2024年02月25日

元アメリカ大統領達の戦い。

  ジョン・ケネディ元米大統領(1961~1963)

              魚雷艇PT-109                     ケネディ海軍中尉

アメリカ元大統領ジョン・F・ケネディが海軍中尉当時乗船していたのが、魚雷艇PT-109です。
ケネディ元大統領は日本の駆逐艦「天霧」と衝突し、船は2つに切断されましたが、生還出来ました。

魚雷艇の全長は約24.4m、全幅6.4mの小型艇で航空機用のⅤ12パッカードエンジン3基計4500馬力を装備した排水量40㌧、全装備時60㌧、最高速度41ノット(75㎞/h)の木製合板の魚雷艇(乗員15名)です。

魚雷(53㎝)発射管4基と2個の爆雷、2連装12.7㎜対空機銃2基、エリコン20㎜砲1の兵装を持ち、1942年7月に進水しました。

最後の出撃の直前には陸軍の37㎜対戦車砲を搭載し、乗員は2名増えていました。魚雷艇の速度は素晴らしいのですが、燃料消費も激しく、搭載燃料は10000㍑以上ですが、全速航行では1時間当たり1900㍑を消費しました。

ケネディ中尉がPT-109の指揮官の命を受けてから、艇の日常業務は2ヶ月以上も平穏でしたが、ニューギニアのマウンダ仮設飛行場を占領中の日本軍を増強する為の兵員と補給物質を積んだ4隻の日本海軍駆逐艦の行動を阻止する為にPT-109を含むPTボートにソロモン諸島への移動命令が出ました。

当時レーダーはどうにか実用の段階に入ったばかりで、PT-109はまだ未搭載でした。やっと日本艦を発見し、最初に攻撃を加えたのはPT-159でしたが、搭載魚雷の欠陥に依る、魚雷発射時に火災が発生、日本軍に発見され、攻撃は失敗に終わり、帰路に付き始めました。

3隻のPTボート162、159と109は暗闇に潜んで再度の攻撃に備えていましたが、1943年8月2日、駆逐艦天霧の艦首がPT-109の中央に衝突、船体を2つに切断され、生存者11名全員はガソリンが燃え上がる海に投げ出され、全乗員がまだ浮いていた船首に集まり漂流が始まりました。

やがて夜が明け、ケネディ中尉は救助の船を待つのではなく、自ら近くの島に辿り着こうと提案し、PT-109の37㎜対戦車砲取付けに使った木材を浮代わりに、約4時間泳ぎ、全員が近くの島に上陸出来ました。

親米派島民を通して、近くの米軍と連絡を取り、重傷者含む全員が基地に帰還する事が出来ました。ケネディー中尉の若き日のエピソード として伝えられる有名なお話でした。

このPT-109の物語は、後刻1963年にワーナーブラザースに依り映画化され、公開されました。
出演者は、最もケネディ大統領に似ていると言うクリフ・ロバートソン、他タイ・ハーディン、グラント・ウィリアムス、ジェームズ・グレゴリー、ロバート・カルプ等の出演でした。

 映画のあらすじ:1943年の日米両海軍激戦の南太平。ケネディ中尉(クリフ・ロバートソン)は魚雷戦隊指揮官のクラスター大尉の命で古い魚雷艇の艇長になりました。

歴戦の雷おやじリッチー中佐(ジェームズ・グレゴリー)は、若い艇長達を軽蔑しており、ケネディに少しくたびれたPT109を1週間で整備しろと命じました。乗組みのトム少尉(タイ・ハーディン)らも、艇長が新米なので不安を抱いていましたが、艇は一週間で見事に改装されました。

PT109の最初の任務はショワズール島に釘付にされた海兵隊救出でした。任務完了でレンドバ港に向かいました。転属するリッチー中佐も艇に乗込み、ケネディは他の魚雷艇と競争でレンドバに入港しましたが、変速機の故障で給油ドックへ突っ込んでしまいました。

1943年8月2日未明、PT-109は日本駆逐艦「天霧」と衝突、艇を前から1/3の位置で真二つにされてしまい、船体後部乗組みの乗員4名は戦死、艇後部はそのまま沈没しました。
ケネディは重傷者を含む生存者11名を、まだ浮いていた艇の前部に集め、漂流が始まりました。

このまま待っていれば、遠くない時期に艇前部も沈むと思われ、ケネディ中尉は救助の船を待つのではなく、自ら近くの島に泳ぎ着こうと提案、PT-109の37㎜対戦車砲取付けに使った木材を浮代わりに、約4時間泳ぎ、3マイル半離れたプラムプディング島に全員が上陸しました。

上陸後まず彼は信号灯を持ってファーガンス海峡に泳ぎ出し、消戒艇を通るのを待ちましたが、失敗でした。数日後、ケネディは更にファーガンス海峡により近いオラサナ島まで再び全員で泳ぎ着き、活動を開始しました。

レンドバでは109の乗員全員を絶望と見ていましたが、リッチー中佐だけは望みを捨てませんでした。やがて米軍に好意を持つ原住民を通し、ヤシの実に伝言を書いて、沿岸監視官エバンス中尉との会見に成功、救助に来た魚雷艇で部下の待つオラサナ島へ向かいました。

ケネディ中尉は本国帰還を許可されましたが、また艇に乗りたいと志願し、PTS-9の艇長として、再び海の護りに向かいました。


  ジョージ・ブッシュ元米大統領(1989~1993)
親子2代で大統領を勤め上げた父の第41代ジョージ・ブッシュ、息子のジョージ・ブッシュも第43代大統領(2001~2009)を務めました、

       US海軍攻撃機 TBF/TBM アベンジャー    ジュニアブッシュとパパブッシュ

パパブッシュはWW2の海軍攻撃機の操縦者、2度撃墜されましたが、生還しました。
1942年より空母サン・ジャシントに乗組み、第51雷撃飛行隊に所属して太平洋戦線に従軍しました。

彼は第二次世界大戦に於ける最も若い艦上攻撃機パイロットでした。退役するまで1228時間の飛行時間を記録、戦闘58回に参加、空母着艦126回を成功させました。

少尉時代の1944年に参加したマリアナ沖海戦では、日本軍戦闘機の攻撃で乗機TBFを撃墜され、中尉時代の1944年9月2日には小笠原諸島沖で父島地上砲台の対空砲火を浴び、またもや乗機のTBMを撃墜されましたが、いずれも味方に救助され生還しました。

2度目の際には同乗機銃手ウィリアム・ホワイト中尉と通信士ジョン・デラニー二等兵曹の後席2名は戦死し、自らも4時間漂流後、哨戒任務中のガトー級潜水艦「フィンバック」に救助されました。


  リンドン・ジョンソン元米大統領。(1963~1969)

       US陸軍 B26 マローダー爆撃機            ジョンソン元大統領

リンドン・ベインズ・ジョンソンは第36代大統領でした。
WW2にはB-26マローダー高速爆撃機に同乗、激戦地ラバウル方面の偵察攻撃に3機で出掛け、2機は戦死者が出る程、日本軍に猛烈に撃たれました。佐喜三郎もこの攻撃に加わったと言う話です。

ケネディ政権時の副大統領に就任し、1963年11月22日、ケネディ大統領暗殺事件で大統領に昇格、政権を引き継ぎました。

第2次大戦中ジョンソンは海軍少佐として従軍、1942年ジョンソンは南西太平洋の偵察隊に配置されました。偵察目標はニューギニア島の一角にある日本海軍のラエ飛行場でした。

1942年6月9日、ジョンソンは戦闘に関する情報を直接得る為に、ニューギニアのまだ日本が制空権を握っている危険な空域での偵察を志願しました。

後にアメリカ大統領となった下院議員リンドン・B・ジョンソンはB-26爆撃機に同乗してこの戦闘に参加し、撃墜され掛けたと語っていますが、当日ジョンソンのB-26マローダーと共に偵察活動に出た2機が、日本機の攻撃を受け、戦死者も出る大被害を受けながら、辛うじて帰投したのは事実です。

しかしジョンソンの搭乗機は下院議員の安全を優先させ、エンジントラブルで引き返し、戦闘には参加していないとの公式記録があります。

それにも拘らずマッカーサーは生還した偵察機の乗員のみならず、戦闘に参加しなかったジョンソンにも、最高位から3番目に位置するシルバースター章を授与、ジョンソンは武勇談を語っており、ケンさんはジョンソン機も大被害を受けたと思っていました。

こうして見るとジョンソンもマッカーサーも、雲の上の世界では、かなりイカサマな人気取りを演出していた様です。
  

  ロナルド レーガン元米大統領(1981~1989)
レーガン元大統領の若い頃は2流の映画俳優でした。
1937~1939年の間に19本の作品に出演し、代表作は「決闘の町」1953と「カンサス騎兵隊」1490でした。

西部劇の2流スターに過ぎなかったのですが、ハリウッドの俳優労働組合の委員長を経験する内に、反共産主義の先鋒となり、政治に関わる様になりました。
映画のあらすじは下記の通りです。

 「決闘の町」場面は1882年、厳正な仕事ぶりで名高い保安官ジョンソン(レーガン)は、村の住民達の非協力的な態度にやる気を無くし、失い他の土地への移住を決意しました。

コットンタウンと言う町に腰を落ち着け様としましたが、そこで早速事件に巻き込まれました。コットンタウンではジョンソンを恨むダーリングがボスとして居座っていました。

判事のウィリアムズはジョンソンに保安官になる様に依頼しましたが、ジョンソンは拒否。代わりに弟が保安官に着任。しかしジョンソンの弟はダーリングの弟と揉めた挙句、射殺されてしまいました。

ジョンソンはウィリアムズに自分に全権を与えるなら保安官の職を引き受けると要求。ウィリアムズは住民に武器の所有を禁じる法案を通過させ、住民達は全員銃器の所持を禁じられました。     

実はこの頃ジョンソンのもう一人の弟はダーリングの妹と恋仲になっており、恋愛をやめさせ様としたダーリングの弟ともみ合って射殺する事件を起こしました。

正当防衛と思われる状況だったのですが、ダーリングはジョンソンの弟を故意に逃がす一方でジョンソンが住民達から武器を取り上げておいて、自分の弟の犯罪は見逃していると非難しました。    

武器を取り戻そうとする住民達とジョンソンは揉み合いになり、その最中ジョンソンとダーリングは取組合いを始め、馬車に乗って逃亡を図るダーリング、尚も追うジョンソンとなりました。

やがてダーリングは馬車から転落し、走り込んで来た別の馬車に轢かれ死亡。ジョンソンはダーリングの弟を見逃す事も可能だったが、その弟に裁判を受けさせる為に追跡を始めるのでした。


 「カンサス騎兵隊」場面は南北戦争を目前にした1860年頃。士官学校のスチュアートとカスター(レーガン)は、過激活動家ブラウンの思想に共鳴するレイダーが気に入りません。

喧嘩が原因でレイダーは退学となり、やがてスチュアートとカスターは卒業、悪名高い第二騎兵隊へ配属されました。

二人はブラウンが武器の違法取引をしている現場に遭遇、戦闘となりブラウンは逃がしましたが、息子を捕らえブラウンの居場所を聞き出しました。ブラウンが隠れ住んでいる街に潜入、やがて身元が割れ戦闘となり、ブラウンは逃亡したが、スチュアートとカスターは武勲を称えられ共に昇進しました。

ブラウンは上流階級の不平分子から援助を受け勢力を盛り返し、更なる軍事行動を始めました。   
しかしレイダーがブラウンを裏切って軍部に情報を提供、スチュアートとカスターも鎮圧の為に出撃。激戦の末捕縛に成功、ブラウンの思想は生残ったが、ブラウン自身は国家の敵として処刑されました。


  


