2021年02月19日

少年の夢

  少年の夢
ケンさんが少年の頃に思っていた夢が4件ありました。
 1.車の運転免許を取得し、ジープを入手し、世界1周アドベンチャードライブをする
少年の頃にはまだマイカー所有は高根の花でしたが、意外に早く手が届く日が来ました。

我家初のマイカーのダイハツのハイゼットバンが来たのが1967年、17歳の時でした。早速軽自動車運転免許を取得しましたが、殆んど頭の中のシミュレーションだけで取得しました。当時軽自動車は360㏄、今の軽の650㏄よりも排気量比例の小さい車で、運転席に乗り込むと身長180㎝のケンさんはハンドルが足に当たって困りました。

当時にATはなく、半クラに成功して発進出来る確率は60%前後の時に受験、幸い平地発進は成功しましたが、坂路発進は3度連続で失敗、4度目にやっと動き出しました。しかし結果はギリチョン1発合格でした。

18歳の普通免許も同様に受験しましたが、S字カーブで脱輪、しかしこちらもギリチョン1発合格出来ました。早々に有り金を叩いて17万円の中古ジープを購入、月給2万円、新車のパブリカ700が40万円の頃でした。ジープの燃費が6㎞/リットルと余りに悪く、ツーリング用にはベレット1800ディーゼルを25万円で購入しました。

 写真はマツダR360クーペ、これでも4人乗りです。しかしセスナ150同じ位窮屈でした。
 ジープも当時は大きく見えましたが、今のジムニーより小さくなかったですが、軽かったです。


20歳の時、手始めにオーストラリア大陸砂漠コースの横断を計画しましたが、検討しますと全費用は当時の収入では手がまるで届かない事が分かり保留としました。

しかし、35年後4WDのレンタルキャンピングカーで実行されました。秘境旅行は世界1周には程遠い物の50年後に海外レンタカー累計距離は10万㎞となり一段落しています。

 2.飛行機の操縦免許を取得し、戦闘機のアクロ飛行をする
これもお金と暇が掛かり、永らくの保留でしたが、2002年に行動再開、特別に戦闘機型の練習機でライセンスを取得、複葉機、WW2のプロペラ戦闘機、ジェット戦闘機、無動力のグライダー等々のアクロ操縦が出来ました。

思い出に残っているのは、第1次大戦直後のクラシック機タイガーモスの完成度の高さ、翼端が地面スレスレの垂直旋回も良い操縦特性で安心だった事、テキサンはプロペラ斜め後流の為にクセが強いのですが、思っていたよりも良好なバランスだった事でした。

またジェットのアルバトロスは与圧キャビンの為に垂直降下も快適だった事、上昇気流を捉まえた時のグライダーの上昇力が素晴らしかった事も思い出です。アクロ飛行には最大6Gが掛かり、圧迫骨折でもしたら笑われますので、2012年62歳時のグライダーアクロを以って卒業しました。

 3.自作ヨットで世界1周をする
1962年、堀江健一氏は自作ヨットで太平洋横断をやり遂げました。彼に出来たのであればケンさんにも出来ない事はない筈だと思い、まずはカヌーを自作し、海に漕ぎ出しました。

しかし船酔いにめっぽう弱い事が判明、慣れで克服出来ると信じ3年間暇さえあれば海に出ましたが、改善が全く見られずケンさんの計画としましては珍しく中断としました。自作カヌーのその後は狩猟道具になり、最後はアウトドアショップの看板になりました。

換わって少し遅れて登場したのがビッグフィッシングでした。こちらも船酔いとの戦いでしたが、酔止めを前夜からの服用と食事&睡眠時間を調整して、当日朝の快眠快便に心掛けた所、半日強なら耐えられる事を発見しました。

お陰様で2.5mカジキや1.5mのヒラマサ、1.3mのイシナギやマグロ等、遠くはアマゾン川やナミビアまで遠征、21種類のビッグフィッシングを達成、チャレンジは低空飛行ながら現在も継続中です。

 4.銃の所持免許を取得し、世界中の大物と勝負をする
年齢が18歳に達するのを待って空気銃を取得、20歳を待って散弾銃を取得、夢はライフル銃を使う世界の大物勝負ですが、今回はこの周辺を少し詳しく紹介したいと思います。

まずは日本の大物猟と言えば北海道のエゾ鹿猟ですが、当時は航空機代が余りに高額で出遅れ、40才時にライフル銃を取得し、1993年の43才からエゾ鹿猟が始まりました。2009年59才時にやっと念願だったアフリカ猟に行けました。

少年の頃に憧れたのは西部劇でお馴染みのウィンチェスター1873、14連発は魅力ですが、黒色火薬の44-40の拳銃弾は688ft-lbfと低威力でした。無煙火薬ライフルモデルの1894ですと30-30弾は1907ft-lbfの7連発でした。これに憧れる人は多かったらしく、1時期は日本にも多数が輸入されました。

