う事になり ました。銃砲年鑑はライバルが自滅した為に取敢えず生き残り、隔年出版となりました。

ケンさんの働きがどの程度であったのかは知る由もありませんが、シロートの副編集長がデカい顔をするのは、かつて4x4のマガジンが大発展した理由は、全員が熱い4WD乗りだったからですが、それとシロートの副編集長がデカい顔をするのは真逆の方向であり、マイナス影響は明らかな感じがします。

4x4マガジンの編集は4WD時代からスポンサー寄りでした。しかし4WD業界はショップが客のニーズに合わせた商品を、開発する構造にあったので良かったのですが、銃砲業界は客のニーズに合った商品を開発販売する能力はなく、単に取り寄せ販売するだけの、単なる通販窓口でした。

この時代の多くのハンターの関心は今と違い、狩猟=猟犬であり、1に猟犬、2に足、3に鉄砲と言われており、射撃技術や狩猟方法には低い 関心でした。

普通のハンターは猟犬に対する投資は惜しみませんが、銃は普及品を購入すれば当面更新しません。クレーシューターは1~2桁高額銃を数年毎に換え、弾薬消費は普通のハンターに比べ、数百倍以上を消費しました。

銃砲店はどうしてもクレーシューターの機嫌だけを取り、スポーツガンガイドブックもスポンサーで ある銃砲店寄りの従来路線、ここに間違いがありました。

スポーツガン読者はアマチュアの初級 ドッグレスハンターや初級シューターが多く、その方面の記事が必要だったのです。

ハンティングやシューティングの楽しさを紹介し、どの狩猟が良いのか、何処に行けば良いのか、如何にして命中させるのか、如何にして捕獲するのか、それらを満遍なく載せた記事が欲しかったのです。
 
 8-3.狩猟雑誌。
スポーツガンガイドブックと前後し、月間狩猟雑誌の「狩猟界」にも「カモ猟」と「シカ猟」の連載を 書く様になりました。編集者はアマチュアハンターでした。

この時代は「狩猟=猟犬」と言われ、「全猟」と言う猟犬の専門雑誌がつい先頃までありました。
狩猟界の記事は自分の愛犬の自慢話が殆どであり、銃や射撃技術、狩猟方法に余り感心が無かったと思われます。この辺が海外の狩猟雑誌と大幅に違う点だと思います。

ハンターは猟犬を放し、獲物を発見するのをひたすら待ち、鳥猟なら発見すれば猟犬はフリーズ状態になって、突撃指令を待っています。

スタンバイして、突撃命令を出せば猟犬が突撃、鳥がフラッシュ、これを撃ち獲るのがこの頃の狩猟のメインのキジ猟でした。

銃は使いますが、猟犬ハンターは猟犬の能力に頼り過ぎ、新しい知識や 技術には殆んど無関心、狩猟者本人が狩猟技術の向上や射撃技術向上の努力を、全くしないのがその特徴です。
一方良い猟犬を入手する為の費用は惜しみません。

ケンさんはドッグレスハンターで、如何にして「不可能を可能」にするかをメインテーマとしており、捕獲に拘り過ぎと言えば全くその通りですが、それが最も売りとする所でした。

初仕事から数年が過ぎた頃、1部の読者から捕獲に拘り過ぎていると言う投稿があったらしく、  ケンさんの仕事に中止依頼が入り、それで手を引きました。

狩猟界は爺さんハンターの猟犬の自慢雑誌に戻り、面白い事にケンさんが手を引いた、翌年には廃版となってしまいました。これまた「ザマーミロ」でした。
時代はドッグレス猟の、スナイパーがメインになりつつあったのです。

 8-4.けもの道。
「狩猟界」が廃刊になってしばらくの後、新しい狩猟月間雑誌の「けもの道」が出版され、連載の 依頼がありました。編集長は猪猟のアマチュアハンターでした。

猪猟は一般の猟犬ハンターより、更に猟犬が大きなウェイトを占めます。それは猟犬が獲物を捜索し、その多くは猟犬が格闘し、獲物を咬み殺し、ゲームセット。猟銃の出番が全く無い事もしばしばありました。

銃の出番は猟犬が格闘して足止めし、勝負が付かない場合、現場に勢子が駆け付け、至近距離から1発撃ってゲームセット。射撃技術ゼロでもOKでした。

けもの道は猪猟ハンターが編集者ですから、狩猟界より更に格闘性猟犬の自慢話ばかりになりがちです。ケンさんは狩猟界や他の狩猟雑誌が全滅した現在、狩猟の総合雑誌誌を目指す事が生き残る道だと諭し、その方向なら協力するとして、スタートする事になりました。

散弾銃の話、鳥猟や大物猟の話、海外猟の話、ライフル銃や空気銃の話、銃の歴史等々の幅広い分野で毎月2本の連載+エゾ鹿猟解禁情報等々を書き、出版数はかなり増えている様でしたが、やはり書く内容は相変わらず如何にして捕獲するか、当然拘りの強い書き物になりました。