Posted by little-ken  at 11:36

2024年02月21日

山田さんヒグマの腸を引き抜く。

(文春オンライン2024.01.31.要約)
それはやっぱり滝上町の山田さんの体験ですね。山田さんとは滝上町のハンター山田文夫さん(当時69)の体験談でした。自分でも「この原稿を載せてイイのかな」とちょっと不安になるほどの強烈なモノでした。

その一件は「格闘5分‣九死に一生」と題して「北海道新聞」2023年7月18日掲載していますが、以下、その内容の概要を紹介します。

ヒグマ駆除歴約20年、これまで100頭近くを駆除して来た山田さんが「牧草地にヒグマがいる」と 言う通報を受けたのは2022年7月の事でした。

若いハンターと2人で目撃現場へと向かうと、そこに体長1メートル程のヒグマ2頭がいました。
銃が撃てなくなる日没まではまだ1時間以上余裕があり、その場で駆除する事を決めました。

60mまで忍び寄り、それぞれが別のヒグマを狙って同時に撃ったが、相棒の弾は失中、ヒグマは山林へ逃げ、山田さんの弾はもう一頭の横腹に命中、更にもう一発を撃ち込んだ所で、牧草地の縁の崖から落下しました。

山田さんはヒグマの死骸を回収の為に崖下に降り、笹藪に入った所、手負いのヒグマが飛び出して来ました。体長1m体重70㎏のかなり小型のヒグマでした。

相棒はその直前に見て警告を発したのですが、山田さんは何も出来ないまま、ヒグマに押倒され、馬乗りになったヒグマに爪で頭を引っ掻掛かれ、顎や両腕を噛まれました。

叫び声を上げながら抵抗しましたが「力が強過ぎ全然離れない」。 ヒグマは急所の頭部や喉元を狙い執拗に攻撃して来ました。

相棒ハンターはタイミング悪く弾切れ、補充する為離れた所に止めた車へ走りました。
山田さんは死を覚悟しながらも、懸命にヒグマと格闘を続け、揉合い5分程が過ぎた頃、ヒグマ横腹の被弾口から腸が10㎝程出ているのが目に入り、咄嗟に右手で腸を握り、思い切り引き抜くと、ヒグマは途端に力が抜け、藪の中へと消えて行きました。

70針を縫う大怪我と後遺症。
筆者もそれなりにハンターの取材はして来ましたが、「クマの腸を引き抜いた」と言う話は初めて聞いたので、この記事を最初に読んだ時の衝撃は覚えています。

「仕留めた確証がないまま、笹藪に入るべきではなかった」「あの事故の原因は自分の油断だった」山田さん自身は記事の中でそう言っています。

結局、山田さんは頭と両腕、顎等を70針縫い、顎の感覚は今も鈍く、ロレツが廻り辛くなる等の後遺症が残りました。驚いたのはその後の山田さんの行動でした。「事故後2カ月には現場に復帰」 しているのですが、やっぱり現場に向かう時は「今でも恐怖心がある」と仰っていました。

「撃ちたくて撃っている訳ではない」
クマの生息数は激増しているのに、それを駆除出来るハンターは激減しています。1990年度には5200頭だったヒグマの推定生息数は、2020年度には11700頭と30年で倍増しています。

滝上地区では2000年頃にすでに激増、2007年からの箱罠駆除で1時期半減、その後再び激増しています。
一方北海道猟友会の会員数はピーク時1978年度に2万人いましたが、2022年度には5361人と 約4分の1にまで減少しています。

何故ハンターは激減してしまったのか。「猟友会等に取材すると、以前に比べてヒグマを獲る事の経済的なメリットが少なくなったと言う声をよく聞きます。」

ヒグマを獲れば行政からそれなりの報奨金が支払われますが、更に当時はヒグマの毛皮や漢方薬として珍重される熊の胆嚢も高く売れ、ハンターにすれば1頭ヒグマを獲れば非常に大きな利益となりました。
だからヒグマの反撃で命を落とすリスクを冒してでも、クマを獲る人達がいたのです。

1990年まで北海道はヒグマの生息数を抑える為に、春グマ駆除を奨励していました。
結果的にそれが乱獲へと繋がり、一時はヒグマが絶滅しかけた為、北海道は「春グマ駆除」を廃止、保護政策へと方針を180度転換したと言う経緯があります。

ヒグマ1頭を駆除しても1~5万円。
「ヒグマ有害駆除の奨励金は自治体によって異なり、概ね1頭当り1~5万円程度、「春グマ駆除」 時代と比べるとかなり低く抑えられており、更に毛皮等の需要も大きく低下しています。

ハンターは生活の為に本職の仕事が別にあり、有害駆除はその合間に行うボランティアであり、 有害駆除で自治体の要請を受けて出勤した場合、自治体によって異なりますが1~3万円位の日当が出ますが、その間の本業は休む事になります。

「何よりヒグマ駆除には、一歩間違うと自分が命を落とすリスクがあります。」
また「車の燃料費や1000円以上/発のライフル銃弾等々かなりの経費も必要です。」
そんな労力や危険性に見合った報酬が、ハンターに支払われているかと言えば、かなり疑問です。

比較的安全な春グマ駆除は、ヒグマの捕獲技術をベテランから若手へと継承する場でもありました。しかし春グマ駆除が廃止され30年以上、クマを獲る為に充分な技術や知識や経験を持つハンターは超高齢化しているのが実情です。

「こうした現状を踏まえ北海道も2016年から、若手が熟練者と捕獲する場合に限り、残雪期の捕獲を特別に許可する制度(春期管理捕獲)を始めました。
そして更に2024年から春グマ駆除は制限が大幅に緩和されるとの事です。

経験の浅い若手を連れてヒグマと対峙するのは、中々難しく、このままではヒグマ捕獲経験のあるハンターがいない地域も出て来ますが、ヒグマの方はお構いなしに何処にでも出没します。

何故こう言う事になってしまったのか。「一言でいえば、ヒグマと人間社会との軋轢問題を全て現場のハンターに丸投げして来た結果だと言えると思われます。

本来ヒグマ管理と言うのは北海道庁や警察の行政が主体となって行う物だと思うのですが、現状はその予算も人的資源も足りず、結果的にその“しわ寄せ”がハンターに行っている訳です。

前出の山田さんは次の様な言葉で結んでいます。「地域の安全を守る為、誰かがヒグマの駆除を しなければならないが、ハンターが危険と背中合わせの活動を続けている事を知って欲しい。」
(以上、文春オンライン要約)


(ケンさん加筆)
この手の記事としては、珍しく記載内容が概ね合っていると思いますが、山田さんへの評価はかなり過剰と思いました。ケンさんのヒグマ捕獲は僅か6頭ですが、それでも自らの能力だけで「捕獲への道を切り開いた」からこそ、言える内容があります。

  ベテランは60mを外さない。
記事では山田さんを100頭捕獲のベテランとしていますが、ヒグマまでの距離僅か60m、ベテラン+ライフル銃ならばその60mで急所を外す様なブザマな射撃はしません。
彼の射撃はお粗末でケンさんは20年程前ですが、山田さんが50m先の鹿を半矢未回収にした時を見ています。駆除従事者は旧技能講習を免除され受講しておらず、もし受講したら不合格だったかも知れません。

また逃げるヒグマに1発を追加していますが、動的射撃技術を持たないライフル射撃は絶対に命中しません。これもケンさん自身が出来る様になってから分かった事ですが、目視した映像を狙って撃つ従来のライフル射撃では、目視映像が少し古い「虚像」であり、「実体」はもっと先にあり、見えないのです。

従ってそれを理解しない限り、ランニング射撃はマグレヒットも有り得ないのです。

新人の射撃はカスリもしなかったのですから、更に問題外の酷さです。更に新人は更に近くの木に登ったヒグマも失中しており、その技術では体験の為に連れて歩く価値が無いと言えます。

  本当に必要なのは「恐怖負け」対策と正しい銃の取り扱い。
また2人とも、ヒグマに対して「恐怖負け」で何も出来なかった事が、最も重大だったと言えます。
本当に伝えるべき、ヒグマ駆除には不可欠である筈のヒグマ対戦時の最重要課題「迫力負け」と 「恐怖負け」の「心の伝承」が抜けている事にありました。

加えて従来からの銃の取扱いが、ケンさん考案の新取扱法が完成している昨今では、明らかに劣る「間違っている」手法と言えました。

銃の取扱教本を書く人はハンターではない為、教本には戯言が書いてあり、現場はそれとは違う 独自の手法で銃を取り扱っていました。

そして最も重要な「恐怖負け」しない心の伝承は、先輩の行動を見て学ぶ物でしたが、それを実際に体験出来る確率は後述理由から余りにも稀れでした。

今はそう言う社会構造ではなくなり、上手く見本を示して具体的に教え、そして誉める必要があります。現場独自の伝統の危ない銃の取扱いで、事故も起こらず、成果が上がれば、まだ良いのですが、実際は「返り討ち時」には残念ながら間に合わず、更に暴発等の事故も散見しています。

  必要な対策は恐怖負け。
この対策は2つに分かれます。1つ目は「心の対策」です。
この対策をしなければ、ヒグマと安全に対戦する事は不可能と思われます。

人間でも何でもそうですが、自身より遥かに大きな体格の相手と対戦しますと戦う前から「迫力負け」をしてしまい、足が地に着かない射撃になってしまいます。

更に相手が猛獣となりますと、「恐怖負け」で体が動かなくなり、全く何も出来なくなってしまいます。

この問題で最も重要な問題は、ヒグマ捕獲名人と言われる山田さんも、「恐怖負け」の能力を「全く持っていなかった」点です。他のベテランヒグマハンターも概ね類似状態です。


  ヒグマの反撃率は1%程度。
殆どのヒグマは反撃しません。そしてヒグマは非常に弾に弱く、「返り討ち」に会う確率は1%程度です。近年はヒグマ捕獲の90%が箱罠で対象外です。

箱罠の止刺し経験は「返り討ちの実戦」には殆ど役に立ちません。100頭捕獲の名人も本当のヒグマ捕獲は僅か10頭程度でケンさんと同クラス、前出の山田さんもこの例に漏れず、勿論経験が少ない相棒がこの経験を持っている筈がありません。

従って殆どのベテランヒグマハンターは「返り討ち」の経験が無いままなのです。
仮に遭遇時、「恐怖負け」に陥らず、体が速やかに行動出来たとしても、旧来の取り扱い法では銃の照準をする頃に、すでに被害を受けてしまう事になります。

実際は確率99%「恐怖負け」、何も出来ないままやられて しまうのです。この「恐怖負け」がハンターの「返り討ち」事件の「第1原因」です。

  旧来の銃の取り扱いではイザと言う時に間に合わない。
旧取り扱いはイザと言う時に、少しでも可能性を残す為に、銃は何時も「実弾装填済み」、そして「安全装置解除済」の一触即発の非常に危険な状態で常時携帯しております。

時に「暴発」や「誤射」事件も起こっています。それでも「イザと言う時には間に合わない」のです。
この「間に合わない銃の取り扱い」が事件の「第2原因」です。

旧来の手法を説明します。銃には大きな反動があり、この反動を安全に受けられる場所は、銃のパッドプレートの大きさ程度しかありません。

従って旧来の銃の取り扱いは、まず肩の正しい位置に銃を着ける事から始まり、それから照準が始まりました。銃はそう言う物として取り扱われて来ました。

従って「恐怖負け」対策を十分に行い、更に後述の「新スナップショット」技術を身に付けなければ、残念ながら返り討ち時のヒグマに勝てる可能性はありません。

勝てる可能性の無い「駆除依頼」を出す事は、WW2日本軍の「特攻」と同様、人間として出来ない相談となります。

  画期的な「新スナップショット」。
「新スナップショット」では装填せず・更に安全装置を掛けた状態で銃を携帯しています。
新取扱いでは「イザと言う時になってから」、装填・安全解除し撃っても、旧来法より圧倒的に速く、「返り討ち」に「間に合う可能性はかなり高い」と思います。

