2024年03月05日

リトルケン5発5中チャレンジ。

銃には反動があり、動的追尾中の銃はスイングが乱れ、静的精密照準中の銃は照準が乱れ、銃は中々命中するモノではありません。従って映画の様に連続でバッタバッタ撃墜或いは即倒させる事は有り得ませんが、その達成はハンターの夢の1つでありました。
そしてその夢の達成は最終的には可能になりましたが、それには長い長い戦いがありました。

  自動銃5連発を入手。
1975年に5連発のガスオートSKB1900を購入、銃刀法改正で数年後には4連発、更に数年後には今と同じ3連発となってしまい、残念ながらまだ未熟な内に、5連発時代が終わってしまいました。

5発5中は未達成でしたが、ノラ猫を参考にオナガガモ隠密接近で5発撃って10羽捕獲はありました。この隠密接近で餌場の高密度のカモに5連射で10羽捕獲成功は何度もあり、狩猟技術それ自体は決してマグレではないと言えますが、純射撃技術とは言えない部分もあり、別格の記録です。

散弾銃の命中率の向上には安定したスイングの持続が不可欠であり、フリンチング対策が必要です。それをしないと、射手の体は銃の反動を上手く受け様として、発砲直前に硬くなってしまい、その結果として動的に対して命中率向上に重要なスイングが止まってしまいます。

そうなりますとリード設定が大幅3倍程に増え、命中への難度が絶望的に増してしまいます。

  スイング射撃。
これに対し出来る様になったから言える事は、「スイング射撃」がこれを解決してくれます。一定のリズムで追い越した時に引き金を引くだけで、当然の様にヒットし命中率は著しく向上します。

引止まりが無くす事が前提条件となりますが、最も高難度だったリードが自動調整となります。

これは追い越した時に引き金を引いても、実際に弾が出るのは生体反応の遅れから一定時間後となります。スイングはその時間帯も続いており、そのオーバースイング分がリードとなり、速い目標にはスイングも速くなり、リードは目標の速度に比例して自動的に大きくなってくれます。

遠方の目標に対しましても、一定時間のスイングの角度が開いた先は、距離に比例して大きくなり、これも射程距離に比例してくれます。

結果的に言えば、一定リズムで追い越して引き金を引けば、自動的に命中する様になる、これが「スイング射撃」の最大のメリットとなります。ショットガンを上手く撃つと言う事は、「スナップショット」と「スイングショット」の2つに尽きます。

  引止まり対策。
引止まりを無くす事は非常に難しく、銃側バランス要件で多少改善される項目もあります。動バランスが重要であり、方向としては銃身が長い程、先端側が重い程、引止まりの悪影響は少なくなり、昔はカモ撃ち用に40㌅と言う超長い銃身の設定もありました。

同じ長さの銃身であれば、銃身が2本の2連銃の方がかなり有利であり、単銃身では交換チョーク式の方が先重でやや有利となります。

ケンさんは引止まりを無くす手法として、30㌅銃身の高速スイング3連射から入りました。

追い風時のカモ遠射に使うテクニックです。天井の線をカモの飛行予定線と仮定、それに沿って秒速45度程度のスイングをしながら、引き金を出来るだけ速く3度引きます。

高速3連射は横長の弾幕を作り、ここにカモ飛び込ませる作戦ですが、実際は撃つと当然反動があり、銃身が跳ね上がり、スイングの軸線をキープ出来ません。

対策法は上半身体の力を抜き、反動を受け流す様にしながら、銃が跳ね上がらない様に左手で先台を引き下げます。

反動吸収と跳ね上げ防止をイメージしながら、スイングで予めの軸線に沿って銃をなぞりながら、引き金を出来るだけ速く3度引きます。これが「高速3連射」です。

これが出来る様になれば、やや不完全ですが、ショットガンの連射に必要なレベルの引止まり対策が完了します。実際は実射をしながら、イメージトレーニングの内容を改良して行きます。

完成までには恐らく数年を要すると思われますが、効果は超抜群ですから、ぜひ自前技術に取入れて下さい。

ケンさんはこのイメージトレーニングをしている内に引止まりが消えました。
ショットガンは散弾バラ撒きですから、30m先で最大15㎝以内であればブレても命中し、慣れると秒速3発で別個の目標を撃墜出来る様になりました。

従って「反動を押さえ込んだ速射」は「ショットガンには非常に有効」でした。

  ケンさんのカモ猟場と「ヤマハ豊橋工場転勤」。
ケンさんのカモ猟は自宅から片道1時間、主に愛知県豊橋の「汐川の干潟地区」周辺で行われました。汐川干潟は全国第2位のカモの渡来地であり、隣接して銃猟禁止地区がありました。