数年が過ぎた頃、ここにも多分同じ読者だと思われますが、捕獲に拘り過ぎると言った投稿があったらしく、仕事に断りの連絡が入りました。

その後は猪猟犬の記事がメインに戻り、どうなるかと見ていましたが、予想通りと言うか、翌々年早々に廃版となりました。これまたまた「ザマーミロ」です。

昨今は掲載内容を再び狩猟全般に広げ、年数回の発行で再開された様ですが、ケンさんには 声が掛かる事は無く、仮に声が掛かっても多分受けなかったと思います。

  狩猟大全集。2006年~。 https://littleken.militaryblog.jp/c51130.html
そんな経緯からケンさんの狩猟に関する拘りのみを書いたのが「狩猟大全集」です。
ケンさん程気合を入れて狩猟した人は皆無ですから、過去に例のない狩猟や射撃の指南書です。
如何にして獲物と出会うのか、如何に銃を当てるのか、その過程や対策方法が書かれています。 拘りの」初版はショットガン編とライフル編を合わせて500部が、2006年に自費印刷されました。

全国の主だった銃砲店にも狩猟大全集のサンプルを送りましたが、殆んど効果はありませんでした。ハンターを騙してその気にさせ、不要な銃や装備を買わせる等々、銃砲業界の悪徳商法の批判も 書きましたから当然の結果と言えます。

不要なマグナム銃の販売、同じく不要なハンドロード関係用品の販売、獲れないエゾ鹿猟の募集詐欺、等々にしっかり加担したのが、従来の銃砲店だったと言えます。

拘り過ぎる本書が、ベストセラーになる事は絶対にないと思いますが、解かってくれる人が何人かいればそれで良いと思っています。
狩猟大全集はその後数年毎に続編が出ました。チャレンジ編2011、エゾ鹿猟実戦編2013、海外猟編2014、狩猟人生50年2020がありました。

チャレンジ編2011とエゾ鹿猟実戦編2013は併せてエゾ鹿猟の魅力編2016に再編され、海外猟編2014は魅惑の海外猟編2018に再編され、狩猟人生50年2020はFinal編2022に再編集されました。

狩猟大全集の販売方法はHPを通しての通信販売のみとし、現在はPDF処理したDVD販売の手法を取っています。狩猟大全集は数年毎に続編が誕生し、写真の6編セットで2万円、2つ選んで1万円、〒送りも可能です。

昨今は資料館見学を兼ねて、遠方からも取りに来る人が多くなっております。全国12県から遥々お越し頂けました。2泊3日コースの読者もおられましたが、可能な限り対応させてさせて頂きます。

エゾ鹿猟は本州では絶対に不可能な巨大な角(ライフル編表紙参照)を持つ大物鹿が、たくさん 獲れると言う、夢の狩猟でした。その平均実績はスクール名称にもなっている「5205」です。

エゾ鹿猟の成果はガイドの能力次第、巷のガイドは今も昔も、呆れた事に90%近くが憧れの狩猟に便乗した、ガイド能力ゼロの詐欺ガイドでした。
また他所のガイドでは3段角が獲れそうもなく、転校して来た多数の生徒も、スクールでは一生の夢が、到着日の夕方猟で意図も簡単に実現しました。

2012~2014年、スクールのW生徒の釧路ガイド猟3日間は、3年連続で捕獲ゼロ、出会いが殆ど無かったと言います。そして2015年ケンさんのスクールに来ました。

結果は20回ほど発砲出来、小物4頭の捕獲でした。大物も100~150mで6回も良いチャンスが あり、大猟の可能性は射手の迫力負けで流れました。もっと早くスクールに来るべきでした。

ケンさんのスクールでは、出会いが規定(5回/日)の半分以下で、獲れなかった時は、次回参加 が半額と言う保険制度を設定しましたが、捕獲ゼロは結果的に1人もおらず、従って保険の適用もゼロでした。

ほぼ全員が2頭以上の捕獲となり、捕獲が1頭だったのは50m射撃が5㎝でないと 捕獲の可能性がないと言う、技術基準に著しく満たない生徒だけが捕獲1頭に留まりました。

エゾ鹿はベラボーにおり、その習性さえ学べば、またそれに対応する射撃方法さえ、狩猟大全集で学べば、エゾ鹿猟はケンさんが、大全集に書いてある様な夢の狩猟が可能になります。

市販銃の150mでワンホール射撃、半委託射撃で最大380m、全依託では540m、ボルト銃が 半自動銃より速い連射が可能、走る鹿に対し200mまでなら初弾が70%の確率で急所ヒット、5日で50頭を捕獲し、5発5中が3度、その方面を目指してきた人達でも、否、目指して来たからこそ、そんな事が出来る筈がないと思えたのでしょう。

しかし我ながら、これ程上手く行くとは、夢にも思っていませんでしたが、全て本当です。
それが嘘でない事を、また読者が再現出来る様に説明したのが大全集です。

銃だけに撃たせる射撃が出来れば、昨今の銃は、あわよくば150mのワンホールが可能となります。昨今の銃や弾は、それが出せる様になっているからです。

ケンさんもワンホールのみを求めて来たのではないので、何時でも出せるは申しませんが、イカサマは無く、調子の良い日は、類似の記録が幾つかまとめて出ます。

銃口を目標に向け、肩に真直ぐ引き寄せるスナップショット、結果的に西部劇の早撃ち並が可能となり、しかも確実に当たります。
また動的では見えているのは、0.4~0.5秒古い虚像で在り、銃を スイングしながら虚像を追い越す時に引き金を引けば、命中します。