何時何処からヒグマが飛び出すのか分からない時は、装填して安全装置を掛けた状態で捜索、気休め程度の僅かな差ですが、もう少し早く撃てます。

銃を肩に着ける前に撃つ「新スナップショット」は、発砲の決断で、下記の2つを同時に行います。
「1つ目は体を発砲直前状態」に移行し、2つ目は「銃身を目標に向ける」事です。
銃は頬をかすめ肩に銃を引き寄せながら、肩に銃が着く前に発砲します。

銃を向けた中写真以後なら何時撃っても命中します。
上半身は発砲決断瞬間から発砲直後まで、全く動いていない点に注目して下さい。

一見照準をしていない様に見えますが、中写真の「銃を指向した時が概ね照準完了の時」、距離が近ければ急所を外す事は絶対にありません。

「返り討ち」はド至近距離ですから、日頃この練習を十分にしておけば、ヒグマパンチや噛付きより銃の有効リーチがMax.50mで長い分、必ず多少早く弾が急所に届きます。
しかし少しでも躊躇すれば、パンチの方が先に来るか、相打ちになります。

  この手法で銃を肩の安全ポイントに付けられるのか? 
銃を構えると、調度スコープが目の目前に来る様に、ストック寸法を事前調整してありますので、緊急時にホッペをかすめて肩付けすれば、ストックは完璧に必ず肩の安全な定位置に着きます。
実戦実習は事前の心の対策と、新スナップショットの手法を叩き込んでから、行うべきだと言えます。

心の対策は、色々な写真に対して行う「スナップショットのイメージトレーニング」です。
仮に足が地に着かない状態でも、透かさず銃を急所に向けて撃てる様に、条件反射で「行動が板に付くまで」繰り返しトレーニングを行います。

  銃は心で撃ち、体全体で向ける物なのです。
心で撃つ物」が銃であり、小手先で「狙って撃つ物ではなく」、「体全体で向けて撃つ」物なのです。
この手法は「ヒグマ戦」だけでなく、全ての実戦に甚だ有効です。

ケンさんの成功の原因は1番目がイメージトレーニングに依る「恐怖負け」の克服、2番目が西部劇並早撃ちの「新スナップショット」を考案した事、3番目が走るヒグマにも対応可能な「ランニングショット」を開拓出来た事の3つに依ります。

(ケンさん加筆終わり)


  


Posted by little-ken  at 10:20ハンティング銃と弾ヒグマ

2024年02月18日

10年で1頭→次の10年は100頭→更に次の10年は1000頭。

  11非常に良い趣味を戴きました。
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 11-1.野良猫のカモ猟。
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 11-2.事前土木工事と射撃ポイントで3分間のフリーズ。
        前投稿済


 11-3.最初の10年(1982~1991)の捕獲は1頭だけでした。
1982年から本州鹿巻狩りを始めました。数年間の辛抱は必要であろうと覚悟はしていたのですが、結果は7年目に待ち場に行く過程でオス大物に鉢合わせ何も出来ず見送りました。

同じ失敗は繰り返しませんが、同年中同様で小物鹿に発砲で来ましたが、全弾失中(実際はケツかすめが判明)でした。

9年目、今回はかなり進化し、小物3頭が初めて待ち場に掛かり、3連射で先頭鹿即倒、続く2発追加射撃は失中に見えましたが、2頭共が被弾、その後に近場で捕獲されました。

最初の10年間は9年目の1頭だけに終わりました。しかし7年目の初回失中から、スラグ弾に拘る事を辞め、バックショット運用に変更、9年目の初捕獲の分析から、やがて「禅の心」作戦を立案、更に数年後には強力なバックショット専用銃を作り上げ、次の10年間には大きな成果を上げる事が出来ました。

 11-4.次の10年間(1992~2001)は100頭の捕獲でした。
その大きな花が開いたのは通算12年目でした。
あれ程までに獲れなかった本州鹿ですが、ケンさんは3週連続で3段角捕獲に成功しました。

3週連続で待ち場に鹿が来たのはマグレかも知れませんが、それを射程内まで引き寄せる事が出来たのは「禅の心」作戦のお陰であり、それを失中しなかったのは射撃の実力と言えました。

無チョークの20番ディアーガンでバラ撒く、バックショットは良く当たりますが即倒する事が少なく、不満がありました。そこで12番バックショット専用銃を作り、その後4年間で18チャンスから20頭を捕獲出来ました。

結果は失中も半矢も出さずに全ての鹿を捕獲出来ました。「バックショット専用銃」と「禅の心」作戦のお陰でしたが、しかし4日に1頭の本州鹿巻狩りに限界を感じ、卒業する事にしました。

エゾ鹿猟自体はすでに7年前から並行して進んでおり、この頃は白糠単独流し猟にて、毎日平均1頭を捕獲出来る迄になっていました。

知り合ったプロガイドの奨めで、根室猟を体験する事にしました。根室の鹿の出会いの多さに驚きました。そこでしばらくの間はプロガイドに附いて、学ぶ事にしました。

走る鹿が予想外に多い事から、自動銃の連射でこれの捕獲を目指しました。3年間に90日出猟し、3000発を走る鹿に発砲し、「スイング射撃」の初歩を開拓出来ましたが、後から見ればまだまだ話にならない程のお粗末な物である事は、この5年後によく分かりました。

それでも鹿の習性をかなり勉強出来、ポイント猟を開拓出来、末期には1日2~3頭を捕獲出来るまでになりました。

この10年間の捕獲は100頭となりました。
本州鹿が20数頭、エゾ鹿が80頭前後、内走る鹿が20頭前後でした。

サラリーマン時代も有給休暇は全て種猟の為に目一杯取得していましたが、自前会社時代は この枠をもう少し広げる事が出来ました。
お陰様でポイント猟の初歩を開拓出来、またスイング射撃の初歩を開拓出来ました。

 11-5.更に次の10年間(2002~2011)は何と1000頭の捕獲でした。
2000年末、根室にてケンさんは地元暴走青年の事故に巻き込まれ、復帰に2年間を要しました。

この間実射する事が出来ず、1年以上をドライファイアーや、イメージトレーニングだけで過ごし、「銃」の反動を忘れた事が結果オーライとなり、最も難題であったフリンチング対策が出来上がりました。

銃だけに撃たせる事が出来る様になり、2002年射撃再開の場で驚いた事に150mテーブル撃ちの5発が12㎜と言う、ライフルマンの憧れだったワンホール射撃が達成されました。

ワンホール射撃や高率捕獲には高精度なカスタム銃や精密ハンドロード弾が絶対に必要としていたのは「業界の陰謀」であり、本当は市販銃と安売り弾薬でワンホール射撃が可能だったのです。

一方でケンさんの会社は2年間休みましたので会社の仕事は止まったまま、このまま廃業2002年に仕事を卒業しました。
収入を途絶えさせては不味いので、自前会社時代の利益で借家を立てました。

更に本格的に狩猟に打ち込む為、そして同年にリトルケンハンティングスクールを開講し講師となり、また獲れる人は書けず、書ける人は獲れず、狩猟関係・銃関係のライターをする様になりました。

北海道の友人がエゾ鹿肉屋を開業、ケンさんはミートハンターになりました。
エゾ鹿猟に出撃する日数はスクール開講を含め年間60日を超え、これは当時のエゾ鹿猟は2.5カ月の75日しかなく、解禁と正月と終猟のラッシュ時を避けた概ね全部と言えました。

連日エゾ鹿猟をすると、エゾ鹿の習性は更に良く分かる様になり、ケンさんの「ポイント猟」は一段と進化、更に銃を2006年サコー75ボルトに換えますと、ライフル射撃技術は一気に開花、永年憧れて いたライフル射撃の全てのテーマが2006年中に達成されました。

ワンホール射撃だけはすでに2002年に達成されていましたが、スナップショットを完璧な射撃方法として完成し、50m以内であれば、西部劇早撃ち並で急所を確実に撃ち抜けました。

2006年「ナミビアポイント」と呼ぶ即倒率100%の急所を開拓、今まで捕獲が難しかった「超大物エゾ鹿」の捕獲も一気に5倍となりました。念願だった「ヒグマ」も捕獲出来ました。

射撃面では銃をサコー75ボルトに換えた直後から、300m遠射は最早外し様がないと思える様になり、540mの超遠射2頭連続即倒が実現しました。150mアバウト早撃ちも確立出来ました。

ランニング射程は従来H&Kオート時50mでしたが、サコーにした直後から4倍の200mとなりました。そして距離4倍にも拘らず、1頭捕獲に要する弾数は従来の5発強から半分と言える2.7発となりました。

更に多少慣れた2か月後、1頭捕獲に要する弾数は、再び半分と言える1.4発になりました。
そして鹿肉の大量注文が入った2007年1月には5日間で50頭を捕獲、憧れだった5発5中もその間に3回記録出来ました。走る鹿も70%が急所直撃の即倒でしたから誠に痛快な猟でした。

各事項がそれぞれ大幅進化し、その集合体でこの10年間では「何と1000頭」の捕獲となりました。

この栄光の時間が永遠に続くかと思われましたが、そうは行きませんでした。

鹿肉買い取り業者は毎年価格を20%下げて来まして、ケンさんが鹿肉販売で生計をしていないとは言え、5年後には余りにもアホらしいタダ同然価格となり、流石に限度があり蹴りました。鹿肉業界はそこまで酷くは無く、同時経営の焼き鳥屋の赤字を鹿肉買上げ価格に転化していたのです。

こうしてケンさんは2012年度から捕獲を控える様になり、買取り屋は翌2013年肺ガンで他界してしまいました。

一方で獲れないエゾ鹿猟ブームは過ぎ去り、全ての狩猟雑誌廃刊でライター失業、ケンさんスクールも生徒が集まり難くなり、更に初期生徒は5日猟が多かったのですが、3日猟主体のダブルパンチ、スクールは存亡の危機を迎えましたが、もうしばらく赤字でも続行する事にしました。

11-6.「不可能に挑戦こそ、我が人生」
環境の著しい変化にケンさんは海外大物猟・ビッグフィッシング・生徒を育てる事に活路を求めました。



アフリカ猟は2009年から3回、ニュージーランド猟はビッグフィッシングを兼ね、5回を数えました。海外大物は15種、ビッグフィッシングは他の6か国分を含め18種を捕獲しました。

もう1つ大切な事を忘れてはなりません。ケンさんが色々を達成出来たのは、「我が相棒」のお陰です。
16回・14ケ国の秘境旅行と、27回・21ケ国を数えた海外パック旅行を一緒に楽しみました。

そして2016年、海外大物猟も手が届く範囲は全て網羅、ライフル銃のテーマは全て達成したと思われ、総捕獲1228頭、所持期限が切れる2018年にライフル銃を返納、狩猟人生70年を終えました。

振り返ればケンさんの人生その物が「不可能に挑戦」で「音痴克服」の歴史でした。
発達障害のスポーツ音痴が「国体選手」になりました。漢字音痴の勉強音痴が「ライター」になりました。
「阿保」は死んでも治りませんが、「音痴」は治せました。世の中に不可能は余り無い事になります。

狩猟は特に初期からずっと「不可能に挑戦」でした。
元々野性鳥獣の五感は人間の3桁以上も離れており、まともには勝負出来ません。五感のスキは無い様に見えましたが、習性の欠陥を上手く突けば射程内まで持ち込め、照準時間を貰えました。

銃には反動があり、これを上手く処理しようとする条件反射が、射撃の最大の難敵でした。
体が身構える事で、動的時は銃のスイングが止まってしまい、静的時は照準がズレてしまうのです。
ケンさんは偶然の交通事故からとは言え、これを乗り越える事が出来、「業界の常識」では市販銃と 安売り弾では出せる筈が無いと言われた、ワンホール射撃が達成されました。