毎週欠かさず弾を100発以上持って出掛けました。カモはたくさんおり、出掛ければ解禁日でなくてもシーズン中ずっと50発以上をカモに向けて撃てました。しかし初期の頃は墜ちませんでした。

当時のカモ定数は10羽、やがて8羽となり、現在と同じ5羽となりました。獲れない当時のケンさんには無意味な数値でしたが、何時かは定数と言う目標の数値でした。

また当時の無許可譲渡弾薬数は800発、やがて500発となり、現在と同じ300発となりました。連発数は当初5連発、やがて4連発となり、現在と同じ3連発となりました。定数も譲渡弾薬数も連発数の変更も概ね同期していました。

狩猟期間は11月1日~1月31日まで、数年が過ぎて頃から現在と同じ11月15日~2月15日の3ヶ月となりました。獣類は12月1日~1月31日の2ヶ月でしたが、昨今はこれが著しく伸びています。

当時は多くのハンターは猟犬を持ち、キジをメインに狩猟をしており、カモ猟が混むのは解禁時だけでした。まもなく、この銃猟禁止地区「ヤマハ豊橋工場」勤務となり、「毎朝カモ猟」に出撃出来ました。

弾の譲渡制限数は800→500→300発と激減しましたが、これも意味の無い数値でした。キジ撃ちハンターも大物撃ちハンターも弾はシーズンに1箱25発を購入すれば、必ず余り、毎年狩猟をしている事を示す為に1箱購入、長い間には相当数の不動弾在庫を抱えているのが普通でした。

そして極1部のカモ猟愛好者は毎日50~100発を使い、すぐに弾の追加申請が必要でした。
ケンさんも当時はシーズンに3000発前後を実猟に使っていました。
それだけ実戦をしていれば必然的に上達し、やがて定数は別の意味で無意味となりました。

上達の結果、今度は狩猟技術が上がり、あっと言う間に定数が捕獲される様になったからです。
それを銃砲店に相談しましたら、カモを必要としている店を紹介してくれ、安心してカモの大猟捕獲が可能となり、カモ撃ちはバイト化しました。定数捕獲後は1度家に帰り又出直していました。

  鉄砲撃ちだったケンさん。
ケンさんはモデルガン収集家であり、ハンターでもありましたが、またそれ以前に銃を撃っていれば御機嫌な鉄砲撃ちでした。頭の中は、あそこのカモには如何にしたら射程内まで近寄れるのか?  
先回墜とせなかったカモを、如何にして撃墜出来するのかだけを、何時も考え続けていました。

仕事は会社の生産ラインの能率を向上させ、品質を向上させるエンジニアでしたが、狩猟に比べればそれらは遥かに簡単なテーマであり、諸条件を設定すれば、僅か数日で改善策は出て来ました。
殆どの場合、改善策は要求数値を遥かに上廻る物で、1度改善して於けば数年間は大丈夫でした。

何時もヒマしており、銃と狩猟の事を考えていました。やがて前任者が何人もチャレンジしても出来なかったとか、一桁以上の改善をするとかの大きなテーマのみを担当する様になりました。

流石にこうした大きなテーマの改善策の完成には、半年程を要する様になりましたが、全体的に言えば増々暇度は高くなりました。

利益を上げるのが会社の目的であり、改善に依り上がった利益の10%を戴けるとすれば、ケンさんの給料はもう1桁多く戴けた筈で、ボーナスがアフリカ猟やアラスカ猟と言うのでしたら、アイデアは無限ですから、もっともっと良いアイデアを出せたと思います。

そんなケンさんの勤務態度を良く思わない人達も多く、それで自前会社とする事を決め、それを勉強する為に1988年中小企業を勉強する事にしました。やっている事は同内容ですが、自らが直接製品設計もする様になり、また広い範囲を見分する事が出来、それなりの効果はありました。

  仕事を2002年に卒業しました。
そして狩猟を堪能する為に1988年自前会社設立となり、次々能率10倍を達成、ピーク時はシーズンに45日前後エゾ鹿猟に出撃、当時エゾ鹿猟の期間は正味2ケ月、解禁と正月と終猟のラッシュ時を除く全部でした。

その仕事も2000年に交通事故に巻込まれ、最後の2年は仕事をしておらず、実質12年間で、1億円の自宅と借家、エゾ鹿猟735日、海外大物猟8回、海外大物釣り8回が行け、3億円儲かった事になります。