何れも可能なのですが、成功は従来の間違った考えや、銃の操作方法の延長上にはなく、それらが邪魔をしているだけなのです。
  


Posted by little-ken  at 11:20狩猟大全集

2021年09月17日

狩猟大全集「Fainal版」

             狩猟大全集「Fainal版」
2021年9月、狩猟大全集の究極版と言える「ファイナル編」が完成しました。
狩猟体験も2016年以降はもう進化は止まっており、銃も2018年には卒業しましたので、「狩猟人生を振り返って」編から内容的に新しい物は少ないかも知れませんが、考え方の方はかなり進化しております。

ショットガンの鳥猟、本州鹿の巻き狩り、ライフル銃のエゾ鹿猟とヒグマ猟、これらの最高のバイブルとなれる様にまとめたつもりです。

拙書には且つてはバイブルとして崇めた「ザ・ビッグゲーム」 「ライフル・ハンター」「羆撃ち」を酷評している部分もありますが、何時か誰かがケンさんの「大全集」酷評してくれる日が来る事を望んでいます。尚これにてリトルケンの一連の活動は当面のお休みを戴きたいと思います。
拙書がお役に立てればこれほど嬉しい事はありません。

  表紙説明:紋別郡滝上町ヒグマ250㎏、2007 
          EHG5205商標 
  裏表紙説明:NZ孔雀2011、与那国カジキ2012、NZキジ2012、NZ七面鳥2012、
           NZイシナギ2017、NZカナダガン2014、NZテキサン練習機2011.

 A4約500頁。PDF化されたDVDが1万円(〒& Tax込み)
「狩猟人生を振り返って」編をお持ちの方は、お越し下されば無料で差し上げます。
  Fainal編目次: Fainal編目次:https://littleken.militaryblog.jp/e830807.html
  資料館にお越し下さる時は事前にご一報下されば幸いです。
  お問い合わせ:http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage


  


Posted by little-ken  at 11:25狩猟大全集

2021年02月06日

狩猟大全集「Fainal編」新発売。



表表紙説明:紋別郡滝上町ヒグマ250㎏、2007 
EHG5205商標 
裏表紙説明:NZ孔雀2011、与那国カジキ2012、NZキジ2012、NZ七面鳥2012、
NZイシナギ2017、NZカナダガン2014、NZテキサン練習機2011.

A4約500頁,PDF化されたDVDが1万円。(〒&Tax込み)
「狩猟人生を振り返って」編をお持ちの方は、お越し下されば無料で差し上げます。

資料館にお越し下さる時は事前にご一報下されば幸いです。
お問い合わせ:http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage


狩猟大全集「Fainal編」もくじ。
1.モンゴル丘の13伝説 : 根室の一角にあるエゾ鹿の猟場です。
2.S師とお魚フィーバー。
3.ムース級のエゾ鹿。
4.エゾ鹿の種類 :エゾ鹿とエゾ鹿猟の種類、必要な道具、初参加者の希望。
5.これから狩猟を始める人に対するアドバイス:何の猟がしたい? 獲物に出会う事は難しい。

6.新人ハンターの銃選び、3年間を如何に生き残るか?
選ぶべき銃とダメな銃、クレー射撃上達法、実猟の種類、可能性を感じなければ生き残れない。
可能性があるのはエゾ鹿ガイド猟だけ、行くなら西興部の猟区、3年目までにまず獲れます。

7.銃の皮ケースが必要であった時代背景 : 銃はあっても足(車)が無かった。
8.大物単独猟。
迫力負けと150㎏を回収する体力、マグナムは不要、 狩猟行政、エゾ鹿の国際的な価値。

9.被弾の瞬間。
被弾部の毛が立ち、弾着音が聞こえ、ボルト銃はオートより速い、出来ない理由はやらないから。

10.スナップショット&スナップスイングショット の 決定版。
肩に着く前に撃つ、ストックの調整が決め手、見ている映像は古い虚像、動的は難しくない。

11.ライフル銃の夢、5発5中の達成。
達成はオートではなくボルトだった、ドギュメント5発5中、平均150m先を走る鹿に1.4発/頭。

12.ライフル銃の夢、ワンホール達成。 
フリンチングが原因、実射からは得られず、実射には反動を伴なわないと体を騙せば達成可能。

13.究極の散弾銃を求めて、愛銃の歴史。
リードを考えずに済むスイング射撃こそ理想の射撃、オープンサイトの銃は使えない。

14.散弾銃の適合装弾とショットガン効果
最強の図式、鳥猟:7.5号装弾+フルチョーク、鹿猟:27粒弾+スキートチョーク。

15.究極のライフル銃を求めて、愛銃の歴史。
オープンサイトは使えない、究極のライフルはオートでは無かった、欠陥銃レミントン700。

16.ライフル銃の欠陥。
50m以内では向けて撃つだけのバックショットに絶対勝てない、鉛弾頭時は近距離では表面 爆発、また骨にヒットすれば威力を失う、ライフル銃は魔法の銃では無い。