戦争映画で見たM1カービン、30カービン弾の15又は30連発は大きな魅力でしたが、967ft-lbfと低威力、これにも憧れていたのですが、1980年頃ハワイで実射した処、命中率が余りに低くガッカリ、見送りました。

30カービン弾はフルチョークから撃つ1号バックショットのパターンテストの様に50mで50cm角の的紙全体に散らばっていました。また国産のホーワカービン300も同様でした。

これに対し、圧倒的に高命中率だったのはSKSカービン、30-39弾の1607ft-lbfでしたが、カッコ良くないのでパス、同じ30-39弾のルガーミニ14は当時販売されていなく、30-39弾は見送りました。

ここまでは憧れでしたが、実際に50年間の狩猟を卒業した後の銃評価は大幅に変わり、後述に出て来ます。

  実戦狩猟の真実
 1.散弾銃の連射:散弾銃は反動を上手く受け流しながら、銃の跳ね上がりを抑え込む様に工夫しますと、自動銃は秒速3発の高速連射が可能になり、ケンさんも実用化し、カモ猟では大活躍しました。
写真はSKB1900
射撃の反動と銃の跳ね上がりをコントロールすれば、目標を見失う事はなく、予め立てたストーリーの高速連射は別個の目標でも的確に捉えられました。
またショットガンは3粒以上の被弾があれば1粒のエネルギーに余り関係なく撃墜出来ると言う物で、低反動の低速小粒散弾の大きくリードを取った高速連射が非常に効果的でした。

おかげ様でカモ類5000羽以上、ハト類も5000羽以上、海外では日本で不可能な大型鳥類や大量捕獲が堪能出来ました。

 2.ライフル銃の連射:連射を掛けると言う事は、走っている獲物を狙う事と殆んど同意語ですが、リードが不可欠になり、308で射程100mなら1.0~1.7mほど前を狙う必要があります。

しかし急所の大きさは直径15㎝程度、100m以遠の射撃は銃だけに撃たせる様にしなければ、射撃精度が出ません。また自動銃の連射は発射の反動で目標がスコープから消え去り、再捜索を要し、その所要時間は予想外に長く、散弾銃のイメージとは大違い、オートのライフルは動的連射に向いていなかったのです。

 究極の銃かと思ったH&K SL7オート  思った以上に使える銃だったサコー75バーミンター改

 3.思ったよリも優秀だったボルトアクション:ケンさんは少年の頃からオート派で、H&Kオートでは300頭を捕獲、更にランニング射撃にも開眼し、一丁前にオートを使い熟したつもりでいましたが、実はまだまだ未熟の限りであり、オート自体の使えない銃でした。それは後述のサコーを使ってよく分かりました。

オートではライフル銃の華である遠射が未達成でした。その目的達成の為にケンさんは再度ボルト銃に挑戦 しました。精度やマガジンの構造、安全装置の構造等から選んだのはサコー75のバーミンターでした。
  
300m遠射は実にあっけなく、当然の様に初回から決まってしまいました。
スナップショットもランニング射撃初弾もオート以上に好調でした。ランニングの連射に付きましては成果半減を覚悟していましたが、実際は信じられない事に予想と違ってオート時よりボルトの方が好調且つ快調でした。

旧式と思われたボルトアクション銃は、スコープ専用銃となる事でスナップショットや連射が可能になりましたが、これに対し、後付けスコープは目とスコープの位置が合わず、それらが出来ません。非常に大きな違いでした。

つまりオートは再度肩付けをしなくても良いのがメリットですが、1度見失った目標の再捜索には予想外の時間を消費し、それを早く行おうとする処に焦りの心が発生し、それが命中率を大幅に下げていたのです。

一方ボルトの再肩付け射撃では銃を肩から降ろし、再装填しながら再肩付けを行いますが、銃が肩から降りている間も体は目標の追尾を続けており、肩付けと同時と言うよりその直前から直接追尾射撃に入れ、予想より遥かに短時間で完了、結果は逆転であり、見失っていないので焦りの心は発生せず、高命中率だったのです。-

そして目標をスイングで追い越す時に、引き金を引きますと、弾が実際に出るまでの時間遅れ分がリードとなり、射程距離や走る速度に関係なく、同じ感覚で撃てば何時も適切なリードで撃てると言うのが、ケンさんの考案した最も高効率なランニングスイング射撃でした。秘訣はスイングを止めない事と、リードを見直さない事です。

銃を変えた直後からその成果に大差が出たのですから、スコープ専用銃となったボルトアクション銃とスナップスイングショットの組み合わせの抜群の優秀度は明らかです。
サコーはド至近距離から300m以遠まで、静止標的であっても動標的であっても見事に答えてくれました。

「サコー75バーミンター改」はケンさんの狩猟人生そのモノとなり、殆どの成果を上げてくれました。出会い頭の猛獣ヒグマ対決も、5発5中の連射の夢も、300m遠射の夢も、全てサコーが叶えてくれました。