「スイング射撃」はショットガン&ライフルの両方に共通で使え、共に驚異の命中率でした。
50mの的紙からハミ出す「フリンチング射手」が「ライフル射撃のテーマを全て達成」し、海外猟の射撃ミスは相当高額なペナルティーでしたが、「ミスる筈が無い」と言える様になりました。
強度の「方向音痴」で「ハンターの資格がない」と言われた若者が「ハンティングガイド」になりました。

仕事もずっとエンジニア畑であり、「不可能に挑戦」の連続でしたが、アイデアは無限であり、何時も全てに必ず解決方法が用意されていました。

ちょっと分かり難かっただけなのでした。小さなアイデアも組み合わせますと、非常に大きな効果を出す事が出来ました。
結果的に言えば、「不可能に挑戦こそ、我が人生」と言えました。

ケンさんが特に得意としたのは「能率10倍」、大きな工場生産もケンさん改善で10倍が可能でした。
一見不可能に見えても、必ず解決策があり、手掛けた3件は全て10倍を達成出来ました。

獲物と出会う事はそれ以上に高難度ですが、「ポイント猟」は1日5回以上勝負が可能、走るエゾ鹿に射撃は「急所直撃即倒率70%」、「5発5中」も単に確率の問題、エゾ鹿捕獲は1051頭となりました。

ライフル銃を装填し、構えて狙うにはそれなりの時間が必要ですが、しかしこれも1桁合理化出来、装填と安全解除しながら、構えて狙い撃つ、全てが一瞬で命中可能な「スナップショット」を考案出来ました。全ての難題には必ず「手法」がありました。

宜しければ「狩猟大全集」:https://shuryoudaizenshu.militaryblog.jpを参照して下さい。
ケンさんが如何にして対処して来たのか? ヒントが掴めれば幸いです。

  


Posted by little-ken  at 09:46ハンティング銃と弾

2024年02月14日

「ショトガン効果」と「即倒」にパワーは無関係。

  ショットガン効果に必用なパワー。
トラップ射撃用7.5号弾は「ショットガン効果」に依り、50mのカルガモを3粒被弾で撃墜出来ます。
12番32g7.5号装弾の初速は350~390m/s、エネルギーは1500~2000ft-lbfの程度です。

1発に入っている弾粒数は400~430粒、1粒のパワーは3.5~5ft-lbfです。
50m先は弾速が30%程低下しますので、パワーは半減し概ね1.7~2.5ft-lbfになります。

その「ショットガン効果」なら3粒で撃墜ですから5.1~7.5ft-lbfとなり、カルガモ級には1桁強力な空気銃弾でも当たり所が良くないと捕獲出来ない事を考えますと、非常に低パワーながら上半身3粒で即死撃墜が可能な「ショットガン効果」は絶大と言えます。

鹿や猪の大型動物にもこれは有効であり、こちらの場合は「4号バックショット27粒弾」が相当します。


  10エゾ鹿即倒に必要なパワー。
巨大且つ被弾に強いエゾ鹿にはマグナムライフルが必要と言われていました。
単弾で即死させる場合、直径15㎝の「ナミビアポイント」に「正しくヒット」すれば「ショットガン効果」と同様に、「パワーには概ね無関係」で100%即倒します。要は上手く命中させれば良いのです。

エゾ鹿猟遠射時、308の150gr銅弾で、540mの大物エゾ鹿を2頭連続即倒させた事があります。FMJの弾速データに依れば、550m時弾速は60.4%まで低下、エネルギーはその2乗に比例し、残存エネルギーは934ft‐lbfとなります。

弾速低下は銅弾の方が大きく、残存エネルギーは鉛弾比で80%と仮定しますと737ft-lbf、マズルエネルギー比で僅か29%、この低パワーでも即倒したのです。初弾命中ではありませんが、ボス争い2頭が連続即倒ですから、満更マグレでもありません。

「幾らパワーに無関係」と言っても程度があり、数十㎝深くにある急所に届かなくては無効弾になってしまいますが、下限値が何処かは不明ですが、737ft-lbfの弾頭でも即倒出来た事は事実です。

西部劇のウインチェスター1873の黒色火薬500ft-lbfでも、近距離であれば即倒したと思われます。
ハイパワーや新口径に導こうと言うのは新しい銃を売り付け様とする、「銃砲店の陰謀」でした。

308は12㎜の鉄板を撃ち抜き、150mでワンホール射撃が可能、300m遠射も楽勝、500㎏前後の獲物にも多数の実績があります。
これ以上に何が必要なのでしょう。銃だけに撃たせれば良いのです。
そしてちょっと上手く引き金を引けば良いのです。


  11非常に良い趣味を戴きました。
「国内銃砲店の陰謀」で始った「エゾ鹿猟」でしたが、ケンさんは非常に良い趣味を与えて頂いたと感謝しています。狩猟は「如何にして銃を命中させるか?」の以前に「如何にして獲物に出会うか」と言う難題があります。目的の野性鳥獣に出会わなければ、全てが始まりません。

野性鳥獣の五感は人間より3桁以上鋭く、人間に出会う事には彼らの命が掛かっています。
散弾銃の射程内である、30mで出会う事は更に桁違いに困難でした。

ケンさんの家は海や大きな川が近く、カモ類がたくさんいました。しかしたくさんいてもそれは射程距離の遥か外、試行錯誤を繰り返しましたが、射程内まで近付く事は不可と思えました。

 11-1.野良猫のカモ猟。
ある時、ケンさんがダメ元接近チャレンジをしようとしていると、野良猫の先客がいました。
波打ち際ではカモがエサを食べています。餌場から50m強までは草があり、接近可能でした。

過去にそこまで隠密接近し、そこから射撃しましたが、当時はまだ2連銃、4号弾(3.3㎜150粒)を2発撃って半矢数匹に終わりました。更に10~20m前進したい所でした。

今回は猫のお手並み拝見をする事にしました。草のある所までは全く問題なく進みましたが、そこからに注目です。
猫は背を低くし、ゆっくりゆっくり足を進め、時に足を止めてじっとしています。
これの繰り返しですが、猫が足を止める時の条件を発見しました。

カモが警戒して首を上げた時には足が止まり、警戒が解け餌を食べ始めますと、また前進するのです。しかし幾ら何でも5~10mが限界だろうと見ていましたが、信じ難い事に2mまで接近に成功しました。やがて飛び掛かりましたが、僅かに届かず、野良猫のカモ猟は失敗でした。

 11-2.事前土木工事と射撃ポイントで3分間のフリーズ。
野良猫からヒントをもらったケンさんは、事前土木工事で35m射撃ポイントまで遮蔽物を設置しました。そして接近は猫の手法で、カモの警戒でフリーズに入り、警戒が解けると前進しました。

そして無事に射撃ポイントまで到着しました。今度はカモまで35mですから、絶対に獲れる事でしょう。2発を撃とうとした瞬間、カモは一斉に飛び上がり、捕獲は1羽のみに留まりました。

反省点として、やはりカモは何となく、ヤバイ気配を感じていた様でした。
次回は射撃ポイントに着いてから、更に数分間のフリーズをキープしようと思いました。

翌年、また同様の条件になりました。射撃ポイントまで断続で前進し、発砲まで3分間フリーズしました。今年から銃は自動5連銃となりました。

カモの群れを観察しながら、1発目はあの3羽の集まった所、2発目はあの集団、3発目は成り行きもありますが、そこの集団と決めました。
そしていよいよ射撃の時を迎えました。

今度は先回と作戦を換え、「サッ」と立ち上がりスナップショットです。立ち上がった瞬間、全てのカモが「ギョッと」振り返りました。当初の集団に地上で1発、3羽とも十分な被弾をした様です。

2発目と3発目はすでに飛び上がっていますが、予定の集団に向けて撃ちました。「ボロボロボロ」大量に墜ちました。
4~5発目は手近なのを撃ちましたが、その奥であおりを喰らったカモがまた墜ちました。

結果は超大成功、一瞬で当時定数の10羽が捕獲されました。これがケンさんのカモ撃ちがバイトに 昇格した瞬間でした。

当時の日当は1日3500円程度ですが、この一瞬だけで8000円になりました。
これを手始めに色々な条件のカモの付き場を発見、「ポイント猟」が可能となりました。

色々な接近法を考案し、各種のカモ猟が可能になり、やがて小粒弾有効に気が付き、スイング射法も開拓出来ました。またカモを希望の方向に飛ばし、希望の場所に撃墜出来る様になり、回収時間が激減、連日毎朝のゴールデンタイムに従来比で2~3倍の猟場を廻れる様になりました。

  


Posted by little-ken  at 08:18ハンティング銃と弾

2024年02月12日

エゾ鹿仕様の銃、ライフル銃の憧れのテーマ。狩猟にはマガジン不要。

  エゾ鹿用の銃の仕様。
主流の流し猟を主体に考えますと、ライフル銃の狩猟には次の事が言えました。
走る鹿を狙う事は特殊な射撃技術を持たない限り無意味でした。

また7項の様に単発運用をしましても、捕獲率は低下しない事が立証され、ならば連発機構は不要と言え、従ってマガジンも自動銃も不要となりました。

車に乗っている時は銃にはカバー、マガジンにも弾を入れられません。鹿を見付けたらマガジンに弾を1発入れ、装填し照準して撃つ、これがエゾ鹿猟の基本になります。

つまり上から1発入れるのが主体ですから、マガジンは固定式でも着脱式でも良く、必要なのは弾を入れ易い複列式であり、エジェクションポートの大きい事です。

   エジェクションポートが小さいサコーティッカ    単列マガジンのサコーティッカ

単列式でマガジンに弾を完全に入れないと、上手く装填出来ない銃は非常に使い難く、エジェクションポートが小さい銃も同様になります。

他の狩猟方法をする人は多少必要な仕様が変わるかも知れませんが、流し猟仕様はあらゆる狩猟に使えます。反対側は使い難い銃となります。

サボットスラグ銃では装弾の寸法及び形状から殆どが単列マガジンであり、サコ―75等に比べれば使い難いのですが、現状の法律では10年が過ぎるまでは、コレしかエゾ鹿まで弾が届く銃はなく、これを使い熟す以外に方法はありません。

 エゾ鹿用の銃は、口径308・スコープマウント直付けのスコープ専用銃・複列マガジン・全長105㎝程度、軽量短縮化されたバーミンターが最良だと思われます。

エゾ鹿猟に限らず、1発撃てば逃げるに決まっており、静止で倒せない走る鹿に命中する筈がなく、静的と動的は命中させる為の理論が違い、ダメ元のマグレヒットの可能性はありません。


  狩猟にはマガジンが不要でした。
スクール初期には装填や安全解除のタイミング、更にはマガジンの使用も全て個人任せでした。
その結果、鹿を見付けると早々に装填&安全解除、異常興奮状態で急いで車を降り様と、時に暴発が起こりました。

又1発撃つと無条件で次弾装填、勿論安全解除状態であり、失中或いは捕獲直後の異常興奮状態&脱砲未確認で車に乗ろうとするので、ここでも時に暴発が起こりました。

ランニング射撃技術があれば、それを目的とするマガジン使用の意味がありますが、ランニング射撃能力が無ければ、撃っても射撃理論が違う為、ダメ元射撃にもなりません。

マガジン使用の最大の目的は連射ですが、特殊な技術が無ければ、只々危ないだけなのです。
早期装填や安全解除も単に危ないだけで無意味、スク―ルでは2年に1回程度の暴発がありました。

そこで鹿を見付けても、装填や安全解除はガイドの指示があるまで行ってはいけない事にしました。
勿論マガジン使用は無意味ですから禁止、完全単発運用としました。結果から効果は抜群でした。

