2019年03月10日

狩猟で得られた不思議な能力。

筆者は要領が悪く、物事の習得に著しく時間を要します。
本州鹿の巻狩りを1982年から始めましたが、最初の1頭目の捕獲までに9年と70余日を要しました。幾ら1頭獲るまで辞めないと心に決めたとしても、良くもまあ辞めずに頑張った物です。

1度捕獲すれば、一端分かり始めれば、その後は直ちに急ピッチでと言いたいのですが、それには更に数年を要しました。従いまして最初の10年間で捕獲したのはその1頭だけに留まりました。
本州鹿の巻狩りに開眼したのは1993年の12年目の中頃、それまであんなにも獲れなかった本州鹿猟ですが、何と3週連続で捕獲しました。本州鹿の開眼となった訳ですが、その手法は「禅の心作戦」でした。それは「殺気」を振り撒かず、物陰に隠れず、仏像の様に動かない事でした。

そしてその4週目がエゾ鹿猟の始まりとなりました。偶然3週連続捕獲に続く4周目となりましたが、半年前から準備しており、重なったのは偶然です。当時はまだまだ獲れない日の方が多く、前半は「労多くして 功少なく」、それでも後半はピッチが相当上り、2回目の10年間では約100頭を捕獲、ここでは捕獲する為には技術と言う物があり、それは進化する物である事を感じました。

更に3回目の10年間ではよくもまあと言う1000頭捕獲を達成しました。技術の奥深さを強く感じ、チャレンジを続ければ不可能は無いと思える様になりました。この時期には本人にもよく分からない不思議な狩猟能力の幾つかが宿る様になり、何時の間にか超能力者になっておりました。
数々の射撃や狩猟方法を新たに開発し、銃をサコー75ボルトに換えた2006年度中にはライフル猟の永年の憧れであった殆んどの項目を一気に達成出来ました。捕獲量のピークは2009年、48.5日猟から140頭、毎年100頭以上を捕獲しました。下記に達成した記録やその能力に付いてまとめてみました。

  達成記録の数々、1982年本州鹿猟開始~2000年まで。
1985年スラグ弾が見えました。不思議な能力はこれが始まりでした。
1990年本州鹿の初捕獲、出撃70余日を要しました。
1992年鹿の足音が100m先で聞こえました。
     被弾部の毛が立ち、ウェイブが広がって行く様子が観察 出来ました。
1993年禅の心作戦が完成。仏像の様に動かないで瞑想、
     これで鹿に回避される事は無くなりました。
1994年被弾ショックウェイブの重なりがハッキリ見えました。

  達成記録の数々、2001~2006年度まで
2001年ワンホール達成、150mテーブル撃ちの5発が12mmでした。
     3年間と90日と3000発から見ないで撃つ自動銃によるランニング射撃に
     完成したかに見えましたが、実はまだまだ未完成でした。
2003年ライフル弾では被弾時に大きな膨らみを生ずるのが見えました。
2004年オーラで獲物を発見出来る様になり、ヒグマもその対象となりました。
     1度出会った鹿も1週間以内に30%以上の確率で同じ鹿に再会可能となりました。
2005年弾着音が音では無い事を発見、弾の飛行時間が終わる時に聞こえる事を確認しました。
200m先の鹿の表情が読める様になり、「待ってたホイ射撃」等が可能となりました。
2006年初弾命中ではありませんが、
     540mのエゾ鹿2頭を全依託射撃で連続クリーンキルに成功しました。
     最早300m遠射は外れ様の無いイージー射撃となりました。
     肩に着く前に撃てるスナップショットを開発しました。
     アバウト照準と言う考え方で遠射側の150m射撃を近射の早撃ち側に変更出来ました。
     ランニング射撃はパフォーマンス4倍になりました。すでに2001年に極めたつもりで
     おりましたが、距離は2倍の200m以遠と遠くなったにも拘らず、命中率は倍加しました。

同年 対大物戦で体格の違いから起こる迫力負けを克服出来、
     以後超大物捕獲率が大幅に向上しました。
     ヒグマ戦の恐怖負けを克服出来、ヒグマ第1号を捕獲しました。
     「そっと撃つ」と言うおまじないを開発、これを唱えた後の失中はゼロとなりました。
     当たる射撃は良い感じで引き金が落ち、そして弾着音でそれが自信に変わります。
     鹿の本気で逃げていない鹿の表情が分かる様になり、
     特定の場所で止まるので再射撃可能でした。

  その後2007年以降の技術
2007年毎朝夕各々5頭ずつ連続5日で50頭、
     この時は補助者1名を付けましたが、まとめ捕獲を記録。
     ランニングショットで150m以遠を走る鹿の捕獲を
     上記5日間で3度の5発5中を達成出来ました。
2009年の捕獲は48.5日猟から140頭、これが最高捕獲でした。
     エゾ鹿のポイント猟で何時何処に行けば鹿に会えるのかを解析出来、
     平均出会い数5回/日を達成。
     驚異の出会い内容:出会いの70%が3段角、30%が大物、5%が超大物を達成。
2010年エゾ鹿累計1000頭の達成。
2011年ボス争い3頭(79cm,79cm,75cm)を3種の特殊射撃でまとめ捕獲。