尚、エゾ鹿にマグナムは不要であるばかりか、アフリカンマグナムも不要で308は予想より遥かにパワフルでした。

結果的には世界中の大物ては遥かに届きませんでしたが、15mの出会い頭のヒグマに対して怯まず速やかに 1発で対処出来た事を誇りに思います。

エゾ鹿1051頭、ヒグマ6頭、その他海外大物19種等で合計1228頭となり、2016年には庶民レベルの「不可能に挑戦」はやり切ったと思い、2018年にライフル銃を卒業しました。
2019年には「悪性リンパ腫」で残半年と言われましたが、ライフル銃を達成出来た後で良かったと思います。

           ケンさんの主な記録。
         最高精度 :150mテーブル撃ち5発12mm。  
         最大角長 :138cmトロフィー級クドウ、108cmエルク、
         最長射程 :半委託380mクドウ、全依託540mエゾ鹿。 
         最短射程 :15mヒグマ280kg、50mエルク320kg。   

         最大獲物 :エランド940kg、ヒグマ450kg。 
         最高捕獲数:エゾ鹿50頭/5日。
         エゾ鹿のポイント猟:平均で5回/日を達成。
         驚異の出会い:70%成獣オス、30%大物、5%超大物。




  ライフル銃の夢
オートの夢はこうして間違いである事が分かり、ケンさんは夢から覚めました。
ではサコーボルトアクションさえあればそれで良いのか? もちろんそうではありませんが、このサコーに辿り着くまでにケンさんは22年間も遠廻り、エゾ鹿ガイド猟に辿り着くまでにも21年間も遠廻りをしてしまいました。

間違ったオートの夢や、猟の手法に拘る事なく、最初からサコーとエゾ鹿ガイド猟で正しいトレーニングを積み 上げれば、この22年間をかなり短縮出来そうな事は、火を見るよりも明らかです。

早い時点からサコーでエゾ鹿ガイド猟は、少なくとも絶対に損のない話であり、試す価値はありそうです。エゾ鹿ガイド猟はガイドの技量次第の部分がありますが、取り敢えずは手ブラが低率20%の西興部の有料猟区に行かれ、エゾ鹿猟を多少学び、その後に良いガイド探しが良いと思います。

尚、本州猟でライフル銃の夢を満たす事は不可能です。国内猟の夢は超ド迫力のヒグマと超大物エゾ鹿であり、出会い頭のスナップショット、そして絶対にライフル銃でしか出来ない遠射、そしてランニング5発5中です。

これらは生息地域的にも生息量的にも、そして地形的にも北海道しか可能性がありません。
本州猟は殆んどが森林中の極短射程です。これにはショットガンとバックショットの連射が圧倒的に有利です。 スコープ専用ライフル銃であればスナップショットは対応出来ますが、連射はショットガンの敵ではありません。

かつてライフル銃に拘っていた本州ライフルマンは旧技能講習で、ライフル射撃関係者とエゾ鹿猟関係者を除く概ね全員が不合格となってしまいました。

同じ試験が北海道では95%合格率でしたから、本州にはライフル銃を正しく使う機会が無かった事の証明になります。
ライフル銃には北海道のエゾ鹿猟しかない、これは99%正解です。

  ちょっと面白い話
 5-1:岩手の五葉山猟区周辺からも多数のハンターがエゾ鹿猟に遠征しています。
関東人には人気の有料猟区ですが、猟区や保護区からハミ出した鹿で通常の乱場の数倍の捕獲が期待出来る所に住んでいながら、遠征費用を掛けてエゾ鹿遠征すると言う事はその価値が十分にあるからなのです。

 5-2:エゾ鹿猟も巻き狩りは低捕獲率。本州鹿の巻き狩りより多少低捕獲率になります。
エゾ鹿猟の巻き狩りは民宿が主催する場合や、射撃団体が主催する場合がありますが、共に待場の射手対エゾ鹿の純粋な気配先取り勝負となり、射撃に持ち込める確率は情けない程の低率になり、獲れても小物に限られます。ケンさんも3シーズン21日も経験しましたので言える事です。

射撃団体が主催する場合も巻き狩りで獲れないのですが、それでもピーク時は申込者多数で顔役の照会が無いと仲間に入れてもらえませんでした。屈斜路湖の近くにそう言う団体が運営する大きなログハウスがあり、数十人が集まっていましたが、数年後にログハウスをもう1棟増築する程でした。

ここに10年間も通った知人がいましたが、1頭も獲れませんでした。程なくその団体は解散し、ログハウスが2棟共売りに出ていました。エゾ鹿猟だけで飛び付かず、狩猟方法に注意して下さい。

 5-3:銃砲店主催のエゾ鹿猟がかつては随分ありました
2000年頃と思いますが、東京の銃砲店組合がエゾ鹿猟ガイド料参加者を大募集し、50名を阿寒に送り込みました。巻き狩りではなくガイド猟だから獲れると言うのが謳い文句でした。