この手法により、暴発は皆無となりました。では捕獲数や命中率の変化はあったのか?
生徒に351頭を捕獲させた結果から申しますと、画期的と言う程ではありませんが、明らかに命中率が上がり、良く獲れる様になりました。
  
当局側定義によれば、マガジンの無い銃は射撃銃、マガジン付の銃が狩猟銃と言う事でしたが、狩猟にマガジンは不要だったのです。

単発運用は半矢時2弾目発砲が数秒遅れますが、それが故に不利になった事は皆無、これらの結果通常のエゾ鹿猟には「マガジンは不要」である事が立証出来ました。

連射技術を持たない通常のハンターは「初弾必中に賭ける」以外に捕獲出来る方法はありません。

  ライフル銃の憧れのテーマ。
ライフル銃の憧れのテーマは、ワンホール射撃・遠射・そしてランニング射撃です。
そしてそれを阻止している原因は「フリンチング」です。

これさえ乗り越えられれば夢は簡単に達成可能です。またこの話を抜きにして「栄光」は有り得ません。どのテーマで話を進めても、最後にこの話になってしまう理由は、「誰もがその3つの憧れ射撃」を達成出来る様になって欲しいと言う、「ケンさんの願い」からです。

「スナップショット」はやる気だけあれば、誰にでも数カ月の練習で、すぐに出来る様になりますが、それは新しい技術を覚えれば良いからです。

「スナップショット」をマスターすれば、数秒~10数秒早く撃て、全ての場面で不利になる事は1つもなく、未装填銃の運用は安全性も抜群に向上、捕獲率は抜群に向上、メリットは無限と言えます。しかし寂しい事にこれすら誰もやろうとはしません。

フリンチングは体に起こる「反動に身構える自衛反応」ですから、「銃の発射には反動を伴わない」と 体を騙す以外に方法がなく、実射の停止とイメージトレーニング併用で長期1年強を要します。

しかしそれさえマスターすれば、銃と弾には元々それが出来る性能があり、「ワンホール」は自然に達成され、それに自信が付けば「遠射」は落差補正若干だけですから、達成は時間の問題となります。

「フリンチング」が無くなれば、「引き止まり」も自然に無くなり、リード自動調整の「スイング射撃」も多少のイメージトレーニングで達成が可能となり、これはショットガンもライフルも完全に共通です。

実戦の最大命中率は1羽或いは1頭をゲットするのに、必要な弾数は両銃共に1.4発でした。撃てば胴体ヒットが当たり前、70%が急所直撃であり、ランニング「5発5中」も自然に達成されました。

50年近く前、まだケンさんが「引き止まり射撃」だった頃、カモの遠射は「とんでもない程大きなリード」を取った時に初めて命中しました。それは数mと思っていた3倍以上のリードでした。

しかし「スイング射撃」をマスターすると、基本分リードは自動調整で考える必要が無くなり、弾速途中低下分の「追加リード」は「チョイ前」の程度、追い越してチョイ過ぎで引き金を引けば命中しました。

「何時かはリトルケンを超えたい」スクールのU生徒は、「300m遠射とランニング射撃」に於いてすでに入口にまで達しており、更に「迫力負け」は完全に克服しており、「現在フリンチング対策」に挑戦中、間もなく良い結果が出せる事でしょう。

昨今の市販銃も市販弾も、且つて我々がその昔に思っていたよりも遥かに高精度となりました。
そして散弾には「ショットガン効果に依る3粒被弾」で即倒、或いは撃墜となる特殊効果がある事が分かりました。ライフル銃にも「ナミビアポイント」と言う「即倒率100%」の急所が判明しました。

「新スナップショット」は西部劇並早撃ちながら急所を狙って撃て、「150mアバウト射撃」と併用すれば、照準時間は1/10になりました。「焦り射撃」は命中率の低下ではなく「殆どが失中」でした。
もう何時逃げるのを心配する「焦り射撃」は不要となりました。

300mは「全依託射撃」をマスターすれば、外れ様がない射撃になりました。また全依託射撃は手持ち射撃より弾着が上になり、落差補正をしなくても当たる様になる事が分かりました。

これらの達成は「フリンチング」対策を完了すれば、銃と弾とスコープは「市販普及クラス」で十分達成させられる事も分かりました。

狩猟はWW2大戦後の銃器業界の不況対策として「銃器業界に依り」1945年頃に「狩猟の普及」が図られました。ライフル銃の大物猟がメインであり、その頂点にアフリカ猟とアラスカ猟がありました。

そしてこれら「ホットマグナム」の普及が図られました。特にアフリカ猟はその傾向が強く、水平2連ライフル銃をハンターの命を託す、絶対に作動不良がない最高のライフル銃として神話化されました。

更にマグナム銃有利思想は一般狩猟にも及び、今一つ正確な急所ヒットが出来ない事が多い一般ハンターに、業界はこれを銃と弾の精度不足&パワー不足とし、更に「新型高速口径」の弾薬と銃を、或いは高精度な「カスタム銃」や「ハイパワーマグナム銃」を売付け様としました。

日本にも「狩猟ブーム」は1955年頃伝わり、日本では1960年鳥猟用の頃水平2連銃、更に1970年頃自動散弾銃がバカ売れしました。

そして散弾銃普及が伸び悩んだ1980年頃、「銃器販売業界」に依って「ライフル銃」と「エゾ鹿猟」の普及が企画されました。

1990~95年頃がそのピークとなり、」本州から3000人のハンターが遠征しました。
ケンさんも1993年にエゾ鹿猟を始めました。

当時北海道のハンターは7000人、計1万人のハンターによって2万頭の鹿が捕獲され、平均では1人当たり2頭ですが、未熟な本州ハンターの短期出猟でこれを満たせる筈がありません。90%以上のハンターは手ブラ帰還、2005年頃から出猟者は獲れないので減少して行きました。

2000年頃になりますと、銅弾規制で1時的に命中し難く、倒れ難くなったとされていますが、その様な事は無く、普及市販銃と市販安売り弾薬には十分なパワーと精度がありました。

ワンホール射撃が可能である事をケンさんは立証出来、「カスタム銃不要論」に終止符を打つ事が出来ました。

エゾ鹿ではしばしば命中しても倒れるまで数十秒以上を走り、追跡し切れない事も多く、パワー不足を疑った事もありましたが、パワー1.4倍マグナムでも全く同じ傾向でした。

結局は即倒率100%の「ナミビアポイント」の急所が開拓され、マグナム神話に終止符を打つ事が出来ました。

結局の所、「良く当たる筈のカスタム銃」も「良く倒れる筈のマグナム銃」も「何かと有利な筈の新型口径の銃」も、全てが「業界の陰謀」でした。

昔の市販銃は余り高精度ではありませんが、2000年以降の市販銃重銃身であれば、ワンホール射撃が可能であり、それ以上の高精度は実戦には不要、従って「カスタム銃は完全に不要」と言えました。

308をStdカートリッジとしていますが、この2倍~半分のパワーであっても、急所に正しくヒットすれば即倒、結局は「ショットガン効果」の「3粒被弾撃墜」も「パワーに概ね無関係」であった様に、「ライフル弾即倒」も「ナミビアポイント」を正しくヒットすれば、「パワーに概ね無関係」だったと言えました。

  


Posted by little-ken  at 10:11ハンティング銃と弾

2024年02月06日

ライフル銃やサボットスラグ銃のマガジン。

大物猟はハンターの憧れ、ケンさんは下記の2丁の散弾銃と5丁のライフル銃を使いました。

  ライフル銃に憧れ レミントン1100ディアーガン。1984~1997

レミントン1100ディア―ガン 22インチ無チョーク20番スラグ専用銃。
スラグは命中させ難い事が分かりバックショット使いました。無チョーク銃身からバラ撒きますとよく当たりますが、被弾粒数不足で時に数km走られました。実質5年間本州鹿約6頭と野ウサギ10羽余を捕獲しました。


ライフル銃に憧れていたのでライフルサイト付(オープンサイト)を選択したのですが、この頃はまだ未熟であり、本州鹿との出会いのチャンスを作る事が出来ず、愛銃は火を吐く事のない期間が長く続きました。

7年目にやっとそのチャンスが来ました。20m先を走る小型の鹿でした。イージーチャンスに見えましたが、結果は全弾失中、使用弾はスラグ弾でした。


当初は50m先の30㎝の的紙から特に弾痕不明が出る程の射撃技術でしたが、この頃は50mで10㎝の射撃精度がありました。結果は全弾失中に見えましたが、1発がケツをかすめていました。

失中の1番目の原因は指向性がゼロの照準器で、ロクに照準出来ないままで発砲してしまいました。2番目は単弾での動的射撃をしていなかった事に気が付きました。

そこで運用をバックショットに変更し、動的練習を多用しました。本州鹿の練習用にウサギ撃ちも併用しました。そしてその後通算9年目、小型鹿の群れ3頭がケンさんの待ち場に来ました。

3連射で先頭の鹿が即倒、追加2発は失中に見えましたが、残2頭が被弾、他のメンバーが捕獲しました。

この初回捕獲成功の原因をよく考え、「禅の心」作戦が完成、12年目以後はかなり多数の出会いが得られました。「禅の心」作戦は素晴らしい成果を発揮しました。

あれ程までに出会えなかった本州鹿ですが、3週連続で捕獲成功しました。本銃の無チョークからバラ撒くバックショットは良く当たりましたが、被弾粒数不足で即倒せず、多くはかなりの距離を走られましたが、結果的に5頭捕獲となりました。

  本州鹿巻狩り用バックショット専用銃 レミントン742。1990~1993


レミントン11-87 21インチのターキーチョーク。
12番バックショット専用で出来るだけ短くと素速くを追求、グリップとチークピースは調整しました。

素早い照準にはリブ銃身、前作の無チョークの反省からフルチョークとし、本銃では実質4年運用で本州鹿約20頭を 捕獲すると言う、抜群の成果をあげました。
特筆は20戦全勝であり、失中&半矢未回収がゼロだった事です。


20番無チョークの」ディアーガン失敗の原因を考え、強力な12番のチョーク付きバックショット専用に特化した銃を作る事にしました。

レミントン11‐87に21㌅銃身のリブ付の交換チョーク式銃身があり、これをベースにしました。「ショットガン効果」が得られる4号バックショット27粒弾とインプシリンダーチョークが良かったのですが、27粒弾は入手不可能でした。」

当時はスラグ弾(ロケット弾と呼んでいました)で倒す事が腕の良い事を証明で持て囃され、大粒バックショットは不人気で27粒弾は入手出来ず、入手可能は6粒と9粒しかありませんでした。

スラグと6粒弾は400m/s、9粒は一般散弾と同様の350m/sでした。
そこでショットガン効果ではなく、バックショットの1粒が急所ヒットする作戦を取り、フルよりもっと絞ったターキーチョークと2種をテスト、結果は6粒が50mで20~30㎝に纏まり、これを採用しました。

そして4年間に18チャンスから20頭を捕獲、2回はダブルでした。失中ゼロだけではなく、全て即倒でした。

「禅の心」作戦と、バックショット専用銃で毎シーズン5頭の成果を上げるまでになりましたが、一方で本州鹿巻狩りの限界を感じ、これにて本州鹿猟を卒業、主体をエゾ鹿猟に移す事にしました。

  初のライフル銃 レミントン742。1990~1993

レミントン742、ガスオペレートセミオート5連銃、口径30-06、着脱式4発マガジン。
1時期ベストセラー銃でしたが、回転不良も多く、お世辞にも良い銃とは言えず、100m10㎝程度と実用的には100m以下でした。
本銃は本州鹿第1号捕獲以前に購入した未熟な失敗策、捕獲も僅か3頭に留まります。