17.使えないハイパワー弾と使えるローパワー弾。
ショットガン効果に1粒の威力は無関係だった様に、単弾もパワーには概ね無関係でした。

18.憧れの連射:散弾銃のオートは非常に優秀ですが、ライフル銃のオートは全くダメな銃でした。

19.狩猟とは不可能に対する挑戦
カモの隠密接近術、鹿猟の「禅の心作戦」、発射には反動を伴なわないと体を騙す。

20.不可能を克服した39項目
カモを希望の場所に墜とす、無敗連勝記録20勝、オートより速いボルト銃連射、5日間50頭。

21.エゾ鹿猟の射程距離の変化
太古の昔から2005年まではずっと50m、現在は150m、射撃の成否は心次第。

22.エゾ鹿猟の90%は詐欺ビジネス?
巻き狩りは獲れない、ガイド猟は出会いを作れるガイドがいない、よって90%詐欺は正解。

23.鹿の圧勝構造の崩壊
本州鹿猟は圧倒的五感の差で獲れないが、車を使うエゾ鹿ガイド猟にはこれが無く、勝負し易い。

24.実戦に必要だった事の要約
浅はかな経験で自分流に分かろうとせず、分からないままフルコピーに努める、スナップショットは全ての射撃の基本、射撃は心が平静でなければ命中しない。

25.逃げる鹿。
スコープ専用銃はスナップショットやランニングショットが得意項目、ボルトアクション市販銃、安物スコープ、酷評の激安弾、クリーニングレス、大記録はここから生まれました。

26.普通の狩猟vs 魅力桁違いの本物の狩猟。
鴨ネギ猟やデメキン鹿猟、これが普通の狩猟です。それで満足ですか?

27.安全装置の歴史と未来銃
安全思想が欠落している日本的な銃の運用、スコープ専用銃は獲物に出会ってから装填や  安全解除が出来る銃です。

28.ワィルドキャット(カスタムカートリッジ)
1960年製の酷評弾でも大記録が出せた事は、狩猟用に限れば、高精度銃も高精度を目指したハンドロードも、ワイルドキャットもそれら努力の全ても1960年に遡って無意味であった事になります。実戦に必要な精度は思ったほど高くなく、必要なのは射手の平静な心だけでした。

29.少年の夢
ジープで世界1周アドベンチャードライブ、戦闘機のアクロ飛行、自作ヨットで世界1周、ライフル銃で世界の大物と勝負をする。
2000年の阿寒ガイド猟も15チーム中10チームが捕獲ゼロでした。
日本大物クラブ会員の夢は5頭捕獲のエース、ケンさんのスクールなら平均3日分の捕獲数。

30.サラリーマン卒業後。
1989年(有)サンシャ電装の設立。1991年~業務拡大、トレーラージャパン と エリア88。
花巻本州鹿巻き狩りを63日も行いゼロ頭、白糠民宿巻き狩り21日もゼロ頭、共に遠廻りでした。その後同じ白糠で単独猟をする様になり、即座に1日1頭を捕獲出来る様になりました。

31.仕事卒業後。
2000年末、交通事故で死に損ない、思い切って仕事を卒業、少年の頃からの夢の追及を再開。
飛行ライセンスへの挑戦、世界の秘境ドライブ、世界の大物との勝負、狩猟や銃のライターを 始め、「狩猟大全集」自前出版する事にしました。

32.円熟の時代。
世界秘境旅の走行累計は10万kmを達成、ジェット戦闘機6Gアクロ飛行最後とし、国内狩猟はヒグマ6頭、エゾ鹿1051頭、海外猟は大物64頭、最後の仕事として自宅資料館を作りました。

33.銃砲業界の悪行。
スチールの最強装弾は5~6号クラス、スチール専用銃は不要でした、ホロ―サイト&ドットサイトは使い物になりません。ライフル新規イカサマ審査で誕生したイカサマライフルマン多数は旧技能講習で全滅し、マグナムもアフリカンホットライフルも未熟なハンターを騙す業界の陰謀でした。プリチャージ式空気銃は業界の陰謀が最も臭う銃です。

34.ある友人のホラ
ケンさんは間違って入部したとは言え名門クラブから逃げませんでした。
本州鹿巻き狩りでは石の上に想定外の9年、おかげ様で高いレベルの狩猟が可能になりました。

35.空中空き缶撃ちは可能か。
空中で失速する位置を予測し、スナップショットを行ないます。
銃だけに撃たせれば300m遠射は難しくなく、スイングを止めないで追い越す時に引き金を引けば、ランニング射撃も簡単です。

36.ボウハンティング。
射程50m、無音のボウは出会い率&捕獲率とも高く、アメリカでは最も普及しています。

37.種子島銃 と 連発銃。
パーカッション、ライフリング、リムファイアー、センターファイアー、無煙火薬、これら全てが僅か35年の間に集中、やがて待望の連射銃や自動銃となりましたが、連射は単なる夢物語でした。

38.村田銃とフロロフカ。
村田猟銃は国産軍用銃の13年式及び18年式11㎜ライフル銃を30番前後の散弾銃に改造払い下げた銃をモデルに明治10年(1877)頃から新造され、1965年頃まで使われました。
ロシアでも同様の改造払い下げが超大量に行われ、それが「フロロフカ」です。
1995年頃、当局の無知を付け込んで、マーリン444ライフルをそのままハーフライフル化した  イカサマ410番ハーフライフル銃が販売された時期がありました。