ガイドは地元ハンターで年数だけベテランです。ケンさんの当時の師もガイドの1人でした。ケンさんは助手で付いて行きました。15チームに分かれて出撃の予定でしたが、当日朝にガイドの欠員が出て、ケンさんも急遽ガイドをする事になりました。

3日間の実猟を行い、ケンさんチームは客が3頭、ケンさんが1頭を捕獲、全チームの集計では驚いた事に2位でした。1位はケンさんの師の6頭でした。驚いた事に半分弱が1頭だけ、更に驚いたのは半分強はゼロ頭でした。

射撃ミスで獲れなかったチームもあった様ですが、多くは出会いが無かったと言っていました。
地元ベテランと言うハンターの技量が良く分かりました。
過半が獲れなかったので翌年は見送られましたが、ガイド猟だけで飛び付けばこの様に捕獲ゼロになります。

 5-4:日本大物クラブ。且つて会員数200名程の東京の大物団体に短期間所属した事がありますが、5頭捕獲するとエース金バッジが支給され1個持っています。

ケンさんも初期の頃は高額費用のエゾ鹿遠征猟をまともに検討せず避けていましたが、ここの会員も同様でした。エース達成には本州鹿でもエゾ鹿でも通常10年以上を要する様ですが、ケンさんもずっとそこに所属していたらエース金バッジが10個程度に留まっていた事でしょう。

本州鹿猟の費用もそれなりに必要であり、タダではありません。
この大物クラブの場合は都心のメンバーが多く、本州鹿猟とは言え、神奈川奥地の丹沢猟区とか、岩手の五葉山猟区等の遠方の猟区への遠征が多く、多額の交通費+前後泊を伴う4日コース、これではエゾ鹿遠征と変わりません。

交通費+宿代+入猟料+ガイド代の合計は決して安くない金額になりますが、成果は巻き狩りですから本人が撃てる確率は情けない程に低くなります。捕獲は小さな本州鹿が1~2頭(半分はガイドの捕獲)/10人2日となりました。 

エゾ鹿ガイド猟はガイド料だけで見ると数倍の出費で高額に思えますが、エゾ鹿猟なら成果はガイドの技量次第ですが、腕が良ければ1~2頭/人日であり、3段角大物率も高く、捕獲効率では20~40倍の大幅逆転、知らぬは盲目的本州鹿猟愛好者のみでした。ガイドを決める時は平均捕獲率の実績を良く確かめて下さい。


  


Posted by little-ken  at 16:09ハンティング海外旅行銃と弾

2018年12月12日

コスタリカの動物


コスタリカと言えば、毒々しいカエルが有名です。


次に有名なのが昆虫です。木の葉や枝のそっくりさんです。

そして見る事が難しいと言われているケツアールと言う鳥があります。

左の2枚はメス、右はオスと若オスの飛翔です。木の枝の間を巧みに飛び抜けます。


これが本命のケツアールのオスです。

そしてカラフルな各種の野鳥やハチドリも有名です。




こちらはカナリヤ~十姉妹サイズの野鳥です。


こちらはもっと小型のハチドリです。

  


Posted by little-ken  at 21:40海外旅行

2018年11月25日

コスタリカターポン釣り。

シーズンは12月上旬までとなっていたのですが、数日前から餌のイワシが移動してしまいターポンの群も多くが移動してしまいました。


まだターポンは多少残っており、船の近くで1.5m前後の群れがジャンプするのを何度も見ましたが、2日間で2バイトがあった物の本格的なファイトにまでは1度も持ち込めず、結局釣れたのは90cm弱のイエローGTが2匹だけとなりました。

デカいアジの味の方はと申しますと、赤身でありマグロとカツオの中間のような味でした。
  


Posted by little-ken  at 22:48海外旅行

2015年07月13日

ロンドン空軍博物館

ロンドン空軍博物館には日本に無い飛行機ばかりが約100機ほど展示されています。
初めて出会いう機体をたくさんあります。



   巨大な爆撃機のアブロバルカン、ランカスター、



   現役戦闘機のユーロタイフーン、トーネード、


 
   貴重な戦闘機のテンペスト、モスキート、


   その他としてイングリッシュエレクトラ、あげればキリがありません。


中でもエンジンが稼働出来る保存状態の非常に良い5式戦には特に会いたくて行って来ました。ところが5式戦はつい最近何処かに貸し出したらしく、残念ながら会えませんでした。


代わりと言っては何ですが何とF35に会う事が出来ました。F35は実物大のモックアップですが、5式戦の引き換えにしてもよい価値があります。

5式戦は3式戦闘機飛燕のエンジンを液冷から空冷に換えた飛行機です。
その液冷エンジンとはメッサ―シュミットMe109で多数実績を上げたダイムラーのエンジンのアンダーライセンス版ですが、日本は鉄の技術や加工技術が低く、ドイツで量産されているエンジンを量産出来ず、首なし戦闘機飛燕が200機以上も貯まってしまいました。
飛燕自体は良い戦闘機ですが、これに実績のある金星エンジンに積み換えたのが5式戦闘機です。

