2021年05月06日

「やれば出来る、出来ないのは単にやらなかったから」

幼少の頃、ケンさんは胸が凹んでおり、上半身発達障害による体力不足で皆と一緒に遊べませんでした。小学校では帰り道でいじめっ子に会わない様にルート選びを真剣に悩んだ事もありました。
中学時代は学業からも運動からも逃げていました。

高校時代も同様に学業からも運動からも逃げるつもりだったのですが、名門バレーボール部とは知らずに入門し、地獄の特訓の連続、しばらくは暗黒の時代でした。
スポーツには憧れていましたが、ダメ側の代表のケンさんにはスポーツが出来る様になれる筈もなく、そう言う事は無縁の世界だと決め付けていました。

その名門クラブを辞めなかった理由の1つは、近所の3名のスポーツ特待生の敗北を見て来たからでした。周囲の多大な期待を裏切り、逃げ出した敗北者は肩身が非常に狭く、それを取り繕う言い訳ばかりをしていたのです。そうはなりたくないと思いました。
今考えても、彼らの人生は一生がその連続だった様に思えます。

それでもまさか発達障害のケンさんが名門の特訓に耐え切れるとは思ってもみませんでした。
多分どうしても耐え切れず、何処かで救いの手が入るだろうと期待していたのですが、その救いの手は現れませんでした。救いの手は地獄の特訓からの救出ではなく、神様はそれに耐えきれる体力を授けて下さいました。

そしてそして、まさかもまさか、スポーツダメ側代表のケンさんは国体やインターハイに行く事になってしまったのです。

「やれば出来る、出来なかったのは単にやらなかっただけ」と言う事を教わりました。
発達障害も関係なく、運動神経にも関係なく、誰でもやれば出来たのです。
流石に五体不満足の乙武氏は出来ないかも知れませんが、そこそこの五体があれば誰でも出来たのです。


名門クラブのお陰でケンさんはスーパーマンになれました。
地獄の特訓はエマージェンシーパワーを常用側に取り込め、160kgを背負って階段を駆け上がれました。幅5m&高さ1.8mを飛び越せました。
1500m走は4分少々、前を行くランナーは周回遅れだけになりました。

獲れない鹿を求めて重い銃を担いで山野を駆けずり廻った時代もありました。
最初の鹿1頭の捕獲は9年目の70余日の時でした。最初の10年間はこの1頭だけでした。
9年間は鹿を獲る方法は無いのかと思わされました。

あれほど獲れなかった鹿も次の10年間では100頭を捕獲、それなりの方法がちゃんとありました。
それまでは単に分からなかっただけでした。

更に次の10年間では1000頭の捕獲となり、更なるそれなりの方法がまたまたありました。
夢であった超大物エゾ鹿も、そしてヒグマも、ちゃんと捕獲できる方法はありました。

当たらない銃も当たる様にする方法もちゃんとありました。
やみくもに練習するのではなく、ケンさんの手法に参考に居て頂ければ、誰でも出来る様になります。

今、且つての愛銃は合法的に残せるパーツと玩具銃を組み合わせたディスプレーモデルとなっており、重量は鉛を入れ当時の重さに合わせてあります。
現在持つとこんな重い銃を持ってよく山野を駆けずり廻れたモノだと思います。

いじめっ子を避け様と帰り道に悩んだ事、地獄の特訓の日々、160㎏も担げた事、スポーツが出来る側になれた事、1000頭の鹿を獲った事、シーズン60日も仕事をサボって狩猟をした事、それでも仕事の量も質も落とさなかった事、良い事も良くなかった事も、どちらも全てが夢の様に思えます。







Posted by little-ken  at 18:23