レミントン742はオープンサイトのまま運用、100mで10㎝の精度。100m静止の実用性も無く、オープンサイトは指向性がなく、スナップショットもランニングショットも、出来ないダメな銃でした。

マガジンは複列式でしたが、よくボルト不完全閉鎖でジャムが起こり全ての場面で真面に使えない事が分かり、早々に首となりました。

レミントン742は複列式の着脱マガジンですが、排莢口から給弾が出来ず、回転不良や精度不足から、エゾ鹿猟には使えない銃でした。そもそもオープンサイトの精度では静止状態100mでも命中させる事が難しいのに、走っている鹿を遠くから当て様とする事は無意味でした。

ショットガンオートのリブバレルに依る、反動を押さえ込んだバックショットの動的連射は非常に有効 ですが、オープンサイトのライフル銃のオートの連射は意味のないモノ」でした。

  ルガー77。1993~1998

ルガー77、ボルトアクションスコープ専用銃、口径308、固定マガジン5発。
当時デビューしたばかりのスコープ専用銃のステンレスモデルでした。

操作性も3ポジションのボルトハンドルとセーフティーは非常に良好、思い出に残る約15頭を捕獲、ケンさんにライフル銃とは何かを教えてくれました。


ボルトアクションのルガー77のスコープ専用銃をエゾ鹿猟用に購入しました。精度は150mで10㎝位、150mのエゾ鹿を捕獲する事が出来ました。

エゾ鹿第1号は巻狩りの待ち場に行く途中で踏み出した中型エゾ鹿オスでした。ランニング用途に使うつもりもなく、練習していなかったにも拘らず、スコープ専用銃はスナップショットが出来、ランニングショットが比較的簡単に出来る事が分かりました。

本銃は複列式固定マガジンでした。出し入れの操作性も良く、追加装填も容易でした。ジャムも皆無でしたが、1つだけ気に入らなかったのは、マガジン内の残弾が発射の反動で前進し、弾頭の先端が多少潰れる事でした。

弾はボルトを前後だけで綺麗に抜け、安全装置は本体側で、3ポジション式は良好でした。弾数は撃たないだろうと、軽量仕様を選択したのは間違いでした。スナップショットやランニングショットの可能性は高い事を学びましたが、命中精度は高くなく不満が残りました。

  H&K SL-7 1998~2006

H&K SL7、口径308、着脱5発マガジン、セミオート銃。
ライフリングはポリゴナルライフル、ローラーロッキングボルトのディレードブローバックと言う斬新な機構の銃で、本当にボルト銃並の150mで5発のテーブル撃ちが12mm、究極の銃かと思えました。

実戦90日と3000発を要し、実用射程50m、命中率5発強で1頭、走る鹿用スイング射法の初歩を確立しましたが、本銃が究極の銃ではなかった事は、後述サコーを運用してよく分かりました。


ルガー運用中に根室には走るエゾ鹿が予想より多い事が分かり、これを本格的に狙う事にしました。当時のケンさんは命中精度さえ良ければ、自動銃が優れていると思っていました。

それで高精度な H&Kの自動銃を購入、スコープ専用銃化する為に、自作チークピースを取り付けました。高精度は嘘ではなく、思っていたより遥かに高精度の150mで5発12㎜のワンホール射撃が出せました。

ランニング射撃も3年間90日で、3000発を走るエゾ鹿に向けて撃ち、スイングショットの初歩を築く事に成功、その成果は有効射程が50m、1頭捕獲には5発強を要しましたが、2マガジン10発で3頭が最高でした。

マガジンは複列式で、ジャムはなかったモノの、銃自体の故障が多い銃でした。上からの給弾は出来ず、マガジン着装給弾をしていましたが、時に落下が起こり、ケンさんも1個紛失しました。

  レミントン700 2005~2005

レミントン700、口径308、固定マガジン5発。
H&Kオートの限界を感じ、再びボルト銃を試験運用しました。
本銃による捕獲は50頭程度であり、結果はボルト銃の安定性能を再認識しましたが、レミントンは装填時にジャムを起こす欠陥でした。


300m遠射が当たらず、H&Kオートの故障の多さも気になって、快調だったルガーを思い出し、再度シンプルなボルト銃を試す事にしました。命中精度は比較的高く、憧れだった300mも時々命中する様になりましたが、レミントン700はジャムが多く使えない銃でした。

レミントンも複列式の固定マガジンでしたが、その点では良いのですが、レシーバー左側に2発入ると、ニッチもサッチも行かなくなる欠陥には驚きました。

これが世界のベストセラー銃と言う事は信じ難い事でした。マガジン給弾にはそうならない様に細心の注意が必要でした。ただ射撃場の単発運用はマガジンに入れなくてもOK、これだけは良い事と言えました。

   サコ―75改 2006~2018

サコー75 バーミンター改、口径308、着脱マガジン5発。
グルーピングは150mで18mmとH&Kに僅に及びませんが、射撃安定性も操作性も抜群、3ポジションのボルトやボルトオプナーを装備した安全装置等々安全性もバッチリでした。

本銃は銃身5㎝、ストック2㎝をカットし、ストックを再成型&軽量化し重量バランスを整え、究極の銃となりました。

本銃により合計約750頭、内300頭以上が走る鹿でした。300mの遠射も導入したその年に複数達成、その他にもランニング射撃5発5中等々、永年の憧れであったテーマは本銃によって2006年度中に一気に達成されました。

300mは最早当然の様に決まる様になり、流石サコー75バーミンターと言えました。ランニングショットの初弾は従来のオート通りの命中率ながら、2発目以降はかなり不利になる事を覚悟してました。

ジャムは皆無、マガジンは複列式の着脱式で好調ですが、マガジンを無くす人が多くおり、ケンさん同行ハンターが人が紛失しました。マガジン落下以外は信頼に応えてくれる良い銃でした。

ランニング射撃は銃を換えた直後から、すでに際立っており、有効射程は自動銃の50mから4倍の200mとなりました。

1頭捕獲に要する弾数も、距離が4倍になったにも拘らず約半分の2.7発となり、8倍のパフォーマンスが可能となりました。
予想と余りにも違う現実には驚きました。

更に2か月後、命中率は更に2倍となり1頭捕獲は1.4発、パフォーマンスは16倍となりました。
憧れだったランニング射撃5発5中も、5日間に3度達成、マグレではない事を立証出来ました。
この技術確立後はマガジンチェンジ不要となり、固定マガジンで使っていました。

サコーのマガジンは弾の出し入れも非常に良好、気になっていた弾頭の潰れもカートリッジショルダーで止まる様になっており、完ぺきと言えました。

サコーは着脱式としても、固定マガジン式としても、非常に良く出来た銃だと言えました。

  


Posted by little-ken  at 17:56銃と弾

2024年02月01日

ショットガン効果は10秒以内。

  ショットガン効果の有効は10秒以内だけ。
散弾のマグナム弾は粒数が1.4倍、散弾密度が「3粒被弾撃墜」の「ショットガン効果」に至る至らないの境界であれば、そこで撃墜率に非常に大きな差が出ます。

すでにStd弾でショットガン効果が十分至れるならば、マグナム弾が故の効果は特にありません。
ショットガンの被弾粒数が不足する場合は、連射による追加被弾が非常に有効です。

急所でなくても上半身に3粒以上を満足すれば、1粒のパワーには概ね無関係に撃墜出来るのが、「ショットガン効果」の特徴ですが、有効時間は初弾被弾から10秒、それを過ぎると利きが悪くなり、30秒を過ぎると全く利かなくなります。

従って初弾被弾から10秒以内の勝負は有効度が高くなります。
半矢墜落したカモに撃つ止矢も、墜落現場までダッシュすれば、ショットガン効果有効制限時間内となり、歩いて行けばショットガン効果が無効となり、何発撃っても死ななくなります。

この場合の止矢は上半身が翼でブロックされてしまい、首や頭に1粒ヒットさせる必要があり、飛行中を撃つ場合に比べ、更なる散弾密度を必要とします。この散弾密度を2倍にする手法があります。

それは低い位置から狙い、粗点はパターンの中心を掛けるのではなく、10~20㎝程下げ、水面跳弾を上手く利用しますと散弾密度が2倍となり、止矢の有効度が2倍以上高くなります。

現場到着が遅れると、カモの体がすでにエマージェンシー状態になり、止矢が利かなくなりますが、更にカルガモやマガモは多くは羽を緩めて、水を入れ浮力を無くし、半潜水で逃げ様とします。
こうなりますと止矢は全く効かず、お手上げとなりますが、これにも対策方法があります。

10分ほど時間を置いて鴨が泳いで行った方向で上陸出来る場所を探します。
カモは羽の中に水を入れてしまった為、再度冷たい水に入りたくないので、日当たりの良い場所でじっとしています。

そんな条件の所を静かに歩きながらよく見ますと、距離5~10mで草の陰にじっとしているカモを  見付ける事が出来、その位置から速やかに草もろともカモの頭のみを狙って撃ちます。

カモの頭は消失しますが、胴体は無傷で回収出来ます。海ガモは潜水して逃げます。
潜水で逃げるカモは肩に着ける前に撃つ「スナップショット」が有効です。

カモは水中で方向を変えませんので潜った方向をよく見ていますと、1~2分後に数秒だけ浮上し、状況確認と息継ぎをします。

肩に銃を着けて狙う「旧スナップショット」では今一つ間に合いませんが、肩に銃を着けないままで撃つ「新スナップショット」なら間に合います。

  大物猟の場合。
この10秒以内が非常に有効なのは、エゾ鹿も同様です。大物エゾ鹿は被弾強いので、急所付近にサボット弾が命中しても逃げられてしまいます。

勿論不死身の鹿はおらず、やがては死ぬ事に間違いないのですが、数㎞以上先の話で、雪が無ければ追跡する事は非常に困難な仕事になります。

エゾ鹿の急所は即倒出来る急所を撃つ事が1番有効です。急所その物にヒットすれば、何処の急所でも即倒即死しますが、問題はそれを少しズレた時です。

ランニング射撃で10秒以内追加2発被弾させれば、3発目被弾直後に即倒しますが、通常の射撃技術では走る鹿に命中させられず、ならば実戦に連射能力は全く不要です。
即倒率100%のナミビアポイント

その最も即倒率の高いな急所は「ナミビアポイント」と呼ぶ、前足軸線上の背骨との交点です。
少しずれても肩甲骨ヒットショックが脊髄に伝わり、即倒率は概ね100%です。但し20%は10~30秒で起き上がり遁走します。

走り始めれば手が出せませんが、10秒以内に更に上半身に1発被弾させれば、たぶんそれで終わります。稀には3発目を要しますが、動かない鹿に10秒はイージー射撃です。

ケンさんはこのナミビアポイント開拓の結果、超大物クラスの捕獲率が急に5倍に上がりました。
またスクールの生徒が超大物を捕獲出来る様になったのも、「ナミビアポイント」のお陰です。

勿論、2017年U生徒が怪物88㎝を捕獲出来たのも、「スナップショット」「ナミビアポイント」「迫力負け」対策のお陰と言えました。ナミビアポイントの有効性が分かると思います。

ケンさんスクールで超大物を捕獲出来たのは僅か5人だけですが、出会いその物は平均5%あります。もし確率50%で捕獲成功したら、8日に1頭の超大物が捕獲出来る事になりますが、実際はその3倍の日数を要しました。