それ程高性能ではありませんが軽くなったため十分に使える戦闘機でした。決断が早ければ2年前から活躍できたのですが、決断が遅くなり無理して不良エンジンを積んだ飛燕戦闘機はベテラン操縦者からは嫌われ乗るのは新米ばかりでした。

3機の飛燕特攻機を同じくベテランの乗った飛燕が沖縄まで誘導しましたが、3機とも沖縄まで行けずに途中で墜落してしまう程の酷い状態でした。アメリカの戦闘機から見ると最もカモとなる戦闘機だったそうです。

飛燕戦闘機は3000機も生産されましたが、殆ど戦局に貢献する事が出来ませんでした。
もし2年早く金星エンジンを積んでいればその空冷飛燕2000機以上がかなりの働きが出来たのですが、判断が遅れて時すでに遅し、機数不足と戦えるパイロット不足もあり活躍の場も殆どありませんでした。

なお飛燕の良い所に翼が簡単に交換出来る点があります。また構造が頑丈で急降下速度が850km/h(最高速度は580km/h)と他の日本機に比べて200km/h以上の差がありました。

アメリカの戦闘機は翼に大穴をあけて帰って来ても一晩で主翼を交換し、翌日には出撃出来ますが、日本機は飛燕を除き全て翼が胴体に造り付けになっており、交換し難くそうなった飛行機は現地では手が廻らず放置され部品取りにしかなりません。

またアメリカの飛行機は頑丈に出来ていますから不時着して中波しても1週間で飛べる様になりますが、日本は強度不足とユニット交換できる構造になっていないのとで小物の部品取りにしかなりません。

  


Posted by little-ken  at 18:26海外旅行飛行機&滑空機

2015年07月10日

ホーランド&ホーランド

ダブルライフルの超高級銃として有名なホーランド&ホ―ランドに行って来ました。
かつてはバッキンガム宮殿の近く或いはテムズ川のほとりにたくさんのロンドンガンの店がありましたが、現在ではその殆どは営業を終えております。


H&Hのショールームは赤い兵隊の交代式で有名なバッキンガム宮殿のすぐ近くにあり、外観からは周りにたくさんある高級ブランドの服装や用品店と言った感じです。
銃コーナーは一番奥にあり外観からは銃の店と言う雰囲気はありません。

ホーランド&ホーランドは1835年創立、H&Hマグナムカートリッジシリーズで有名です。そのシリーズは244,275,300,375,400,465と多数ありますが、何と言ってもその代名詞は375H&Hです。
そしてそれらを撃つ為のダブルライフルはカートリッジ以上に超有名です。

またH&Hは有名なロンドンガンの筆頭メーカーでもあり皇室や貴族用の各種の銃を作っています。現在の日本では全く使われなくなったサイドバイサイドのショットガンがメイン商品ですが、もちろんそれだけではなく上下2連銃もあり、また殆どがアフリカンですがボルトアクションライフル銃もあります。


銃コーナーの入り口には見事な象牙とダブルライフルがあり優雅に迎えてくれます。


中央には4丁のサイドバイサイドの銃が展示されておりこれだけで合計1億円以上とか。


その周囲にはH&Hのほぼ全モデルが展示されています。



やはり1番気になるのはコレ、ロイヤルダブルライフルはH&Hシリーズ中でも1番高額で11500ポンド(2300万円)からがスタート価格になっています。
ダブルライフルと言えばアフリカ猟、強力アフリカンカートリッジの主な所としては375H&H、404ジェフリー、416リグビー、458ウインマグナム、460ウェザビーマグナム、等々がありますが、今のお奨めは300,375,400,465のH$Hマグナムシリーズだそうです。

かつては600NE(ニトロエクスプレス)の生産もあり特注では700NEもありました。NEシリーズは他にも250~700口径まで各種がありました。600NEは20番ショットガンカート、700NEは12番カートをベースに新しく発明された無煙火薬を使いビッグゲーム用として発展させた物です。600NEは近年更に発展(リムレスとネックダウン)した物が577 T-Rex として再デビューしました。


ボルトアクションライフルはこられより更に大幅に安く30000ポンド(600万円)からとなっています。240~500口径までならあらゆる口径が受注可能との事ですが、お奨めは同じく300,375,400,465のH$Hマグナムシリーズだそうです。筆者のサコー75に比べますと24倍以上も高額な銃です。


ロイヤルサイドバイサイドショットガンンはそのスタート価格が8000ポンド(1600万円)から、


ロイヤルオーバー&アンダーショットガン、9000ポンド(1800万円)より、スポーツ用ショットガンは5000ポンド(1000万円)からとロイヤルシリーズよりかなりお値打ちになっています。


いずれの銃も価格表を見て出るのはため息ばかり、筆者は20万円台の銃しか購入した事が無く、愛用のショットガンは中古の5万円で同じモデルばかり5本を使い潰し今ので6本目です。日本円でゼロが1つ無くなってもまだまだ手が届きません。