2012年出会い頭50mのエルク角長108cm体重320kgを捕獲。NZにて。
2013年最大の獲物エランド体重940kg角長99cmを捕獲。ナミビアにて。
2014年最短射程15mの出会い頭のヒグマ280kgを捕獲。
     最大ヒグマの推定体重450kgを捕獲。また本ヒグマ捕獲で5頭捕獲のエースを達成。
2016年最大角長138cmトロフィー級クドウ、体重450kgを捕獲。
     ナミビア歴代30位と筆者の最良トロフィーとなりました。本射撃はライフル銃の通常限界
     300mを超えた380mと筆者の半依託射撃最長距離となり、更に本射撃はミスショット
     2000㌦の圧力下で行われました事を考えますと、狩猟人生最高の射撃となりました。

尚2006年に取得したサコー75バーミンターには、永年思っていたハンティングライフルはこうあるべきだと思う改造を施しました。銃身側で5cm、ストック側で2cm、ストックも先台側を5cm短縮し、スリム化して  重量バランスを整えながらストック形状を筆者の体格や手に合わせました。本銃に換えた途端に各種記録を矢継ぎ早に達成出来ましたのもこの改造のお蔭で言えます。

内外の大物記録の全てがこのサコー75改によって撃ち立てられ、本銃で小はジャッカルの10kg未満から大は940kgのエランドまでを仕留めました。
筆者の狩猟人生≒サコー75改と言い切れるまでになりました。

捕獲は前記の角長138cmのクドウを始めとし迫力負け対策を要する大物103頭を捕獲、恐怖負け対策を要するヒグマ450kgを始めとする猛獣6頭を捕獲、射撃距離も最大は全依託540mと半依託380mを記録、アフリカのビッグ5、ポーラーベア、ムース等の超高額ゲームを除き、ライフル猟の概ね全てを究める事が 出来ました。
他にもエゾ鹿1051頭、本州鹿26頭、海外大物鹿&猪5頭、海外大物59頭、海外小物81頭を捕獲し、最終捕獲数は合計1228頭/36年間となりました。2016年のナミビア猟と紋別猟を最後に、ライフル銃を2018年に卒業しました。 

筆者は数々の欠陥付で産まれましたが、自由奔放に育ててくれた両親に感謝、その生まれ持った欠陥の克服の過程から多くの特殊能力が得られ、おかげで仕事にも狩猟にも大きく成長出来ました。
また毎年50~60日もの狩猟行には仕事にも相当な負担を掛けたと思われますが、これを支えてくれた妻には感謝の適当な言葉が見付かりません。

   散弾銃側の記録
散弾銃側も決して負けてはおりません。
約50年間にカモ類5000羽以上、ハト類5000羽以上を捕獲。
カモ類が多いのは1時期の5年程は毎朝通勤前に当時の定数の8~10羽を捕獲、これを売却しバイトと しておりました。カモ猟は圧倒的な実戦量から1975~1976年に爆発的に上手くなりました。
1982年からはそのカモ猟に変わりドバトの有害鳥駆除が多くなり、こちらは年間8回程度ですが、約30年程続いた事からとんでも無い数量の捕獲となりました。

1975年国際式トラップ連続64枚命中。 
1976年ショットガン効果の立証:これは3粒以上の命中が最大要件であり、1粒の
     威力には概ね無関係である事を発見しました。
     それは諸先輩の教えより大幅に小粒側がベストポイントでした。
     鴨のポイント猟を開拓、何時何処に行けばカモに会えるかを解析、毎出勤前に
     定数8~10羽を捕獲、バイトを始めました。 
     秒速3連発の連射法を開発。遠射もこの高速3連射の長いショットコロンの中に
     飛び込ませる射撃が可能となりました。
     また隠密接近法を開拓、1連射で当時の定数8~10羽が捕獲可能となりました。
     水と空気の流れを読み、都合の良い方向にカモを飛ばせ、規模の場所に墜とすと
     言う究極のカモ猟が可能となり、回収手間要らずとなりました。

1982年当地区にはドバトが異常発生し、10数人編成で毎回500羽以上を捕獲してました。
     この頃は弾薬消費にも特別許可を申請し、ピークでは1回に800羽を捕獲、その当日は
     筆者個人として 400発を消費し300羽以上を捕獲しました。

2008年愛銃SKB1900に対し、ショットガンはこうあるべしと思う改造を施しました。
銃身を24インチ特製とし、ストックのピッチダウンを多くし、フロントバランサーを取り付け、
究極のショットガンSKB1900改を作りました。
こちらの銃ではフィールドトラップで54枚連続命中を記録し、またカルガモ駆除50発で32羽、
最大捕獲率1.6発/羽を記録しました。

2012年NZにて大型高麗雉猟、2017年パラダイスダック猟では85発で47羽、1.8発/羽の達成。 
更には最高難度のピーコック、ターキー、そしてカナダガン等のビッグバード猟を究める事が出来ました。もうこれ以上の充実した猟は期待出来ないと思い、2019年の害鳥駆除を最後に銃を置き、2020年に卒業しました。尚ショットガンの用途は主に鳥猟ですが、24頭の本州鹿、野兎10羽と狸5頭が含まれます。
たくさんの害鳥を駆除し、少しは世の中のお役に立てたかなと思っています。






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