超大物の複数捕獲は2名だけ、残る3名はマグレ捕獲でした。
如何に超大物戦の「迫力負け」対策が難しいかを物語っています。

一方出会い確率20%の大物クラスを確率50%で捕獲すれば、概ね実績通りの2日に1頭大物クラスが捕獲となります。

このクラスまでは自然的な出会いも多く、自動的に迫力負けにも対応出来る様になります。
超大物は出会いが少なく、イメージトレーニングが不可欠になるのです。

実戦勝負は射撃技術も多少の影響はありますが、この「迫力負け」に心が至るか至らないかで、結果が分かれます。

エゾ鹿猟も林道コースであれば、射程は50m前後が多く、ブレネッキ銃でも対応可能ですが、昨今は林道の鹿が非常に少なくなりました。
  


Posted by little-ken  at 15:03ハンティング銃と弾

2024年01月27日

サボットスラグ銃規制とエゾ鹿猟。

長野の青木容疑者のサボットスラグ銃(ハーフライフル)による、警察官2名殺害事件の結果、どうもサボットスラグ銃の所持にはライフル銃並の経験年数が付けられそうな雰囲気です。

  .基準年数に満たない初心者のエゾ鹿猟はどうなるのか?
ブレネッキスラグ弾
20年前はエゾ鹿駆除が行われておらず、エゾ鹿は50~100mにいました。
従ってノーライフルのスラグ銃とブレネッキスラグ弾でも何とか獲れました。

しかし昨今は地元ハンターのライフル銃に依る駆除が1年中行われており、エゾ鹿は大物程長射程になりますが、100~200mにいます。

ノーライフルのブレネッキスラグ銃では殆どの場合ダメとなりますが、射程150mのサボットスラグ銃なら中型鹿まで対処可能でした。

従ってサボットスラグ銃の入手が出来ないハンターに依る、エゾ鹿猟は壊滅的な状態に陥ります。
それではエゾ鹿行政も困りますから、恐らく地元ハンターには駆除に限り、その経験年数を免除する特例が設けられる事でしょうが、本州の初心者ハンターのエゾ鹿猟への道は閉ざされる事になります。

  どう対処すべきか?
サボットスラグ銃の道が閉ざされない様に、黙っていないで運動するべきです。
黙っていれば、強行採決されてしまいます。やれる事を考えましょう。

しかし避けられないとなったら、駆け込み所持以外に方法はありません。

恐らく完全に施行されるまでには、1~2年を要すると思われ、茨の道になるかと思いますが、頑張って取り敢えずは型式問わずのボロでもハーフライフル銃なら何でも良いですから、所持を急ぐべきと言えます。
所持すれば、使用実績を作らなくてはならない事になりますが、頑張りましょう。

銃本体ではなく、お手元の自動銃やスライドアクション銃に使えるハーフライフル替え銃身追加登録と言う手法もあります。記載変更で届け出るだけで簡単ですから、本命はこちらなのかも知れません。

そうすれば既得銃はそのままになる筈ですから、後刻他のハーフライフル銃に交換する事が出来ます。こちらも新たな乱用防止の行政指導が行われる可能性もあり、早目が良いと思われます。

自動銃やスライドアクション銃のサボットスラグは、後述3項の様にボルト銃に対し、遠射性能も連射性能も大幅に劣りますが、取り敢えずサボット銃を所持する事に意義があるならば、深く考える必要はありません。即座の行動あるのみです。

  どの型式が良いか?
精度的にはボルトアクション銃が最も高精度であり、銃身はフルフロート、反動を受けるボルトラグは片持ちではなく、スコープ取付けのガタはなく、スコープ専用銃が運用性能も高く、お奨めです。
サベージボルト銃
精度は120mまでならライフル銃に準じた、直撃照準が可能であり、あわよくばワンホール射撃が可能です。落差補正すれば150mまで使える、これがボルトアクションのサボットスラグ銃の性能です。
レミントン870スライド銃
レミントン11‐87自動銃
これに比べますと、スライドアクション銃や自動銃は構造的にかなり劣りますが、100mなら使える領域にあります。自動銃やスライドアクション銃の場合は、スコープを機関部に取り付けるタイプは、機関部と銃身の取付部にガタがあり精度が出ません。
カンチレバー型替え銃身
銃身から出た延長のバー(カンチレバー)にスコープを取り付けるタイプでないと精度が出ません。
サボット銃なら高精度は簡単なのか? 下記の理由に依り意外と難しいのが現状です。

射撃高精度が出せない原因は、銃には反動があり、体はその反動を上手く受け様とし、発射直前に体に力が入って硬くなり、それが故に照準がズレてしまう「フリンチング」にあります。

自動銃やスライドアクション銃はボルトアクション銃に比べ、連射性に優れると誰もが思います。
散弾時の連射は反動を押さえ込んだ連射が可能となりますが、高精度のサボットスラグ銃の場合は射手の介入を出来るだけ抑え、銃だけに撃たせなければ高精度が出せません。

また通常射撃技術では動的には命中させる事は不可能で、連射の意味はありません。
動的射撃は肉眼で見ている映像が「虚像」であり、「実体を伴っていない」事を理解しなければ命中しないのです。動的の実体は原理的に見えませんが、見えている「虚像」よりもう少し前方にあります。

見えている映像を狙ってリードを考えて撃つ事は、「リード射撃」なら可能ですが、通常の銃のスイングは反動を身構える事で止まってしまう「引き止まり射撃」となり、命中させる事は不可能となります。

ケンさんは自動銃で走る鹿をバッタバッタ即倒させるのが夢でした。
選んだ銃はH&Kオートの308でした。「ランニング射撃」の夢は達成する事は出来ましたが、しかしオートのそれはまだ不完全であり、ボルト銃では全くの想定外でしたが、スンナリ完全になりました。

ライフル自動銃は静的300mをクリアする事が出来ず、また動的も射程50mに留まり、1頭捕獲には5発強を要しました。銃をボルトのサコー75に換えた途端に、射程は4倍の200mになり、1頭を捕獲する弾数も半分の2.7発となり、8倍のパフォーマンスとなりました。

2か月後には更に半分の1.4発、実質16倍のパフォーマンスとなり、どちらが優れているか非常に明確に分かりました。

ボルト銃の連射は再肩付けを要する「スナップスイング射撃」ですが、射程4倍にも拘らずパフォーマンス16倍にも、そして自動銃より速かった連射にも驚きました。

オープンサイトの自動銃は最も役に立たない銃と言う事になり、最強の銃はボルトでした。
サボット銃どうしの比較も、同様にボルト銃に軍配は上がります。

ただ50m以内で、動的を捕獲すると言う事に的を絞れば、自動銃のリブ銃身に4号バックショットを連射運用し、射撃は距離に合ったチョークが、ベストな組合せとなります。

  口径はどれが良いのか?
10年前までは12番でした。理由は弾のメーカーが多数あり、相性の良い弾を選べるのが理由でした。しかし今や20番も良く当たる弾があります。

20番の命中精度が12番を上廻る事はありません。パワー面で20番は12番に比べパワーが30%以上低下しますが、反動が軽くて撃ち易い事は確かです。

要は急所ヒットすればパワーには概ね無関係に即倒し、急所ヒットしなければ、パワー1.4倍マグナム弾で撃っても効果は皆無です。

単弾では後にも先にも「急所ヒット」するかどうかだけで評価が決まり、従って強力な3インチマグナム弾は不要です。

実戦で必要なのは当たる銃と当たる弾、そして「迫力負け」しない心と、逃げる前に撃てる早撃ち能力です。

  


Posted by little-ken  at 17:26ハンティング銃と弾

2024年01月24日

ヒグマハンターを目指す人が増えて来ました。

  「ヒグマに立ち向かうハンターの世界に異変」
先日ネットのニュースでこんなのを見付けました。
(ネットニュース)北海道で狩猟免許取得を目指す若者が増加して来たそうです。しかしヒグマ撃ちになるには、険しい道のり「5年10年は経験を積む必要」とニュースでも言っています。

2023年、北海道ではヒグマの目撃や捕獲件数が過去最多となりました。人身事故は8件、合わせて10人が死傷し、またエゾ鹿による農作物の被害額も深刻で、約48億円(2022年度)となりました。

一方駆除ハンターは、どんどん高齢化が進み、緊急時の出動に支障が出る事態となって来ました。

ヒグマ被害が深刻化する北海道とハンター不足の北海道猟友会によると、北海道内のハンター登録者数は年々減り続け、今や4700人、ピーク時の1978年に比べ、2023年は約4分の1にまで減少し、ハンターの半数が60歳以上と、高齢化も深刻な問題となっています。

 狩猟免許の受験者が増加? しているそうなのです。なり手不足が続いていたハンターでしたが、実は北海道の狩猟免許試験の受験者数が3年程前から増加傾向に転じて来たそうです。

 何故今? 狩猟免許取得をめざす若者が増加 しているのでしょうか。受験会場を覗きますと、以前は多かった高齢者に代り、今は20~40代の若い世代も目立つ様になりました。

受験者数が2019年は800人から2023年は1276人と、過去5年で最も多い人数となったそうです。若い受験者にハンターを目指す理由を聞いてみますと、下記の様な答えが返って来ました。

普段はIT会社に勤務していると言う男性(26)は元々釣りやキャンプ等アウトドアが趣味で、大阪から札幌に転勤した事で、北海道の獣害事情を知り、増過ぎた動物を間引きする生態系維持をしたいと語り、札幌市在住の女性(35)は、狩猟免許を持つ父親(65)と一緒に猟をしたいと語りました。

大学に通う女性(21)は知合いの農家が自ら狩猟免許を取得し獣害対策をしているのを見て、狩猟に興味を持ったと言う事でした。測量や地質調査に従事する男性(59)は、仕事で山に入る際、護衛を頼むハンターが見つからず、自分で身を守る為に狩猟免許の取得を目指したと言う事でした。


(ケンさん書き込み)これらは1時的なブームであり、銃があればヒグマからの襲撃を、自分で身を守れると言える程、狩猟は甘くないのです。

過去の例からすれば、銃は大きな反動で命中せず、ハンターを避ける行動を学習済のエゾ鹿には100m以内で出会えず、捕獲は困難を極めます。

3年未満撤退が必須、10人中の9人は銃を辞めてしまう事でしょう。
片手間でやる趣味のハンティングでは、エゾ鹿猟が限界で、ヒグマと勝負出来るハンターになれる可能性は概ねゼロ%です。

狩猟も射撃もかなり本腰を入れ、新しい能力を開拓して自らの身に付けなければ、ヒグマと勝負出来るハンターになれません。仮にハンターとして落ちこぼれなかったとしても、生態系維持に貢献出来る可能性は誤差範囲と言えます。

次の例はもう少しマシな例です。
ハンター歴5年道上綾子さん
ハンター歴5年の道上綾子さん(33写真右)は、農業被害の対策として発足した「ボランティア駆除隊」に所属しており、普段はテレビカメラマンの仕事をこなしながら、早朝から「駆除隊」の活動にも参加しており、目指すは「ヒグマ撃ち」何れは「札幌市ヒグマ防除隊」に入りたいそうです。

しかし危険と隣合わせのヒグマと対峙するハンターには、かなりの経験が必要であり、北海道猟友会札幌支部の奥田支部長は、ハンター志望者の増加を歓迎しつつも、実際にエゾ鹿を駆除する為にも、かなりの“経験”が必要だと強調し、ヒグマハンターはその比ではないとしています。

試験を受けてすぐハンターになれるのではなく、片手間ではエゾ鹿狩猟者でも1人前になるには、長い時間と豊富な経験が必要なのです。ヒグマハンターには途方もない程の経験を要します。


ハンター増加はケンさんに取っても非常に嬉しい事ですが、過去には新人達も、銃は思った様に命中せず、獲物には出会えず、80%以上が3年以内に1度も捕獲を経験する事なく、銃を辞めるのが普通です。仮に生き残っても5年程度でなれるのは、余り獲れないエゾ鹿猟ハンターまでです。

地元駆除に参加しても、ヒグマ経験は檻に入ったヒグマの止め刺し程度までしか経験出来ません。
現実のヒグマの駆除は90%が箱罠、箱罠止め刺し専門ではヒグマハンターとは言えません。