正論なのですがこの雰囲気からは言い訳がましくなってしまいそうですが、高額な銃だから当たる訳ではありません。当てるのは「腕」であり、それを支えるのは「心」です。
2000万円の銃だから対大物の迫力負けが無くなる事は決してありませんし、獲物が待ってくれる訳でもありません。


記念にこれを1個頂いて来ました。こちらはため息価格ではなく射撃用であれば25発が9ポンド(1800円)ですから72円/発です。

なおロンドンガン御三家であるジェームスパーディーには時間不足で行く事が出来ませんでした。
ボスは営業を終了した模様です。



  


Posted by little-ken  at 11:51海外旅行銃と弾

2015年02月15日

ベトナム


            ハロン湾、大小1600の島々が点在する。


                  ホイアンランタン祭り


               ダナン空軍基地のミグ21戦闘機


       あちこちの掩体壕には多数のミグ21戦闘機が入っていました。
  


Posted by little-ken  at 14:50海外旅行飛行機&滑空機

2014年09月18日

ドイツ

ドイツに行って来ました。羨ましい事もたくさんありましたが、結果的には何時もの事ですが、北海道のエゾ鹿猟の素晴らしさを改めて認識する事になりました。


 シュタイン城、1800年代末期に建てられた比較的新しいお城。


      鷹匠、他にもクマタカやオオタカ、ハヤブサの鷹匠もいました。


 プロハンター、15世紀頃の装備ですからまだ銃は普及しておらず、ロビンフットの世界。


 当日は年に1回の古城祭り、単に仮装行列では無く、村中の全てが1500年代にタイム
 スリップ、露店の売り子も16世紀姿、奥で作っている御夫人達ももちろん16世紀姿ですが、
 何と食事も当時と同様に焚き火で作っています。
 
 更に街を歩く人も地元に人は皆16世紀姿、騎士から各町の職人たちもオールドスタイル、
 赤ちゃんまでが昔の服装で時代物のベビーカーに乗っていました。


  鹿注意の看板、赤鹿のメス3頭(禁猟)の群れを見たが写真に撮れませんでした。


 狩猟の待ち屋、随所で見掛けました。これで1人数百ユーロを支払って朝夕や夜間に出て
 来る鹿や猪を射獲するらしいです。
 もちろん獲れるところか出会いの保証すらありません。ヨーロッパの狩猟は気の毒ですね。

 オス鹿の成獣が獲れる確率は殆ど絶望で、8ポイント程度のエゾ鹿大物よりも小さい位の
 トロフィーでも誇らしげに飾ってありますが、赤鹿の成獣のポイント数は14ポイントです。

 そんな中で8ポイントと言うのはエゾ鹿で言えば2段角の不完全な物程度に当ります。
 改めて70cm級成獣でも1日平均0.5頭、小物なら日々2頭以上、射撃ミスをしなければ
 ほぼ毎日最大5頭程度も獲れる北海道の有り難さを非常に強く感じます。

 なぜかライフル銃はスコープ付きボルトアクション銃よりもオープンサイトのセミオート銃
 が好まれます。高精度の1発必中よりも苦しまぎれの連射に重点が置かれているみたい
 です。新銃カタログでもこちらではもう見る事も無くなったオープンサイト付きのスコープ銃
 が多く乗っていました。

 これはスコープのメリットが認め初められた初期の頃の現象で、アメリカでも日本でも20
 年程前にはこう言う時代がありました。スコープでは走っている獲物を捉えられないとし
 ていますが、ストックさえちゃんと調整すればそう言う事はありません。
 ヨーロッパも意外と古いままである事を強く感じました。

 元々どちらのサイトであっても走っている獲物に当てる事はかなり難しいのですから、
 初弾命中に掛ける方がよほど捕獲成功率が高いと思うのですが、そう言うメカサイトレス
 のスコープ専用ボルト銃はかなり少なめでした。
 もちろん結論から言えば、スコープ銃の方がランニング射撃であっても高命中率です。


 アイベックス、これは動物園の中、実物はヒマラヤンター等と共にもう野性の捕獲の可能性
 は非常に難しくなっています。アイベックスはモンゴルならまだ多少可能ですが、ヒマラヤン
 ターの方は本家は絶望的、NZ南島ならヘリコプター猟をすれば難しくはありません。


 野性のハト、日本のキジバトよりも2周り大きなハト、数もたくさん居て代表的な狩猟鳥。
 こちらの狩猟鳥のNO.1人気は日本とすいぶん違って、ウズラ、2番目はシギ、3番目は
 ライチョウ、そしてカモ、キジの順となりますが、意外にも2連銃で勝負する人が多く、
 上下2連だけではなく水平2連もこちらではかなり健在です。

 しかしカモ撃ちはやはり近年オートが主力になって来ました。
 これもベネリ-ベレッターブローニングと自動銃メーカーがヨーロッパにはたくさんある事を
 考えると意外でした。なお、全てのゲームでそうですが、無料で撃てる猟場は殆ど無い
 様子で、狩猟雑誌を見ますと昔の貴族専用猟場が有料開放されている様です。