39.ホーワカービンとM1カービン
M1カービンは自衛隊も運用、ホーワがその補充部品を組立てホーワカービンを売り出しました。15連&30連マガジンも使え、更にはフルオートシアも組み込めてしまう、問題の銃でした。
クランクトリガーは引き金にセットしたクランクハンドルを廻すとフルオートの様に撃てる装置です。バンプストックは2重ストックの中で銃が前後してフルオートで撃てるアイデアでした。

40.弾頭の飛行中の温度
銃口から出た直後は320℃、弾頭は12㎜の鉄板を撃ち抜きます。

41.ハンターのバイブル、そのゼロ: ケンさんのバイブル。
ケンさんは1983年から鹿猟を始め、若い頃のハンティングバイブルは「ザ‐ビッグゲーム」であり、「ライフル-ハンター」でした。更にその後、「羆撃ち」が加わりました。その後30年が過ぎ、当時  の不可能がかなり可能になった今、そして極める狩猟を卒業した今、かつてのバイブルは著者が色々聞いた名人芸を、自らが名ハンターを演じて実行した様に書いている小説でした。

42.ハンターのバイブル、その1:ザ・ビッグゲーム。
大藪氏は銃を語るライターとして失格レベル、猟の記載もあり得ない事だらけ、ザ・ビッグゲームは単なる小説でした。また北海道のエゾ鹿やヒグマと勝負しないのはハンターではありません。

43.ハンターのバイブル、その2 : ライフル・ハンター。
柳田氏は著書によれば単独猟で多数の戦果を出したとの事ですが、本当は1990年頃の白糠の1週間が憧れの初単独猟、しかし1週間で鹿を1度も見る事も出来ない状態、ガイド猟で数頭捕獲したそうです。(湯井ガイド談)
その数年後、著しく未熟だったケンさんですが、同じ白糠の単独流し猟で毎日1頭前後を捕獲  していました。神様の様に思っていたハンターは、実はあり得ない程の超ダメハンターでした。

44.ハンターのバイブル、その3 : 羆撃ち
スコープ専用銃の意味も、サボットスラグ銃の性能も、新しい合金ナイフも知らない、狩猟教書は1970年の古い知識の押し売りの書、羆撃ちは愛犬に溺れたロリコンハンター物語でした。

45.ハンターのバイブル、その4: 狩猟大全集
ショットガンの鳥猟、本州鹿巻き狩り、ライフル銃のエゾ鹿猟とヒグマ猟、これらの最高のバイブルとなれる様にまとめたつもりです。拙書には且つてはバイブルとして崇めた「ザ・ビッグゲーム」 「ライフル・ハンター」「羆撃ち」を酷評していますが、何時の日か誰かがケンさんの「大全集」酷評してくれる日が来る事を望んでいます。

46.狩猟大全集の誕生の経緯
スポーツガンはケンさんも編集に参加しておりましたが、狩猟を紹介するケンさんの記事が抹消され、その時にガイドブックから手を引く事にしました。結果、数年後に廃刊、「ザマーミロ」となりました。他の狩猟雑誌も捕獲に拘り過ぎるとして仕事から外され、その結果、どの雑誌も数年後に廃刊に追い込まれ、「ザマーミロ」となりました。そして「如何にして獲物に出会うのか」「如何にして獲るのか」 これが超拘りの「狩猟大全集」となり、自費出版しました。

47.ケンさんのハンティングカー歴
FRデフロック付のランクル76が最高のハンティングカーでした。

48.北海道移住とエゾ鹿猟のトラブル
トップは雪道や林道の運転であり、2番目は単独猟が出来ない事、3番目は地元ハンターからのあからさまな妨害でした。

49.ランドクルーザー。
1951年にトヨタジープBJ-10型を自衛隊向けに試作、これがランドクルーザーの原型となりました。1954年、軍用イメージをなくしたFJ20型となり、ランドクルーザーと名乗る事になりました。
1973年、ディーゼルエンジンモデルが追加、このディーゼルエンジンの粘りの高燃費と高耐久性が世界のランドクルーザー飛躍の原因となりました。現在のディーゼル車は実用領域に於いて全てガソリン車を圧倒し、更に実用燃費2倍となりました。

50.三菱嫌いになった理由
パジェロ詐欺、欠陥車隠し、そして73式改の疑惑、ケンさんは一気に三菱が嫌いになりました。

51.セドリック ディーゼル
1976年、冬期始動困難:動力配線の見直しで改善、巡航速度と登坂速度の不足問題:ギヤ比を変更、共に満足の行く改造でした。このお粗末な車が当時の技術の日産の姿でした。
1935年、トヨタ第1号G1トラックは名古屋まで20㎞に3日を要しましたが、愚妻の1970年型パブリカ中古車7歳は、5年間5万㎞を無整備、無故障、オイル無交換で走り切りました。
リーフは深夜電力充電なら2円/㎞、ガソリンは20㎞/㍑走っても7.5円/㎞、比較になりません。