その後は苦労を掛けた相棒の為にと言うと、聞こえは良いのですが、実際はケンさんが海外狩猟に行く為に、仕事を卒業しました。

そしてケンさんだけでは申し訳ないので、我相棒さんにも年に1回 ずつ秘境旅行とパック旅行に出掛けました。秘境旅行2週間+αが16回14ヶ国、パック旅行7~10日が27回21ケ国でした。何も無ければ2020年のコロナまで続いたと思います。

  海外猟は2009~2017に8回行きました。
その最後の2017年、ニュージーランドで目標50羽のパラダイスダック猟を行い、結果は85発で47羽を捕獲しました。この時は5連発でしたが、5発4中3回達成がMax.でした。
リトルケン5発5中チャレンジ。パラダイスダック左メス、右オス
パラダイスダックは日本では保護鳥のツクシガモ、カルガモの2倍の大きなカモが高速飛行、特に侵入速度は2倍以上、かなり高難度と言えました。

パラダイスダック用のデコイは段ボールに絵を描いた物です。
パラダイスダックの定数は25羽、ガイド分も合わせ50羽の捕獲が可能です。
概算50羽強を捕獲したつもりでした。

ならば目標達成と言えましたが、正確に数え直すと47羽捕獲でした。
また何時か機会があれば再チャンレンジをしたいと思います。

ショットガン最高記録は2014のNZのカナダガン猟で「連続9発9中」を1度だけですが達成しました。
リトルケン5発5中チャレンジ。
また2008年の短時間ですが、カルガモ害鳥駆除で完成したばかりの愛銃「SKB1900改」に依り、28チャンスの50発から32羽の記録があります。

このカナダガンとの2件は純射撃技術による物と言えますが、十分な実績回数が不足しており、マグレ記録と言えます。

  ライフル銃で5発5中を達成。
スイング射撃でリード自動調整となる事は散弾銃もライフル銃も共通ですが、150mで急所ヒットさせる為には、フリンチングの完全克服と精密照準が必要でした。見るからに高難度そうで、実現は難しそうな条件でした。

偶然からですが、ケンさんは2000年に交通事故に巻込まれ、2年程実射が出来なく、弾を入れないドライファイアで1年強を過ごしました。

その結果、銃の発射に反動が無いと体を騙す事に成功し、射撃再開の2002年に「150mテーブル撃ち5発が12㎜」と言うワンホール射撃が達成されました。

本当の「5発5中達成の夢」はワンホール達成数年後の2007年初頭の根室エゾ鹿猟でライフル銃に依り実現しました。銃も余り適しているとは思えない「サコ―75バーミンター改」ボルト式5連発、射撃方法も余り適しているとは思えなかった「再肩付スナップスイング射撃」でした。

年末年始で多数のハンターから撃たれ、すでに撃たれ慣れしたエゾ鹿は、発見時全てが「150m先を走って」いました。
リトルケン5発5中チャレンジ。
この不利な条件の塊でしたが、5日間で50頭を70発で捕獲、この数値も驚く数字でしたが、この間に何と「5発5中」を3度も記録、マグレで無い事を立証出来てしまいました。

残念なのは撮影出来たのはメスばかりの写真に留まった事です。オス群の5頭捕獲もありましたが、捕獲は夕方で、散らばった5頭の回収に時間を要し真っ暗となってしまい、良い写真は撮影不能でした。

しかしこの時点では、また何時か近未来には、オス5頭の写真も撮れるだろうと思われました。処が翌年には相棒でもあり、エゾ鹿買取り係友人がガンで入院、そのまま他界してしまい、その機会は永遠に失われてしまいました。

今となっては不鮮明でも写真は残すべきだったと思っています。
リトルケン5発5中チャレンジ。
1度の連射ではありませんが、2011年ボス争い3頭全て捕獲した事があります。1頭目は150m「ムービングスタート射撃」、続く2頭目は150m「ランニング射撃」、3頭目は車で数㎞追い掛けた先で、250mの「待ってたホイ射撃」でした。

まるで応用射撃の卒業テーマの様な各種射撃となりましたが、連続3発で大物3頭捕獲となりました。
リトルケン5発5中チャレンジ。リトルケン5発5中チャレンジ。
エゾ鹿猟朝1番の最高捕獲はランニング射撃ではありませんが、生徒2~3人に依る一斉射撃後に、少し遠方で鹿が再び立止まり、それの再射撃に成功し、4頭捕獲が2回ありました。





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Posted by little-ken  at 11:37 │ハンティング銃と弾