 こちらはかなり羨ましいブランクガン、専用のブランクカートリッジを使います。
 ちゃんとオートは回転し、ステージガン並みに実物より多い音や炎や煙が出ます。


 酷い写真になってしまいましたが、こちらはCO2ガン、4mmの空気銃の弾を小型CO2
 ボンベのガスで撃ち出し、日本の要資格のエアーピストルに近い性能らしいです。


 こちらはわが国と大差無さそうなプラスチックの丸弾を飛ばすBBガンです。
 これらのトイガンシリーズを見ると同じくWW2に負け、戦争を放棄した国ですが、わが国
 の異常なまでの銃規制に疑問を感じます。



  


Posted by little-ken  at 16:59海外狩猟射撃海外旅行

2014年03月05日

スペイン


  サグラダファミリア、100年以上前から工事をしているがまだ完成度は60%程度。


                  アルハンブラ宮殿


     自然博物館には今や狩猟が不可能になってトラやサイがゴロゴロ。


    ヨーロッパは狩猟が盛んです。左はドイツ、右はスペインの狩猟雑誌です。
    記事はバード・イノシシ・赤鹿・ノロ鹿・アフリカ猟が主体ですが、1頭を捕獲する事は非常に
    大変な様です。又狩猟場所もあまり広くない様です。新しいセミオートライフルの宣伝が多く
    出ています。改めてエゾシカ猟は世界ダントツを再認識します。


            夕焼けの最初は普通に始まりましたが・・・・


              赤色がどんどん広がり・・・・・・


      凄い夕焼けになりました。青空に夕焼けが重なってしました。


      バスの周囲は全て真っ赤になりました。10年に1度の夕焼けです。


      やがて西の一角だけが燃える様な赤色になり、やがて終わりました。
      始まりから終わりまでは約1時間、真っ赤な夕焼けは約30分続きました。


  あと50m低く飛んでくれたら、あと1分後に来てくれたら太陽ど真ん中であったのに、惜しい!


       ヨーロッパの車は横向きにも移動できるそうです? もちろんウソです。






  


Posted by little-ken  at 10:07海外旅行

2013年12月08日

アンコールワットの弾痕。


              12世紀に作られたアンコールワットの朝焼け。


                ほぼ同じ場所から日中のアンコールワット


   周辺には1000を超す史跡があり、中には巨木に取り付かれ居る所も幾つかあります。


              圧巻はこれ、根が横方向に20m以上這っています。


   1970年代、カンボジアはポルポト政権となり数百万人が殺された。その後ポルポト
   政権は敗れ残党はジャングルに逃げ込み、アンコールワット等の奥の寺院も戦闘の
   場となった。この柱の弾痕は1つの直径が10cm程、多分20mmクラスの弾丸が撃ち
   込まれた物と思われる。小さめの物は13mmクラスと思われます。

   我々が狩猟で使用する7.6mm弾の弾痕は写真にはありませんが僅か3~4cm、深さも
   1cm程度、これを見ると非力さを感じます。



   その7.6mm弾も12mm鉄板の弾痕を見ますとパワフルさを感じます。
   左より軍用のFMJ、中は150grのソフトポイント、右は30カービンです、
   FMJは貫通、ソフトポイントは貫通直前、カービンは少しえぐれただけでした。

   注目すべきは貫通したFMJも貫通しなかったソフトポイントも入り口側の形状が全く
   同じである事です。
   つまり命中によって受けたエネルギーは鉄板を瞬時に溶かし、射入口側に噴出して
   います。更にその形状はミルクに水滴が落ちた時の跳ねっかえりの形状と非常によく
   似ています。
   



   写真はその裏面ですが、中央のソフトポイントは大きく膨らんで約半分弱が既に切れて
   おり貫通する寸前です。30カービンは僅かに膨らんだだけでした。
   写真にはありませんが12番スラグの弾痕はどうであったかと申しますと、
   命中のエネルギーで鉄が溶けて噴き出す事はなく、弾頭の直径よりやや大きい
   20mm強の2~3mmの機械的な凹みが出来、裏面はそれによって直径5cm位に
   渡り歪みが出来た程度でした。


   最後にこれらは海外で試した物であり、国内でこれを行いますと法に触れます。 
  


Posted by little-ken  at 17:29海外旅行

2013年05月13日

アメリカ西部大自然ドライブ5000km。

5月16日~30日、2週間、二人で総額約50万円の旅でした。
ラスベガスで4WDのレンタカーを借り、セドナ-キャニオンデシェイ-アリゾナ隕石-アンテロープキャニオン-モニュメントバレー-グランドキャニオンのノースリム-デスバレー-ヨセミテを通りサンフランシスコで車を返します。
サンフランシスコでは悪戦苦闘の末にゴールデンゲートブリッジにも行く事が出来ました。