ヒグマ猟のプロハンターでなければ、ヒグマと対等対戦出来るハンターは育てる事は出来ません。
しかし、実はそれが出来るハンターは次項の様に概ね皆無なのです。

本当のヒグマ勝負は非常に厳しい物です。男女同権は認めますが、男性でもヒグマ駆除ハンターに適しているかどうかは、次項でも紹介している様に余りにも酷な条件により低率です。

甘えの抜けない女性がこれを達成するとは思えず、写真手前の女性がそうなれる可能性は無いと言い切れます。

  ハンターのヒグマ事故内容とその原因。
過去60年間にハンターがヒグマ事故に会ったのは46件であり、16人が死亡、35人が負傷しています。死亡者と負傷者合計は51件、計算が合わない原因は1度に複数がやられた事によります。

1964白滝の事故、2005穂別の事故、2011遠軽の事故では、ハンター2名共が負傷しました。2006浜中の事故では、何とハンター2名共が死亡しています。銃は持っていても役に立たないのです。

どの事故もそうですが、ヒグマの1撃で2名が同時に負傷したり殺される事は絶対にありません。

2022滝上では山田氏の負傷事故がありましたが、恐らくこの時も当人には数秒間があったと思われますが、何も出来ない内にやられてしまいました。山田氏の近くにいたもう1人には更に時間があった筈ですが、何も出来ませんでした。他の事故も多分類似と思われます。

山田氏も捕獲経験100頭以上のベテランですが、反撃を受けたのは初めてだったそうです。
ヒグマ100頭級捕獲を誇る昨今の名人達も、捕獲経験90%は檻に入ったヒグマの止め刺しでした。

100頭の捕獲名人も絶対に反撃しないヒグマの多数捕獲経験者に過ぎなかったのです。
銃に依る捕獲時でも返り討ちに会う確率は僅か1%程度と思われ、本当に対等に対戦出来るヒグマハンターは、概ね皆無なのです。

行政はヒグマとの共存方法の模索と共に、このヒグマに対し「迫力負け」「恐怖負け」しない、本当にヒグマと対等に対戦出来るハンターの育成をしなければなりませんが、従来の射撃方法では銃を肩に着けてから狙う為、発砲まで1~2秒を要し、咄嗟の場合には残念ながら殆どが間に合いません。

恐怖負け」で何も出来なくなったのが第1原因、「スナップショット」が出来なかったのが第2原因なのです。

ケンさんは2014年15mでヒグマ280㎏に鉢合わせしました。
銃はマガジンに弾が入っていますが、未装填であり安全装置が掛かっていました。

自ら考案した銃を向けるや否や撃てる「新スナップショット」で、装填&安全解除、西部劇並スナップショットは急所ヒットしました。

ヒグマは逃げ様としましたが、弾に弱いヒグマは5mで倒れ、更に数秒後には動かなくなりました。

「恐怖負け」に陥る事なく、上手く対処出来た事を誇りに思いますが、更にデカいヒグマに、更なる近距離で出会った時も、上手く機能するかに付きましては自信ありません。

尚、適当なサイズの縮小写真に向け、色々な距離から速やかに急所に照準し引き金を引く、素振りの「迫力負け」「恐怖負け」対策のイメージトレーニングの積み上げは非常に有効でした。

しかしケンさんがヒグマ捜索時の護衛係をすれば、2人が何もしないでやられてしまう事は有り得ないだろうと思います。スコープ専用銃で「新スナップショット」をマスターすれば、あわよくば返り討ちを全面的に防止出来ると思われますが、少なくとも従来より必ず善戦出来ると思われます。

スナップショットは現在見えている映像は実体を伴なっていない虚像であり、それを狙い込んではなりません。銃は実際に弾が出る頃の、少し未来位置に向けて、瞬時に撃たないと、命中しません。

完全立ち止まる鹿と違って、ヒグマは動いている事が多く、僅かでも動いていれば、しばしば虚像と実体は1m強離れており、必ず失中します。

通常のライフル射撃は静止時に限られており、この時は実体を伴わない「虚像」と実体は同位置にあり、これは特例射撃です。

「新スナップショット」は発砲の決断と同時に、体を最終発砲状態に移行させ、同時に目標を銃口で正しく指向し、ホッペをかすめて銃を肩に引き寄せ、肩に銃が着くより前に確実に急所を撃ち抜く事が出来る新手法です。

心の側の「迫力・恐怖負け対策」と併用出来れば、僅か数カ月の練習で西部劇早撃ち並に撃てる、ヒグマハンターには無くてはならない、非常に心強い射撃方法と言えます。

また銃を正しく目標に指向して、正しく速く構えられる「スナップショット」は、数秒間の時間を稼ぎ出し、射撃の基本と言え、全ての場面でプラスとなります。

これが出来れば、通常エゾ鹿勝負に於いても、早くしないと逃げられる焦り射撃から決別出来ます。
焦り射撃の相場は失中と決まっており、従って焦りを決別出来れば捕獲成功率は格段に向上します。

ケンさんはお陰様でエゾ鹿の超大物以上33頭の捕獲と、ヒグマ6頭の捕獲が出来ましたのは、この「イメージトレーニング」と、「スナップショット」のお陰でした。

「スナップショット」が完全に出来る様になりますと、やがてランニング射撃も可能になって来ます。
未熟な頃から、ランニング射撃は必ず命中すると信じておりましたが、その即倒率はそれ程高くはなく、初期には1頭の捕獲には10発前後を要すると思っておりました。

しかし、実際は2007年1月には50頭を捕獲するのに要した弾は70発、この5日間に3度の5発5中を体験出来ました。

そしてこれらを計算すると、70%は150m先を走るエゾ鹿の急所直撃をしており、1頭捕獲に要する弾数は1.4発となりました。

150m射撃は静止状態でもブレで高難度ですが、スイング中はジャイロ効果で安定しており、追い越す時に引き金を引くだけの、リード調整不要の「スイング射撃」は予想外によく当たりました。

即倒率70%の「スナップスイング射撃」は反動に依る「フリンチング」を排除しなければ完成出来ず、「フリンチング」を排除出来れば、「ワンホール射撃」も達成可能となります。

共に「反動」に条件反射で体が反応してしまう事が主原因であり、実射練習からは絶対に2つの「夢の射撃」は達成出来ません。


  


Posted by little-ken  at 06:10ハンティング銃と弾

2024年01月22日

モデルガンとは。

  モデルガンの種類。
俗にモデルガンと呼ばれていますが、下記の様に種類があり、それぞれ特徴があります。

 1.モデルガン:発砲能力は全くないが、メカニズムは実物完全コピーを主眼にしています。   
低強度亜鉛製も認められますが、銃身等未貫通、短銃型は白色又は黄色、プラ製は黒も銀メッキもOK、小銃は黒色金属製もOKです。ダミーカートによる操作が可能であり、1部は玩具用キャップ火薬の発火が可能です。

初期には全ての部品が実物と互換性を持ったモデルもありました。
実際に撃たない銃であれば、モデルガンのメカは概ね実物通りであり、外観も重量も実物と差異はなく、イカサマ所持を続けている実銃所持者の目的を完全に達成出来ると、ケンさんは思います。

そう言う事から、ケンさんは現役のハンター時代から、この本物と同じ機構の「モデルガン」が1番好きであり、コレクションのメインもこれらを買い集めて来ました。

ボルトアクションスナイパーや、スライドアクションショットガンは実に多数のモデルが揃っています。揃っていないのは散弾銃のセミオートと上下2連銃と、狩猟用空気銃の類です。

 2.エアーソフトガン:エアーガンは登録を要する空気銃を指します。
それと区別する為にエアーソフトガンとしています。プラスチックの丸弾を飛ばす事に主眼を置き、外観はリアルを目指しますが、メカは全くの別物です。

弾丸パワーは1ジュール以下に規制され、本物空気銃の1程度/100です。その空気銃は散弾銃とは50倍、ライフル銃とは100倍近いパワー差が あります。短銃型も小銃型もあり、ダミーカートに丸弾を仕込んだ物等々、色々工夫され少数派です。
ケンさんコレレクションの中ではモデルガンになかった軍用スナイパーモデルの少数だけです。

 3.実物廃銃:生産数の多い軍用小銃が多く、僅かに古式銃や猟銃型もあります。
銃口穴以外の外観のみを保ち、かつては本物であり実際に撃てたロマンは残ります。

見えない主要部分が削り取られ、可動部分は皆無、銃口は溶接で塞がれ、アクションは溶接され、撃てる様に復元するよりも新作した方が遥かに早いと言う、4項の文鎮モデルに近いモデルです。

ケンさんコレクションの中ではモデルガンになかった軍用銃や機関銃等があります。

 4.文鎮モデル:外観のみを保ち、中が無垢の片面削出し仕様や鋳型製造品が多く、可動部分は皆無です。一方で材質の制限は甘くなっています。

 5.実物展示銃:かつては登録された現役猟銃でしたが、類似型式玩具銃をベースに手元に残せる合法実物部品を組込み、外観のみを復元した、猟銃登録者本人だけに許される「非売品の展示専用銃」です。
かつての愛銃「サコー75改」
かつての愛銃「SKB‐1900改」

且つての愛銃を合法的に実物廃銃に国内加工するコースはありません。従って愛銃を手元に残す手法は、この手法しかありません。手元に残した部品も原則として販売禁止です。

希望型式銃を実物廃銃に海外で加工した上で国内に輸入し、手元にある愛銃部品を可能な限り、装着する手法なら可能性がありますが、とんでもないレベルの費用と期間が必要です。

 6.教習銃:銃所持教習会等々で見る銃で、発砲機能は除去されていますが、ダミーカートによる操作が出来ます。愛銃を教習銃に加工コースは無く、公的教育機関でなければ所持出来ません。

 7.古式銃:教育委員会管轄の文化財の銃です。
古式銃に付きましては文化財ですから、発砲機能はそのままで所持出来ます。
1970年頃以前には100年以上前に製造された銃であれば、新規に輸入も出来ました。

そうなりますと西部劇でお馴染みの「ウインチェスター」や「コルトピースメーカー」も1873年式ですから、数年後には100規制とクリアし、輸入OKとなってしまいます。
ウインチェスター1873
銃も実射出来るレプリカ新銃が多数製造されており、弾薬「44-40」は現在も製造されており、問題となります。

その為に近代薬莢式以前の撃発構造(ピンファイアーまで)を持ち、1867(明治維新)年以前に国産された銃、又は同年以前にすでに日本に伝来していた銃だけに限られる事になりました。
上記条件内である事が明らかであれば、輸入する事も出来ます。

新しい法律が有効になる直前の過渡的に、パーカッション時代のシャープス・スタール・レミントン等の単発元込めライフルや、それらを改造した元込めカートリッジ銃が、駆け込み輸入されました。

  ウインチェスター1866 イエローボーイ リムファイアー弾
スペンサーやヘンリーライフル1860やウインチェスター1866のリムファイアー銃が、それらのレプリカ新銃を含め、少量が古式銃登録されました。それらの銃はウインチェスター1860が600万円と言う、とんでもないプレミアム価格が付いています。

火縄銃等に付きましては、射撃その物も文化財と認められ、下記の各種諸条件を満たせば、実弾射撃も可能となります。

その条件とは銃が古式登録銃である事、射手がライフル射撃協会に属している事、火薬購入の許可を受ける、等々となります。且つて1990年頃までは、火縄銃愛好会も月例射撃会を催していました。

一方その頃まではライフル銃の射撃目的の所持が認められており、軍用ライフル等の射撃同好会もありました。やがて2000年前後にはライフル銃は狩猟目的に限定され、エゾ鹿猟参加者が急増した時期がありました。
  


Posted by little-ken  at 08:36銃と弾