52.スズキ ジムニー。
東京のホープ産業のON型、これが原型です。三菱系構成だったホープON型をスズキ部品で再設計したのが初代ジムニー1970年、初期のトヨタ車並の酷い欠陥車でした。
クレームとは「設計不良」「材質不良」「組立不良」が重なって起こり、期間に無関係に成立、トヨタにはこの権利を主張する機会が殆ど無くなり、ニッサンは対応可、三菱は修理代金割引、スズキは非対応です。

53.ゼロ戦。
ゼロ戦の最大の欠点は消耗品の翼が交換出来ない事でした。
それに対し米軍の合理性は素晴らしく、初期にはゼロ戦にカモられ続けたF4Fワイルドキャットを軽量化再設計、そのFM2戦闘機は末期のゼロ戦をカモに出来る程に生まれ変わりました。

54.究極の銃を求めて。愛銃の歴史。
55.リトルケンの達成記録と出猟日数。
56.リトルケン出猟日数。

57.高齢化とバレーボールの話。
高校の部活も中学と同じく名前だけ所属作戦を選択しました。ところが県内無敵のバレーボールの名門校でした。スポーツの超最低辺から上級の入り口までを強制的に体験する事になりました。おかげ様でスーパー体力とド根性が付き、やれば出来るを体験しました。バレーボールを通して人生が始まり、人並みの考え方が出来る様になり、「不可能を可能にする男」となれました。

58.医療費の赤字。
ケンさんの様なボケ老人の生存期間を数年延ばす為に高額費用はもったいないと思います。

59.憧れの海外猟に行くには
日本の撃ち放題とは全く違う狩猟制度、発砲にはガイドの許可が必要、未回収は要料金です。
天然物と高難度の勝負をするファーム猟と、養殖動物と勝負する低難度のランチ猟があり、後者が90%です。

60.魅惑の海外猟。(何時かはクドウ猟)
1式100万円がMin価格(2016)、未回収を出すまで撃ち、未回収が出た時点で諦め、記念は 捕獲写真だけに留め、剥製類も作らなければ、チップ以外の追加費用は発生しません。
アフリカ猟は南アフリカの動物が尽き、ナミビアを訪れるハンターが激増、コロナ終息後の5年間で手が届かなくなる価格になると思われます。それが最後にチャンスになると思われます。

61.魅惑のヒグマ猟。
捕獲情況、ヒグマは何時何処にいるのか、ヒグマ用装備。



  


Posted by little-ken  at 11:22狩猟雑誌「けもの道」狩猟大全集

2020年05月13日

リトルケンのチャレンジも終りが近付きました。

   旭川空港の家を売却、北海道コレクションで自宅玄関周辺を手直し。

玄関に向かって進みますと右側壁面にはナミビアのクドウのトロフィーとLittle Kenの文字、そして先込フリントロックの短筒、プロペラが目に入ります。
浮き輪や船の舵は新婚旅行時に沖縄で購入した物であり、93は年代ではなく、308と共に我が家のラッキーナンバーです。

続いて左側壁面にはアラスカのムースとマレーシアのセイルフィッシュ(芭蕉カジキ)です。写真にはありませんが、大きなシャコ貝が下に置かれています。
セイルフィッシュの木彫モニュメントは50cm強ですが、実物は2~2.5mです。
最もカジキらしいカジキはブルーマーリンでこちらは2~5m、餌で釣る時は50cm前後のカツオや小さいマグロを1匹ごと丸掛けにし、与那国で2.6mのSサイズを釣りました。

  悪性リンパ所のその後。
さて今回の「悪性リンパ腫」騒動は2019年3月中旬からの病院通いに始まりました。
病名が決定し、入院が始まったのが2019年5月1日、当初の第1シリーズは1週間の入院と2週間の自宅療養の3週間サイクルを6回繰り返す治療でした。 強烈なムカムカが続き、食事は喉を通らず、髪の毛は殆ど抜け、大変な治療ですが、これに耐えれば数年間の限定かも知れませんが、ある程度の健康を取り戻せると思っておりました。

自宅2週間療養後半の1週間はムカムカも多少治まり、まだバレーボールが出来ました。
またその間は旅行も出来、マレーシアのセイルフィッシュ(芭蕉カジキ)釣りにも北海道にも行く事が出来、第1シリーズの6回コースは十分耐えられる見通しが付きました。
所が現実はそれより遥かに厳しく、4回目の投薬治療に入る直前、治療中にも拘わらず再発、治療は更に大幅に厳しい物に代わりました。

第2シリーズの治療は3週間の入院と自宅療養1週間の1ヶ月サイクルの6回コースです。
今度の治療では30%が自力で立てなくなると聞いていました。
実際にムカムカは第1シリーズとは比較にならず、バレーボールも完全に休み状態となりました。更に3ヶ月目からはとうとう食べ物が喉を通らなくなり、4ヶ月目以降は飲み水も喉を通らなくなり、殆ど寝たきりとなりました。

そんな状況下の5ヶ月目に「造血幹細胞移植」と言う治療を受けました。
これは悪性リンパ所の含まれた自分自身の造血幹細胞を全て薬品で殺してしまい、新たな細胞を移植すると言う物です。この時、体毛はまだ数%が生き残っておりましたが、投薬により爪を含む全ての皮膚も死に、新しくなりました。
完全に寝たきりであり全く飲食していないのですが、体内でも古い細胞が死にそれによる激しい下痢が続き、1時間に1回の排せつの際は地獄の苦しみでした。