宿は多くが州立公園の有料キャンプ場で車中泊(15~25ドル/台)、残りはモーテル(45~90ドル/部屋)ですが、モニュメントバレー場外のキャンプ場は10ドルでした。


                  アメリカの代表的なドライブ写真。


                  モニュメントバレーの夜明け。
     


         お土産のガンベルトと共に、但しピースメーカーは付いていません。
         バレー内は自分の運転でも走れます。


                      10ドル払って車中泊。


               セドナのオフロードコースで上がる高台コースです。
                ビュートのトップ高度まで向かいの山に登ります。


                   キャニオンデシェイのスパイダーロック。


             アリゾナ隕石、5万年前に落ち、直径が1.5kmほどあります。


     アンテロープキャニオン(ロアー)、入り口は50cm幅しかなく、おデブは入場禁止。


       グランドキャニオンのノースリム、対岸まで約20km、谷底まで約2000m。



      周りの山は2500m級、低い所は海抜マイナス100m級のデスバレー。


               ヨセミテのグレーシャーポイントより。


               ヨセミテのジャイアントセコイア、幅2m弱で車も通れる。


             シュガーパインと言う松の木のマツカサです。長さ40cm強。



                      共にインディアンです。


         ゴールデンゲートブリッジ、今ではそれほどの大きさではないが、
         WW2以前の世界1の長さであり、アメリカの象徴の一つであった。


     サンフランシスコ空港は離陸及び着陸及び横風着陸のそれぞれ専用滑走路が2本
     ずつあり、離陸も着陸も2機ずつ。我が国の空港とは大きな能力の違いがあります。


      WW2時、アメリカ在住の日本人が強制収容されたマンザナール強制収容所跡。
      同様の施設は全米10数か所にあり合計12万人が収容されました。
      本収容所にはピーク時11000人が収容されました。
      TBS開局60周年記念番組の「99年の愛」でも本場所が描かれていました。


            近くの骨董屋で入手した当時のお金。
             上:1946年の100円札、今でも100円として通用します。
             中:日本軍占領下のマレー方面で発行された軍票。
                類似デザインでルピー、グルテン、ポンドの物があったらしいです。
             下:同様のフィリッピン版のペソの軍票。  


Posted by little-ken  at 07:32海外旅行

2013年01月22日

フィンランドのオーロラ

フィンランドサーリセルカのオーロラに行って来ましたが、連日曇天で危ぶまれました。
最後の3日目(1月19日)はサーリセルカより100km程北にあり多少晴天率の高いイナリ湖ツアー(80ユーロ)に行って来ました。

23時過ぎになってもまだ曇天、もうダメかと諦めかけた時にオーロラが出ました。
そして嬉しい事に同時に雲もかなり無くなり、何とかの写真も撮影する事が出来ました。

サーリセルカのオーロラは安いのは良いのですが、曇天率が高い様です。
今回も結果的にオーロラに会えましたから良かったものの、イエローナイフの方が晴天率が高く出会いの確率は高いと思いますし、サーリセルカはホテルの裏側でも観測出来るを謳っていますが、やはり街が明る過ぎます。

気温的にはマイナス15~5度とイエローナイフよりかなり気温が低くなく、超特別な防寒着は不要なのは良い側になります。









  


Posted by little-ken  at 11:21海外旅行

2012年12月21日

ハワイドライブ

安いハワイツアーがあったので現地4日コースで言って来ました。
魚釣りも試したかったのですが、天候不良で4日共が出撃出来ませんでした。
港や岩場の釣りも試したのですが、岩場は天候不良で近ずけず、港内には日本と違って魚が殆ど居ませんでした。


  砂浜での投げ釣りでターポンが釣れるのですが、掛かると小さくて60cm、大きいと2mを越え、
  2.5mの160kgなんて記録もあるそうです。要は持参の道具が貧弱過ぎて使えなかったのです。



  北の岬の手前では野性のアオウミガメに出会う事が出来ました。
  ここでは伝説のビッグウェーブによるサーフィンが名物ですが、
  当日は猛烈なデカイのは来ませんでした。



  東海岸では好天に恵まれ綺麗な南国の海に出会えました。


  映画ジュラシックパークの撮影が行われた場所もこの方面です。
  このジープ型レンタカーを最安値エコノミー小型車価格で借りる事が出来ました。




  


Posted by little-ken  at 11:52海外旅行

2012年06月10日

スイスツアー。


   マッターホルン4478mです。完璧な天候に恵まれるのは月に数度と言う事です。


   更にこの逆さマッターホルンが見られる確率は低くなるとの事です。


   ツエルマットのホテルは景色バッチリ、マッターホルンには45度の特別列車で行きます。


   モンブラン周辺の山々です。

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   3800mの展望台です。

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   モンブランの展望台は富士山より高い3800m、雪洞の通路です。


   展望台3800mは真冬並み、2400mテラスはちょうど良いリゾート、
    下界は真夏並みの30度でした。


   シャモニーのホテルの裏手まで氷河が迫っています。  


Posted by little-ken  at 17:51海外旅行