水泳の池江璃花子は「急性白血病」で病名は全く違いますが、発病も退院の時期も概ね同じでした。そして受けた治療内容も同じ造血幹細胞移植でした。彼女の闘病生活もきっと同様に苦しい物だったと思います。 尚、この治療を受けた1年後の生存率は88%だそうです。

地獄の5ヶ月目にもやがて12月4日に終りの日を迎えました。
幸いケンさんは自力で立てそして歩けました。自宅資料室は2Fにあり、途中で休憩を何度も入れながら、辛うじてですが自力で上がれました。
しかしまだリハビリを頑張ればある程度の日常は取り戻せると思っておりました。
1ヶ月コース6回の予定は5回目を以って終りであると言う嬉しいお知らせも届きました。

  病気のその後。
88%の一般的解釈ですが10中8~9は大丈夫、従って心配する程ではないと言う物です。
ケンさんもそう思っており、まだ頑張れば今は中断していますがバレーボールや秘境旅行にも復帰出来ると思っていました。ただ移植後0.2~2年間は血液の外敵に対する抵抗力が低く、それを補う投薬を受けるのですが、この薬は健康な細胞の発達も阻害する弊害があり、その間はトレーニングも余り有効でない事が分かり、これには非常にガッカリでした。

投与後、2カ月が過ぎ、この辺まではリハビリも有効に機能し、食事は美味しく頂ける様になり、2Fまでスムーズの上る事も出来る様になり、復帰は可能の様な気がしました。
しかし一方でケンさんの回復は遅い方である事が分かり、抵抗力を補う薬の投与も2年コースが避けられなくなり、ここに来て如何に鈍いケンさんでも最早バレーボール再開は完全に諦めなければならない事を悟りました。
しかしそれでも短期限定かも知れませんが、まだ生き残る側に居られると思っておりました。

  最後通告を戴きました。
年度が変わり2020年早々、またもや再々発が見付かりました。あの苦しい治療は何だったのか、治療とは言え患者をあそこまで苦しめて良いのかと思う治療内容でした。
また今更治ったとしても、社会に取って役に立たない70過ぎの患者に1千万円超えの高額治療費を掛ける行為はメリットがあるのか、考えさせられる内容が多くありました。

そして2020年2月13日には担当医師から衝撃的な話を聞く事になりました。
それは、もう有効な治療方法が無くなり、薬で1時的に病状を抑えておく事は可能ですが、長くは使えませんから、「自分の最後を何処でどうしたいのか」を考えておく様にと言う、内容でした。良くない側の12%入りが決定してしまった様です。

つまり何とか健康でいられる期間は数カ月、半年後は分からないと言うレベルです。
そして5月中旬、その宣告から3ヶ月が過ぎました。
この3ヶ月間の経過を見ますと、日々の食事は順調に食べており、毎日多少の散歩もしているのですが、まるで手足の筋肉に穴が空いてしまい、そこから常時エネルギーが大量に漏れて行く様な感じがします。今の状況はWHOのコマーシャルに手足の関節だけが異様に目立ち、今にも倒れそうな栄養失調の少年少女が出て来ますが、あんな感じの老人です。

3か月目の後半、2020年5月中旬からはもう足の力だけではたった1段の階段も上がれなくなってしまいました。階段は手摺りと取手だらけになり、両手を併用して何とか2Fに辿り着いているのが現状です。これも更に1~2カ月先には限界を迎えると思われます。
取り敢えず6月中旬には久米島のマグロ釣り、6月下旬には北海道キャンプを予定しており手配しましたが、行けたらイイなのレベルです。

仮にこれらは何とか行けたにしても、その辺が限界であり、その次は無理ではないかと思います。もし行けたとしたら東北1周をしたいと思ってますが、希望だけに終りそうです。
現在コロナウイルスの暴走的感染は一応抑える目途が付いた様ですが、感染防止の対策が出来た訳ではなく不要不急の外出は避けるべきであり、ケンさんもその通りだと思いますが、ケンさんにはもう時間が無くなりました。
5月下旬には沖縄または奄美に行きたいと思っています。

リトルケンのチャンレンジもどうやらこの辺で終りを迎えそうです。
資料館見学はお急ぎ下さい。

  狩猟大全集の販売。
狩猟大全集シリーズは下記の様な手法の販売が可能であり、これはケンさんがいなくなりましても代理者のケイジが担当しますが、 ブックの在庫はかなり前に無くなりまして、現在はDVDによるPDF版の販売のみになっております。
   1.ライフル編220Pとショットガン偏180Pを1つにしたPDF・・・3500円。
   2.応用猟編375PのPDF ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3500円
   3.チャレンジ編 → エゾ鹿猟の魅力編に改修した為になくなりました。   
   4.エゾ鹿の魅力編330P のPDF ・・・・・・・・・・・・・・・・5000円
   5.魅惑の海外猟編250PのPDF ・・・・・・・・・・・・・・・4とセット。
   6.狩猟人生を振り返って500PのPDF ・・・・・・・・・・・・・10000円
        全部まとめて22000円 → 20000円(税込み)


どれも税込み価格です。必要な物を指定して下さい。
最近の傾向ですと、新しい資料館見物がてら取りに来る人が多いです。
勿論ついでに半日程度でしたら、何でも聞いて下さい。古式銃の事、ライフルの精密射撃の事、ライフルの実戦射撃の事、ライフルに依るランニングショットの事、ショットガンの実戦射撃の事、知っている事は何でもお話しします。


但し、歩けなくなってケンさんが施設に入ってしまえばそれも出来なくなります。
5月末までは大丈夫ですが、6月末付近が境目になる様な気がしています。
宜しければお急ぎ下さい。

                                  リトルケンこと立石憲司郎
  


Posted by little-ken  at 16:27狩猟大全集闘病

2018年08月10日

狩猟大全集最終版

狩猟大全集の最終版である、「狩猟人生を振り返って。」約500頁が完成しました。
狩猟人生50年を振り返って見ますと、獲れなくて辞める寸前だった極初期の話、カモ撃ちのプロになった話、本州鹿猟を始めましたが、最初の10年は僅か1頭だけ、しかし次の10年では特殊能力を身に付け100頭(30頭が本州鹿)を捕獲、更に次の10年ではエゾ鹿の行動を解析し何と1000頭(全エゾ鹿)を捕獲した痛快な話、エゾ鹿単独猟に至るまでの話、モンゴル丘の伝説、銃や弾の歴史、業界の陰謀、そして最後は筆者の自伝となっており、人生観等をまとめております。
興味のある人はいないと思いますが、DVDは送料込みの1万円、申込みは下記まで。
            http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage


「狩猟人生を振り返って。」の主なテーマは次の通りです。
狩猟人生50年。ショットガン猟の思い出。「禅の心」作戦で本州鹿大戦果。愛銃の歴史。
憧れのエゾ鹿単独猟までの道。モンゴル丘の伝説。エゾ鹿の定数と射程距離の移り変わり。
ラニング射撃名人の話。エゾ鹿ガイド猟と丹沢巻狩りの比較。狩猟をコスト計算で比較する。
エゾ鹿共猟の破局率。ハンティングライフルの歴史。スコープ専用銃の歴史。ライフル銃の選択。

カスタム銃とマグナム弾。銃の歴史とサボットスラグ銃誕生の経緯。弾薬の歴史。マグナム弾。
マグナム弾 とStd弾308と 銅弾頭。複数被弾(ショットガン)効果。ライフル銃で達成したい項目。狩猟は不可能に対する挑戦。ヒグマ撃ち。罪作りな趣味。ビッグサイズエゾ鹿 ベスト10。
エゾ鹿超大物のまとめ捕獲。狩猟事故の防止。乗せられてはならない銃砲業界の好機到来。
レミントン社の倒産。SBライフル22LR。地元猟友会員をエゾ鹿猟へ招待。ライフル銃の卒業。
ビッグフィッシング。海外大物猟への挑戦。リトルケンの自伝。

そしてこれも狩猟人生50年の最終章になりますが、リトルケン資料館を製作中です。
滋賀サファリさんとは2桁も違う、至らない作品ですが進行中、完成は約半年後です。
狩猟の普及を人生のライフワークと考えて来ましたが、業界の予想外の急速な衰え&余りにも醜い駆除の利権争いに予定を変え、この資料館の完成を以って筆者の狩猟の普及活動を終えたいと思います。


スプリングフィールド1903シカゴ、エンフィールドP17シカゴ、モーゼル98 CMC&シカゴ各種、M14ハドソン,99式ハドソン、ガーランドシリーズハドソン&中田、MG34シカゴ,MP40,MP41ハドソン、100式タナカ、トンプソンシリーズ六研&シカゴ、M1カービンシリーズCMC&シカゴ&中田等々。

エンフィールドライフルシリーズシカゴ、AK47ハドソン、FALシカゴ、M16 MGC&国際、Mini14タナカ、38式&99式シリーズミロク&タナカ&シカゴ、狙撃銃M40&M21エアーソフトガン、上下2連水平2連シリーズ レーザークレー&シカゴ&イタリアレプリカ、ブレンシカゴ、BARシカゴ等々。

また写真にはありませんが、ブローニング1918重機関銃シカゴ、先込め銃各種等々があります。
大洋銃器製の火縄銃、ミロクの38式歩兵銃、またミロクの先込め銃シリーズのモデルガンは流石に銃器メーカー製を思わせます。勿論筆者の狩猟人生そのモノであったサコー75改もあります。
エゾ鹿、ヒグマだけではなくアフリカやニュージーランドや世界の鹿類のトロフィーも見モノです。
ダミーカートリッジコレクションも充実、中でも紙薬莢式の散弾はかなり豊富です。

リトルケン資料館は見学無料であり、休日はありませんが、要予約です。
モデルガンや実物廃銃コレクションも見モノです。
なるべく筆者がボケる前にお越し下さい。申し込みは下記からどうぞ。       
http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage


狩猟大全集は全部で上記の6巻となりました。
尚、以前ありました「チャレンジ編」は「エゾ鹿猟のバイブル」となるべく、「エゾ鹿猟の魅力」に再編されました。お問い合わせは下記からどうぞ。       
http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage

  


Posted by little-ken  at 16:14狩猟大全集